水曜日, 7月 16, 2008

狛犬さん 518

2008.05.17 奈良県大和郡山市材木町 薬園八幡神社
 薬園八幡宮御傳記によりますと
 
御祭神 八幡大神・比咩神
 沿革 當社は 天平十二年(740) 聖武天皇 奈良の大佛鋳造を思い立たせ給いし時
    豊前の宇佐八幡大神が 擁護の神勅を降し給いしに起因する事は
    続日本記に詳なり
    即ち天平勝宝元年(749)十二月十八日の御入京にして 
    宮南 梨原なる薬園の現地に鎮座し給うを創とす
    薬園は 文武天皇の大宝元年(701)の創設なり
    此地 孝謙天皇 天平勝宝元年十二月南薬園新宮に於て
    大甞会を行い 亦翌二年(750)正月 群臣に饗を給いし所なり
    境域は往古東古川筋より 西域二の丸を限り 南本庄より 北小川町に至る
    その後 天正十三年(1585)郡山築城の際 薬園村を収めて 城下の市街となり
    今の氏子区域是なり
    社殿 御神殿は桃山時代の建造物にして 
       昭和二十八年(1953)三月二十三日文化財に指定される

 宇佐八幡宮の御祭神は 宇佐地方に居た大神氏の氏神であり
  農耕又は海の神されるが 鍛冶の神ではないかと言う説もあるそうです
 がしかし 欽明天皇32年(571)に 誉田天皇広幡八幡麿と称して
 八幡神が表れたとし この神が応神天皇であるとされている
 そこから 八幡神社の御祭神は 応神天皇(誉田別尊)となったようです

 吽形の狛犬さんには 男性のシンボルがついています
 阿形に何か彫りこまれているように見えますが 女性のシンボルでしょうか
 台座には 天明元年(1781) 十一月吉辰 と刻まれていました
  干支の部分が 己と読めるのですが 天明元年は 辛丑 
     乙己でしたら 天明五年(1785)になります 

 境内に片隅に こんな鋳物製の古い灯篭がありました
 鋳物師 松尾九右衛(門?) 藤原廷次 と書かれていました
  かなり錆びて 壊れかけていますが 見事な灯篭です

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

What light of day isn't today?