神社入口の石板によりますと
神社由来と神社銘碑建立記
本神社は 天文十一年(1542)水無月六日宇佐八幡宮より
御祭神を勧請し「森八幡宮」と穪したに肇まる
天正十九年(390年前)(1591)内の子六日市村(現本神社の氏子地域)
創立の節本社殿が造営され氏子民の精神練磨の霊場
心のよりどころとして崇められて来た尊貴な神社である
御祭神 天照皇大神 誉田別命 田心姫命
市杵島姫命 足伸彦命 息長足姫命
田寸津姫命
の神々が祭祀されてあります
この神社には伊勢の皇神が祭祀されているので
昔日は伊勢の大祭日には必ず六日市村から代表者を選び
御祭礼に参加することが村行事の一つとなっていた由である
本神社の境内神社としては八雲神社(祭神素戔鳴命)を
五穀神社(祭神大宜都姫命)の二社があり
八雲神社の例祭日が内子夏祭で内の子の造物は有名であり
又五穀神社の奉納角力は文化戌辰年(文化五年 1808)
十月天下の関取で(瀧の音権五太夫)から四本柱の寄進を受け
「日本一の宮角力」と天下にその名をあげ有名である
斯く本社造営爾来三九〇年之を記念して神社銘碑建立を
画せしところ 以下略
境内の樹齢約三〇〇年の公孫樹の樹が見事です
天文十一年(1542)に神社が創建されたころ
この公孫樹の樹も植樹されたと言われているそうです
狛犬さんの台座には 嘉永元年(1848)戌申九月吉祥日
と刻まれていました
2 件のコメント:
福岡県の久留米地方で見る筑後型という狛犬さんに似てます。
奉納者が 大阪の人(多分 内子出身)のせいか
このタイプの狛犬さんは 関西地方でよく見かけたものだと思います
しかぁし 福岡県の筑後型・・・・・・
関西と愛媛と福岡に 何か繋がりがあるのでしょうか????
また 悩みが増えてしまった!
コメントを投稿