2007.03.09 兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目 阿閉神社(あえじんじゃ)
ここの本殿は 一の宮から四の宮まで四社からなり 南北線上に西向きに並立しています
北端の一の宮には表筒男命(うわつつおのみこと)
二ノ宮には中筒男命(なかつつおのみこと)
三の宮には底筒男命(そこつつおのみこと)
南端の四の宮には息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
が祀られています
建物は記録によれば 元禄十四年(1701)五月から翌十五年十一月完成のようです
四社とも一間社春日造りの同形・同規模からなり いづれも正面の縁を廊橋で結ぶ形をとっています
そんな廊橋の向こうに なにやら木の塊が見えます
この形は 狛犬さん 風化してしまって わかりにくくなってます
一体いつの頃の 狛犬さんなんでしょうね
金曜日, 3月 30, 2007
木曜日, 3月 29, 2007
水曜日, 3月 28, 2007
火曜日, 3月 27, 2007
月曜日, 3月 26, 2007
日曜日, 3月 25, 2007
土曜日, 3月 24, 2007
木曜日, 3月 22, 2007
水曜日, 3月 21, 2007
狛犬さん 177
火曜日, 3月 20, 2007
月曜日, 3月 19, 2007
日曜日, 3月 18, 2007
土曜日, 3月 17, 2007
金曜日, 3月 16, 2007
木曜日, 3月 15, 2007
狛犬さん 165
2006.12.16 大阪府大阪市中央区 生國魂神社行宮
お宮さんは ビルの谷間にあります
行宮と言うのは
のことなんですよね
(御旅所)とも書かれていますが これはお出かけした神様が 一休みするところ
お宮さんによっては 御旅所には 祠が無いですよね
お宮さんは ビルの谷間にあります
行宮と言うのは
天皇の行幸時に設置された仮りの宮。
また政変時等の場合に一時的な目的で置かれた仮りの宮。
時代が下ると「あんぐう」とも読まれるようになる。
行宮の中でも有名なものとして、
白雉4(653)年に中大兄皇子が孝徳天皇と決別し、
皇祖母尊・間人皇后・大海人皇子を始めとして百官を引き連れて、
灘波長柄豊碕宮を棄宮した上で入った飛鳥河辺行宮が有名である。
また南北朝時代の建武3(1336)年に後醍醐天皇が吉野に入り、
以後、南朝方の宮として天下を睨んだ吉野行宮も名高い。
短期間の滞在である場合は「行在所」とも称される。
のことなんですよね
(御旅所)とも書かれていますが これはお出かけした神様が 一休みするところ
お宮さんによっては 御旅所には 祠が無いですよね
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