ご祭神は 火産霊神
境内の説明板によりますと
愛宕神社古墳
(市指定・史跡)
仙波大地の東南端上に築かれたもので、
かってこの付近一帯には
六つ塚稲荷の名称から考えても
多くの古墳群が存在していたことがうかがえる。
高さ六メートル、東西三十メートル、
南北五十三メートルを有し、
基壇のある二段築成の円墳で、
幅約六メートルの周溝が
東南の斜面を除いて巡っている。
六世紀中葉期のものと思われる。
現在は愛宕神社が祀られている
昭和六十三年三月
川越市教育委員会
だそうです
又別の資料によりますと
愛宕神社
地形は、高さ六メートル、東西三十メートル
南北五十三メートルの円墳で
父塚といわれ川越市の指定文化財になっています。
鎌倉時代(一一八二~一三三一)いまから七~八百年前、
武蔵七党の一つに属した仙波七郎高家の墓という説があります。
祭神は火産霊神(ホムスビノカミ)で、一五九三年・・・文禄二年正月、
山城の国(今の京都の愛宕山から
分霊を奉祭したものと伝えられています。
古来より火伏の神、麻疹(ハシカ)の神として信仰されてきました。
麻疹が軽く済むようにと母親が子供を抱いて
社殿櫓の下をくぐり抜ける習わしがあります。
その祭礼は、七月二十四日で、
七月十三日の浅間神社(母塚・・・初山)の後に行われています。
だそうです
狛犬さんの詳細は 不明です
顔、前足等かなり欠損箇所が沢山ありますが
まぁるいお目目がかわいい狛犬さんたちです
本殿のお社の台座に
大正十二年九月一日大地震就本殿倒壊
仝年十月雨建起ユ仝十三年七月落成
大仙波
崇敬者一同
と刻まれていました
大正十二年(1923)の大地震といえば
関東大震災のことです
狛犬さんもその時被害にあったのかもしれません