土曜日, 5月 31, 2008

狛犬さん 477

2008.04.20 兵庫県豊岡市出石町 伊福部神社
 御祭神は 素戔鳴尊・天香山命・伊福部宿禰命 のようです
 天日槍の子孫を祀るといわれる神社だそうです
 古代から 出石には 石部神社を中心とする 谷山川流域の氏子
  伊福部神社を中心とする 奥山川流域の氏子など 
 強力な氏族が存在していたとされているそうです

 阿形の狛犬さんの足元には 後ろを振り返っている子犬がまとわりついています
 口の中に 珠がありますが この珠はころころと 動きます
  ただし 狛犬さんの位置が高すぎて 確認はしていません
 吽形の方は まるで髭が生えているように 苔がついています
 台座には 明治四十三年(1910)十月一日 と刻まれていました

木曜日, 5月 29, 2008

狛犬さん 476

2008.04.20 兵庫県豊岡市但東町薬王寺 大生部兵主神社
 本殿の階にいる狛犬さんです
 階にいる狛犬さんは 木製のものが多いように思いますが
  これは 石造ですね

水曜日, 5月 28, 2008

狛犬さん 475

2008.04.20 兵庫県豊岡市但東町薬王寺 大生部兵主神社(おおいくべひょうずじんじゃ) 
 このお宮さんの 本殿・拝殿は 但東町指定文化財です
 またこの辺りは シイの生育する樹林としては 県下では最も寒冷地であると推定され
   貴重な存在だそうです
 「天王さん」と呼ばれ 牛馬の神様として 信仰されてきたそうです
 天王さんとは 牛頭天王のことだそうです
 牛頭天王は素戔鳴の神と同一視されることがあります
 創建ははっきりしませんが 用明天皇の時代(585~587)
  勅命を受けて 三上山(京都 大江山)に棲む鬼の討伐にやってきた 麻呂子親王が
 牛頭天王に祈願したという伝説が残っているそうです
 それから推察すると それ以前からあったと思われるそうです
 また 国司文書には 天武13年(684)に 社を別の地に移して祀ったとあり
  その前後に現在地に 移されたようです 

 ここの狛犬さんは 今まで見てきた中では 一番犬らしくありません
 この写真を見た方が グリフィンとか烏天狗のようだと表現されましたが
  そんな感じがする狛犬さんたちです
 初めて見たとき 体表の凹凸がまるで 鱗のようにも見えました
 台座には 明治三十四(1901)年四月三日 と刻まれていました
 
 本殿を後ろに回ると 大きな杉の木があります
  樹齢400年と推定されているそうですが その木の表面に傷跡があります
 全部で23ヶ所あるそうですが これがなんと 呪いの釘跡だそうです
 昔 この辺りの山と大江山を結ぶ修験道があったそうです
  山に入り帰ってこない男を恨んで 女が杉の木に 釘を打ち込んだそうです
 後に宮司がこの凄惨な有様を見るのが恐ろしく ノミで釘を抜き 後を修復したそうです

 でも 今でもそのあとははっきりと 残っています

火曜日, 5月 27, 2008

狛犬さん 474

2008.04.20 京都府福知山市中佐々木 三嶽神社
  この三嶽神社は 三嶽山への登り口のようです
    三岳山に三嶽神社があり そのお宮さんは 孝徳天皇(596~654)の頃
    役行者の開創で 蔵王権現を安置しているそうです
     上山五ヶ 村の総氏神だそうですよ
    三岳蔵王権現社といい本地仏は釈迦牟尼仏で 柱中に鎮座しているそうです
    天文14年(1545)焼失するも、同17年(1548)再建
    明治 4年久美浜県令で神仏分離し三岳神社と改めたそうです
 しかし 時を経る内に 境内が荒れ 玉垣が崩れるなどしていたそうですが
 地元の皆さんが 寄付を募り 登山道整備も含め改修したそうです

 狛犬さんの台座には 昭和三八年(1963)九月吉日 と刻まれていました

 このお宮さんの石造鳥居は 説明板によると
        
   福知山市指定文化財
   この石造鳥居には 明神鳥居と呼ばれる標準的な形式が用いられています
  柱間は 二九〇センチ 石柱の直径は三四センチあり
  二本の石柱は若干内ころび(八の字形)に建てられ 高さ二〇〇センチのところで
  貫(ぬき)と呼ばれる石柱により繋がれています
   石柱の頭頂部には 反りをもった島木と笠木が 重ねて渡されており
  笠木と貫の間には 篇額をかける為の束が つけられていますが
  篇額はかけられておりません
   通常 石柱の根本には 亀腹と呼ばれる饅頭状の石が使用されますが
  この鳥居には使用されていません
   右柱には 元禄一〇年(一六九七)に建立された旨と 
  「願主当村高山喜右衛」の銘があり 
  左柱には 建立に関わった氏子の名が記してあります
            福知山市教育委員会

 この説明板に書いてあることは 確認してきました

 また鳥居の傍にそびえている大木は 福知山市銘木指定を受けています
 「大ケヤキ」根元幹周 六一〇cm 胸高幹周 五〇三cm あるそうです

 本殿の前から 撮ったものです

月曜日, 5月 26, 2008

狛犬さん 473

2008.04.20 京都府綾部市志賀郷町 若宮神社
 このお宮さんの場所と名前は間違っているかもしれません
 
 御祭神等は何もわかりません 
 狛犬さんは小振りなのですが 良い顔していますね
 台座に 大正元年(1912) 還暦以上記念 二三小区 と刻まれていました

日曜日, 5月 25, 2008

狛犬さん 472

2008.04.20 京都府福知山市一ノ宮 一宮神社
 境内にある説明板によりますと
  
この社は仁徳天皇を祭神とし 弘安四年(西暦一二八一年)に
   創建されたといわれています
   市の指定文化財である木造男神像は 一本造りでうすく彩色した
   衣冠束帯の姿で 平安時代の作品であります
   地方色の豊かな彫法で神像としては極めて大きく 素朴ながら量感があり
   貴重な文化財であります
   このような神像は全国的にも極めて少なく 郷土の誇りとして 
   永く保存したいものです
             福知山市教育委員会

 阿形の下が上の歯にくっついています

土曜日, 5月 24, 2008

狛犬さん 471 

2008.04.20 京都府福知山市大江町公庄 公庄熊野神社
 ここには 狛犬さんの説明板がありました
  
公庄熊野神社の狛犬
    銘文は普通 基壇に書くことが多いのですが 
   この狛犬は胸や腹などの身体部分に彫られています 
    石は笏谷(しゃくだに)石で 別名 越前石といわれます
   現在の福井市足羽山で産出した
   軟質で 加工が容易にできる凝灰岩です
   福井から海岸の三国湊まで船で素材の石を運び 
               三国の石工が狛犬に仕立て上げ
   由良川を上がってきたと考えられます
    宝暦九年(1759)の作品で 像高は53センチの小像ですが
   少しの痛みもなく保存されています
   古い作品なので 見た目には簡素に見えますが 
   魔除けや守護獣としての役割を 存分に果たしていたと思われます
    両足を斜め前に出し 向って右側の阿形(獅子)は上向き加減に頭を上げ
   大きな口を開いています
   左側の吽形(狛犬)は口を閉じているのですが 2本の牙と歯を見せています
        文 福知山史談会会長 塩見昭吾氏


 右が説明板に出ていた胸に彫られた銘文
 左側は 狛犬さんのお尻尾です 

水曜日, 5月 21, 2008

狛犬さん 470

2008.04.20 京都府福知山市大江町天田 二宮神社
 二宮神社には 二つの系統があるそうです
 令制国(律令制に基づいて設置された日本の地方行政区分である)の二宮のほか
  より狭い地域の二宮や、神社の摂末社の中の二番目の神社を 二宮神社としたものです
  一宮の起源は、国司が任国に赴任したときなどに巡拝する神社の順番とされますが
  何らかの文書によって定められていたのではなく
  由諸や社勢などによって自然発生的に決まったものだったそうです
   二番目に参る神社を二宮、三番目を三宮のように呼ぶのですね
 もう一つは、二宮尊徳(金次郎)を祭神として祀る神社だそうです
 
 さて このお宮さんはどちらかと言えば 前者のような気がします
 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)十一月 と刻まれていました

火曜日, 5月 20, 2008

狛犬さん 469

2008.04.20 京都府福知山市大江町二箇 十倉神社
 御祭神は神吾田津姫命のようなのですが よくわかりません
 お宮さんの傍にいた方にお聞きしたのですが 十人の神様の兄弟がいて
 その内の一人が祀られているそうです
  お祭りは10月16日の夜に始まるそうですが
  川向うのお宮さんは 翌日の朝から始めるそうです
  何か いわれがあるのかもしれませんね

 狛犬さんの吽形の頭には 小さな角があります
 阿形の方は 口に小さな珠を咥えています
  台座には 慶応二寅
         三月   と刻まれていました

月曜日, 5月 19, 2008

狛犬さん 468

2008.04.20 京都府綾部市西坂町 九柱神社
 よくわからないのですが このお宮さんの御祭神は
 黄泉国から逃げ帰った伊弉諾尊が、川で禊を行ったときに生まれた神々
  八十枉津日神(やそまかつひのかみ)
  大直日神(おおなおひのかみ)
  神直日神(かみなおひのかみ)

  表津少童神(うわつわたつみのかみ)
  中津少童神(なかつわたつみのかみ)
  底津少童神(そこつわたつみのかみ)のいわゆる綿津見三神

  表筒之男命(うわつつのおのみこと)
  中筒之男命(なかつつのおのみこと)
  底筒之男命(そこつつのおのみこと)のいわゆる住吉三神
    の九柱の神様だと思います

 阿形の狛犬さん 可哀そうに口が欠けています

日曜日, 5月 18, 2008

狛犬さん 467

2008.04.20 京都府綾部市西坂町 諏訪神社
 由緒書によりますと
  
御祭神 建御名方富神・姫神八坂刀売神
    建長四年(一一九四)源頼朝の命により 
    信州上田城主(豪族)上原右ェ門丞景正が 丹波国何鹿郡の地頭職に
    任ぜられ 物部町下市の高尾(屋)に城郭を構えて居城し
    信州一の宮諏訪明神の分霊を祀って氏神とし
    領内の各所に諏訪神社を創設し祀らせた
    当神社もこの当時に創祀されたと考へられる
    氏子崇敬者の地域は西坂町一円であり 村社高蔵神社末社であります

 穏やかな顔の狛犬さんたちですが 阿形の狛犬さんの口の中の球は ころころと動きます

木曜日, 5月 15, 2008

狛犬さん 466

2008.04.14 兵庫県洲本市由良 由良湊神社
 御祭神は 速秋津日子神・速秋津日賣神・品陀和氣尊(応神天皇)
 鳥居をくぐると 立派な随身門があります
 創建年代は不明だそうですが 
  八幡信仰により由良城主池田忠長が八幡宮を創建したそうです
 本来の御祭神は速秋津日子神・速秋津日賣神のようです
  この二柱の神様は水の神様で 伊邪那伎 ・伊邪那美の子供だそうですが
  二人の間に子供が生まれているんです
  速秋津日賣神は兄弟ではなくて 奥さんなのでしょうか  

 阿形の台座には 弘化三年(1846)丙 と刻まれ
 吽形の台座には 午冬十一月       と刻まれています
   石工
     下物部
     西川屋四郎兵衛
 吽形の頭には 小さなふくらみがあります
 足に白い布が巻かれていますが 何か祈念してのことでしょうか
  それとも 脚絆なのでしょうか

狛犬さん 465

2008.04.14 兵庫県洲本市由良町内田 内田神社
 御祭神等はわかりません
 台座に 大正九年(1919)八月吉日 
     石工 御影○?
        徳三良     と刻まれていました

 洲本市は淡路島にありますが 淡路島の“あわじ”は“阿波路”と書いたそうです
 京・大阪と阿波国を結んでいたのですね
 現在は 兵庫県ですが 江戸時代は阿波藩に属していました

 阿波藩だった一つの証として この社日(地神塔)と呼ばれる五角形の石柱があります
  表面には 天照皇大神、大己貴命、稲倉魂命、埴安媛命、少彦名命
    五柱の神様の名前が刻まれています
 年に2回 社日があり その日は土を一切触らず 御馳走を食べて過ごすそうです
  場所によっては 神主さんが祝詞をあげるところもあるそうです

 寛政2年(1790) 当時の藩主 蜂須賀治昭が 神職早雲伯耆の建白を受け
    県下全域に「地神さん」を設置させたそうです
 その時 淡路島も阿波藩だったので 同じお触れがでたそうです
 
 そのようなことから 兵庫県内では見かけない社日が
   淡路島にあるのです   

水曜日, 5月 14, 2008

狛犬さん 464

2008.04.05 兵庫県赤穂市尾崎 赤穂八幡神社内三光神社
 仙台市にある青麻神社が総本社のようです
 創建は 文徳天皇(827~858)の頃だそうです 
  穂積保昌が山城国から来たとき 麻の栽培を里人に教えたそうで
  穂積一族が尊崇する日・月・星の三光 天之御中主神・天照大御神・月読神を
     祀ったのが始まりだそうです
 大阪市天王寺区にも三光神社があり そこから勧請したのかもしれません
  こちらのお宮さんの御祭神は 天照大神、月読尊、素戔鳴尊

 お社の階にちょこんと座っていました

日曜日, 5月 11, 2008

狛犬さん 463

2008.04.05 兵庫県赤穂市尾崎 赤穂八幡神社
 本殿の前から続く拝殿と言えばいいのでしょうか
 その部分が 左右に長く伸びています
  その廊下のようにみえる拝殿には 大量の絵馬が飾られています
 
 阿形の狛犬さん 猿轡をはめられています
  これは猿轡でなくて 寒さよけのマフラーでしょうか
 可哀そうに顔がかなり崩れています
 吽形の方も片眼がなくなっていますね

 台座には 天保三壬辰年(1832) 十二月吉日と刻まれていました

金曜日, 5月 09, 2008

狛犬さん 462

2008.04.05 兵庫県赤穂市南野中 春日神社
 有名な奈良の春日大社は 藤原氏・中臣氏の氏神です
 和銅3年(710)奈良・平城京に遷都した時 藤原不比等が鹿島神(武甕槌命)を
  奈良県の御蓋山に遷して祀ったのが始まりだそうです
 その後経津主命・天児屋根命・比売神
 比売神とは天児屋根命の妻の天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)
   のことだそうです
 ここも 同じ神様をお祭りしているのでしょうか

 狛犬さんは吽形の方は 歯を剥き出しにして 笑っているように見えます
 阿形の方は 小さな珠を咥えています
  台座に 明治四十三年の文字と
      石工 
         楫保不(?)
         ・・・・・・・・シ?キ
         巌 種二
   石工という文字と 名前は読み取れましたが 後の字はよくわかりませんでした

木曜日, 5月 08, 2008

狛犬さん 461

2008.04.04 兵庫県赤穂市上仮屋 大石神社
 神社は赤穂城内にあります

 
四十七義士を祀る
         大願成就の神  赤穂大石神社
   御祭神
     義士の頭領大石内蔵助良雄命を始め四十七義士命、中折の烈士萱野三平命、
     播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩の三候
     浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊丸・力丸の七武将
     
   由緒
     大石神社は明治元年 明治天皇の東京行幸に際し 泉岳寺の義士墓前に
     宣旨並びに金幣を賜ったのを契機に 神社奉斎の議が起こり
     明治三十三年神社創立が公許され 大正元年十一月三日義士を崇敬追慕する
     方々の奉賛により御鎮座となった
     御祭神四十七義士が一年十ヶ月の永い間艱難辛苦の末 見事主君の仇を討った
     事により大願成就、願望成就の神として 全国よりお参りいただいている
     境内地は大石内蔵助 同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門
     大石瀬左衛門の邸跡一帯である
     尚 ご社殿を始めとする境内各施設は平成十四年の義士討ち入り満三百年を
     記念した境内整備事業により一新された

 
 それにしても 大石内蔵助良雄命(おおいしくらのすけのみこと)に森蘭丸兄弟
   何か無理があるような気がしますが

 神社の中に置いてある石像彫刻は 全て中国に発注したらしいんです
 狛犬さんではなくて これは唐獅子

 参道に四十七士の石像が並んでいるのですが この石像は大石主税だそうですが
  どう見ても 中国人のおじさんにしか見えません

火曜日, 5月 06, 2008

狛犬さん 460

2008.04.05 兵庫県赤穂市加里屋 荒神社
 御祭神は 素盞鳴尊 
 由緒書によりますと 創建は不明だそうです
  皇極天皇(在位642~645)の御代「秦河勝公」が蘇我入鹿の難を避け
 坂越浦に隠遁された時 河勝公自ら当地塩屋字正面荒神に 五穀の神として
 素盞鳴尊を勧請されたのが 創建である      そうです

 狛犬さんの台座には 文久○○(1861~1864)
           九月
  メモをとったのですが そのメモを紛失してしまい詳しくわかりません 

月曜日, 5月 05, 2008

狛犬さん 459

2008.04.05 兵庫県赤穂市塩屋 日吉神社
 赤穂市は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭(長矩)の所領です
 お宮さんの由緒書によりますと
  
日吉神社由緒
   正保二年(一六四五)浅野長直公が常陸国笠間より赤穂藩主として入封された
    当時 この地域は海辺の広大な沼地であったので 
   翌年より 鳥撫村戸嶋の土を運び干拓に着手し
   五年の歳月をかけて九十五町歩余の水田を造成された
   田地の造成によって 当地域を戸嶋新田村(後に新田村)と名付け
   近隣の村から人々が入植して住民が定着してきたので
   浅野長直公は承応元年(一六五二)五穀豊穣 村内安全を祈願して
   山王権現(現滋賀県大津市の日吉神社)を勧請して当社を創建し
   田三反寄進された
    祭神は大山咋神・香山戸神・羽山戸神の三兄弟神である
    延宝六年(一六七八)には浅野長直公・長友公・長矩公が御願人となり
   社頭を建立された
    浅野家廃絶後 永井家に次いで森長直公が赤穂藩主として入封され
   宝永七年(一七一〇)御願人として本殿・拝殿・鳥居等を建立された
    以後代々の藩主は当社の護持に意を注いだ
   特に忠哲公(八代藩主)は崇敬の念篤く 文化三年(一八〇六)御願人となり
   幣殿・拝殿を改修された また 度々参詣のため社前に馬繋場を造られた
            以下略
          

 大石良雄の筆になる絵馬などもあるそうです

 吽行の頭に小さな角が見えています 

 日吉神社のお使い
   猿の絵馬もありました
 たくさんの絵馬が奉納されていたのですが 風雨にさらされ
     よくわからないのが残念です

日曜日, 5月 04, 2008

狛犬さん 458

2008.03.29 兵庫県姫路市網干区和久 和久荒神社
 このお宮さんも「こうじんさん」
 明治の神仏合祀令で 稲荷神社と扇神社を合祀してできたお宮さんだそうです
  御祭神は 素戔鳴命・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・級戸神(しなどのかみ)
 級戸神はどのような神様か わからなかったのですが
 「級(しな)」とは 息長(しなが)と同じ意味で 息が長いと言うことだそうです
  伊邪那伎 ・伊邪那美の神から生まれた 風の神様らしいです
 昔の人は 風は神様の息から起こるものと考え この名前が出来たそうです
    女の神様だそうですよ

 倉稲魂命は素戔鳴命の子供で 稲の霊として信仰されたそうです
  お稲荷さんの御祭神は この神様です

 荒神さんは火・竈の神様なので 火の神威に対して 大風をもって鎮めますようにと
   級戸神を祭ったそうです

 狛犬さんはどちらも角が無いタイプです
 阿形の方は 口に球を咥えています 

土曜日, 5月 03, 2008

狛犬さん 457

2008.03.29 兵庫県姫路市網干区福井 武大神社
 お宮さんの創立年代は不明だそうですが 
   明治維新後町内各所に祭られていた祠を合祀したそうです
 御祭神は七柱になり 素戔鳴命・伊邪那伎命・伊邪那美命・
    高御産巣日命・保食神・宇迦之御魂神・神産巣日神だそうです

狛犬さんは昭和五拾弐年拾二月と刻まれていますが
 さらに下の台座には 明治卅九年十月建立と刻まれていました
残念ながら 明治の狛犬さんは どこにもいませんでした

金曜日, 5月 02, 2008

狛犬さん 456

2008・03・29 兵庫県姫路市網干区坂上 荒神社
 このお宮さんの創立年代は 不詳だそうですが 
 800年前に火災で焼失したそうですから それ以前ということになりますね

 播磨風土記に 石海郷酒井野という地名が載っていて それが坂上の地名の始まりだとか
 15代応神天皇がこの地に宮を造り 井戸を掘り 酒殿を造ったので 
      酒井野と名付けられたそうです

 狛犬さんは ものすごい牙を持っていますが 顔はとても穏やかです
 台座に大正五年(1916)五月と刻まれています