もう一度階段に戻り そのまま上がって行くと
忌部神社御由緒だそうです
御祭神 天日鷲命(アメノヒワシノミコト)
太古天日鷲命は穀麻を植え製紙製麻紡績の
諸業を創始され、特に天照大神が天の岩戸に
お隠れになった時白幣をつくり、神々と共に
祈祷られ、天の岩戸開きに大きな功績を
挙げられた。
その子孫は忌部と称して国家祭祀の礼典を
掌どり神武天皇の御代阿波国へ下り
代々朝廷に麁服御衣(アラタエノミソ)を
貢上した。斯く天日鷲命を奉斎する。
徳島県民の祖神を祭り阿波国總鎮守の神社として
古来朝野の尊崇篤く、後、官幣大社に列せられ
四国一の宮とも称せられた。
明治四年(1871)国幣中社に列せられ、
明治七年(1874)所在地を麻植郡山崎村と
決定されたが同十四年(1881)美馬郡
西端山村奉遷祀、更に明治二十年(1887)
徳島市の現在地に新社殿を奉遷鎮祭し奉る。
昭和二十年(1945)大東亜戦争の為、
焼失したが崇敬者の尊い浄財により、本殿は
昭和二十八年(1953)に、
拝殿は昭和四十二年(1967)に復興された。
狛犬さんの台座には 安政四年(1857)
午三月吉日
また 年号があいません
安政四年は丁巳 午は翌年の安政五年です
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