境内の説明板によりますと
大林村「八幡神社」だそうです
一、御由緒
當社は、今から二千年前、三明川一帯に
集落をつくり、農耕と狩猟の生活を
始めた頃に、田の神として、三明川のほとりに
五穀豊穣を祈り、「野神」(野上神社)を
祭り、また家内安全、村内安寧のため、
この「鎮守の森(櫻の馬場)」に
「神」を祭ったのが、始まりであると
傳えられている。
當社の創建は、応神天皇が大島・
奥津島神社(島町)に参詣の帰途、
本社「日牟礼八幡宮」に参詣したことから
「八幡神社」を名乗る。
當社は古道(景清街道)沿いに祭られ
旅人の安全祈願も願った。
享保六(一七二一)年に、當林村出身の
「大阿闍梨堅者法印宗元」が「當社」を
建立し、その後、享保十八(一七三三)年に
馬淵村出身の「大阿闍梨堅者法印宗宝」が
手を加えた。寛政四(一七九二)年には、
「大阿闍梨慈諌法師」が、「将軍地蔵」を
遷宮しこれを祀った。
村の鎮守の森であったこの地には、
神木の「大杉」が植えられている。
この大杉は、牧町の今はなく、その跡のみを
残す樹齢八百年といわれた「天狗杉」と
並び称された大林村の「大杉」
(幹廻り六メートル二十センチ)が、
今も聳えている。
古くは本社「日牟禮八幡宮」から
當社「八幡神社」まで一直線の道路が
通じていたが、八幡城下町を建設する際、
豊臣秀次により消滅させられた。
しかし四月の「日牟禮八幡宮」の
十三郷の祭礼には、神輿が當八幡神社で
休息し神楽が奉献され、その翌日の
太鼓祭の巡行のお旅所となっていた。
一、御祭神
「譽田別尊(応神天皇)」
一、御社歴
鎌倉時代 (十二世紀)年
「大杉」が植えられたとの傳承
享保 六 (一七二一)年
「八幡神社」建立(「愛宕山大権現」勧請)
享保十八 (一七三三)年
「八幡神社」造築
寛政 四 (一七九二)
「将軍地蔵」遷宮
明治 五 (一八七二)
「灯籠」寄進
明治二一(一八八八)
「本殿」修復
明治二一 (一八八八)
「鳥居額(八幡宮)」掲ぐ(徳川家達書)
明治三三 (一九〇〇)
「大杉」石垣、修復
明治三三 (一九〇〇)
「本殿」屋根再改修
明治三四 (一九〇一)
「本殿屋根」破損、修復
昭和三三 (一九五八)
「本殿」屋根、葺き替え
平成 三 (一九九一)
「本殿」屋根葺替、改修
平成 八 (一九九六)
「中門」「透塀」「水屋」改築
本殿の塀の中に居た狛犬さんです
詳細は不明です
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