月曜日, 11月 24, 2008

狛犬さん 643

2008.11.11 兵庫県丹波市山南町井原 日吉神社
 境内にあった由緒書きによりますと
 
日吉神社
  祭神 大山咋命
  相殿 國狭槌尊・豊斟渟尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊
    大山咋命は 素盞鳴尊の御孫にして 地方開拓に
    神功高き神である他は 何れも我国創建の神々である
 當社は 滋賀県元官幣大社 日吉神社の御分霊を奉斎せし社で
 本殿は寶暦十一辛巳年(1761)九月に 改築せられ 拝殿及び鳥居瑞垣等は
 昭和三戊辰年(1928)十月 今上天皇御大典記念として 建設せしものである

 鋭い牙を持った狛犬さんたちです
 台座には 昭和三十四年(1959)四月建之 と刻まれていました

 後姿ですが 吽形の鬣は逆立っています

日曜日, 11月 23, 2008

狛犬さん 642

2008.11.11 兵庫県朝来市和田山町東谷字宮ノ本 内倉神社
 和田山駅近くにあったお宮さんです
 このお宮さんも 御祭神・由緒がわかりませんでした
 
 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)十月十七日
  高品定太郎   と 刻まれていましたが 
  この人は石工でなくて 奉納者なのでしょうね

土曜日, 11月 22, 2008

狛犬さん 641

2008.11.11 兵庫県丹波市青垣町奥塩久 宇徳神社
 覆屋の中に 本殿が収められていたのですが
 なんと 阿形の狛犬さんが 引っくり返って落ちそうになっていました
 神様にお断りして 中まで入り 阿形の狛犬さんを真っ直ぐにしました
 狛犬さんは四角い木の台座に乗っていました
 その箱のような台座に 明治八年亥年(1874)と書かれていました

 可哀相に 引っくり返り落ちそうになっている狛犬さん

水曜日, 11月 19, 2008

狛犬さん 640

2008.11.11 兵庫県丹波市青垣町奥塩久 宇徳神社
 調べてみたのですが 御祭神も由緒もわかりません
 境内に奉納されている灯篭に 元禄十有七年(1704)
     申三月十八日 と刻まれていました
  元禄十七年は 三月十三日に 宝永元年に改元されています
 又他の灯篭には 寛政十二申年(1800)と刻まれていました
   二つの灯篭から見ると 江戸時代初めのころには 
    このお宮さんは 存在したようです 

 狛犬さんの台座には 大正六年(1917)十 と刻まれていました
 阿形の口の中には 珠があり ころころと動きました 

 ただ 鳥居に車止めでしょうね
   紅白の遮断機が 設置されていました

日曜日, 11月 16, 2008

狛犬さん 639

2008.11.11 兵庫県豊岡市出石町内町 諸杉神社
 此のお宮さんは 現在出石城の東側に鎮座していますが
 当初は 出石神社南西の 有子山に鎮座し諸枌神社と書かれていたそうです
 天正二年(1574)に 但馬国守護山名氏が居城を 此隈山から
 出石有子山に移すにあたり 現在地に城の守護神として遷座したそうです

 狛犬さんの台座には 明治廿七年(1894)六月吉日建立 と刻まれていました

土曜日, 11月 15, 2008

狛犬さん 636

2008.11.11 兵庫県豊岡市出石町内町 諸杉神社(もろすぎじんじゃ)
 出石城のすぐ東側にあるお宮さんです
 創祀年代は不詳だそうですが 式内社のようです
 ご祭神は多遲摩母呂須玖神(たぢまもろすくのかみ)
 此の神様は 但馬建国の神である天日槍神の 子供にあたるそうです
 御祭神の「もろすく」が「もろすぎ」に転訛したそうです
 一の鳥居は 明神鳥居ですが 奥にある二の鳥居は両部鳥居の二種類の鳥居がありました
 
 狛犬さんの胸が赤くなっているは カビのようなものなのでしょうか
 触るとふわふわしていて 石造りとは思えない手触りでした
 前足の間にまるで彫り残しのように見える丸い部分がありますが
  これは 宝珠なのでしょうか
 明治三十八年(1905)11月建立 と 刻まれていました

金曜日, 11月 14, 2008

狛犬さん 635

2008.11.11 兵庫県豊岡市出石町下谷 石部神社
 境内にあった 由緒書きによりますと
 
石部神社(いそべじんじゃ)の由緒
  石部神社は 御祭神を
  「天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)」と申して
  延喜式神名帳(一,一〇〇年前)に記載されている
  由緒のある神社です
  その神前には ご神木の大ケヤキがそびえています
  この樹齢は 一千年といわれ 幹の周囲は八メートル
  高さ三〇メートルあります
  長年の風雪に耐えて幹には苔を帯びています
  「健康長寿」「幸福安全」と願って
  昔から「幸の大ケヤキ」と呼ばれています
  境内には「皇大神宮」と「天満宮」がまつってあります
         石部神社


 狛犬さんの台座には 明治四十一年(1908)九月 と刻まれていました 

 雪除けかと思いますが 本殿の周りには すだれが張り巡らされています
 その陰からこっそり中を覗き込んでいる 狛犬さんがいます
 囲いがしっかり張られているので 此の後姿しか 写せませんでした

木曜日, 11月 13, 2008

狛犬さん 634

2008.11.01 神戸市西区伊川谷町前開 八幡神社
 此のお宮さんを見つけるのは ちょっと苦労しました
 すぐそこに 見えているのに 上がって行く道が見つからないのです
 個人の住宅の敷地内のようなところを通り抜けて ようやくたどり着きました
 此のお宮さんも 阪神大震災の影響でしょうか
 階段等に ズレがありました

 狛犬さんの台座には 昭和廿年(1945)十月建之 と刻まれていました

火曜日, 11月 11, 2008

狛犬さん 633

2008.10.25 大阪府高槻市天神町 上宮八幡神社
 此のお宮さんの鳥居は 一の鳥居は お宮さんから少し南側
 商店街の中ほどにあります
 しかしこれは 参道拡張のため 昭和五十二年に
   江戸時代の鳥居を移転させた後に 作られた新しいものです
 二の鳥居は 明暦二年に 高槻藩主永井直清が寄進したものだそうです
 此の鳥居が 今の一の鳥居の場所にあったものです
  儒学の大家 林羅山の神威を称える銘文が刻まれているそうです 
 更に進むと 鳥居かどうかよく判らない三柱鳥居があります
 三柱鳥居ですが 検索しますと 京都の「木嶋坐天照御魂神社」にある
 鳥居を三角形に 組んだ形のものです
 しかし ここでは 横に柱が三本並んでいる形です
 柱が三本と言うことは 二箇所通り抜けるところが出来るわけで
 片方は 歩行者 もう一方は車が通れるようになっているだけのようです

 此の狛犬さんは 一の鳥居の傍にいました
 台座には 文久二年(1862) 壬戌三月吉祥  と刻まれていました

月曜日, 11月 10, 2008

狛犬さん 632

2008.10.25 大阪府高槻市天神町 上宮八幡神社
 由緒書きによりますと
 
御祭神 武日照命・野身宿禰命・菅原道真命
  日の神 武日照命の天降って鎮座された此れの太古の社
  日神山一帯は 弥生人の住居跡として 銅鐸も出土し
  南北に並ぶ四古墳のうち 中央の円墳上には 式内古社の
  野身神社がある
  此地は「日本書紀」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を
  記した野身宿禰を 千数百年も前から斎き祀ってきた
  島上郡野身里である
  彼の率いる祭祀者一族 土師氏は何百年か後に
  菅原道真・大江匡房始め平安時代に於ける史学・文芸学者たちを
  次々に生み出すが 殊に右大臣まで昇った道真公は
  然しその後天皇廃立に関わったとされ 九州に追放される
  その死後百年近い頃 正暦四年(九九四)に正一位左大臣の位を
  遺贈する勅使として 菅原為理が大宰府へと赴いた
  御霊代などを奉じての帰途 芥川を溯り 当地の上田部(市役所西)
  に上陸し 領主近藤氏の城館に宿った
  ところがいざ出立となると輿が動かず 
  これを先祖と共に留まりたい霊意と拝察して
  里人が日神山上に天満宮本殿を造営し 改めて三神を併祭し奉った
  実際の創建はこれより五十年も早く 京都北野神社鎮座以前であり
  全国の天神社のうち二番目の古社とされている
   戦国の天正年間 豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に
  本陣を置き 明智勢を山崎天王山に討った
  その戦勝を感謝して 後に秀吉は社殿を美々しく修造する
  これは平成八年に事故により失われた
   江戸時代初期には 高槻藩主永井直清が拝殿を設け
  大鳥居も建立 時の天台座主親王天松院筆の神額を奉納した
   古来 近郷の三島地方はもとより 遠く京都・大阪を始め
  北摂野勢や北河内方面の崇敬を集め 今に至る例祭「初天神」は
  延々を露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である


 狛犬さんの台座には 宝暦?歳十一月吉日
    谷(大?) 石大工
        西田新九郎正義 と刻まれていました
    宝暦は1751~1764年の 十四年間です 

 境内には「天神基菌」が栽培されていました
 これは 境内で大量発生する落葉枝葉を利用した 肥料のことだそうです
 この天神基菌を作ったり 周りの竹藪を整備したりと言ったことは
 すべて ボランティアの人々が なさっているそうです
 平成八年 本殿は焼失したそうですが 現在再建されている本殿は
 全て竹で 出来ています
 内部の床には 玉砂利と竹炭が 使われているそうです

日曜日, 11月 09, 2008

狛犬さん 631

2008.10.25 大阪府高槻市古曾部町 日吉神社
 由緒書きによりますと
 
日吉神社の御祭神は 大山咋命・天照大神・住吉大神を祀る
  天正元(?)年七月荒木村重 芥川城を陷(?)れて 織田信長に謁し
  信長 其功を賞して 摂津守に任じ 摂津十四郡を領せしむ
  依て荒木村重は此地に?倉を創立し 
  近江國滋賀郡日吉神社の分霊を勧請して祀り
  九(?)月十八日を以て祭典を執行せしも?
  当社の起原なりと社?は 慶長十九年正月十一日に再建せられ
  元和五年十二月廿五日高槻城主松平紀伊守家信 社領二石を献附し
  祭典の折には 乗馬を献ずるを例とし 寛永十三年九月廿日
  同城主岡部美濃守宣勝 同十七年松平若狭守庚信
  慶安四年正月城主永井日向守直清は 皆 前例に依り社領二石を
  寄付し 祭典に乗馬を献して変更なく 以て明治後の廃藩に至る
  社名は元三王権現と稱せしが 後日吉神社と改められ
  明治五年村社に列せられる
  境内は三百八十五坪を有し 本殿は神明造檜皮葺にして 
  彩色を施され 前紀慶長の古建築なり(大阪府全?)
    昭和四十年建立
                日吉神社

 狛犬さんの台座には 明治丗八年五月建之
      石工 京?    ??
  残念ながら 石工の名前は 読み取れませんでした

 狛犬さんの顔をよく見ると ヒゲが生えています
 今まで見た狛犬さんには ヒゲは無かったような気がしますが

金曜日, 11月 07, 2008

狛犬さん 630

2008.10.25 大阪府高槻市安満磐手町 磐手杜神社
 社頭の森は 磐手の杜として 歌枕として名高いそうです
   君にしも秋を知らせぬ津の国の
     いわての杜と吾身ともかな
 神社の門は 上り藤ですが これは藤原家の紋だそうです
 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 文政七申年(1824)十一月十五日 と刻まれていました
 吽形の頭には 小さな角の用はふくらみが付いています

 金銀の狛犬さんです本殿脇にいました

木曜日, 11月 06, 2008

狛犬さん 629

2008.10.25 大阪府高槻市安満磐手町 磐手杜神社
 説明版によりますと
  
磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)
  御祭神は 武甕槌命・天児屋根命・経津主命・
       姫大神・安閑天皇
  社伝によれば 天智天皇5年(666)藤原鎌足の勧請により創建され 
  初めは安満神社と称したという
  12世紀頃に 春日神社と改め 建久6年(1195)後鳥羽上皇が
  この地を訪れたときには 社殿は秀麗にして壮大であったと伝えられている
  天正年間に高山氏の兵火によって焼失したが 元和8年(1622)に
  現在の社殿が造営され 江戸時代には歴代高槻藩主の信仰が厚く
  隆盛を極めた 明治44年(1911) 大字別所の雲峰神社を合祀し
  磐手杜神社と改められた

 神社の手前には檜尾川が流れ 昔の姿を想像すると 
       神寂びた神社であったろうと 推察されます
 毎年五月五日には「神輿渡御神事」別名「馬祭」が 行われるそうです
 この神事の記録は 貞享2年(1685)の「村馬番覚書」まで
 遡る事が出来るそうです
 平成18年2月に高槻市無形文化財に指定されたそうです

 狛犬さんの台座には 平成五年(1933)五月吉日 と刻まれていました

火曜日, 11月 04, 2008

狛犬さん 628

2008.10.19 兵庫県高砂市阿弥陀町 生石神社(おうしこじんじゃ)
 このお宮さんは「石の宝殿(鎮の石室)」で有名なところです
 「石の宝殿」は 人工的な巨石が残る遺跡のことだそうです
 兵庫県・大阪府に 五ヶ所あるそうです
  1.石宝殿古墳      大阪府寝屋川市 
  2.六甲山の石の宝殿   兵庫県神戸市
  3.金剛山の石の宝殿   大阪府南河内郡と奈良県御所市の境
  4.葛城山の石の宝殿   大阪府岸和田市・貝塚市と和歌山県紀の川市の境
  5.生石神社の石の宝殿  兵庫県高砂市

 又 宮城県鹽竈神社の塩竃・宮崎県霧島神宮の天逆鉾と石の宝殿を
  総称して「日本三奇」と呼ぶそうです
 神社略記と境内の説明版によりますと
 
石宝殿  生石神社
  御祭神 大己貴神(生石大神・大国主神ともいう)
      少彦名神(高御位大神・粟島神ともいう)
  創建  崇神天皇十三年(西暦九七年)申日
   神代の昔 大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の
   二神が天津神の命を受け 国土経営のため 出雲の国より
   此の地に座し給ひし時 二神相謀り 国土を鎮めるに相応しい石の宝殿を
   造営せんとして 一夜の内に工事を進めらるるも
   工事半ばなる時 天佐久売がやってきて 阿賀の神が麓の里で
   反乱を起こしていると 二神に告げた
   そのため 二神は山を下り 数多神々を集め(当時の神詰・現在の高砂市神爪)
   この賊神を鎮圧して 平常に還ったのであるが 夜明けとなり
   此の宮殿を 正面に起こすことが出来なかったのである
   時に二神宣はく たとえ此の社が未完成なりとも 二神の霊は
   この石に籠り永劫に 国土を鎮めんと 言明されたのである
   以来此の宮殿を石乃寶殿・鎮の石室と稱して居る所以である

   此の工事の時生じた石屑は 人や動物に踏ませじと 
   一里北の高御位山の山頂に 捨てられた
   現在も 莫大な石屑が山頂から麓にかけて  今尚あり 
   魚の象(かたち)になっている 
   此の付近には 岩を切ったあとかたは全く無い

   鎮の石室は 三方断崖に囲まれ 池中に石殿横たわる
   樹木が上部に生い茂っている
   四方三間半(約六,三六メートル)棟へ二丈六尺(約七,八メートル)
   重量五〇〇~七〇〇トンと云われている
   此の石室は 俗に浮石という
   この浮くは 石工の用いる言葉で 岩にひびが入る
   即ち割れ目の出来ることを意味している
   石宝殿と台座との間に ひびが入っているので 浮石という
   池中の水は 如何なる旱魃に於いても渇することなく
   海水の満干を表し 万病に卓効有るものと云ひ伝へられている

   崇神天皇十三年に創建されて以来 伊保荘・平津荘の鎮守として
   崇められ 孝徳天皇は 白雉五年(654)千石の土地
   (現在の 生石・神爪・島の土地併せて千石)を寄付されたので
   この三町は墓地をいみ 生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り
   宮百姓と称していたので 大いに栄えていたが
   天正七年(西暦一五七九年)羽芝秀吉(後の豊臣秀吉)が三木城攻略の折
   神吉城も落とさんとして 當神社を陣所に貸与せよとの申出に対し
   兄の城を攻める〔時の宮司は神吉城主の弟〕陣所には貸さぬと
   拒否したるため 秀吉の怒に触れて焼き撃に逢い
   そのため神社伝承の凡てが一瞬にして 灰燼に帰したのである
   その時焼け残った梵鐘は 持ち去られ
   後日 関ヶ原の戦に西軍石田三成の勇将大谷刑部吉隆が
   陣鐘として使用したるも 敗戦の結果 徳川家康が
   戦利品として 美濃国赤坂の安楽寺に寄付し 敵将ながらも
   実に惜しむべき武将であると慨嘆し 朝夕この鐘を撞いて
   未来永劫に吉隆及び戦没者霊を慰めよとの事であったと云われている
   現に 大垣市の指定文化財として保存され 鐘の表面には
   當生石神社名が 刻銘さる

   大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経   万葉集
    (おおなむち すくなひこなのいましけむ 
      しづのいわやは 幾代へぬらむ)


 2008年1月12~13日に 日本文化財探査学会による
  石の宝殿の内部診断調査が行われたそうです
 レーダー探査では 上部に水分を含む部分があるらしいことがわかったそうですが
 それが 人工的な穴なのか 風化による亀裂なのかは わからなかったそうです
 超音波検査では 超音波が宝殿内部を流れないことが判り
 このことは かなりの亀裂が 表面付近から内部にあることを意味しているそうです
 しかし 石棺を収める石槨ならば存在するはずの空洞は 確認できなかったそうです   

 狛犬さんの台座には 明治三十九年(1906)五月建之   と刻まれていました

 お宮さんのすぐ傍に 石切り場があります
 ここから取れる石は「竜山石」「宝殿石」と呼ばれ 比較的軟質で
  加工しやすく 仁徳天皇陵などの石棺にも使用されているそうです
 竜山石は 兵庫県加古川下流右岸に産する流紋岩溶結凝灰岩の呼び方だそうです
 白亜紀後期(約1億年前)の 火山活動によって噴出した
 火砕流堆積物が厚く堆積したものだそうです

 江戸時代初期・慶長年間の姫路城や明石城には 石垣などの建築構造資材として
 大量に使用されたそうです
 天保七年(1836)には 姫路藩の専売品となったそうです

 生石神社自体が 大きな一枚岩に囲まれて 建っています

月曜日, 11月 03, 2008

狛犬さん 627

2008.10.16 神戸市西区神出町北 三坂神社
 境内には 土俵があり 偶には使われたような形跡がありました
 子供相撲でも 奉納されるのでしょうね
 この狛犬さんは 新しいですね
 台座に 昭和六十二年(1987)十月吉日と刻まれていました

日曜日, 11月 02, 2008

狛犬さん 626

2008.10.16 神戸市西区神出町北 三坂神社
 由緒書きによりますと
 御祭神 大日靈命・大已貴命・事代主命
 創建  天正十六年(1588)六月十二日
 合祀神社  八幡神社
        御祭神 誉田別命・気長足媛命・武内宿禰命
       大歳神社・大年神社・神乃木神社
       年徳社
        御祭神 國常立命・須佐之男命・猿田彦命・稲倉魂命・豊国之命
 狛犬さんの台座には 加古郡乃木?乃水?
           細工人 七兵衛
     天保五年(1834)庚?八月吉日
   天保年間で「庚」が付くのは 天保元年(1830)庚寅
     又は 天保十一年(1840)庚子になります
   天保五年は 甲午になります
 何か読み間違ったようです