火曜日, 4月 07, 2015

狛犬さん 1300

2013.11.16 東京都墨田区向島 牛嶋神社
 境内の説明板によりますと
 貞観2(860)年に慈覚大師が、ご神託によって
須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀したと伝えられる
本所の総鎮守。関東大震災で焼失する前は墨堤常夜灯の東側にあった。
昭和7(1932)年に隅田堤の拡張により、現在の場所に再建された。
 本殿の左右に、神牛が奉納されているほか、
建長3(1251)年には牛鬼が車中を走り回り、
落としていった牛玉を神宝としたという伝承も残る。
また境内には、江戸中期から後期の国学者・加藤千蔭の碑や
江戸落語を中興したといわれる立川(烏亭)焉馬(えんば)(1743~1822)の
「いそかすは 濡れまし物と 夕立の あとよりはるヽ 堪忍の虹」
の句碑などがある。
 5年に一度の例大祭は、牛が引く鳳輦を中心に
古式床しい祭列が、向島から領国に広がる氏子の町内を
2日かけて巡り、本所2丁目の若宮公園内にある御旅所で1泊する。
返礼の町神輿の宮入れは50基が連なる都内最大の連合渡御となる。

また 別の説明板によりますと
江戸・東京の農業 浮島の牛牧

 文武天皇(701~704)の時代、
現在の向島から両国辺にかけての牛島といわれた地域に
国営の牧場が設置されたと伝えられ、
この周辺もかっては牛が草を食んでいたのどかな牧場で、
当牛嶋神社は古代から牛とのかかわりの深い神社でした。
 大宝元年(701)、大宝律令で厩牧令が出され、
平安時代までに全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)が
39ヶ所と、天皇の意志により32ヶ所の牧場(勅旨牧)が設置され、
この付近(本所)にも官牧の「浮嶋牛牧」が置かれたと伝えられています。

 時代は変わり江戸時代、「鎖国令」が解けた事などから、
欧米の文化が流れ込み、牛乳の需要が増えることとなりました。
 明治19年の東京府牛乳搾取販売業組合の資料によると、
本所区の太平町、緑町、林町、北二葉町と、本所でも
たくさんの乳牛が飼われるようになりました。
とりわけ、現在の錦糸町駅前の伊藤佐千夫「牛乳改良社」や
寺島の「大倉牧場」は良く知られています。
だそうです

 鳥居をくぐってすぐにいた狛犬さんたちです
 台座に
大正十二年九月
東都大震火災ニ
際シ御社殿?炎
上ノ厄ニ遭フ氏
子町民??措ク
?ハ??ニ復?
御造営ヲ?書ス
於茲本町民率先
協力シテ資金壹
萬圓ヲ寄進シテ
御造営ノ工ヲ助
ケ尚???ノ
狛犬壹對ヲ社頭
ニ獻シ永久神威
ヲ仰キ奉???
昭和七年九月

 ということだそうです
 文字が欠けていたりして 読み間違いがあるかもしれません

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