2009.05.03 岐阜県大垣市郭町 濃飛護国神社
狛犬さんの台座には 昭和三十四年四月吉日と刻まれていました
金曜日, 5月 29, 2009
狛犬さん 721
2009.05.03 岐阜県大垣市郭町 常葉神社
境内にある沿革史によりますと
狛犬さんの台座には 大正三年十月と刻まれていました
阿・吽形ともに 頭に小さな角を思わせる ふくらみが見えます
境内にある沿革史によりますと
常葉神社沿革史
御祭神 戸田 一西命 氏鉄命 氏信命 氏西命
氏定命 氏長命 氏英命 氏教命
氏庸命 氏正命 氏彬命 氏共命
戸田一西公は 大垣藩の藩祖である 三河国・田原城主 戸田宗光の
第六世で 徳川広忠・家康に仕えて戦に従い 勇名を馳せた
天正一八年戦功により武蔵国鯨井城主となり 次いで近江国
大津城を経て 同国膳所城に転じた
戸田氏鉄公は一西公の子で 膳所城主より尼が埼城主に移り
寛永十二年(一六三五)大垣十万石の城主となった
嘉永五年(一八五二)五月 藩祖一西公二百五十年忌に当たり
第九代藩主氏正公は 藩祖追悼の意を表す為に 祠廟を大垣城内
松の丸庭内に創建して 公の神霊を奉祀し 伊勢神宮の祭主
大中臣教忠卿に請り 常葉明神の神号を受けた
廃藩置県の後 城地返上となり松の丸館も取り払われ 霊社も
明治六年八月 八幡神社の境内に遷座再営された 明治二十四年
濃尾大震災で八幡神社と共に 社殿は倒壊した
明治三十五年五月 藩祖一西公三百年忌を記し 旧藩士
民有志より 旧藩主に請い 再建計画を興し 旧大垣城内
天守閣西の現在地に社殿を新築することになり 同年十月二十三日
遷宮式を行った
大正五年 初代藩主氏鉄公の神霊を合祀し 社格も県社となったが
昭和二十年七月二十九日夜米空軍の空襲を受け 大垣城と共に
焼失した 戦後の昭和二十五年 漸く復興の気盛り上がり
社殿の再建となり 昭和二十六年神社本庁管轄 宗教法人
常葉神社となった 昭和四十一年 藩主二代目氏信公から
十一代氏共公まで 十柱を合祀することとなった
これは大垣市発展の基は 二百七十年に渉る 戸田家歴代藩主の恩恵に
依るところが大きいと言う氏子の要望に基ずいたものである
狛犬さんの台座には 大正三年十月と刻まれていました
阿・吽形ともに 頭に小さな角を思わせる ふくらみが見えます
水曜日, 5月 20, 2009
火曜日, 5月 19, 2009
月曜日, 5月 18, 2009
狛犬さん 718
2009.05.03 岐阜県大垣市禾森町(のぎのもり) 手力雄神社
境内の案内板に
吽形の足元には 子犬さんがじゃれつき
阿形の狛犬さんは 玉に足で押さえています
台座には 大正五年(1916)十二月建立 と刻まれていました
境内の案内板に
手力雄神社
手力雄神社 祭神 天石戸別神
若宮八幡宮 祭神 仁徳天皇
御鍬神社 祭神 豊受大神
水神神社 祭神 岡象女神
神徳 天石戸別神
一人一人にすぐれた知恵と判断力を授け
強くたくましい体になるように見守ってくださる神
仁徳天皇
雷、疫病、災害をなくす神
豊受大神
すべての産物が豊かに稔るよう恵みを与える神
岡象女神
雨乞い、水乞い、止雨、水難除けの神
神社の歴史
一〇〇一年(長保三年)栗木場に神社創建
本社 白髪明神
左脇 若宮八幡宮
右脇 手力雄神社
一一八五年(文治元年 元暦二年)広芝に移転
花表(とりい)建つ
一三三六年(延元元年 建武三年)祠司(やしろ)を冬青場へ
一三五二年(文和元年 観応三年)遷宮
一六三四年(寛永十一年)放火により社殿類焼
手力雄神社を本社
若宮八幡宮を末社として再興
一八五三年(嘉永六年)常夜燈一対奉納
一九一〇年(明治四十三年)水神神社、御鍬神社合祀
一九一四年(大正三年)鳥居建つ
一九二八年(昭和三年)社殿、幣殿新築
一九九七年(平成九年)幣殿、拝殿新築
吽形の足元には 子犬さんがじゃれつき
阿形の狛犬さんは 玉に足で押さえています
台座には 大正五年(1916)十二月建立 と刻まれていました
土曜日, 5月 16, 2009
狛犬さん 717
2009.05.10 愛媛県喜多郡内子町 八幡神社
神社入口の石板によりますと
境内の樹齢約三〇〇年の公孫樹の樹が見事です
天文十一年(1542)に神社が創建されたころ
この公孫樹の樹も植樹されたと言われているそうです
狛犬さんの台座には 嘉永元年(1848)戌申九月吉祥日
と刻まれていました
神社入口の石板によりますと
神社由来と神社銘碑建立記
本神社は 天文十一年(1542)水無月六日宇佐八幡宮より
御祭神を勧請し「森八幡宮」と穪したに肇まる
天正十九年(390年前)(1591)内の子六日市村(現本神社の氏子地域)
創立の節本社殿が造営され氏子民の精神練磨の霊場
心のよりどころとして崇められて来た尊貴な神社である
御祭神 天照皇大神 誉田別命 田心姫命
市杵島姫命 足伸彦命 息長足姫命
田寸津姫命
の神々が祭祀されてあります
この神社には伊勢の皇神が祭祀されているので
昔日は伊勢の大祭日には必ず六日市村から代表者を選び
御祭礼に参加することが村行事の一つとなっていた由である
本神社の境内神社としては八雲神社(祭神素戔鳴命)を
五穀神社(祭神大宜都姫命)の二社があり
八雲神社の例祭日が内子夏祭で内の子の造物は有名であり
又五穀神社の奉納角力は文化戌辰年(文化五年 1808)
十月天下の関取で(瀧の音権五太夫)から四本柱の寄進を受け
「日本一の宮角力」と天下にその名をあげ有名である
斯く本社造営爾来三九〇年之を記念して神社銘碑建立を
画せしところ 以下略
境内の樹齢約三〇〇年の公孫樹の樹が見事です
天文十一年(1542)に神社が創建されたころ
この公孫樹の樹も植樹されたと言われているそうです
狛犬さんの台座には 嘉永元年(1848)戌申九月吉祥日
と刻まれていました
木曜日, 5月 14, 2009
火曜日, 5月 12, 2009
狛犬さん 715
2009.04.18 愛媛県松山市南方 熊野神社
由緒書によりますと
狛犬さんの台座には 昭和三十四年(1959)十月
と刻まれていました
由緒書によりますと
南方 熊野神社由緒
室町時代応永二年(一三九五)九月十七日
南方庄屋高須賀蕘倫が 紀州熊野本宮大社より
之を勧請し産土神として南方村竹之鼻に祀り
熊野神社と号した以後村人の尊崇常に厚かったか
明治四年(1871)藩命で他へ合祀された
明治十五年(1882)一月旧氏子七十余戸の請願により復旧
御祭神 速玉男命 伊弉美命 事解男命 菊理姫命
神紋 熊野神社 対い鳥
熊野本宮大社 八咫烏
境内社 一之宮神社 素鵞神社 高木神社 奈良原神社
和霊神社 加藤神社
平成二十年十月本殿に合祀
狛犬さんの台座には 昭和三十四年(1959)十月
と刻まれていました
火曜日, 5月 05, 2009
狛犬さん 714
2009.04.18 愛媛県東温市横河原 水天宮
境内に 由緒書がありました
狛犬さんの台座には 紀元二千六百年ときざまれていました
紀元二千六百年記念行事は 昭和十五年(1940)に行われたので
その記念に 奉納されたのでしょう
境内に 由緒書がありました
水天宮由緒
一、鎮座地 温泉郡重信町大字横河原
一、祭神 天之御中主大神・安徳天皇・平皇后・平準后・湛山姫神・
水分神・酒造司神・加藤嘉明命・足立重信命
一、祖霊社 氏子 崇敬者の先賢諸士を祭祀す
一、由緒
慶長七年一月五日 当時松前城主 加藤嘉明公
松山城を築くに当り 足立重信公を 普請奉行に任じて
伊予川 石手川の付替工事に 着手し その起工式を
当宮地に於て行う為 九州久留米より(水難を除き
大改修の完成成就を祈願した)水天宮を奉齋して
祭祀したるに始まり 爾来数年を経て 大改修の伊予川を
重信川(足立重信を称えて 重信川と名付けた)と改称して
毎年の水害を免れ得ると同時に 八千町歩の水田に灌漑して
毎年二十万石の良米を産出するに至って 近郷近在の人々の
喜びは譬様なく 社殿を造営して 五穀豊穣 商売繁盛
子供の育成 安産の神 水難火難の神 酒造司の神として
部民の崇敬篤し
狛犬さんの台座には 紀元二千六百年ときざまれていました
紀元二千六百年記念行事は 昭和十五年(1940)に行われたので
その記念に 奉納されたのでしょう
日曜日, 5月 03, 2009
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