2011.03.04 愛媛県松山市河野別府 八幡若宮社
由緒は分かりませんが 八幡神社の御祭神は応神天皇
若宮が付くので 息子の仁徳天皇が御祭神なのでしょうか
狛犬さんの台座には
天保六(1835)???
辰五月吉日
石工 多賀八五郎
天保六年は乙未になりますの
又 天保年間で 辰は三年と十五年
どこか読み間違ったようです
日曜日, 4月 24, 2011
土曜日, 4月 23, 2011
狛犬さん 1063
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市本町 市神神社
境内の説明板によりますと
鳥居をくぐった先に居た狛犬さんです
阿形の台座には 昭和六十一年(1986)四月吉辰
卆寿 何某
吽形の台座には 昭和六十一年四月吉辰
米寿 何某
と刻まれていました
境内の説明板によりますと
近江七福神霊場
市神神社
主祭神 事代主命
配祀神 大国主命・猿田彦大神・額田王
境内社 金刀比羅神社・鎮宅神社
由緒
「市神ノ本紀」によれば、
推古天皇元年、聖徳太子四天王寺を
造営し給ふ時、同郡白鹿山の東の麓に
おいて幾千万の瓦を造らせ難波津に
運ばせはまふ。然るに太子かの山に
渡らせられ新に瓦屋寺を営し、且つ
捊川の北に民家数百個を置き、
事代主命の神像を刻し一祀壇に納め、
同九年始めて市店を開き、士農工商の
別なく交易する事を教へ給ふ「其の後
正暦の頃、阿倍清明白鹿山に詣で
この神像を拝し、太子の遺志を継ぎ
市店鎮護の祈りを奉り」云々とあり
境内にりっぱな聖徳太子像がある。
また万葉集最高の女流歌人、額田王
立像を、おまつりするのでその
銘碑がある。
さらに、昭和六十年四月二十九日には、
万葉と風土の研究の第一人者、
大阪大学名誉教授、犬養孝博士の
筆になる額田王の歌碑が建った。
君待つと わが恋ひをれば わが屋外(やど)の
すだれ動かし 秋の風吹く
(巻四-四八八)
鳥居をくぐった先に居た狛犬さんです
阿形の台座には 昭和六十一年(1986)四月吉辰
卆寿 何某
吽形の台座には 昭和六十一年四月吉辰
米寿 何某
と刻まれていました
金曜日, 4月 22, 2011
木曜日, 4月 21, 2011
狛犬さん 1061
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市 皇美麻神社(すめみまじんじゃ)
境内の石碑によりますと
鳥居の手前に居た狛犬さんです
台座に 征露記念
明治参拾九年(1906)七月
と刻まれていました
征露戦争は 明治37年(1904)2月8日から
明治38年(1905)9月5日まで
大日本帝国とロシア帝国との間で
朝鮮半島と満州南部を主戦場とした戦争だそうです
1905年9月5日にポーツマス条約を締結し
講和した 戦争だそうです
境内の石碑によりますと
皇美麻神社そうです
主祭神 瓊々杵尊
境内社 善女龍王神社 津島神社
由緒
聖徳太子がこの地に市場を開かれた
ときに既に鎮座されていたといわれる。
古来北野々宮と称し、この地方の大社
であった。江戸時代には十八大明神と
称したようで、宝暦の堂社帳の八日市
村の条に「御代領入組地の内、氏神十
八大明神、社一軒、拝殿一軒」とあり。
神埼郡神名帳にも「十八大明神、祭一
皇孫命二」とある。皇孫命とは天彦瓊々
杵尊を申したので、創祠以来千余年の
歳月と幾多の兵乱を経て古文書、宝物
等を焼失し或は紛失している。
堂社帳にあるようにこの地は彦根領と
旗本三渕氏、奥山氏の所領と三分され
ていたが、同二氏より例祭に米一斗ず
つ奉納があり、明治維新まで続けられ
た。
鳥居の手前に居た狛犬さんです
台座に 征露記念
明治参拾九年(1906)七月
と刻まれていました
征露戦争は 明治37年(1904)2月8日から
明治38年(1905)9月5日まで
大日本帝国とロシア帝国との間で
朝鮮半島と満州南部を主戦場とした戦争だそうです
1905年9月5日にポーツマス条約を締結し
講和した 戦争だそうです
月曜日, 4月 11, 2011
日曜日, 4月 10, 2011
狛犬さん 1059
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市松尾町 松尾神社
本殿の前に居た狛犬さんです
台座に 明治十一年(1878)寅(?)
四月乃(?)吉祥日
と刻まれていました
このお宮さんには武家風の枯山水と言うのでしょうか
庭園の一部が残っています
境内の説明板によりますと
とても素敵なお庭ですが この写真では
その片鱗もお伝えしていないと思います
本殿の前に居た狛犬さんです
台座に 明治十一年(1878)寅(?)
四月乃(?)吉祥日
と刻まれていました
このお宮さんには武家風の枯山水と言うのでしょうか
庭園の一部が残っています
境内の説明板によりますと
松尾神社庭園そうです
桃山時代初期の作庭で寺院又は武家屋敷の
書院に面した庭園遺構である。
山際に多数の石組を建てた豪放なものは
蓬莱石組、中央部一群の石組は須弥山や
鶴亀島の形態を整え、武家好みの力強さが
感じられる。
松尾神社蔵の嘉吉四(一四四四)年の
古文書によると、この地に瓦屋寺別院
延命山尊勝寺という東大寺所属の寺があり、
松尾神社はその鎮守であったと考えられる。
永禄九(一五六六)年奈良興福寺一剰院に
隠れていた足利義昭が近江の佐々木義賢を
頼ったことがあり、将軍を迎えるために
この庭を造ったのではないかとも言われている。
これは越前の朝倉義景が自分の居城である
一乗谷に足利義昭を迎えた際に造った庭園と
時期、様式的に似ていることからの類推と
思われる。
昭和四六年五月二〇日に八日市市の
文化財に指定された。
とても素敵なお庭ですが この写真では
その片鱗もお伝えしていないと思います
土曜日, 4月 09, 2011
狛犬さん 1058
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市松尾町 松尾神社
境内の由緒書によりますと
鳥居の手前に居た狛犬さんです
詳細は不明ですが 良い狛犬さんたちですよね
境内の由緒書によりますと
松尾神社由緒そうです
主祭神は大山咋神で他に市杵嶋姫命と
猿田彦命を併祠している。
松尾大明神由緒記によると、
仁寿二年(八五二年)建御雷神一柱を
祀るとあるが、宝暦五年(一七七五年)
山城の国・松尾大社より大山咋神の
御分霊を奉迎して、現在の松尾神社が
出来上がったと伝えられている。その昔は
延命山にあった尊勝寺守護の社として
日吉神社に属していたといわれる。
本殿は二,五間の流れ造りで
文政八年(一八二五年)再建、また
拝殿は文政十三年(一八三〇年)に
上棟されたものである。摂社として金刀比羅宮、
併祠社として玉水稲荷神社・末永稲荷神社・
豊永稲荷(小稲荷)を祀っている。
古くから松尾さんと呼ばれ、浜野の氏神さま
として親しまれている。特に春の例大祭での
大神輿・小神輿・子供神輿を伴った渡御は
他町に類をみない立派なもので、毎年四月
第二日曜日に奉斎されている。
鳥居の手前に居た狛犬さんです
詳細は不明ですが 良い狛犬さんたちですよね
土曜日, 4月 02, 2011
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