境内にある沿革史によりますと
常葉神社沿革史
御祭神 戸田 一西命 氏鉄命 氏信命 氏西命
氏定命 氏長命 氏英命 氏教命
氏庸命 氏正命 氏彬命 氏共命
戸田一西公は 大垣藩の藩祖である 三河国・田原城主 戸田宗光の
第六世で 徳川広忠・家康に仕えて戦に従い 勇名を馳せた
天正一八年戦功により武蔵国鯨井城主となり 次いで近江国
大津城を経て 同国膳所城に転じた
戸田氏鉄公は一西公の子で 膳所城主より尼が埼城主に移り
寛永十二年(一六三五)大垣十万石の城主となった
嘉永五年(一八五二)五月 藩祖一西公二百五十年忌に当たり
第九代藩主氏正公は 藩祖追悼の意を表す為に 祠廟を大垣城内
松の丸庭内に創建して 公の神霊を奉祀し 伊勢神宮の祭主
大中臣教忠卿に請り 常葉明神の神号を受けた
廃藩置県の後 城地返上となり松の丸館も取り払われ 霊社も
明治六年八月 八幡神社の境内に遷座再営された 明治二十四年
濃尾大震災で八幡神社と共に 社殿は倒壊した
明治三十五年五月 藩祖一西公三百年忌を記し 旧藩士
民有志より 旧藩主に請い 再建計画を興し 旧大垣城内
天守閣西の現在地に社殿を新築することになり 同年十月二十三日
遷宮式を行った
大正五年 初代藩主氏鉄公の神霊を合祀し 社格も県社となったが
昭和二十年七月二十九日夜米空軍の空襲を受け 大垣城と共に
焼失した 戦後の昭和二十五年 漸く復興の気盛り上がり
社殿の再建となり 昭和二十六年神社本庁管轄 宗教法人
常葉神社となった 昭和四十一年 藩主二代目氏信公から
十一代氏共公まで 十柱を合祀することとなった
これは大垣市発展の基は 二百七十年に渉る 戸田家歴代藩主の恩恵に
依るところが大きいと言う氏子の要望に基ずいたものである
狛犬さんの台座には 大正三年十月と刻まれていました
阿・吽形ともに 頭に小さな角を思わせる ふくらみが見えます
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