金曜日, 10月 07, 2011

狛犬さん 1125

2011.06.17 神戸市北区有馬町 有馬湯泉神社
 境内の説明板によりますと
  
湯泉神社
   有馬温泉を発見したといわれている
  大己貴命と少彦名命などの神々がまつられています。
  子宝が授かる神様として知られています。
  有馬温泉の守護神として親しまれており、
  温泉神社とも呼ばれている。
      そうです

 又由緒書によりますと
  
湯泉神社御由緒略記
  当社が日本で最も古い社の一つであるという事と
  有馬が日本最古の温泉場である事とは
  起原を一にしているといってよい。
  六甲の山懐に有馬温泉が発見され
  そして人々の営みが始まった。と同時に
  当社が奉祀される事になったという推測は
  容易に成り立つがそれは一体いつの頃だったのだろうか。
  神代の昔、大己貴・少彦名の二神が
  当温泉を発見されたと伝えこの両命を
  温泉守護の神として祭ったのが当社の創始である。
  崇神天皇の七年(西紀前九〇年)には既に当地に、
  「定置 神戸」とあって当社の存在が確認されている。
  舒明・孝徳の両帝は有馬に入湯あって日々当社に
  参拝をなされ平癒の早からん事を祈られた。
  延喜式神名帳には「温泉神社・大・日次・新嘗」と
  最高格式の式内大社として登載されている。
  安元二年(1176)後白河法皇は建春門院と共に
  来山され当社に奉拝祈願されたが供奉の按察使
  源資賢は次の詠歌を広前に奉納した
   めづらしきみゆきを三輪の神ならば
     しるし有馬のいでゆなるべし
  建久二年(1191)、仁西上人有馬中興の由伝ありて
  以後熊野三山の影響を強く受くる事となり、新たに
  熊野久須美命を勧請併祠するに及び「温泉鎮護三神」と
  称されるようになった。
  藤原定家の明月記に「建仁三年七月権現社に詣ず」
  とあるがその長子為家も当社に詣で次の歌を詠した
   有馬山君の御幸もとしふりぬ
     たのむしるしを神もあらはせ
  江戸の初期からは明確に神仏習合の存在となり
  真言の当社々僧が温泉寺別当を兼ねる事となったが、
  この両社寺の不即不離の関係も明治維新の廃仏毀釈により
  終止符を打つこととなった。
  現在の本殿・拝殿は寛政十年(1798)の
  再建になるものだが狭隘な旧社地(石段下)から
  愛宕山々腹を開拓整地した現社地に
  明治十七年(1884)遷座され現在に至っている
    跡たれていつとしここに有馬山
      杉のしるしの三輪の神垣   頓阿法師
    跡たるる有馬の山も三輪の神
      しるしの杉のたちと尋て   烏丸光廣
    めつらしき御幸を三輪の神ならん
      すくな彦なの恵をそしる   徳川義直(尾張)
        だそうです

 湯泉神社 御祭神
  式内社 湯泉神社  
      少彦名命 大己貴命 熊野久須美命
  摂社  天津神社(南ノ小宮)
      春日大神 天照大神 八幡大神
  摂社  國津神社(北ノ小宮)
      安徳天皇 豊受大神 熊野十二神
  摂社  金刀比羅神社
      稲倉魂命(稲荷神) 大物主命
       阿遇突知命(愛宕神)
  摂社  胸形神社(弁天社とも云)
      多岐都姫命 市杵島姫命 多紀理比賣命
  摂社  水天神社 神地・御旅所
      安徳天皇 大己貴命 熊野十二神

 狛犬さんの台座には
   文政元寅年(1818)
     八月吉日
   と刻まれていました
 吽形の頭には 角を想わせる小さな突起がありました

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