説明板によりますと
波賀部神社古墳(はかべじんじゃこふん)
松 山 市 指 定 史 跡
昭和四〇年一一月八日指定
越智玉純が 神亀五(七二八)年大三島より勧請して
石井郷一宮三島大明神と称す社を建立したという
祭神は 大山積神・雷神・寛王命である
寛王命は 嵯峨天皇の皇子で 伊予国守として
赴任され この地で亡くなられたという その寛王命の
墓地が神社近くにあったところから 墓辺神社と呼ぶようになったが
墓の字をきらって 今の波賀部に改めたといわれている
社殿のうしろに 前方後円墳がある 古墳時代後期の
首長墓といわれている 全長六二メートル 松山平野では
最長大の古墳である 西が前方部で 幅二八メートル
前方部の高さ六,一メートル 後円部径二八メートル
後円部高さ六,七メートルある 外部には 堀をめぐらしていたといわれ
現存する古墳は 中腹より南半分が 崩れている
松 山 市
松山市教育委員会
古墳があるかどうか 見てくるのを 忘れていました
拝殿の中にも 由緒書があり 説明板には書かれていなかった
御祭神に高龗神が 加わっていました
この由緒書は あまりにも達筆過ぎ 私には 読みにくいので
ご紹介はしません
狛犬さんの台座には 明治三十五年(1902) 六月建立
と刻まれていました
100歳を超えた お年寄りなのですね
それにしてもこの狛犬さん 全体に角いんです
写真では分かりにくいかもしれませんが 狛犬さんの持っている玉
球状ではなく 角を削り落とした 四角にも見えるんです
元の石が 四角だったのが よくわかります
奉納されていた 獅子の額 文化十三年(1816)丙子年
秋九月吉祥旦と 書かれています
200年近く前に書かれたものですが 屋内にあるせいか 色がきれいです
額の横に 動物の頭の骨と のこぎり鮫の歯が奉納されていました
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