木曜日, 5月 31, 2012

狛犬さん 1184

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社竃神社
   竃神社と云う名前から想像すると
  台所の神様 荒神さんをお祀りしているのでしょうか
  竃神社の御祭神は 地域によっていろいろいらっしゃるみたいです

  上半身だけの狛犬さんです
   壊れても このように保存していただいてるのを見ると
  狛犬好きにとっては 感謝感謝としか言いようがありません
  
  ちょっと高知県の香りを感じた狛犬さん達です
  台座には 大正八年(1919)四月吉日
       と刻まれていました

  

火曜日, 5月 29, 2012

狛犬さん 1183

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社三島神社
随身門を抜け左に行くと いくつかのお社が鎮座しています
そのうちの一つ 三島神社の前にいた狛犬さん達です

台座に 文政七甲申(1824)
八月吉日
と刻まれていました


















三島神社の手前に神馬社がありました
お社の中には大量のわらじが奉納して有ります
馬からの連想で 旅の安全を祈ってのことでしょうか

日曜日, 5月 27, 2012

狛犬さん 1182

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
参道の先に須賀川が流れていますが
その手前に御影石造りの鳥居が立っています
この鳥居は 御影石造りとしては日本一の大きさだそうです
その前にいた狛犬さん達です
台座には 安政四丁巳歳(1857)
と刻まれていました


















 阿吽共に後ろ足に子供が押えられています

金曜日, 5月 25, 2012

狛犬さん 1181

2012.03.21 愛媛県宇和島市和霊町 和霊神社
御祭神は 山家清兵衛公頼(ヤンベセイベエキンヨリ)公
丸之内の和霊神社は 山家公の住居跡に
建立されたものですが このお宮さんは
山家公殺害に関与したものが次々変死した事と
山家公無罪が判明したので 
藩主伊達秀宗が 承応二年(1653)に
山家公鎮魂の為 建立したものだそうです

広い道路に面して建っている鳥居の傍にいた
狛犬さん達です
台座には 天保四年(1833)
癸巳八月
と刻まれていました


















このお宮さんには日本最大が三つあるそうです
一つは  昭和十三年建立の御影石造の大鳥居
二つ目は鼻高面
三つ目はお多福面
   お面は 二つとも太平洋戦争で焼失したそうですが
その後復元したものだそうです

水曜日, 5月 23, 2012

狛犬さん 1180

2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社粟島神社
御祭神は 少彦名命
 少彦名命は 医薬の神様として有名ですが  
此処では特に婦人病に 効顕ある神様とされています
又 人形供養も行われているそうです

お宮さんの前にいた狛犬さん達です
台座には  慶応四(1868)
辰九月
石工
房吉作
と刻まれていました

月曜日, 5月 21, 2012

狛犬さん 1179

2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
まだ 新しい狛犬さん達です

土曜日, 5月 19, 2012

狛犬さん 1178

2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社
このお宮さんは とても個性的な所でした
鳥居の傍に 千五百守社(チイホモリノヤシロ)と刻まれた石碑
左側に 凸凹神堂と書かれた看板
鳥居をくぐると 男性のシンボル等の石造物の数々
間違ったお宮さんに来たのかと 思わされました

御祭神は 伊弉諾尊
他に 境内社がいくつかあり 11柱の神々が
祀られているそうです
由緒は
由緒
神功皇后摂政18年(269年)
三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って
当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと
海辺に茂る藤の木を 本未打ち断ちて海中に投げ入れれば
坂島(宇和島)の郷那多に着いた 
よって 此処に宮居を営み 藤住吉太神宮と称したという
元禄13年(1700)6月2日藤住吉宮の多賀社に横山家信仰の
多賀神璽を預け祭祀し 安永4年藤江の現在地へ移転したが
その後住吉山の藤住吉本宮は境外摂社の多賀神社に合併され
数多くの摂末社も廃滅 合併して 多賀と粟島の両神社となった
だそうです

二つ目の鳥居?の前にいた狛犬さん達です
台座には 文久二(1862)壬戌
九月吉日
と刻まれていました

木曜日, 5月 17, 2012

狛犬さん 1177

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
本殿の中にいた狛犬さん達です
この狛犬さん達が 
市指定有形文化財(美術工芸品)

三島神社本殿の狛犬・獅子
三島神社は、社記によると大同元年(八〇六)
に大三島より勧請され、文永十一年(一二七四)
に現在地に鎮座したと伝える。その後、永仁五年
(一二九七)および永正十五年(一五一八)に社
殿を再建し、現在の本殿は元文二年(一七三七)
に造営されたものである。
三島神社本殿に奉安されたきた狛犬一対は、
形式上、室町時代中期の造像と考えられる。正
面より見て右側に安置されているのは、無角阿
形の獅子で、左側のものが一角吽形の狛犬であ
る。獅子と狛犬を組み合わせて一対とした中世
の標準作とも言うべき木造狛犬である。
両像とも前足を直立させて姿勢よく坐してお
り、本殿内陣側の前足(阿形は右足、吽形は左
足)をやや前に踏み出し、頭部を礼拝者側に向
けている。前足を直立させることのほかに、頭
部の幅が肩幅より狭いこと、顔貌がひょうきん
なこと、たてがみが体躯に密着して躍動感が少
ないこと、やや猫背ではあるが背中が急勾配に
立ち上がっていることなど、室町時代の狛犬の
特色がよく表れている。腰部のくびれも強く、
全体の姿は美しい。
保存状況は良好であるが、別木となっていた
耳が決失するなど、わずかな破損が見られる。
また当初は祭彩色が施されていたが、現状では下
地の白土が残るだけである。この狛犬は、阿形
の獅子と吽形の狛犬を組み合わせた室町時代の
標準作であり、美術的にも優れており、保存状
況も良好である。
[制作年代]室町時代中期(十五世紀頃)
平成十二年三月八日指定 宇和島市教育委員会  
と書かれている 狛犬さん達はこの狛犬さん達でしょうか

火曜日, 5月 15, 2012

狛犬さん 1176

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
 本殿の後ろに回っていくと十柱の神様をお祀りした
   祠が並んでいました 
  一宮神社     大己貴神
  厳島神社      多紀理毘売命 狭依里毘売命 多岐都毘売命
  地三神社     生井神 栄井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神
 金刀比羅神社  大物主神 崇徳天皇
 竜王神社     竜王神
 稲生神社     倉稲霊神
 猿田彦神社   猿田彦神
 尾串森神社   天照皇大神外六柱
 伊勢山神社   天照皇大神外十柱
 河内神社    天照皇大神外十七柱
 天一神社    天之御中主神 天照皇大神外 十二柱

 沢山の神様方の 守護をしていた狛犬さんです
 阿形の狛犬さんは きれいな状態ですが
 かわいそうに 吽形は 欠けてしまった 憐れな姿です
 台座には 文化十(1813)癸酉正月吉日
    と刻まれていました

 この狛犬さんは 仄かに高知県の香りがします

日曜日, 5月 13, 2012

狛犬さん 1175

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
  階段を上がった所にいた狛犬さん達です
 台座には 昭和四十二年(1967)十二月
    と刻まれていました

 阿形の口の中の球は コロコロ動きます
 口中の球が動くタイプの狛犬さんを
    久し振りに見ました

金曜日, 5月 11, 2012

狛犬さん 1174

2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
御祭神は 大山祇神
由緒
大同元年(806)大三島の大山積神社より勧請したという
始め尾串森に鎮斎したが 文永11年(1274)現在の地に奉還する
(現在地も尾串森と言う)
歴世国守の崇敬社であって 永仁5年(1297)橘忠重は社殿を修めて神鏡を奉納し
後の西園寺公廣は城南 土佐国に至るまでの五郷の総鎮守として尊崇し
永正15年(1518)には社殿を建立 書写の大乗妙典66部を献じた
伊達氏も代々崇敬し 神社の下に馬場を作って正月3日には御野始めの行事があり
延慶2年(1309)貞和元年(1345)永正15年(1518)天正6年(1578)
天和3年(1683)元年2年 弘化4年(1847)と社殿再興の記録がある

            だそうです

 参道の入り口にいた狛犬さんです
 台座には 昭和 六十三年(1988)七月
     と刻まれていました

水曜日, 5月 09, 2012

狛犬さん 1173

2012.03.21 愛媛県宇和島市丸之内 和霊神社
 本殿の前にいた狛犬さんです
 台座には 平成元年(1989)五月吉日
    と刻まれていました

月曜日, 5月 07, 2012

狛犬さん 1172

2012.03.21 愛媛県宇和島市丸之内 和霊神社
御祭神は 山家清兵衛公
境内の説明板に依りますと
市指定 史跡
山家公賴(やんべきんより) の邸宅跡
ここは、和霊神社祭神山家清兵衛公賴
の屋敷跡である 。公賴は仙台藩主伊達政
宗から藩祖秀宗に付けられ、総奉行とし
て藩の創設につとめた。しかし、入部当
時の借金の返済として、政宗に十万石のう
ち三万石を割くなどの問題から、元和六
年(一六二〇)六月三十日後、反対派に
襲われ、その子三人とともに命をおとし
た。のち屋敷は藩の倉庫となり、明治初
年には丸之内和霊神社の小祠が設けられ、
明治三十一年(1898)には伊達家が敷地を寄進し、
同四十一年(1908)に宇和島城内の日吉(ひえ)神社の本
殿を移築した。また、本殿の裏の古井戸
には、四男美濃の死にまつわる伝説があ
る。
昭和四十三年一月九日指定
宇和島市教育委員会の
西側の鳥居の傍に居ました
台座には  明治三十二年(1899)八月
と刻まれていました
















御井戸 元和六年(1620)六月晦日の夜
和霊様が御一門の方々と
遭難されたとき御子
山家美濃様がこの
御井戸へ入水されま
した
後この井戸に祠をたて
てお祀いたしました
この地は当時和霊様
の御本邸であります
だそうです
 本殿の裏にひっそりと建っていました