木曜日, 6月 17, 2010

狛犬さん 848

2010.04.05 滋賀県大津市園城寺 長等神社
 境内の説明板によりますと
 
長等神社社歴
  御祭神 建速須佐之男大神
      大山咋大神
      宇佐若宮下照姫大神
      八幡大神
      地主大神
  由緒  天智天皇が近江大津宮へ
   遷都(西暦六六七年)の際に
   都の鎮護として、須佐之男命を志賀の
   長等山岩座谷の地に祀られたのが
   始まりである。
   天智天皇(西暦六六九年)五月五日、
   天皇が宇治山科から帰途のおり
   当神社へ弓矢を奉納され、
   これにより大友與多王(天智天皇の孫)が
   その日を祭日と定められて以来、
   今も五月五日を例祭としている。
   貞観二年(西暦八六〇年)二月、
   三井寺一山を開祖された智証大師(円珍)が
   日吉山王神を勧請し、一山の守護神として
   祀られ、新日吉社又は新宮社と
   称するようになった。
   天喜二年(西暦一〇五四年)四月、
   現在の地に遷宮され、その地を神出と
   称することとなった。
   永保元年(西暦一〇八一年)四月、
   白河天皇は勅使を参向せられ、平安を祈願された。
   延元元年(西暦一三三六年)正月、
   南北朝の戦乱によって社殿や楼門
   その他の建物を消失した。
   興国元年(西暦一三四〇年)足利尊氏によって
   再建され、社殿壮麗にして十二の回廊や
   楼門その他おおくの建造物があり、
   湖南の大社といわれ、皇室を始め
   武将や多くの民衆から深く崇敬され
   隆盛をきわめた
   明治十六年(西暦一八八三年)現在の社号
   (長等神社)となった。
   明治三十七年(西暦一九〇四年)
   鎌倉様式を基本として、平安、室町時代の
   和様建築の粋を取り入れて現在の
   楼門を復興した。
   明治四十三年(西暦一九一〇年)一月、
   県社に列せられる。
   昭和四十七年(西暦一九七二年)七月一日、
   楼門が中世の優れた社寺建築様式の再現を
   評価され、大津市指定文化財の指定を受けた。
   この様に当社の歴史は古く、
   千三百五十有余年の幾多の変遷を経て
   今日に至っている。
           平成十七年五月

 だそうです

 狛犬さんの台座に 石工 北条??と刻まれていました

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