境内の石碑によりますと
家中天満神社(村社)
祭神 菅原道真公
由緒 古くは堀江村に鎮座ありしを
寛永十二年九月十三日(一六三五年)
この地に遷座せりといふ。勉強の神様、
書道の神様として古くから近郷近在の
方々の信仰あつく、地区の産土神にして
多度津藩主、京極家の崇敬もあり
石灯籠一対を奉献す。
明治五年九月二十一日(一八七二年)
本殿再建
明治二十九年九月(一八九六年)
拝殿の修復
明治三十五年五月(一九〇二年)
隋神門の新築=菅公一千年祭記念
平成四年八月(一九九二年)
本殿、拝殿隋神門の屋根葺替
社務所の新築建替
又 別の石碑には
天満神社の由来
寛永十二年九月(一六三五年)
堀江より遷座して土地の産土神になったが、
その頃の家中は新町村と呼ばれ、
砂地の不毛の土地だったという。
九十八年後の文政六年(一七三三年)の
旱魃に南鴨の念仏踊がこの境内で奉納され、
その後各地に雨が降り、田は潤ったと
記録に残っている。
このように願えばかなえられることと
祭神菅原道真公の人徳により
学問の神様として信仰を集めている。
文化八年(一八一一年)多度津藩主
京極高道より春日灯籠一対が奉納された。
平成十二年八月吉日
だそうですが 念仏踊は仏教 お宮さんは神道
神仏混淆 仏さんも八百万の神様の一員なのでしょうか
理屈はともかく 旱魃が免れたのはよかったですよね
この狛犬さんのしっぽですが
最初見たとき 関東系かと思いました
東京で紹介されている狛犬さんのしっぽは
この狛犬さんのように尾の先が
なだらかに横に流れているんですよね
0 件のコメント:
コメントを投稿