2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社内春日会館
お社の前にいた狛犬さんではありませんが
以前はどこかのお社を守っていた狛犬さんたちでしょうね
現在では 社務所を兼ねている集会場の
前に引っ越しをさせられた狛犬さんたちです
徳島タイプのデザインですね
月曜日, 6月 27, 2011
日曜日, 6月 26, 2011
狛犬さん 1085
2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社内豊玉比賣神社
境内の説明版によりますと
「靈」という字は 原文ではこの下に「女」が
ついているのですが 探しても見つけられませんでした
「孁」という字もあります
靈と孁を足して2で割ったような字です
日靈命は オオヒルメ(天照大神)の事でしょうか
豊日靈命は 不明です
調べているときに 蘇我系には「豊」が付くとか
書いてありました
「豊日」は大伴系につくとか
結局わかりませんでした
狛犬さんの詳細については不明です
境内の説明版によりますと
豊玉比賣神社の御祭神はだそうです
天石門別豊玉比賣(アマノイワトワケトヨタマヒメ)であります
此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの
頁を費やし、種々の寓話を述べられている
大女王です。それにまた神武天皇の出生に
連る山彦、海彦をも記しています。わが国
天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を
無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・脇町)の
住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと
称され、発言を封じられていた阿波国ですが
事実の前にはさからえなかったのでしょう。
醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、
日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。
日靈命(オオヒルメノミコト)と同様、天石門別豊玉比賣が
豊日靈命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比賣神社が
「古事記」海幸彦・山幸彦の物語中に出てくる
籠王宮の宮殿跡を社地として祀られています。
わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王
の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。
はるか太古、神々の物語時代(高天ヶ原時代)から
天石門の外界に現れたの意味で、この神より後人皇の
歴史となっていきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが
日靈命、豊日靈命であることが歴然としています。
「靈」という字は 原文ではこの下に「女」が
ついているのですが 探しても見つけられませんでした
「孁」という字もあります
靈と孁を足して2で割ったような字です
日靈命は オオヒルメ(天照大神)の事でしょうか
豊日靈命は 不明です
調べているときに 蘇我系には「豊」が付くとか
書いてありました
「豊日」は大伴系につくとか
結局わかりませんでした
狛犬さんの詳細については不明です
土曜日, 6月 25, 2011
金曜日, 6月 24, 2011
木曜日, 6月 23, 2011
狛犬さん 1082
2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社
境内の由緒書きによりますと
狛犬さんの台座には 明和六己丑(1769)
正月吉日
石工 大阪炭屋町
五兵?
と刻まれていました
境内の由緒書きによりますと
春日神社御由緒
御祭神 武甕槌命
斎主命
天児屋根命
比賣命
御由緒
眉山の麓、大滝山に鎮り坐す春日神社は
奈良に坐す春日大社の御分社であり、
御祭神も同じ四柱の神々である。
慶長年間藩祖蜂須賀家政公が渭の津に
築城の際名西郡入田の里より神霊を奉遷・
鎮祭し奉ってより徳島城下の総氏神として
歴代藩主を始め上下の崇敬篤く明治初年
(1868)県社に列せられた。
当時の社殿を始め主要建築物は、昭和二十年
(1945)の戦災の為殆ど灰燼に帰したが、
其後本殿は二十六年(1951)十月に、
拝殿は三十四年(1959)十月に
手水舎は六十三年(1988)十月にそれぞれ
再建され今日に至ったものである。
狛犬さんの台座には 明和六己丑(1769)
正月吉日
石工 大阪炭屋町
五兵?
と刻まれていました
土曜日, 6月 11, 2011
火曜日, 6月 07, 2011
月曜日, 6月 06, 2011
日曜日, 6月 05, 2011
土曜日, 6月 04, 2011
狛犬さん 1077
2011.04.26 徳島県徳島市西大工町 三島神社
御祭神は 愛媛県今治市の大三島神社から
勧請された 大山祇神だそうです
鎌倉時代から室町時代にかけて 当神社周辺は
奈良県春日大社の荘園(富田庄)で
この荘園の地頭に任命された伊予国の武士
河野通久が、自ら信仰していた大山祇神社(三島大明神)を
徳島でも祭ったのが始まりとされるそうです
鳥居をくぐり 階段を十数段上がった所にいた
狛犬さんたちです
狛犬さんのすぐ後ろにこんな説明板がありました
承久三年生まれだとすると
もうすぐ800歳になるのですね
御祭神は 愛媛県今治市の大三島神社から
勧請された 大山祇神だそうです
鎌倉時代から室町時代にかけて 当神社周辺は
奈良県春日大社の荘園(富田庄)で
この荘園の地頭に任命された伊予国の武士
河野通久が、自ら信仰していた大山祇神社(三島大明神)を
徳島でも祭ったのが始まりとされるそうです
鳥居をくぐり 階段を十数段上がった所にいた
狛犬さんたちです
狛犬さんのすぐ後ろにこんな説明板がありました
徳島市指定有形文化財
三島神社の狛犬
鎌倉時代承久三年(一、二二一)
伊予の河野通久が富田庄の地頭に任じられたとき、
伊予の大三島神社の神霊を建立した。そのとき
狛犬を造立せられたものと伝えられている。
材質は砂岩で出来ており全長一メートル、
製作当時は優美な彫刻であった事が
うかがわれる。
徳島市教育委員会
新町の文化財だそうです
長さ 100.6cm
高さ 85.5cm
頭髪 15の線あり
河野通久が富田庄の地頭に任じられたとき
伊予の大三島神社の神霊を迎え建立した。
狛犬はその当時のものと伝えられる。
前足を折り頭を下げ後足を立ててまさに
搏撃せんとする勇猛な形想である。
明治二十八年(1885)四月二十七日
重要歴史文化財に指定された。
昭和四十六年(1971)十月一日
新 町 公 民 館
新町文化財保勝会
承久三年生まれだとすると
もうすぐ800歳になるのですね
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