水曜日, 6月 27, 2007

狛犬さん 250

2007.06.10 兵庫県明石市二見町東二見 御厨神社
 吽形の頭に小さな角が 見えますね
  台座には 文化六年己巳(1809)二月吉日
       西二見?? 布屋武助・冨田屋庄兵衛・播磨屋勘兵衛
                     石工同所 泉屋定?  と刻まれています
 吽形の脚に 藁縄と紐が結ばれていますが 紐のほうには 五円玉が通してあります
  何か意味があるのでしょうか

 御厨の名前の由来は 神功皇后が三韓征伐の際 二見浦に停泊して 食料を調達したためだそうです
  厨とは 台所の意味ですよね



 境内に 正一位 京極大明神
         経王大菩薩
   と書かれた お稲荷さんのような赤い鳥居があります
 そこにいる 狐さんは木造なのです
   でも古くなって 台座が壊れ 倒れそうになっています

 経王大菩薩とは 岡山県に最上稲荷(さいじょういなり)が在り 
  伏見・豊川と並んで日本三大稲荷の一つだそうです
 三大稲荷は 千二百余年の歴史の中で 仏教の流れを汲む 仏教稲荷であり
 最上稲荷の開祖は 報恩大師です
  天平勝宝四年(752) 朝廷より孝謙天皇の病気平癒の勅命があり
  八畳岩の岩窟に篭り祈願していると 満願の日 白狐に乗った最上位経王大菩薩が降臨してきたそうです
  その姿を自ら刻み 祈願を続けたところ 天皇の病気が平癒したそうです
 更に 延暦四年(785)桓武天皇が病気になったときにも 大師が祈願し 
  この時も天皇は全快したそうです
 桓武天皇に理想の霊地として 吉備の国・竜王山の麓に堂宇を建立してもらったんですって

 お稲荷さんが 仏教と関係があるとは 知りませんでした


 境内に 安永 三義人の碑があります
  明石市は現在でも 蛸で有名ですが 江戸時代でも 蛸漁が盛んだったそうです
 石碑の前に こんな説明があります
二見は古来有数の漁場であり 特に蛸漁を持って聞えたが 不慮の些事によって 十一漁区を奪われ為 二漁区を生命の綱と頼み 大阪代官所に訴えて解決を見ず 十数年係争に 住民は財政困窮 具に塗炭の苦を嘗めた 茲に於て庄屋代理孫惣兵衛農漁氏惣代網屋市郎右ヱ門同伊左ヱ門は同志中屋三右ヱ門の協力を得て 大阪及江戸表に東奔西走?痒数閲月 病に斃れんとしつつも 之に屈せず 遂に身命を賭して安永二年十一月 老中松平右近将監 下城の途を擁し 駕籠訴の挙に出た その誠意は裁定を動かし 二見の殖産?再興するに至った 嗚呼公衆の為に奮起した義人の熱誠は 終に美果を結び 郷里永遠の繁栄の礎を成化した 即ち茲に顕彰の碑を建てて義人の恩徳に酬いる所以である


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