境内に 由緒書がありました
水天宮由緒
一、鎮座地 温泉郡重信町大字横河原
一、祭神 天之御中主大神・安徳天皇・平皇后・平準后・湛山姫神・
水分神・酒造司神・加藤嘉明命・足立重信命
一、祖霊社 氏子 崇敬者の先賢諸士を祭祀す
一、由緒
慶長七年一月五日 当時松前城主 加藤嘉明公
松山城を築くに当り 足立重信公を 普請奉行に任じて
伊予川 石手川の付替工事に 着手し その起工式を
当宮地に於て行う為 九州久留米より(水難を除き
大改修の完成成就を祈願した)水天宮を奉齋して
祭祀したるに始まり 爾来数年を経て 大改修の伊予川を
重信川(足立重信を称えて 重信川と名付けた)と改称して
毎年の水害を免れ得ると同時に 八千町歩の水田に灌漑して
毎年二十万石の良米を産出するに至って 近郷近在の人々の
喜びは譬様なく 社殿を造営して 五穀豊穣 商売繁盛
子供の育成 安産の神 水難火難の神 酒造司の神として
部民の崇敬篤し
狛犬さんの台座には 紀元二千六百年ときざまれていました
紀元二千六百年記念行事は 昭和十五年(1940)に行われたので
その記念に 奉納されたのでしょう
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