男狭磯の伝説が伝わっています
蜑井だそうです
第十九代允恭天皇の十四年(四二五)九月、天皇
は淡路において狩猟をおこなわれたが、少しも
獲物がなかったので占わしめたところ、
赤石の海底にある真珠を採って島神に祭る
ならば獲物を得さすであろうと いうの
であった。ところが海の深さが六〇尋(一〇九メートル)
に余りだれも海底に至るものがなかった。
ただひとり阿波国長邑の蜑夫男狭磯が 海
底に至り大あわびを獲て浮かび出てきたが
浮かび出るとともに息が絶えた。
この大あわびを割ってみると桃の種子ほども
ある真珠があったので、これを島神に祭ったと
ころたくさんの獲物があった。天皇は男狭磯の死を
あわれみ墓を造って厚く葬らせたもうた と
いうことが「日本書記」にみえている。
長邑は今の里浦で、この附近が蜑屋敷であり
この古井戸が蜑井であると伝えられている。
蜑井碑は天保五年(一八三四)板野郡撫養林崎の
近藤利兵衛という篤志家がこの蜑井がわから
なくなることを憂いて建てたものである。
男狭磯の墓を守っていた狛犬さんです
これが男狭磯の墓と蜑井です
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