2010.04.05 滋賀県大津市京町 天孫神社
本殿の中にいた狛犬さんたちです
このお宮さんにいる狛犬さんたちは
新しいものを除いて 砂岩で出来ているようで
表面の剥離がかなりあります
この狛犬さんたちは 建物の中に入れてもらっているので
今後も傷みが少なく 長命を保ってくれるといいのですが
火曜日, 6月 29, 2010
月曜日, 6月 28, 2010
土曜日, 6月 26, 2010
狛犬さん 850
2010.04.05 滋賀県大津市京町 天孫神社
境内の説明板によりますと
本殿の前にいた狛犬さんたちですが
かなり新しいものですね
境内の説明板によりますと
天孫神社
御祭神 彦火々出見尊
国常立尊
大己貴尊
帯中津日子尊
御由緒 社伝に據れば人皇第五十代桓武天皇の
勅命により其地鎮護の神として四座の
神を齋ぎ奉らせ給う今の四宮の社であります
当社は歴代国司の崇敬を受け
文禄四年(1595)十月近江守源朝臣高次
より当郷の内参拾石之地を寄附せられ
又元亀年中(1570~1573)の
御遷宮に付き佐々木家より造営寄進あり
豊臣秀吉公の大津城築城以来全城下の
鎮護神として当時の摂家たる近衛家の
尊崇殊の他篤く文政十三年(1830)
庚寅年六月拝殿拝所の造営に預ったのであります
例祭を十月十日にして曳山十三本祭禮の
行粧として綾羅錦繍の帷帳を垂れ
笛鉦鼓を以て囃し種々の木偶人を
載せて機械の功を為し所望と云ふて
機者に乞うことあれば諾して傀儡をなし
氏子の町々を巡行するその美観壮麗は
大津祭と称し湖国一の大祭であることは
人の良く知るところであります
当社は元四宮神社又は天孫第四宮大明神とも
奉称せしを明治維新の際単に
天孫神社と改称したのであります
昭和四十七年九月 記
本殿の前にいた狛犬さんたちですが
かなり新しいものですね
土曜日, 6月 19, 2010
木曜日, 6月 17, 2010
狛犬さん 848
2010.04.05 滋賀県大津市園城寺 長等神社
境内の説明板によりますと
だそうです
狛犬さんの台座に 石工 北条??と刻まれていました
境内の説明板によりますと
長等神社社歴
御祭神 建速須佐之男大神
大山咋大神
宇佐若宮下照姫大神
八幡大神
地主大神
由緒 天智天皇が近江大津宮へ
遷都(西暦六六七年)の際に
都の鎮護として、須佐之男命を志賀の
長等山岩座谷の地に祀られたのが
始まりである。
天智天皇(西暦六六九年)五月五日、
天皇が宇治山科から帰途のおり
当神社へ弓矢を奉納され、
これにより大友與多王(天智天皇の孫)が
その日を祭日と定められて以来、
今も五月五日を例祭としている。
貞観二年(西暦八六〇年)二月、
三井寺一山を開祖された智証大師(円珍)が
日吉山王神を勧請し、一山の守護神として
祀られ、新日吉社又は新宮社と
称するようになった。
天喜二年(西暦一〇五四年)四月、
現在の地に遷宮され、その地を神出と
称することとなった。
永保元年(西暦一〇八一年)四月、
白河天皇は勅使を参向せられ、平安を祈願された。
延元元年(西暦一三三六年)正月、
南北朝の戦乱によって社殿や楼門
その他の建物を消失した。
興国元年(西暦一三四〇年)足利尊氏によって
再建され、社殿壮麗にして十二の回廊や
楼門その他おおくの建造物があり、
湖南の大社といわれ、皇室を始め
武将や多くの民衆から深く崇敬され
隆盛をきわめた
明治十六年(西暦一八八三年)現在の社号
(長等神社)となった。
明治三十七年(西暦一九〇四年)
鎌倉様式を基本として、平安、室町時代の
和様建築の粋を取り入れて現在の
楼門を復興した。
明治四十三年(西暦一九一〇年)一月、
県社に列せられる。
昭和四十七年(西暦一九七二年)七月一日、
楼門が中世の優れた社寺建築様式の再現を
評価され、大津市指定文化財の指定を受けた。
この様に当社の歴史は古く、
千三百五十有余年の幾多の変遷を経て
今日に至っている。
平成十七年五月
だそうです
狛犬さんの台座に 石工 北条??と刻まれていました
水曜日, 6月 16, 2010
月曜日, 6月 14, 2010
狛犬さん 846
2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 若宮八幡神社
境内の説明板によりますと
狛犬さんの台座には
明治廿六年(1893)八月建之
と刻まれていました
境内の説明板によりますと
若宮八幡神社記
祭神 応神天皇
(誉田別命)
当社は村上天皇の天徳三年(九五七)
豊前國宇佐八幡宮より勧請、
古は若宮八幡神宮と称しました。
応永十三年(一四〇六)九月
大暴風雨洪水があり
後小松天皇は当社に御祈願なされました所、
風水害もおさまりましたので、
天皇は奉賛のためしん筆の勅額を
下賜されました。勅額は社宝として
現存しています。
貞享三年(一六八六)社殿炎上し
元禄年間に再建しました。
今までに数回の修理を経ていますが、
原形をとどめています。
平成元年三月
狛犬さんの台座には
明治廿六年(1893)八月建之
と刻まれていました
土曜日, 6月 12, 2010
狛犬さん 845
2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 関蝉丸神社
このお宮さんには 相殿として貴船神社が
祀られていました
説明板にあった 関の清水もありましたが
涸れていて 単に跡があると云うだけ
入る前には 期待していたのですが残念でした
本殿の前にも説明板がありました
狛犬さんの台座には
昭和二十一年(1946)十二月建之
京都市東山三条下ル
石工
石川石材店
と刻まれていました
このお宮さんには 相殿として貴船神社が
祀られていました
説明板にあった 関の清水もありましたが
涸れていて 単に跡があると云うだけ
入る前には 期待していたのですが残念でした
本殿の前にも説明板がありました
謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社
幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を
帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山に
お捨てになった。この世で前世の罪業の
償いをする事が未来への扶けになると
あきらめた宮も、孤独の身の上を
琵琶で慰めていた。
一方延喜帝第三皇女逆髪の宮も、
前世の業因強く、遠くの果まで歩きまわる
狂人となって逢坂山まで来てしまった。
美しい琵琶の音に引かれて偶然にも
弟の宮蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき
運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は
心を残しながら別れて行く。という
今昔物語を出典とした名曲が
謡曲「蝉丸」である。
蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは
定かではないが、冷泉天皇の頃、
日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、
当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。
謡曲史跡保存会
狛犬さんの台座には
昭和二十一年(1946)十二月建之
京都市東山三条下ル
石工
石川石材店
と刻まれていました
木曜日, 6月 10, 2010
狛犬さん 844
火曜日, 6月 08, 2010
狛犬さん 843
2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 関蝉丸神社下社
入口に「音曲藝衜祖神」の石柱が立っていました
説明板によりますと
このお宮さんに関しては
滋賀県神社庁のHPに詳しく載っています
境内に京阪電車の線路が走り
すぐ前は県道?国道?161号線が走っている
非常に賑やかな所ですが 境内に入ると
静寂に包まれます
線路を越え鳥居をくぐったところに
この狛犬さんたちがいました
詳細は不明ですが 江戸末期くらいでしょうか
入口に「音曲藝衜祖神」の石柱が立っていました
説明板によりますと
関蝉丸神社
琵琶の名手蝉丸をまつる神社は、
旧東海道沿いに三社があり、
当社は下社にあたる。
平家物語、謡曲「蝉丸」などにも、
その名が見え古くから
歌舞音曲の神として知られる
また、境内には紀貫之の歌で有名な
「関の清水」や「小町塚」、
重要文化財の「石灯籠」がある。
大津市
このお宮さんに関しては
滋賀県神社庁のHPに詳しく載っています
境内に京阪電車の線路が走り
すぐ前は県道?国道?161号線が走っている
非常に賑やかな所ですが 境内に入ると
静寂に包まれます
線路を越え鳥居をくぐったところに
この狛犬さんたちがいました
詳細は不明ですが 江戸末期くらいでしょうか
日曜日, 6月 06, 2010
狛犬さん 842
金曜日, 6月 04, 2010
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