金曜日, 7月 31, 2009

狛犬さん 766

2009.06.06 高知県高知市宝永町 多賀神社
 塀の中に居た狛犬さんです
 吽形のみで 阿形は居ませんでした

木曜日, 7月 30, 2009

狛犬さん 765

2009.06.06 高知県高知市宝永町 多賀神社
 由緒書などはありませんでしたが
 多賀神社は 滋賀県にある多賀大社から分霊されたものでしょう
 御祭神は 伊邪那岐命 伊邪那美命 ですね
 拝殿も御本殿も最近作り直したようで
 狛犬さんもその時新しくなったのでしょうね

水曜日, 7月 29, 2009

狛犬さん 764

2009.06.06 高知県高知市宝永町 畝立樹下神社
 何かいわく有り気な お宮さんの名前ですが
 由緒などは分かりません
 狛犬さんの台座には 昭和二年(1927)十一月吉日
    石工?????? 長崎
             陸雄作
   と刻まれていました
 石工の後の文字は 何と書いてあるのか判読不可能でした

月曜日, 7月 27, 2009

狛犬さん 763

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 八坂神社
 町の片隅にひっそりと建っているという言葉が
 ぴったりとくる 小さなお宮さんです
 狛犬さんの詳細は分かりませんが ある程度の時の流れを感じます

日曜日, 7月 26, 2009

狛犬さん 762

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 四対のうちの最後の狛犬さんです
 阿形と思われるほうは 可哀そうに顔が欠けています
 どちらの狛犬さんにも 子供がいるのですが わかりますか
 吽形の方は 尻尾の上 阿形の方は手前で親の顔を見上げています
 狛犬さん本体に 文化十年(1813)酉三月 御供
 もう一方には 上?屋 石工 治助
              弟子
            細工人 従次郎(?)
        本材木町八丁目
    と 刻まれていました

 子供たちです

狛犬さん 761

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 阿形の方は 緑の中に埋もれ 見落とすところでした
 吽形の方は 片足を岩に懸け きりっと前を見据えていますが
 阿形の方は まるでまどろんでいるように見えます
 残念ながら 製作年代等は分かりませんでした 

 楼門の彫刻の狛犬さんです
 この楼門は 高知市指定有形文化財だそうです
 高知市のHPの解説によりますと
 
解説
 三間一戸[さんげんいっこ]楼門 入母屋造 銅板葺 1887(明治20)年
 桁行10m近い三間一戸の楼門で、中央間を脇間の2倍にとり、
 梁間[はりま]の柱間は脇間と同じである。扉はない。
 上階は平面を下階より小さくし、桁行正面を三間、
 同背面を六間とする特殊な形式をとる。
 四手先の腰組と三手先の軒組ともに詰組とし、
 下階中央の頭貫下の持送材や内法貫[うちのりぬき]上の小壁に彫刻をほどこし、
 上階正面中央軒下に巨大な鳳凰の彫刻を飾り、
 脇間には盲菱格子を設けて、内部に楼門より古いとみられる随身像を安置する。
 外観は極めて華やかである。軒の出の深い屋根の姿はよいが、
 上階のたちが高いためやや鈍重な感じがする。

土曜日, 7月 25, 2009

狛犬さん 760

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 このデザインの狛犬さんを 高知狛と名付けました
 正面から見ると 顔の幅がないんですね
 その為 見る角度によって 顔が欠けているように見えます
 このデザインは ここ高知で初めて見たのです 
 台座には 昭和五十四年(1979)九月建之
   と刻まれていました

金曜日, 7月 24, 2009

狛犬さん 759

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 長い参道の先に 立派な楼門がありました
 その前に 四対の狛犬さんが並んでいました
 その一番手前にいた狛犬さん 親子連れです
 吽形の子供は 親の足の間から 恐る恐る外を覗いてます
 阿形の子供は 飛び出して行きそうになるのを
  親が 前足で押さえています
 台座には 大正十四年(1925)五月吉日 と刻まれていました

狛犬さん 758

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 少し小ぶりな狛犬さんですが 迫力は充分です
 台座には 明治十二年(1879)卯九月吉日
    と刻まれていました

 狛犬さん 揃い踏み

木曜日, 7月 23, 2009

狛犬さん 757

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 此のお宮さんには 長い参道に 六つか七つ鳥居が並んでいました
 確か四つ目の鳥居のそばにいた狛犬さんです
 台座には 文久三(1863)癸亥歳九月吉辰
      塚地村
       石工頭  彌蔵
       同?石工 長次 儀之助 駒之助
    と刻まれていました
      

水曜日, 7月 22, 2009

狛犬さん 756

2009.06.05 高知県高知市天神町 潮江天満宮
 説明板によりますと
 
天満宮(通称潮江天満宮)
  御祭神 菅原道真公
      高視朝臣
      北の方
       相殿神
      天穂日命
      大海津見命

 
潮江天満宮の由来
   平安時代の名臣として、卓越した才幹と広大無辺の聖徳を
  兼ね備えられた菅原道真公(八四五~九〇三)を主祭神とする
   公は学者より身を起こし、昌泰二年(八九九)には
  右大臣に進まれたが、識見信望共に抜群であることを
  よく思わない左大臣藤原時平のざん言で
  延喜元年(九〇一)に大宰府に左遷された
   長男高視朝臣も同時に土佐に流された
  公は延喜三年(九〇三)に薨去されたが その後、
  侍臣白大夫は遺品(恩賜の御衣・剣・観音像)を
  高視朝臣に渡すべく延喜五年(九〇五)に
  長岡郡大津村舟戸(今の高知市大津)の
  霊松山雲門寺に辿り着いたが、高視と面会する事無く
  同地で没した
   後、遺品を受けた高視が、竜神の祠に収め
  霊璽として祀ったのが縁起である。

 狛犬さんの台座には 明治十九年(1886)九月吉辰
     と刻まれていました
  石工さんの名前もありましたが 読めませんでした

火曜日, 7月 21, 2009

狛犬さん 755

2009.06.05 高知県高知市鷹匠町 山内神社
 説明板によりますと
 
山内神社社殿
  山内神社は、三代忠豊から十四代豊惇までの
  歴代藩主を祀るため、明治四年(一八七一)三月、
  最後の藩主十六代豊範によって創建されました。
  その後昭和九年(一九三四)、十五代藩主豊信(容堂)と
  十六代豊範を祀る別格官幣社として新社殿が造成されます
  (この時歴代藩主は一豊夫妻・忠義を祀る藤並神社に遷されました)が、
  第二次大戦で焼失してしまいます。現在建つこの社殿は、
  昭和四十五年に再建されたものです。祭神も
  容堂・豊範に加えて、藤並神社に祀られていた
  藩祖一豊・見性院夫妻をはじめ、十四代までの歴代藩主も
  合祀されました。
  信長に滅ぼされ、父・兄を失った一豊が、縁者のもとを
  転々としていた若かりし頃に、腰にしていた「よの山の太刀」が
  御神体として納められています

 狛犬さんの台座には 昭和五十四年(1979)十一月
        と刻まれていました
 口・耳・鼻の穴等を 赤く縁取り 個性的な狛犬さんになっています

 藤並神社の現在です
 思わず見落とすところでした

月曜日, 7月 20, 2009

狛犬さん 754

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 釣船神社
 説明板によりますと
  
釣船神社(きすご様) 拝殿中央のお社
  御祭神 釣船大神
  御由緒 昔 御畳瀬浦の船が釣をしていると
   きすごの漁が多く その中に 御神体が上がり
   釣船大神としてお祭りした処 忽ち御神威を
   発揚され 古来熱病退散の霊験灼かであり
   熱切の神様と信仰せられています

 「きすご」とは キス(鱚)のことです
 拝殿内には キスの絵のついた絵馬や 絵がたくさん奉納されていました

日曜日, 7月 19, 2009

狛犬さん 753

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 神明宮
 此のお宮さんは 裏側から入り 正面に抜けていくことに
 なったのですが 正面鳥居傍にこんな素敵な狛犬さんが 
  待っていました
 台座に 昭和六年(1931)と刻まれているのだけは確認できました

 吽形の後ろ足の下に 子供が隠れています
 阿形は口の中に 球を咥えています

土曜日, 7月 18, 2009

狛犬さん 752

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 神明宮
 本殿の前にいた狛犬さんです
 阿形のほうを見るとわかっていただけると思いますが
 見る角度によっては 顔の反対側が 欠けているように見えるんです
 新しい狛犬さんですが 個性的です

金曜日, 7月 17, 2009

狛犬さん 751

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 神明宮
 高知八幡宮の道路を挟んだ向かい側にあったお宮さんです
 石碑によりますと
 
旧郷社小津神社御旅所
  神明宮御社殿竣工記念
 一 御祭神 天照大神 豊受大神
 一 由緒 高知市帯屋町の高知大神宮は
   県下惣鎮守である この大神宮が明治十二年(1879)創立される迄は
   古来高知城下郭外各町の惣鎮守であった
   寛永八年(1631)加藤六兵衛勧請す 以来三十八年間祭典無之
   寛文九年より祭典執行 享保十六年(1731)社殿炎上
   公儀により同十九年(1734)宮作の事 
    延享元年(1744)寛延元年(1748)
   本殿舞殿拝殿再興 祭礼には北町御神幸仰付けらるも
   天保九年(1838)旧城東城西の各町神輿御神幸を許さる
   昭和廿年(1945)戦災全焼 昭和廿五年(1950)仮殿建立
   此度社殿改築竣工 昭和五十四年(1979)十一月十二日秋祭建立

 狛犬さんの吽形の足の下には 子犬さんが踏みつけられています
 阿形の右足は 岩のようなものに乗せた形です 
 台座には 昭和七年(1932)一月吉日  と刻まれていました

木曜日, 7月 16, 2009

狛犬さん 750

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 高知八幡宮内惠美須神社
 御本殿の前の額に 山田町 惠美須神社と書かれていました
 説明板によりますと
  
惠美須神社
   祭神 事代主神
    高知城下七蛭子の一にて 山田町に鎮座の処、
    八幡宮境内社として遷座した
    福運授与、商業繁栄の守護神

 狛犬さんの台座には 昭和三十一年(1956)一月吉日
    と刻まれていました

水曜日, 7月 15, 2009

狛犬さん 749

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 高知八幡宮
 正面の入口にいた狛犬さんです
 狛犬さんの前に 看板やら何やら沢山あったので
  とても撮りにくくなっていました
 台座には 明治丗四年(1901)丑五月穀旦  と刻まれていました

火曜日, 7月 14, 2009

狛犬さん 748

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 高知八幡宮
 JR高知駅の近くにあったお宮さんです
 狛犬さんの台座には 平成二年(1990)九月吉日と刻まれていました

月曜日, 7月 13, 2009

狛犬さん 747

2009.06.05 高知県高知市はりまや町 恵比須神社
 この辺りは 旧 朝倉町(あさくらまち)と呼ばれていたそうです
 立札によりますと
  
七町とよばれる古町の一つ。城下町がつくられたとき、
  土佐郡朝倉村の市町を移したことに由来する町名。
  北の浦戸町との間の納屋堀新設工事の代償として
  他国商品や干魚の専売特権を得て、富商美濃屋をはじめ
  多くの商人が住んでいた。美濃屋の武藤致和、平道親子は、
  土佐の地理・歴史の大著「南路志」をまとめた

                 そうです

 狛犬さんの台座には 大正十二年(1923)一月吉日
           石工 弘竹工場(工ではなくてユ?)
 阿形は 口に球を咥えています

土曜日, 7月 11, 2009

狛犬さん 746

2009.05.23 愛媛県伊予市米湊(こみなと) 湊神社
 狛犬さんの台座に  明治廿二年(1889)
           己丑三月吉辰 
           石工 松前 中田弥二(?)郎
    と刻まれていました

金曜日, 7月 10, 2009

狛犬さん 745

2009.05.23 愛媛県伊予市稲荷 伊豫稲荷神社
 この狛犬さんも本殿の中にいました
 どちらもしゃっちょこ立ちです
 木彫のように見えます

木曜日, 7月 09, 2009

狛犬さん 744

2009.05.23 愛媛県伊予市稲荷 伊豫稲荷神社
 御本殿の前にいた狛犬さんです
 周りの塀の間から 撮りました
  こんな失礼なことをし続けていると 罰が当たるかも知れません

 後ろ向き狛犬さんの正面です

 こちらは狐さんだと思います
 やはり御本殿の前にいました
 ちょっと古そうに思えたのですが 細かなことはわかりません

水曜日, 7月 08, 2009

狛犬さん 743

2009.05.23 愛媛県伊予市稲荷 伊豫稲荷神社内海津見神社
 素材は何でしょう
  瓦のように見えたのですが
 口の部分が壊れていますが 阿形の狛犬さんですね
 吽形の狛犬さんは 足の先だけが残っていました
 狛犬さんの頭には 穴が開いていたのですが 
 これは 角が付いて居た後かもしれませんね

 悲しくなるほど 痛々しい姿です
 台座に 嘉永 酉歳  正(五?)月
 嘉永で酉歳は 嘉永二年(1849)でしょうか
  台座と狛犬さんの関係がわかりません
 狛犬さんもそれくらいの古さがあるように思いましたが

 ここだけでなく他の境内社にも 居たのですが
 誰が置いたのでしょう
  小さくても強そうなガードマンがいました

火曜日, 7月 07, 2009

狛犬さん 742

2009.05.23 愛媛県伊予市稲荷 伊豫稲荷神社
 鳥居をくぐると 立派な楼門があります
 その楼門の中にいた狛犬さんたちです
 
愛媛県指定建造物
         楼門
  造立 寛文二年(一六六二年)徳川家継の時代
  特徴 重層入母屋造りで本瓦葺となっている この建造物は
     全体の様式が和様と唐様をかね合わした折衷式と
     なっており 柱は円くてその下のはしが 算盤球の様になり 
     円い石の礎盤の上にたてられているし 江戸時代初期の
     建築に見られる 桜 唐草等のおもいおもいの写実浮彫が
     ほどこしてあるなど全体として 桃山風の感じが
     現れている 大工は伊予の名工といわれた余土の治部の作と
     伝えられている
   昭和四十五年三月
             稲 荷 神 社
             愛媛県教育委員会

 細かなことはわかりませんが 豪華で素晴らしい楼門です

 狛犬さんについては 何もわかりませんでした