月曜日, 1月 30, 2012

狛犬さん 1147

2012.01.16 高知県高知市三園町 轟神社
 本殿正面にいた狛犬さん達です
 眼、牙、爪が青く彩られています
 この狛犬さん達を初めて見たとき
  まるで小学生が工作の時間に作ったような
  イメージを抱きました
 何か稚拙であどけない雰囲気を感じました

 台座には 昭和48年(1973)
      11月13日   
   と刻まれていました

土曜日, 1月 28, 2012

狛犬さん 1146

2012.01.16 高知県高知市三園町 轟神社
 御祭神は 主神  水波女命 水の神
      相殿神 國狭槌尊 神世七代
          大山祇命 山の神
      境内社 事代主命 エビス様

 主神の水波女命は
  弥都波能売神・罔象女神とも表記される
  水の神様だそうです
 お宮さんは久万川の支流名切川の傍に建っていました

 川の方から入った所にいた狛犬さんです
 台座に 昭和廿五年(1950)
     二月吉日   と刻まれていました
 耳の下にある渦巻髪だけが
 土佐の特徴を伝えています

木曜日, 1月 26, 2012

狛犬さん 1145

2012.01.16 高知県高知市愛宕山 愛宕神社
 入り口にある説明版に依りますと
  
愛宕神社御祭神の由緒と御神徳
   御本社に伊邪那美大神と火産霊神を御祭りし
   境内に杉尾神社天熊社の二社奉斎して有ります
   沿革史に依ると寛永六年(1629)山城国より
   勧請し承応二年(1653)土佐国守
   山内忠義尊崇厚く藩内の防火鎮護と諸災防除
   祈願の為藩祭を行い毎年米二十九石八斗九升余を
   献納し祭典料としていたが明治三年(1870)
   之を改正し金二十貫を献じたそれ以後山内家は
   神社と旧別當吉田家に対し米二十余石を下給し
   神社の経営発展に盡力されたが明治6年(1873)
   之を廃すとあり斯様に藩政時代に於ては山内家の
   援助と藩祭と齋行された為参詣者数千名に及び
   神社が隆々として栄えた事が想起されます
   今尚城下街高知市は勿論安芸郡や土阿県境に
   接する豊永又本山方面に多数の崇敬者があり
   毎年御神札を拝受し洪大無辺の御神徳を拝戴して
   います伊邪那美大神は伊邪那岐大神との神婚により
   神生み国生みの大神業を遂げられた神様です
   故に結婚安産子育の守護神で火産霊神は
   伊邪那美大神の御子に當り日常生活に欠く事の
   出来ない火の守護神で火災を防護し悪霊悪病を
   除き家運隆昌家内安全子供の健全な成長をお守り
   します境内社杉尾神社に大物主神(別名大国主神)を
   御祀し参拝者に寿福を授け商業を初め家業の興隆
   子孫繁栄の守護神で天熊社(天熊命)は諸病治癒し
   健康を守り無病延命の守り神様です皆様この由緒あり
   御神徳殊に灼な當神社に参詣し有難い御利益を
   戴き諸々の災難から遁れ一家円満に健康に恵れ
   明く希望に満ちた人生を築きましょう
     だそうです

 狛犬さんの台座には 大正七年(1918)
           八月吉日
   と刻まれていました
















 足元に子犬がいるのを見逃すところでした

水曜日, 1月 18, 2012

狛犬さん 1144

2011.10.05 広島県福山市住吉町 住吉神社・天神社・護穀神社
 護穀神社は別の所では五穀神社と
  書かれていました

 狛犬さんの台座には
    嘉永五年(1852)
    子二月吉日
  と刻まれていました
 阿吽両方に角がついています

月曜日, 1月 16, 2012

狛犬さん 1143

2011.10.04 広島県福山市木之庄町 八幡神社
 境内の入り口にある説明版に依りますと
  
八幡神社 御由緒
  御祭神 応神天皇 神功皇后
      市杵嶋姫命 湍津姫命 田心姫命
  沿革 当神社は、建長年間(西暦一二〇九-一二五六)
     越中守武政(一説に越後守ともある)が
     木之庄の海岸を干拓し、新?を造成したとき
     その守護神として西村武政山に建立、
     下之庄西村八幡宮と称されました。
     その後毛利氏時代西村能宮に遷座、
     ついで永禄年間(西暦一三五八-一五六九年)
     東村荒神社を合祀の上今の地に所原肥後?が
     木之庄八幡宮を造営、東西??の住民による
     宮?が構成され村の鎮守として江戸時代村民の
     信仰を集め明治以後は「八幡神社」となり
     木之庄町の氏神として崇敬され
     現在にいたってます
 本殿に上って行く階段の下にいた狛犬さん達です
 台座には 昭和九年(1934)
       三月十五日  
   と刻まれていました
 チンチンしている狛ちゃんと逆立ち狛ちゃん
 可愛いですね

土曜日, 1月 14, 2012

狛犬さん 1142

2011.10.04 広島県福山市木之庄町 稲荷神社
 稲荷神社だそうですが 
  狐さんはいませんでした
 狛犬さんも何故か 吽形のみ
 狛犬さんは新しいものですね

木曜日, 1月 12, 2012

狛犬さん 1141

2011.10.04 広島県福島市北本庄 本条八幡神社
 調べて見ましたが 神社の由来とかは
  解りませんでした
 八幡神社ですから 御祭神は 応神天皇でしょうね

 階段の途中にいた狛犬さんです
 台座に 嘉永五年(1852)壬子八月
   と刻まれていました

土曜日, 1月 07, 2012

狛犬さん 1140

2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮内總敏神社
 境内の石板によりますと
  
總敏神社
     御祭神 水野勝成
     例祭日 四月二十五日
   備後国初代領主、水野勝成公を
   祀る神社である。
   勝成公は、徳川家康の従兄弟で、
   大坂夏の陣に初戦を飾り、その功
   により三河国刈谷より大和郡山を
   経て、西国鎮衛として元和六年(1620)
   この福山十万石の領主として赴任し
   た。城下町造成のため困難を克服
   して、南に東に干拓造成し、芦田
   川の水を城下町に飲料水として導
   入した。又領国経済の流通拠点と
   すべく、商人群を城の大手前に移
   転せしめ、特産物の藺草、畳表の
   商いを奨励する等、数多くの善政
   を引く。慶安四年(1651)死去。
   霊社は城内に祀られていたが、
   享保五年(1720)この地に
   移される。勝成公は總明、俊敏と
   称えられ、当社が總敏神社と
   呼ばれる所以である。(
      だそうです

 台座に 嘉永二年(1849)
     己酉二月吉日
   と刻まれていました
 吽形の頭には 小さなふくらみがありました

金曜日, 1月 06, 2012

狛犬さん 1139

2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮鍛冶神社
 東の宮の背後に鍛冶神社と松尾神社があります
 松尾神社の御祭神は
      大山咋神 市杵嶋姫神
   酒造 醸造関係者また酒類販売の守護神
 鍛冶神社の御祭神は
 御祭神は 火香具土神 (火を司る神様)
      金山比古神 金山比売神
            (金属を司る神様)
      天目一箇神 (金属に関する全ての技工を
             守護する神様)
 鍛冶神社の守護をしている狛犬さんたちです

 台座には 享和二(1802)壬戌歳
      四月吉日
   と刻まれていました

木曜日, 1月 05, 2012

狛犬さん 1138

2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮
 東の鳥居をくぐった所にも
 狛犬さんがいました
 台座に 天保七年(1836)丙申
   と刻まれていました
 吽形の頭には 小さな角が見えています
 西門と同じ石工さんの様ですね

水曜日, 1月 04, 2012

狛犬さん 1137

2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮
 東の随身門にも 木製の狛犬さんたちがいます
 吽形の頭には 立派な角が見えています
 この狛犬さんたちの目も ガラス製で光っています

火曜日, 1月 03, 2012

狛犬さん 1136

2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮
 鳥居をくぐった先の階段を上がると
 随身門があります
 随身門には お雛様の左右大臣のような
 像がよく置かれています
 この像は門を守る神様として
 櫛石窓神(クシイワマド)豊石窓神(トヨイワマド)
 と云う神様がいまが この神様なのでしょうか

 随身門の正面(本殿に向いている方)に
 狛犬さんがいました
 木製だと思います
 詳細は不明です
 吽形の頭には 角と云うより
 髪の毛の房が 一束角のように立ち上がっています
 阿吽共に 目にはガラスのような素材が嵌められ
  キラキラと光っています

月曜日, 1月 02, 2012

狛犬さん 1135

2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮
 御祭神は 応神天皇(誉田別尊) 
      神功皇后(息長帯比賣命) 
      比賣大神(宗像三女神 多紀理毘賣命 多岐都比賣命
           市寸嶋比賣命)
 御由緒は
  
当地方を「穴の海」と呼ばれていた頃
   後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が奉祀されていました
   その後天文年中(1532-55)に 杉原播磨守が新に社殿を造営
   毛利輝元、福島正則等の為政者も尊崇の念厚く報賽されたと伝えられます
   元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや
   新しい居城として福山城を築くこととなり 鎮座されていた
   二つのお宮はそれぞれ野上口 延広小路へと遷されました
   天和3年(1683)第4代城主水野勝慶公の時 今の松廼尾山に
   2社を備後福山八幡宮とし本殿 拝殿 随身門 総門等
   それぞれ東西に同一規模 同一形式にて並べ建てられ
   殊に東御宮を延広(のぶひろ)八幡神社 
     西御宮を野上(のがみ)八幡神社と
   奉称し祀られました。
   昭和44年(1969)に至り両者の法人格を合併 
   社名も以前の福山八幡宮にもどし 神社本庁所属の別表神社として
   新たに発足 以後広く備後福山の守護神として崇敬されおります
   
      だそうです

 私が入ったのは 西の入り口
 入って左側には大きな駐車場があります
 正面には 大きな赤い鳥居が見え
 駐車場の向うに 東の鳥居が見えます

 鳥居をくぐるとすぐに居た狛犬さんたちです
 台座に 天保七年(1836)丙申
   と刻まれていました