2012.03.21 愛媛県宇和島市丸の内 南豫護国神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
この狛犬さんの台座に こんな人の名前がありました
「渋澤榮一」
この人は幕末から大正にかけて活躍しました
第一国立銀行や東京証券取引所等の
設立、経営に関った日本資本主義の父と
呼ばれている人です
ただ この人は武蔵国(現埼玉県)出身
愛媛県宇和島市とのつながりがわかりません
ただ 長女の結婚相手が 日本初の法学博士の一人で
東京帝国大学法学部長の穂積陳重でした
そんな関係で 狛犬さんの台座に
澁澤榮一の名前が出てきたのでしょうね
狛犬さんの台座には
大正三年(1914)四月十五日
男爵 澁澤榮一
と刻まれていました
火曜日, 4月 17, 2012
月曜日, 4月 16, 2012
狛犬さん 1169
2012.03.14 愛媛県松山市饒(にょう) 天満神社
御祭神は 菅原道真公
由緒
旧村社 饒字本郷鎮座
菅原道真 伊弉諾尊 伊弉冉尊
須佐之男命 応神天皇 市杵島姫命を祭る
創建は不詳であるが 平安末期の勧請と
伝えられる
天正13(1585)歳7月小早川氏の侵入にあい
荒廃していたのを同年の末に
柳原左馬之丞が 饒村を預かった際
再興したと伝えられる
江戸時代喜田・豊田ら有志によって
社殿の改築を行った
昭和18年(1943)1月火災の為全焼した
翌19年戦時中の物資不足にもかかわらず
喜田治、得能嘉一郎、中富重昌らをはじめ
氏子一同の協力によって 再建されたのが
現在の社殿である
そうです
狛犬さんの台座には
明治丗五年(1902)
九月吉日
と刻まれていました
御祭神は 菅原道真公
由緒
旧村社 饒字本郷鎮座
菅原道真 伊弉諾尊 伊弉冉尊
須佐之男命 応神天皇 市杵島姫命を祭る
創建は不詳であるが 平安末期の勧請と
伝えられる
天正13(1585)歳7月小早川氏の侵入にあい
荒廃していたのを同年の末に
柳原左馬之丞が 饒村を預かった際
再興したと伝えられる
江戸時代喜田・豊田ら有志によって
社殿の改築を行った
昭和18年(1943)1月火災の為全焼した
翌19年戦時中の物資不足にもかかわらず
喜田治、得能嘉一郎、中富重昌らをはじめ
氏子一同の協力によって 再建されたのが
現在の社殿である
そうです
狛犬さんの台座には
明治丗五年(1902)
九月吉日
と刻まれていました
土曜日, 4月 14, 2012
木曜日, 4月 12, 2012
狛犬さん 1167
2012.03.14 愛媛県松山市中島大浦 忽那八幡宮
主祭神 稲田姫命 他四神
稲田姫命は奇稲田姫命とか櫛稲田姫命と
書かれることのある素盞鳴命の妻で
稲田の神様だそうです
八幡宮の名前からすると
応神天皇(誉田別命)も 祭祀されているのでしょうか
鳥居をくぐった所にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗九年
八月中旬
石工 当村
高??吉 と刻まれていました
このお宮さんの社叢は 暖地植物と山地植物が
約300種繁茂し 原始の林相を示しているそうです
この樟の前に
「楠の木千年
1087(慶徳四年丁卯の春)
鎮守の守り」
と書かれた説明板がありました
樟のサイズがわかるかと思い 自転車を前に置いてみたのですが
少しは大きさがわかりますでしょうか
主祭神 稲田姫命 他四神
稲田姫命は奇稲田姫命とか櫛稲田姫命と
書かれることのある素盞鳴命の妻で
稲田の神様だそうです
八幡宮の名前からすると
応神天皇(誉田別命)も 祭祀されているのでしょうか
遠く上代の昔 吾が祖族 万里浪を踏みて海を渡り この忽那の島に至り住みて 相慕ひ その妣の神 稲田姫命を祀り 常世の郷と定め給ひき 茲に藤原の長者 奈良平安の御代に及び 八幡大神の神託を畏み この島を開拓き 氏神と斎き祀りて 明光霊徳七島に亘り 祖孫相励みて 至誠南朝に薫り 色変えぬ巨松 連なりて栄光を語る 夫れ 天に神あり 地に霊あり 神霊鎮まりて 祖霊相寄るの聖地 千古斧入らしめぬ杜茂り 子孫永く相享けて 願はしき常世の郷はときじくの橘の花の香ぐはしき美し島と栄えて 恩頼ここに神にと共にありぬだそうですが 結局由緒はよくわかりません
鳥居をくぐった所にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗九年
八月中旬
石工 当村
高??吉 と刻まれていました
このお宮さんの社叢は 暖地植物と山地植物が
約300種繁茂し 原始の林相を示しているそうです
この樟の前に
「楠の木千年
1087(慶徳四年丁卯の春)
鎮守の守り」
と書かれた説明板がありました
樟のサイズがわかるかと思い 自転車を前に置いてみたのですが
少しは大きさがわかりますでしょうか
火曜日, 4月 10, 2012
日曜日, 4月 08, 2012
狛犬さん 1165
2012.03.14 愛媛県松山市中島粟井 桑名神社
由緒を調べて見ますと
鳥居の前にいた狛犬さん達です
狛犬さんの台座には 嘉永三年(1850)庚戌
八月 吉日建之
と刻まれていました
由緒を調べて見ますと
桑名神社は旧村社で 粟井馬頭山鎮座 市杵島姫命 保食神を祀り 大祭は10月17日である 境内に末社鷺の社がある 社伝によると 歌崎の網浦 古くから祀られていた来名戸神(交通神)のところへ 延暦23年(804年)厳島宮から市杵島姫命を 勧請したのが始まりとされている 社殿は 南北朝時代や天正13年(1585年)の兵乱など 幾度も焼失したとみえ 寿永2年(1183年)元禄12年 (1699年)文政4年(1821年)などの再建・改築時の 棟札が残されている 本殿は 慶応元年(1865年)8月 庄屋・粟原幸右衛門が 大願主となり 氏子全員が協力して再建したものである 総ケヤキ造りの彫刻は 喜多郡新谷(現大洲市)の亀太郎という 彫刻師と 大浦村大工の長七の合作であるが 彫刻師亀太郎とは 武智亀太郎 南梅本町にある松山市指定「日吉神社本殿」の 建築にも携わっている その総籠彫りは神社彫刻としては 愛媛県下随一のものといわれているだそうです
鳥居の前にいた狛犬さん達です
狛犬さんの台座には 嘉永三年(1850)庚戌
八月 吉日建之
と刻まれていました
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