2011.10.04 広島県福山市丸の内 備後護国神社
翌日が雨の予報が出ていたので
少し無理をして 護国神社に来ました
木々の茂っている所では かなり足元が暗くなり
写真が撮れるかどうか心配でしたが
なんとか取ることが出来ました
残念ながら 狛犬さんの詳細については不明です
吽形の頭には 角がついていました
日曜日, 10月 16, 2011
狛犬さん 1129
2011.10.04 広島県福山市丸の内 備後護国神社
境内の説明板によりますと
武道館のある南側からお宮さんに入って行きましたが
夕方だったので 柔剣道の稽古の小学生たちが
沢山集まってきていました
南側の門の手前に居ました
境内の説明板によりますと
備後護国神社 御由緒 御神徳だそうです
当神社は、昭和三十二年まで阿部神社と
称えていましたが、国家のために殉じられた御英霊を
合祀した備後護国神社と合併して、社名を
備後護国神社と改め、阿部神社の社名はなくなりました。
阿部神社の建立は、文化十年(西暦一八一三年)に
時の福山藩主が、歴代の祖霊を祀ったのがはじまりです。
御祭神は、大彦命、武沼河別命(二柱とも四道将軍)を
始め歴代藩主をお祀りしてあります。
御神徳は、御祭神のご功績によるもので、大彦命の開拓・
平定による開運・家内安全・健康・厄除等です。
歴代の中で特に阿部正弘公は、老中筆頭として
国旗(日の丸)を制定され、嘉永六年(西暦一八五三年)
ペリー来航に当たり和親条約を締結し、日本の開国と、
福山に誠之館を創設して、近代教育の基礎をつくられた
教育の神様で、天満宮と並び尊ばれ、受験合格・学業成就の
神として信仰されています。
武道館のある南側からお宮さんに入って行きましたが
夕方だったので 柔剣道の稽古の小学生たちが
沢山集まってきていました
南側の門の手前に居ました
土曜日, 10月 15, 2011
狛犬さん 1128
2011.09.22 愛媛県松山市北斉院町 福水神社
境内の説明板によりますと
見つかりませんでした
狛犬さんの台座に 平成三年(1991)十一月吉日
と刻んでありました
境内の説明板によりますと
福水神社の由緒だそうですが 境内を探しましたが奥の院への道は
御祭神 高皇産靈神(タカミムスビノカミ)神皇産靈神(カムミムスビノカミ)
生皇産靈神(イクミムスビノカミ)
魂?(凶の下に田)皇産靈神(タマミムスビノカミ)
足皇産靈神(タルミムスビノカミ)
このお社は、昔神功皇后さまも三韓(今の朝鮮半島の
中にあった三っの国)を征し給ひてお引上げの後
應神天皇さまをお産みあそばされて御東上のせつ
此の地に船を寄せられまして湯水を奉る。
里人福水神社と申し上げる様になりました。
その後越前守為時郷の女一子なきを心配なさり
神様にお祈りして一子を得んと立願しましたら
伊予の福水の神に祈るべしと夢をみられて
そのことの如くにしましたら則(タチマチ)に懐妊ありまして
立産の森(今の奥の院)の土をとりて産屋にしき給ふれば
月満ちてより安く女子を出産されました。
成長するに従ひ知識萬人に超え東門院の女房紫式部
その人であった。以来安産守護の神として崇敬厚く
これによって御産所の地名がうまれたのです。
立産の森の旧跡に五柱の神の鎮座地というところに
五つの大石がのります。河野家代々懐妊あれば
必ず奉幣あったということです。
立産森の旧跡(奥の院)は当社の東え五〇〇米坂を上って
小高いところにあり眺めのよいところです。
見つかりませんでした
狛犬さんの台座に 平成三年(1991)十一月吉日
と刻んでありました
金曜日, 10月 14, 2011
木曜日, 10月 13, 2011
狛犬さん 1126
2011.06.17 神戸市北区有馬町 有馬天神社
御祭神は菅原道真公
狛犬さんの詳細は不明です
小振りですが 良い表情の狛犬さんたちです
天神泉源の泉質は金泉(含鉄・ナトリウムー塩化物強塩高温泉)
温度は98度
深さは206m
だそうです
お宮さんの階段まで 赤錆びた色に染まってしまっています
御祭神は菅原道真公
由緒だそうです
当社の創建は「神社明細書」に
「有馬温泉の艮の方位にありて
菅原道真公を祀る」円融天皇天元2年(979)4月
京都北野天満宮より勧請す
温泉鬼門除け守護神として奉祭せり
建久3年(1192)9月再建
傍に蘭若院阿弥陀坊を建立し住僧代々奉祀せり
寛正4年(1463)4月13日火災の為焼失す
同年6年(1465)仮殿建設
明治5年無住となり寺院廃止…(略)…
昭和23年(1948)秋 温泉の湧出量減少に依り
境内地に源泉を掘り 以来80余度の温泉の湧出を得て…」
と記されている
当有馬温泉地区は 過去に 水害や落雷による火災により
大きな被害を蒙ってきたので 災除け・鬼門祓いの神として
建立され、温泉街の厄除け神社として厚い信仰を受けてきた
本殿は流れ造りで、各3坪の幣殿・拝殿と5坪の社務所があり
境内には倉稲魂命・素盞嗚命を祀る稲荷神社がある
また 天神泉源と呼ばれる有馬温泉の泉源があり
98度の熱湯が吹き出し湯煙を上げており
観光客にも親しまれている。
狛犬さんの詳細は不明です
小振りですが 良い表情の狛犬さんたちです
天神泉源の泉質は金泉(含鉄・ナトリウムー塩化物強塩高温泉)
温度は98度
深さは206m
だそうです
お宮さんの階段まで 赤錆びた色に染まってしまっています
金曜日, 10月 07, 2011
狛犬さん 1125
2011.06.17 神戸市北区有馬町 有馬湯泉神社
境内の説明板によりますと
又由緒書によりますと
湯泉神社 御祭神
式内社 湯泉神社
少彦名命 大己貴命 熊野久須美命
摂社 天津神社(南ノ小宮)
春日大神 天照大神 八幡大神
摂社 國津神社(北ノ小宮)
安徳天皇 豊受大神 熊野十二神
摂社 金刀比羅神社
稲倉魂命(稲荷神) 大物主命
阿遇突知命(愛宕神)
摂社 胸形神社(弁天社とも云)
多岐都姫命 市杵島姫命 多紀理比賣命
摂社 水天神社 神地・御旅所
安徳天皇 大己貴命 熊野十二神
狛犬さんの台座には
文政元寅年(1818)
八月吉日
と刻まれていました
吽形の頭には 角を想わせる小さな突起がありました
境内の説明板によりますと
湯泉神社そうです
有馬温泉を発見したといわれている
大己貴命と少彦名命などの神々がまつられています。
子宝が授かる神様として知られています。
有馬温泉の守護神として親しまれており、
温泉神社とも呼ばれている。
又由緒書によりますと
湯泉神社御由緒略記だそうです
当社が日本で最も古い社の一つであるという事と
有馬が日本最古の温泉場である事とは
起原を一にしているといってよい。
六甲の山懐に有馬温泉が発見され
そして人々の営みが始まった。と同時に
当社が奉祀される事になったという推測は
容易に成り立つがそれは一体いつの頃だったのだろうか。
神代の昔、大己貴・少彦名の二神が
当温泉を発見されたと伝えこの両命を
温泉守護の神として祭ったのが当社の創始である。
崇神天皇の七年(西紀前九〇年)には既に当地に、
「定置 神戸」とあって当社の存在が確認されている。
舒明・孝徳の両帝は有馬に入湯あって日々当社に
参拝をなされ平癒の早からん事を祈られた。
延喜式神名帳には「温泉神社・大・日次・新嘗」と
最高格式の式内大社として登載されている。
安元二年(1176)後白河法皇は建春門院と共に
来山され当社に奉拝祈願されたが供奉の按察使
源資賢は次の詠歌を広前に奉納した
めづらしきみゆきを三輪の神ならば
しるし有馬のいでゆなるべし
建久二年(1191)、仁西上人有馬中興の由伝ありて
以後熊野三山の影響を強く受くる事となり、新たに
熊野久須美命を勧請併祠するに及び「温泉鎮護三神」と
称されるようになった。
藤原定家の明月記に「建仁三年七月権現社に詣ず」
とあるがその長子為家も当社に詣で次の歌を詠した
有馬山君の御幸もとしふりぬ
たのむしるしを神もあらはせ
江戸の初期からは明確に神仏習合の存在となり
真言の当社々僧が温泉寺別当を兼ねる事となったが、
この両社寺の不即不離の関係も明治維新の廃仏毀釈により
終止符を打つこととなった。
現在の本殿・拝殿は寛政十年(1798)の
再建になるものだが狭隘な旧社地(石段下)から
愛宕山々腹を開拓整地した現社地に
明治十七年(1884)遷座され現在に至っている
跡たれていつとしここに有馬山
杉のしるしの三輪の神垣 頓阿法師
跡たるる有馬の山も三輪の神
しるしの杉のたちと尋て 烏丸光廣
めつらしき御幸を三輪の神ならん
すくな彦なの恵をそしる 徳川義直(尾張)
湯泉神社 御祭神
式内社 湯泉神社
少彦名命 大己貴命 熊野久須美命
摂社 天津神社(南ノ小宮)
春日大神 天照大神 八幡大神
摂社 國津神社(北ノ小宮)
安徳天皇 豊受大神 熊野十二神
摂社 金刀比羅神社
稲倉魂命(稲荷神) 大物主命
阿遇突知命(愛宕神)
摂社 胸形神社(弁天社とも云)
多岐都姫命 市杵島姫命 多紀理比賣命
摂社 水天神社 神地・御旅所
安徳天皇 大己貴命 熊野十二神
狛犬さんの台座には
文政元寅年(1818)
八月吉日
と刻まれていました
吽形の頭には 角を想わせる小さな突起がありました
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