日曜日, 1月 16, 2011

狛犬さん 1022

2010.12.20 徳島県鳴門市妙見山公園 妙見宮
御祭神は 天御中主神 事代主神だそうです
創建は 室町幕府の12代将軍足利義植が
都を追われ 周防国(今の山口県)に亡命中
ここに 勧請して社殿を作ったのが 初めだとか
結局義植は この地撫養で没したそうです

妙見信仰と云うのも 面白いですね
仏教では妙見菩薩
神道では天御中主神 
この神様は 天地開闢の時出現した神様で
あ余り信仰の対象にはなって無かったようです
道教の天の中央の至高神 信仰が加わり
北極星 北斗七星信仰になって行ったようです

このお宮さんは長い階段を登り積めた先にありました
お宮さんの前に在った説明板によりますと
開運 妙見神社
当神社は、「造化の神 天御中主神」を祀る。
この神社は古く大地の末だ成立しない頃大空の真中に
生れ給い天地万物の大元をおすへになり、有形、
無形のみたまとして永久に世に幸を与えられた。
そのおゝみいつによって次々に神々がお現れに
なりその尊い御神徳は計りしれない。
故に、開運、延命、長寿、安産、海陸交通安全
の守護神として広く信仰されている。
平安末期、中国より伝わった北辰(北極星)信仰
と結びついて妙見社として祀られるようになった。
天保元年(一八三〇)旧城主、四宮加賀守の子孫と
撫養町林崎郷の近藤利兵衛氏がこの城址に妙見
神社として再建した。
史蹟 撫養城址
天正十三年(一五八五)蜂須賀家政が阿波に入国し
国内九カ所に城塞を設けた。阿波の九城という。
撫養城は淡路渡海の押さえとして異母弟の益田
内膳正忠を城番にし手勢三〇〇名をもって守らせた。
寛永十五年(一六三八)一国一城の令により阿波
九城は破却された。
社殿後方の城石は当時の面影を残している。
だそうです

狛犬さんの台座には 唐獅子 壹對
大正 八年(1919)六月と刻まれていました

一見 備前焼に見えましたが
鳴門には 大谷焼と云う焼き物が有名です
主に水瓶などの 大きな陶器類を作っています
この狛犬さんは 大谷焼ではないかと推測しました
 近くで見ると 肌合いが備前焼とは違います

0 件のコメント: