境内の石板によりますと
總敏神社だそうです
御祭神 水野勝成
例祭日 四月二十五日
備後国初代領主、水野勝成公を
祀る神社である。
勝成公は、徳川家康の従兄弟で、
大坂夏の陣に初戦を飾り、その功
により三河国刈谷より大和郡山を
経て、西国鎮衛として元和六年(1620)
この福山十万石の領主として赴任し
た。城下町造成のため困難を克服
して、南に東に干拓造成し、芦田
川の水を城下町に飲料水として導
入した。又領国経済の流通拠点と
すべく、商人群を城の大手前に移
転せしめ、特産物の藺草、畳表の
商いを奨励する等、数多くの善政
を引く。慶安四年(1651)死去。
霊社は城内に祀られていたが、
享保五年(1720)この地に
移される。勝成公は總明、俊敏と
称えられ、当社が總敏神社と
呼ばれる所以である。(
台座に 嘉永二年(1849)
己酉二月吉日
と刻まれていました
吽形の頭には 小さなふくらみがありました
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