境内の説明板によりますと
福水神社の由緒だそうですが 境内を探しましたが奥の院への道は
御祭神 高皇産靈神(タカミムスビノカミ)神皇産靈神(カムミムスビノカミ)
生皇産靈神(イクミムスビノカミ)
魂?(凶の下に田)皇産靈神(タマミムスビノカミ)
足皇産靈神(タルミムスビノカミ)
このお社は、昔神功皇后さまも三韓(今の朝鮮半島の
中にあった三っの国)を征し給ひてお引上げの後
應神天皇さまをお産みあそばされて御東上のせつ
此の地に船を寄せられまして湯水を奉る。
里人福水神社と申し上げる様になりました。
その後越前守為時郷の女一子なきを心配なさり
神様にお祈りして一子を得んと立願しましたら
伊予の福水の神に祈るべしと夢をみられて
そのことの如くにしましたら則(タチマチ)に懐妊ありまして
立産の森(今の奥の院)の土をとりて産屋にしき給ふれば
月満ちてより安く女子を出産されました。
成長するに従ひ知識萬人に超え東門院の女房紫式部
その人であった。以来安産守護の神として崇敬厚く
これによって御産所の地名がうまれたのです。
立産の森の旧跡に五柱の神の鎮座地というところに
五つの大石がのります。河野家代々懐妊あれば
必ず奉幣あったということです。
立産森の旧跡(奥の院)は当社の東え五〇〇米坂を上って
小高いところにあり眺めのよいところです。
見つかりませんでした
狛犬さんの台座に 平成三年(1991)十一月吉日
と刻んでありました
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