このお宮さんには 相殿として貴船神社が
祀られていました
説明板にあった 関の清水もありましたが
涸れていて 単に跡があると云うだけ
入る前には 期待していたのですが残念でした
本殿の前にも説明板がありました
謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社
幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を
帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山に
お捨てになった。この世で前世の罪業の
償いをする事が未来への扶けになると
あきらめた宮も、孤独の身の上を
琵琶で慰めていた。
一方延喜帝第三皇女逆髪の宮も、
前世の業因強く、遠くの果まで歩きまわる
狂人となって逢坂山まで来てしまった。
美しい琵琶の音に引かれて偶然にも
弟の宮蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき
運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は
心を残しながら別れて行く。という
今昔物語を出典とした名曲が
謡曲「蝉丸」である。
蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは
定かではないが、冷泉天皇の頃、
日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、
当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。
謡曲史跡保存会
狛犬さんの台座には
昭和二十一年(1946)十二月建之
京都市東山三条下ル
石工
石川石材店
と刻まれていました
2 件のコメント:
戦後登場の狛さんですか。
丸顔がいいですね!
忠すけ様
コメントをチェックしていませんでした
すんませんm(__)m
滋賀県(湖東地区だけかな?)の狛犬さんは このデザインが多いですよ
たてがみが まるで頬鬚のように 見えるんですよね
コメントを投稿