2008.03.29 兵庫県姫路市網干区高田 高田武大神社
狛犬さんの台座に 大正一五年 四月吉辰 と刻まれています
このお宮さんの創建が 大正一五年なので 狛犬さんたちは最初からいるのですね
ここの御祭神は 素戔鳴尊(牛頭天王)で 荒神さんと呼ばれているそうです
月曜日, 4月 28, 2008
土曜日, 4月 26, 2008
狛犬さん 453
金曜日, 4月 25, 2008
狛犬さん 452
2008.03.29 兵庫県姫路市網干区宮内 魚吸八幡神社
このお宮さんも 神宮皇后にゆかりのあるところです
御祭神は
神宮皇后(応神天皇の母親)・応神天皇(十五代天皇)・玉依姫命(神武天皇の母親)
神宮皇后摂政三年 西海より御還幸の際 宇須伎津の湊に泊められ 御宣託により
此処に淨地を開き 小社を造り玉依姫命を奉祀し 敷島宮と号した
これが 起源だそうです
「魚吸」の由来は播磨風土記には「宇須伎津」と書かれていて
本来この地方は 海べりの砂堆積地であったようです
神宮皇后伝説と交わり 魚が群れをなして砂を吹き寄せて 土地が出来たと
言い伝えられているそうですが これは神話的表現で 本当は沢山の人々が集まり
海を埋めて開いたと 解釈すべきでしょうね
「網干」という地名も 当社祭礼時 漁民が一斉に休漁し 網を干したことから
名づけられたそうです
天正四年(1576)兵火に遭い焼失してしまいましたが 正保二年(1645)に
氏子たちが協力し 再建させたそうです
このお宮さんも 神宮皇后にゆかりのあるところです
御祭神は
神宮皇后(応神天皇の母親)・応神天皇(十五代天皇)・玉依姫命(神武天皇の母親)
神宮皇后摂政三年 西海より御還幸の際 宇須伎津の湊に泊められ 御宣託により
此処に淨地を開き 小社を造り玉依姫命を奉祀し 敷島宮と号した
これが 起源だそうです
「魚吸」の由来は播磨風土記には「宇須伎津」と書かれていて
本来この地方は 海べりの砂堆積地であったようです
神宮皇后伝説と交わり 魚が群れをなして砂を吹き寄せて 土地が出来たと
言い伝えられているそうですが これは神話的表現で 本当は沢山の人々が集まり
海を埋めて開いたと 解釈すべきでしょうね
「網干」という地名も 当社祭礼時 漁民が一斉に休漁し 網を干したことから
名づけられたそうです
天正四年(1576)兵火に遭い焼失してしまいましたが 正保二年(1645)に
氏子たちが協力し 再建させたそうです
木曜日, 4月 24, 2008
水曜日, 4月 23, 2008
水曜日, 4月 16, 2008
狛犬さん 449
金曜日, 4月 11, 2008
狛犬さん 448
水曜日, 4月 09, 2008
火曜日, 4月 08, 2008
日曜日, 4月 06, 2008
土曜日, 4月 05, 2008
金曜日, 4月 04, 2008
狛犬さん 443
2008.02.23 徳島県那賀郡那賀町和食 蛭子神社
こんなことが 書いてありました
写真がちょっとボケてるので 間違っているところがあるかもしれません
入り口にある盥漱に 延享三(1746)丙歳 寅正月吉良日と刻まれていました
この狛犬さんたちをモデルにして 入り口にある狛犬さんを 作ったようです
残念ながら こちらの狛犬さんの制作年代は 判りませんでした
阿形の方は 顔が崩れてしまっています
こんなことが 書いてありました
中門改築の砌り 平成二年六、七月四十日間に
両御神像を大改修し 彩色亦新たにす
東側御神像の首頭部は 再び掘り直す
工人は阿井出身 現在羽浦町の仏師 石本朋隆(石本恭三)なり
当初制作年代は享保~寛永期(二五〇~三〇〇年前)の作と朋隆師推測す
前回の修理は明治三十一年参月拾五日 細人 奥井伊太郎
周旋人 小原竹蔵 櫻木善九郎
世話人氏子中 文久二成四月吉日 石工 持井 悦エ門
古毛 利エ門
奉寄進東山屋三右エ門 とあり
東山屋三右エ門は松浦佐喜蔵であり 松浦章裕の四代前の祖である
平成二庚午年八月十日 宮司識す
写真がちょっとボケてるので 間違っているところがあるかもしれません
入り口にある盥漱に 延享三(1746)丙歳 寅正月吉良日と刻まれていました
この狛犬さんたちをモデルにして 入り口にある狛犬さんを 作ったようです
残念ながら こちらの狛犬さんの制作年代は 判りませんでした
阿形の方は 顔が崩れてしまっています
木曜日, 4月 03, 2008
水曜日, 4月 02, 2008
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