日曜日, 5月 29, 2011

狛犬さん 1076

2011.04.26 徳島県徳島市二軒屋町 忌部神社
 もう一度階段に戻り そのまま上がって行くと
 
忌部神社御由緒
  御祭神 天日鷲命(アメノヒワシノミコト)
   太古天日鷲命は穀麻を植え製紙製麻紡績の
   諸業を創始され、特に天照大神が天の岩戸に
   お隠れになった時白幣をつくり、神々と共に
   祈祷られ、天の岩戸開きに大きな功績を
   挙げられた。
   その子孫は忌部と称して国家祭祀の礼典を
   掌どり神武天皇の御代阿波国へ下り
   代々朝廷に麁服御衣(アラタエノミソ)を
   貢上した。斯く天日鷲命を奉斎する。
   徳島県民の祖神を祭り阿波国總鎮守の神社として
   古来朝野の尊崇篤く、後、官幣大社に列せられ
   四国一の宮とも称せられた。
   明治四年(1871)国幣中社に列せられ、
   明治七年(1874)所在地を麻植郡山崎村と
   決定されたが同十四年(1881)美馬郡
   西端山村奉遷祀、更に明治二十年(1887)
   徳島市の現在地に新社殿を奉遷鎮祭し奉る。
   昭和二十年(1945)大東亜戦争の為、
   焼失したが崇敬者の尊い浄財により、本殿は
   昭和二十八年(1953)に、
   拝殿は昭和四十二年(1967)に復興された。
   
       だそうです

 
 狛犬さんの台座には 安政四年(1857)
           午三月吉日
 また 年号があいません
 安政四年は丁巳 午は翌年の安政五年です

土曜日, 5月 28, 2011

狛犬さん 1075

2011.04.26 徳島県徳島市勢見町 金刀比羅神社
 本殿前に居た狛犬さんです
 台座には 昭和三十二年(1957)五月吉日
   と刻まれていました
 
 このタイプの狛犬さんは徳島県内では
 よくみかけるデザインです

金曜日, 5月 27, 2011

狛犬さん 1074

2011.04.26 徳島県徳島市勢見町 金刀比羅神社
 階段の途中を左に曲がって行くと
 金刀比羅神社に出て行きます
 神社の正面から 上がる階段もあり
 その階段の下にも狛犬さんが見えています
 
 この狛犬さんは 正面階段を上がった所に居ました
 台座には 昭和三十七年(1962)五月吉日
  と刻まれていました



















 ここの境内にも タヌキさんがいました
 
お四つ大明神
 お六つ大明神
    勢見の金比羅さんの境内、石段を上りつめた
   左手に鎮座している
    むかしから秋田町の女性によくもてて、
   その方面の信者が今でも多い。おしろいや
   赤提灯、油揚げなどが奉納されているのは
   それを物語っている。
    諸願成就、とくに水商売やうせものに
   祈願すれば霊験あらたかといわれる。
      阿波の狸奉賛会
 看板の後ろには沢山小さな祠が並んでいて
 どれがお四つ大明神・お六つ大明神か
   わかりませんでした
 看板の左手は 皇太神宮のお社です

木曜日, 5月 26, 2011

狛犬さん 1073

2011.04.26 徳島県徳島市勢見町 金刀比羅神社
 お宮さんへの階段を上がって行くと
 途中で左右に道が表れます
 右の方の道に居た狛犬さんたちです
 何かをお祀りしている小さな祠も

 狛犬さんの詳細は不明です

水曜日, 5月 25, 2011

狛犬さん 1072

2011.04.26 徳島県徳島市勢見町 金刀比羅神社
 ご祭神 大物主命
 
 由緒としては
 
  元和2年(1616年)に蜂須賀家政が阿波国に入国後
  徳島城府の鎮府として勝占町から移された
  近隣にある勢見山は 源義経が屋島へ向かうために
  勝浦に上陸し 軍勢を見たことに由来しており 
  本来は勝占神社の鎮座する鉢伏山のことだが
  遷座と供に山名も移ってきた。

  大鳥居は寛政3年(1791年)に築かれ
  大鳥居のしめ縄は徳島県下一である 
   だそうです

 台座の「九年」と言う文字は読み取れましたが
 後の文字は 石の表面がはく離していて
  読み取ることは出来ませんでした


 

 

日曜日, 5月 08, 2011

狛犬さん 1071

2011・04.26 徳島県徳島市伊賀町 國瑞彦神社八幡神社
 八幡神社ですと ご祭神は応神天皇(誉田別命)でしょうね
 
 本殿に上がって行く階段がとても新しいのですが
 その寄附者の名前の中に 村上水軍第二十六代の
 方の名前がありました

 本殿の前に狛犬さんがいました
 詳細は不明です
















 境内の一隅に狸さんたちを祀った祠が
 幾つかありました
 徳島県も金長タヌキを始め タヌキさんの名所ですね
 
 手前から ほうろく大明神 八兵衛大明神 
      六兵衛大明神 大岩大明神です

土曜日, 5月 07, 2011

狛犬さん 1070

徳島県徳島市伊賀町 國瑞彦神社(くにたまひこ)内境内社
 國瑞彦神社の御祭神は藩祖蜂須賀家政公以後の
 歴代藩主と藩士を祀っているそうです

 この境内社は小さな祠で
 残念ながら 何をお祀りしているか
 わかりませんでした

 狛犬さんの詳細も不明です

金曜日, 5月 06, 2011

狛犬さん 1069

2011.03.04 愛媛県松山市柳原 三穂神社
 ご祭神は分からないのですが
 他にも三穂神社があり そのお宮さんの御祭神が
 事代主神となっているので ここもそうでしょうか
 事代主神は恵比須さんと同一視されているので
 海の神様ですよね
 このお宮さんも 海のそばにあります
 
 境内に天満宮もありますが 
 太宰府天満宮の分社だと云うことが
 最近分かり 1991年から合格祈念祭が
  行われるようになったそうです

 狛犬さんの台座には
  明治十九年(1886)
    九月吉祥日と
   刻まれていました

木曜日, 5月 05, 2011

狛犬さん 1068

2011.03.04 愛媛県松山市善応寺 荒魂神社
 本殿の前に居た狛犬さんたちです
 瓦製だと思います
 
 台座に 文久三亥(1863)年
     九月吉日 氏子中
     細工 則内
        栄十良
  と刻まれていました

水曜日, 5月 04, 2011

狛犬さん 1067

2011.03.04 愛媛県松山市善応寺 荒魂神社
 主祭神は 天照大神
    
由緒  創立年代は未詳
   往古より鎮座し 部落の産土神として崇敬が篤い
   明治9年3月村社に列格した
   明治43年5月4日県社高縄神社に合祀
   その後 氏子の熱望により昭和21年9月29日
   高縄神社より分祀創立 
   昭和24年本殿・拝殿を改築された。
     そうです

 この狛犬さんたちは 鳥居をくぐった所にいました
 狛犬さんの台座には
  天保九戊戌(1838)
   八月吉祥日
  今治
   石工
     大村忠右ヱ門
 と刻まれていました
















 このお宮さんには 愛媛県では珍しい
  地神塔がありました

日曜日, 5月 01, 2011

狛犬さん 1066

2011.03.04 愛媛県松山市宮内 高縄神社
 境内の説明板によりますと
  
高縄神社
  昔、越智高縄が高縄山の頂上に城をつくり
  大山積神をとても大切にしていました
  越智益躬が高縄天神森に 神仏の分霊を
  移して祭り、社殿造営しました 
  1136年(保延二年)河野親清が現在地に移して
  高縄三島神社と名前を付けました 
  1870年(明治三年)に高縄神社としました
  神は、大山積神と高龗神と鳴雷神がいます
    平成18年3月
      河野小学校卒業生有志一同建之
   だそうです

 又別の説明板によりますと
  
国史現在社 高縄神社 御由緒
  ご祭神
  大山積神 大山積神を三島大明神と申し上げ、
    社伝に太古天地開闢の時に成りませる
    天神国之常立命、神徳二義に化して
    面足神惶根神と生じ給ひ、高縄山に天降り
    大三島に垂跡して三島大明神と現じ給へりと
    あります。神代史によれば、天孫爾爾藝命
    (皇室の祖)の外戚の父神とあり又、
    須佐能男命(出雲の神々の祖)にとっても
    外戚の祖父神であるとされ最も古い系譜に
    属する高貴の神様です。
  高龗神
  鳴雷神
    高縄山は古来神霊天降る峯として山麓はもと
   より広く齋灘一帯の海上から仰がれた神山であ
   り、かって三島大明神を奉じ瀬戸内水軍を率ゐ
   て天下に雄飛した小千(越智)河野一族は、当
   地風早郡河野郷に発祥しました。
    社伝によれば、河野氏の遠祖小千命九世の孫
   小千躬尺は別名を小千高縄とも称し三島大明神
   の神託により高縄山に居城したといはれ、後六
   世を経て第十五代小千益躬は推古天皇七年(西
   紀五九九年)山頂天神ヶ森に祭壇を新設、三島
   大明神を主座に天神地祇を奉斎して高縄の神と
   尊称しました。すなわち当神社の創建であり
   ます。
    「類聚国史」には当神社を推古天皇勅願社の一に
   数えており「三代実録貞観五年の項には神階授
   与のことが見え、当時より御神威赫然たりしこ
   とが偲ばれます。
   越智氏第二十七代の家督を継いで高縄城主とな
   った河野親清は天神ヶ森の高縄神を奉遷すべく
   御神意を伺ひ、当地を卜定して
   保延二年(西紀一一三六年)三月二十三日鎮祀。
   河野新宮とも河野三島宮とも尊称し、
   社殿に大三島の大山祇神社に擬して壮大な
   結構を営み、祭務を北条小太夫正岡経孝に
   命じ、神官祝部社僧衛待等数十人を擁した
   といわれます。
    爾来、当神社は河野氏の産土神として格別に
   崇敬され親清の子通清から末孫通直まで神
   領安堵神田寄進累代に亘り御社領は荘厳を
   きはめたものであります。
    戦国時代河野氏は滅亡して当神社の神領
   神田ことごとく没収され、さらに慶長五年
   (西紀一六〇〇年)九月二十日夜兵火に罹っ
   て社殿神宝古文書等すべて焼失しました。
    徳川時代半ばになって当神社はようやく
   復興の緒につき文化三年御社号を復古して高縄
   神社と改め、同四年河野一郷の鎮守として
   郷社に列格同二十八年には県社に昇格しま
   した。現在は神社本庁傘下の宗教法人と
   して深縁深き河野地区の氏子によって護持
   されています。
     平成十七年十一月吉日
      だそうです

 参道に居た狛犬さんです
 狛犬さんの台座には
  天保九(1838)戊戌
    八月吉祥日
  今治 石工
    大村忠右ヱ門
 と刻まれていました


















 境内の稲荷社に居た狐さんたちです
 台座に 弘化三午年(1846)
     十二月吉日
   と刻まれていました