境内の説明板によりますと
掛川神社
江戸時代の寛永十八年(一六四一)、
第二代藩主山内忠義が、その産土神であった
牛頭天王を遠州掛川(静岡県)から
勧請して、高知城東北の鬼門守護として
建立したのがはじめである。以来、
代々藩主から特別の崇敬を受けていた。明治
元年(一八六八)元社名に改称した。
合祭神社中瀧宮神社、海津見神社は、
現境内地付近に鎮祭の古社で、何れも
明治三十二年(一八九九)合祭した。
東照神社は延宝八年(1680)、
四代藩主豊昌が徳川家康の位牌殿を設けたのが
始まりで、文化十一年(一八一四)には、
十二代藩主豊資が境内に社殿を築造し
東照大権現と称していたが、明治元年
東照神社と改称、明治十三年(一八八〇)
合祭した。祭神が徳川家康であることから、
県下の神社では唯一、社殿の軒下や
手水鉢に徳川家の家紋”三つ葉葵”が
つけられている。
社宝として、国の重要文化財に指定されている
「糸巻太刀 銘 国時」(山内忠義奉納)、
「錦包太刀 銘 康光」(山内豊策奉納)がある。
いずれも、現在東京国立博物館に寄託されている。
飛地境内社として椿神社・秋葉神社がある。
薊野コミュニティ計画推進市民会議
高 知 市 教 育 委 員 会
由緒あるお宮さんですが 境内に新聞の切り抜きが
貼ってありました
「山内家ゆかり寛永18年建立
掛川神社(高知市)老朽化でピンチ」
改修へ浄財集めの記事でしたが
発行月日は 2009年11月18日
改修には約4000万円ほど掛るそうです
台座に 昭和三年(1928)三月吉日
比島
竹内茂喜
彫刻
と刻まれていました
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