木曜日, 1月 31, 2013

狛犬さん 1231

2012.11.03 香川県仲多度郡琴平町 高灯籠
 説明版に依りますと
   高灯籠
    金刀比羅宮の名所の一つ
   東讃岐の人たちが安政元年(一八五四)
   の発願以来 千秋講 萬歳講を
   結成 広く寄進を仰ぎ 六年の
   歳月をかけ 万延元年(一八六〇)に
   完成した 高さ約二〇メートル
   でそこから発する光は 丸亀沖の
   船に届くよう設計されたといわれる
    高い石の基壇の上に木製の灯台が
   築かれ 内部は三階建て 壁には
   江戸時代の人々の落書きが 今も
   尚残っている 木造灯篭としては
   日本一高く 庶民は信仰の結晶で
   ある
    昭和五十四年(一九七九Z)
    国指定重要有形民俗文化財
  
だそうです
  
灯篭の傍にいた狛犬さん達です  
台座には 寛政七年(1795)       
        卯三月日   
      と刻まれていました















 高灯篭です
 江戸時代の落書きはわかりませんでした

火曜日, 1月 29, 2013

狛犬さん 1230

2012.11.03 香川県仲多度郡琴平町 JR琴平駅前
 琴平駅を出るとすぐ 灯篭が立ち並び
 金刀比羅大神宮の参道の様に見えます
 そこで 金刀比羅大神宮の狛犬さんの仲間に
 入れることにしました

 吽形の狛犬さんの台座には 
    石工 九??? と刻まれていましたが
  私には読み取れませんでした















 JR琴平駅です
 説明版に依りますと
JR琴平駅
   大正時代に建てられた擬洋風 木造の駅舎
   JR琴平駅は その北欧風の洒落た外観で
   老若男女の人気を集めており
   駅前の広場にずらりとならべられた
   古めかしい石燈籠と 駅舎の洗練された
   欧風の建物が不思議なコントラストを
   作り出しています
  
だそうです

日曜日, 1月 27, 2013

狛犬さん 1229

2012.11.03 香川県善通寺市文京町 讃岐宮 護国神社
 御祭神は明治維新以来 
 国の為に貴い命をささげた香川県出身の
 英霊が祭られているそうです

 狛犬さんの詳細は不明です

金曜日, 1月 25, 2013

狛犬さん 1228

2012.07.10 愛媛県西条市福武甲 加茂神社
  御祭神は 鴨別雷神 健角見命 玉依毘賣命
御由緒
     創立年代未詳 
    古くより福武村の氏神として尊崇され
    明治9年(1876)村社に列格
     創立年代不詳なれど「愛媛県新居郡誌」によれば
    当社は46代孝謙天皇の御代に勧請され
    安政3年(1856)に1100年祭を斎行した旨の
    記録がある
     大化の改新の条里制により 当地域は
    神野郡加茂郷と制定されたころから
    郡司賀茂氏の本拠地であった(加茂郷の中心は
    現福武地区)ため 京都かも神社から勧請し
    賀茂郷氏神として尊崇が厚かった
     また 鎮座地については当初 現在地より
    東の常福寺山中の大杉の辺にあり
    後に現在地に遷し 旧地には当社神主の館が
    あったと伝えられている
   
だそうです
  孝謙天皇の在位は749年 8月から758年9月です

 狛犬さんの台座には 明治 十五年(1882)
                午十二月
                     吉日
        と刻まれていました

  

水曜日, 1月 23, 2013

狛犬さん 1227

2012.11.03 香川県善通寺市善通寺町 赤門前の荒魂神社
 善通寺市は弘法大師の生誕地だそうです
 弘法大師の父佐伯直田公の邸宅跡地に
 このお寺が建立されたそうですが
   寺名の善通は父の諱だそうです

 ちょうど訪れた日は 空海まつりの日
  お宮さんの名前がわからないので
 拝殿で休憩中の方にお尋ねしました
 すると「赤門前の荒魂神社」との答えをいただきました

 善通寺の東門(赤門)のすぐ前にあるお宮さんです
 
 全体のバランスから行くと少し
  頭が大きな感じがする狛犬さんたちです
 
 台座には 大正十四年
        三月吉祥日
     と刻まれていました

月曜日, 1月 21, 2013

狛犬さん 1226

2012.11.03 香川県善通寺市上吉田町 神櫛神社
  御祭神は  神櫛王命
  ご由緒は
  僧空海(弘法大師)が 勧請したそうです
 元上吉田村の産土神
 御祭神は 神櫛王命或は 神櫛王の御子神
  或は武國凝別皇子を祀っているそうです
 慶応4年に発布された神社分離令以前は
 皇子権現社と呼ばれていたそうです
 鳥居の扁額も皇子大権現でした

 狛犬さんの詳細は不明です

















 吽形の足元には子犬さんが寄り添っていました





 

土曜日, 1月 19, 2013

狛犬さん 1225

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 明日八幡神社
  階段の途中にいた狛犬さんたちです
  
 台座には  天保
         八年(1837)
          丁酉
                   八月
                   吉日
   と刻まれていました

木曜日, 1月 17, 2013

狛犬さん 1224

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 明日(アケビ)八幡神社
 御祭神は   品陀和氣命  姫大神  気長足姫命
 ご由緒は
     伊予守頼義公が当国を領地の頃
   宮之浦岩崎に勧請
   岩崎八幡宮と称したが 神託により
   天文10年(1541)正月15日明日邑氏神として
   奉還したと伝えられている
    戦国時代には城主明日兵庫頭の崇敬篤く
   現在最後の棟札には
   正親町天皇元亀3年(1572)壬申11月15日
   御神殿再興とあり
   延宝9年(1681)辛酉中春松山城主松平隠岐守が
   代官厚木弥七郎をして
   神殿を奉造させたことをはじめ
   藩主代々の崇敬を受けた
    明治3年(1870)明日八幡大神社と改称し
   同6年(1873)村社となり
   昭和21年(1946)明日八幡神社と改めた
    境内神社の由来は未詳だが
   荒神社は八幡宮奉還以前の
   明日邑の氏神社であった如く
   地神社と共に明治41年(1908)還座した
   両社は社叢がある
   
だそうです
   
 鳥居をくぐり階段を少し上がったところにいた狛犬さんたちです
 狛犬さんの台座には 大正三年
                八月祥日
    と刻まれていました
             

火曜日, 1月 15, 2013

狛犬さん 1223

2012.08.16 愛媛県今治市片山 片山天満神社
  御祭神は 菅原道真公
  ご由緒は
     仁和4年(888)3月
    菅原道真公が伊予巡視の際に
    当地の天津神に奉幣したことから
    里人が道真を慕って
    一条天皇正暦4年(993)2月に
    国司河野氏の聴許を得て
    京都北野から天満宮の分霊を
    感情奉ったものである
   
だそうです

 鳥居の前にいた狛犬さんたちです
 台座には   天保六年(1835)乙未歳
         九月吉祥日
    
         石工  木村忠右衛門
    と刻まれていました

















 拝殿の彫刻たちです
 この素朴というか シンプルなデザインが気に入りました

日曜日, 1月 13, 2013

狛犬さん 1222

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
 脇門と言うのでしょうか
 境内の北側の鳥居のそばにいた狛犬さんたちです
  青銅製で 吽形の頭に付いているのは
  多分宝珠を表しているのでしょうね
 狛犬さんの詳細はわかりませんが
 かなり新しいもののようです

















 お宮さんの境内を出て ちょうど本殿の裏の方に回ると
 「生樹(いきき)の御門」 があります
 これも樹齢3,000年と言われる大楠の真中が洞になっていて
 奥ノ院への参拝通路となっています
 説明版によりますと
天然記念物
         昭和二十六年十一月二十七日
         愛 媛 県 指 定

       生樹の御門
    大山祇神社奥の院(元神宮寺)の
    南方三十メートルにある。
    樹齢三千年の老楠、根廻り三十一
    メートルに及ぶ、真中が自然の洞
    をなし、奥の院参拝の通路となるので
    生樹の御門と言われている。
だそうです
 大山祇神社へお越しの際は是非潜ってください
 楽しいですよ

金曜日, 1月 11, 2013

狛犬さん 1221

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
 神門前にいた狛犬さんたちです
 
 台座には  丙文化十三年(1816)
        子 四月吉日
                    石工 尾道 塚(?)?和助 作
    と刻まれていました

















 神門の手前に長屋の様な建物があります
 説明版によりますと
県文
   十七神社
       室町時代
    長棟造りで平安様式が残され
    ており、当大山祇神社は伊予
    国一の宮でありますのでここ
    に国中の神々を祀った建物で
    す。特に内陣には木彫の御神
    像(いずれも重要文化財指定)
    が安置されております 

          だそうです

水曜日, 1月 09, 2013

狛犬さん 1220

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社宇迦神社
 楼門をくぐって 少し先の左手に 
  大きな楠が見えてきます
 その奥に鎮座するのは宇迦神社
 御祭神は 宇賀神
  この神様も一言では説明が難しい神様です
  宇迦之御魂神(お稲荷さん)に由来するらしいです
  この神様の姿は 人頭蛇身で
  頭部は老翁だとか女性だとか 一様ではないそうです
  後に仏教との習合が行われ ますます複雑になっています
  仏教では 弁才天と合体しているとか 
 
 御本殿は神池の中に立っています
 
 拝殿の前にいた狛犬さんたちです
  台座には 明治丗七年(1904)
         三月吉日
       と刻まれていました
   
   日本帝国陸海軍為軍人 の文字は
 軍神の性格がよく出ているように見えました

  















 宇迦神社の前の大楠です
 説明版によりますと
能因法師 雨乞の楠    日本最古の楠(樹齢三,〇〇〇年)
   で後冷泉天皇の御代(九〇〇年前)
   伊予国守藤原範国は能因法師を
   使者として祈雨の為参拝させた
   其の時
   「天の川苗代水にせきくだせ
     天降ります神ならば神」と
   詠じ幣帛に書付け祈請したところ
   伊予国中に三日三晩雨が降った
   (金葉和歌集)と伝えられている
 
だそうです

  能因法師は平安中期の僧侶で
  小倉百人一首の
   「嵐吹く 三室の山の もみじ葉は 
      龍田の川の錦なりけり」
  で有名ですよね

月曜日, 1月 07, 2013

狛犬さん 1219

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
  新しく再建された楼門の前にいた狛犬さんたちです
 楼門再建は何時なのか調べたのですが
 多分平成22年のようです
 愛媛県神社庁によりますと 688年振りの再建だそうです
 688年前は元亨二年(1322)
 後醍醐天皇が即位し 鎌倉幕府打倒を計画していたころです

 狛犬さんの台座には 昭和十五年(1940)十一月奉献
                尾道 宮永延年 刻
     と刻まれています

 
















 境内には 樟の巨木がたくさんあります
 神門前の「小千命御手植えの楠」
  幹周り 11m 樹高 15,6m
 樹齢はなんと 2600年 だそうです

 小千命は 御祭神大山積神の子孫だそうです
 そして 伊予国を支配した河野氏(越智氏)一族の
  遠い祖先にあたるそうです

 

土曜日, 1月 05, 2013

狛犬さん 1218

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
 御祭神は 大山積神
  オオヤマツミの名前からわかる様に 山の神様です
  しかし 海の神様でもあるようです
  瀬戸内海に浮かぶ大三島(三島は御島とも言うそうです)に
  祀られたせいかもしれませんね
  そこで活躍した水軍に 信仰されたこともあり
  軍の神でもあるようです
  今でも自衛隊の参拝があるようです
 
 ご由緒については
 
 瀬戸内海のほぼ中央 芸予諸島の中心をなす大三島は
平成11年5月全通した愛媛県今治市と広島県尾道市の間を
10本の橋で結ぶ「せとうち・しまなみ海道」拠点の島であり
瀬戸内海国立公園のなかでも景勝の地として知られる
 大山祇神社は島の西側宮浦に位置し
国指定天然記念物楠群に覆われた境内に鎮座している
「三島宮御鎮座本縁」によれば、
はじめ島の東側にあたる瀬戸にまつられたが
のち現在の大三島町宮浦字榊山一番耕地に
大宝元年(701)から霊亀二年(725)まで首尾十六年をかけて大造営をなし
養老三年(719)四月二十日正遷座が行われたと記されている
天孫瓊々杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父にあたる大山積神は
皇室第一の外戚として日本の建国に大功をあらわし
全国津々浦々にその分社が祀られている 
大正4年(1915)11月10日、四国唯一の国幣大社に昇格するのも
右の由緒によるものである。
古来日本総鎮守として尊称せられ三蹟の一人藤原佐理が
日本総鎮守大山積大明神と揮毫奉納した神額は、
国の重要文化財に指定され大切に保存されている
 伊予風土記に「御島(みしま)に坐す
神の名は大山積・・・」と見える当社は
延喜式神名帳にも大山積神社と記されるが
土地の人々は三島明神、または大三島さんと呼んで崇め
記録にも残されている。古事記に「山ノ神、名は大山津見神」とあり
日本書紀には「山の神等を山祗と号す」と
そして伊予風土記に「大山積の神 一名を和多志の大神」とあって
山神である一方海神・渡航神としての神徳を兼備
鉱山・林業は無論のこと農業神として
さらに瀬戸内海を航海する人々の悠久の歴史にあって
篤い信仰を集めてきた悠久の歴史にあって
75代崇徳院に雷神と高龗神が増祀されたことがあるが
やがて康治元年(1142)8月下津社が 
久安3年(1147)6月上津社が創建されると
上津社に雷神が下津社に高龗神が遷されて本社は大山積神一座の元姿になる
尚、これ以降本社・上津社・下津社の三社をもって
汎く大山積神社と崇めまつる信仰となり今日に及んでいる
 現今 官国幣社の制は廃せられたが
全国10,326社の大山積神をまつる総本社として
日本一の甲冑・刀剣を所蔵する神社として 
四季を通じ多数の崇敬者、拝観者が訪れる
 なお当社ではご祭神名「大山積神」
神社名「大山祇神社」として積と祇を書き分けている
だそうです
 
 大山積の神は百済から渡来し 摂津国三島江に鎮座
 後に 伊予国に勧請されたらしいです
 他に 伊豆国の三嶋大社から分霊を招いたとも 言われるそうです

 平安時代の延喜式神名帳に記載された 古いお宮さんです

 鳥居のそばにいた狛犬さんです
  台座には 文政六年(1823)
        癸未歳
        六月吉日
    と刻まれていました 


 

 

木曜日, 1月 03, 2013

狛犬さん 1217

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 家神様
 食べ物屋さんだったと思いますが
 とあるお店の 片隅に鎮座していた 小さな祠です

 狛犬さんの詳細は不明ですが
  最近のものですね

火曜日, 1月 01, 2013

狛犬さん 1216

2012.08.16 愛媛県今治市矢田 三島神社
   
神亀5年(728)8月23日 国司伊予守越智玉純奉行となり
  大三島大山祇神社から勧請し 英多郷一宮として鎮祭せられた

 そうですが 神亀5年は今から 
      今年の8月で 1285 年前になります

 台座に 明治廿九年(1896) 申九月吉日
      今治石工 在間芳?
           と刻まれていました