木曜日, 3月 31, 2011

狛犬さん 1055

2011.01.30 滋賀県東近江市八日市金屋 野々宮神社
 参道の石造狛犬さんしか 写真に撮れませんでしたが
 他に 木像狛犬さんがいるようです
 境内の説明板によりますと
 
八日市市指定文化財 木造狛犬
        平成四年二月二十六日指定
        野々宮神社所有
    阿形の狛犬は、鬣を体部に沿って垂らし、
   耳を立てます。瞋目(目をいからせ)、
   開口して上下の歯牙及び舌をあらわし、
   顎下に丸い鈴状のものをつけます。正面を向き、
   両前足をそろえて洲浜座上に蹲踞します。
   像高は四四、九センチメートルです。
    吽形の狛犬は、口を閉じて上歯牙のみを
   あらわすほかは阿形と同じです。
   像高四三,九センチメートルです。なお、
   頭上に角はありません。
    阿・吽両像各々檜材で、寄木作、玉眼(欠失)、
   彩色像です。ともに頭・胸部から前足・腹部を含めた
   前面材に、後頭部から胴以下の背面板を
   竪に矧いだ前後二材とし、内刳りをします。
   面部は、阿形は上顎まで、吽形は下顎まで含めて
   割り放ち、内刳りにして玉眼を嵌入します。
   後ろ足の先と尾は各々別矧ぎです。彩色は、当初のものは
   剥落し、わずかに阿形腹部に白土下地を残します。
   後補の彩色は胡粉下地に彩色を施しますが、
   これもほとんど剥落しています。台座は洲浜座で檜製です。
         八日市市教育委員会
 だそうですが 木造狛犬さんの製作年代が書かれていません
 しかも どうも阿吽共に 角が無いようですね
 すると正確には 狛犬さんでは無くて 獅子になりますね 

 本殿の前に居た狛犬さんたちです

水曜日, 3月 30, 2011

狛犬さん 1054

2011.01.30 滋賀県東近江市八日市金屋 野々宮神社
 境内の石碑によりますと
 
野々宮神社由緒書
   野々宮神社が創建されたのは
   延暦二年(西暦七八三年)で今年は
   千二百年にあたります。御祭神は
   天津彦瓊々杵大神。大國主大神。
   少彦名大神で。そのほか十一柱の神々を
   お祀りしています。往時この地方は
   野々子荘と呼ばれ當野々宮神社は
   金屋村、中野村、蛇溝村、古保志村(市辺)、
   今堀村、今在家村(今崎)、上大森村、
   下大森村、二俣村、尻無村、芝原村、
   瓜生津村、土器村の十三カ所の惣社として
   この地方の信仰の中心でありました。
   私達の祖先が敬神崇祖を旨として神社にご奉仕し
   御神徳を戴いてこられた事を偲び、
   更に、御神恩を子々孫々に至るまで
   垂れ賜わらん事を祈願し、本日厳かに
   記念祭典を斎行仕りました。仍ってここに
   神社のご隆昌と氏子の弥栄を祈念して
   本碑を建立いたします。
     昭和五十八年(1983)十一月三日
     だそうです

 参道奥に居た狛犬さんです
 台座に 明治四十年(1907)丁未十一月八日
     石工人  森 安次郎
  と刻まれていました

火曜日, 3月 29, 2011

狛犬さん 1053

2011.01.30 滋賀県東近江市八日市金屋 野々宮神社
 鳥居をくぐってすぐの所に居た狛犬さんです
 笑い顔の 愛嬌のある狛犬さんです
 

月曜日, 3月 28, 2011

狛犬さん 1052

2011.01.30 滋賀県東近江市八日市金屋 野々宮神社
 ご祭神は 瓊々杵尊 大己貴命 少彦名神
 
御由緒
   延暦二年(783)、野野子庄十三か村の惣社として、
   坂本日吉神社第六殿所祭の祭神三柱
   及び聖徳太子御自彫の子安延命地蔵尊を併祠した。
   当時蓮花寺、光林坊、正覚坊、団子坊、淨荘庵の
   五別当があったが、弘化元年(1844)の兵火によって
   焼失した。明治までは十禅寺大権現とも称した。
   天明四年(1784)の文書には本社十禅師とあり、
   末社として現在の境内社が記され九尺四方の
   釣鐘堂、地蔵(蓮花庵)があったとある。
   明治元年(1868)野々宮神社と改称した。
   明治九年村社に列し、明治四十二年(1909)
   神饌幣帛料供進指定となる。
     だそうです
 
 鳥居の手前に居た狛犬さんです
 台座に 皇紀二千六百年記念と刻まれていました
 皇紀二千六百年は 昭和十五年(1940)年ですね

土曜日, 3月 12, 2011

狛犬さん 1051

2011.01.30 滋賀県東近江市東中野町 中野神社
 本殿の前に居た狛犬さんです
 残念ながら 詳細は不明です

金曜日, 3月 11, 2011

狛犬さん 1050

2011.01.30 滋賀県東近江市東中野町 中野神社
 境内の説明板によりますと
 
中野神社 由緒略掲
  祭神 大山咋命 事代主命 白山比賣命
  當社は延暦十八年(七九九年)己卯年
  志賀郡坂木村大比叡神社より奉遷し
  山王十禅師と稱へ村民の崇敬極めて厚く
  中野村地主神として尊信す
  徳川時代領主松平陸奥守崇敬ことに
  厚く金穀を奉献して祭祀の意を
  よせられたることは社傳の記す所なり
  永禄十一年(一五六八)織田信長
  佐々木氏に代りて近江に政令を布くや
  保内郷は其の臣柴田勝家に與へ
  領せしむ勝家亦當社を崇敬して
  社領を寄進せらるる等武門武将の尊敬
  極めて厚く萬治三年(一六六〇)社寺
  再建成りさらに天明八年(一七八八年)
  建立せらる之現在の社殿なり
  明治四十二年(1909)十月十三日
  神饌幣帛供進神社に指定せらる(
    だそうです

 参道の一番奥に居た狛犬さんです
 吽形の頭には 小さな角が見えます

 

木曜日, 3月 10, 2011

狛犬さん 1049

2011.01.30 滋賀県東近江市東中野町 中野神社
 鳥居の前に居た狛犬さんたちです
 台座に 明治八年(1875)
       亥十一月
   と刻まれていました

 阿形の狛犬さん 少し首を傾けている所が
  可愛いですね

水曜日, 3月 09, 2011

狛犬さん 1048

2011.01.30 滋賀県東近江市東中野町 中野神社
 御祭神 大山咋神
  配祠神 白山比賣命 事代主
 白山比賣命とは菊理姫(くくりひめ)のことだそうです
 菊理姫神は 石川県の霊峰白山信仰の神だそうです
 山の神であり 山は水源であり 水の神としての
 神格も持っているようです
 又 伊弉諾命と伊邪那美命の言い争いを
  調停した神様でもあるそうです

 
御由緒は社伝によると、桓武天皇の
  延暦十八年に僧最澄が、赤神山成願寺五十余坊を
  創立する。寺坊の一つに十輪山南福寺を創立する。
  守護神として大比叡神社を祀った。
  明和年間(1764~1771)は、
  二宮十禅師と称し、天明年間(1781~
  1788)には、十禅師大権現と称し、
  山王十禅師として、尊崇されていた。
  永禄十一年(1568)織田信長が、
  佐々木に代り政令を布き、柴田勝家の
  領地となったが、社領として免租にした。
  徳川時代領主松平陸奥守の崇敬厚く、
  毎年玄米二斗四升を献じた。
  明治初年(1868)中野神社に改称した。
  明治九年(1876)村社に列し、
  同四十二年(1909)神饌幣帛料
  供進指定となる。
    だそうです

 参道の入り口に居た狛犬さんです
 狛犬さんの台座には
  明治四十四年(1911)
   亥十月建之
  大阪江日堀
    西喜
  と刻まれていますが
 もう一つ 昭和五十四年(1979)二月 
  と刻まれていました
 狛犬さんは 昭和生まれですね



 

火曜日, 3月 08, 2011

狛犬さん 1047

2011.01.30 滋賀県近江八幡市土田町 東日尊神社
 本殿の中に居た狛犬さんです
 木製だと思いますが
  詳細は不明です
 

月曜日, 3月 07, 2011

狛犬さん 1046

2011.01.30 滋賀県近江八幡市土田町 東日尊神社
 御祭神は 天照大神
 
御由緒は不詳
  起源は恐らく太古に遡るといわれている。
  青根天神跡を有し、西日尊神社跡もある。
  社伝造営に関する棟札慶長七年(1672)
  より数枚を保存している。現存の
  本殿は弘化三年(1846)の
  造営である。拝殿は享和年間
  (1801~1803)の建物であったが
  改修され昭和二年に完成している。
  明治九年に村社に列せられた。
     そうです
 
 狛犬さんの台座には
   昭和四拾年(1965)九月
   石長作
  と刻まれていました

日曜日, 3月 06, 2011

狛犬さん 1045

2011.01.30 滋賀県近江八幡市中村町 八幡神社
 本殿の塀の中に居た狛犬さんです
 詳細は不明です
 吽形の頭には 小さな角があります

土曜日, 3月 05, 2011

狛犬さん 1044

2011.01.30 滋賀県近江八幡市出町 野上神社・八幡神社
 境内の説明板によりますと
 
大林村「八幡神社」
  一、御由緒
   當社は、今から二千年前、三明川一帯に
  集落をつくり、農耕と狩猟の生活を
  始めた頃に、田の神として、三明川のほとりに
  五穀豊穣を祈り、「野神」(野上神社)を
  祭り、また家内安全、村内安寧のため、
  この「鎮守の森(櫻の馬場)」に
  「神」を祭ったのが、始まりであると
  傳えられている。
   當社の創建は、応神天皇が大島・
  奥津島神社(島町)に参詣の帰途、
  本社「日牟礼八幡宮」に参詣したことから
  「八幡神社」を名乗る。
   當社は古道(景清街道)沿いに祭られ
  旅人の安全祈願も願った。
   享保六(一七二一)年に、當林村出身の
  「大阿闍梨堅者法印宗元」が「當社」を
  建立し、その後、享保十八(一七三三)年に
  馬淵村出身の「大阿闍梨堅者法印宗宝」が
  手を加えた。寛政四(一七九二)年には、
  「大阿闍梨慈諌法師」が、「将軍地蔵」を
  遷宮しこれを祀った。
   村の鎮守の森であったこの地には、
  神木の「大杉」が植えられている。
  この大杉は、牧町の今はなく、その跡のみを
  残す樹齢八百年といわれた「天狗杉」と
  並び称された大林村の「大杉」
  (幹廻り六メートル二十センチ)が、
  今も聳えている。
   古くは本社「日牟禮八幡宮」から
  當社「八幡神社」まで一直線の道路が
  通じていたが、八幡城下町を建設する際、
  豊臣秀次により消滅させられた。
  しかし四月の「日牟禮八幡宮」の
  十三郷の祭礼には、神輿が當八幡神社で
  休息し神楽が奉献され、その翌日の
  太鼓祭の巡行のお旅所となっていた。
  一、御祭神
   「譽田別尊(応神天皇)」
  一、御社歴
   鎌倉時代 (十二世紀)年
    「大杉」が植えられたとの傳承
   享保 六 (一七二一)年
    「八幡神社」建立(「愛宕山大権現」勧請)
   享保十八 (一七三三)年
    「八幡神社」造築
   寛政 四 (一七九二)
    「将軍地蔵」遷宮
   明治 五 (一八七二)
    「灯籠」寄進
   明治二一(一八八八)
    「本殿」修復
   明治二一 (一八八八)
    「鳥居額(八幡宮)」掲ぐ(徳川家達書)
   明治三三 (一九〇〇)
    「大杉」石垣、修復
   明治三三 (一九〇〇)
    「本殿」屋根再改修
   明治三四 (一九〇一)
    「本殿屋根」破損、修復
   昭和三三 (一九五八)
    「本殿」屋根、葺き替え
   平成 三 (一九九一)
    「本殿」屋根葺替、改修
   平成 八 (一九九六)
    「中門」「透塀」「水屋」改築
     だそうです

 本殿の塀の中に居た狛犬さんです
 詳細は不明です



 

金曜日, 3月 04, 2011

狛犬さん 1043

2011.01.30 滋賀県近江八幡市出町 野上神社・八幡神社
 ここは二つの神社が合祀されているようです
 境内の説明板によりますと
 
大林村「野上神社」
  一、御由緒
   當社は、今から二千年前、三明川一帯に集落をつくり、
  農耕と狩猟の生活を始めた頃に、
  「田の神」として、三明川のほとりに
  五穀豊穣を祈り「野の神様」「田の神様」(野上様)
  として「産土神」を祭ったのが、
  「野上神社」の始まりであると傳えられている。
   當社は、大林「八幡神社」より古いとされているが、
  のちに大林「八幡神社」の末社となり、
  母子信仰と結びついて「若宮八幡宮」も
  祭るようになった。
   また村人が災難を逃れるために、元禄七(一六九四)年に
  「十一面観世音菩薩」を祭った。
   昭和四七(一九七二)年の中央土地区画整理事業に伴い、
  現在地に移転、新築された。
  一、御祭神
   「産土神」(ウブスナガミ)
  
      だそうです
 
 本殿前に居た狛犬さんたちです
 吽形には角があり 狛犬さんです
 阿形は 角の無い獅子ですが
  口の中の玉は動きます