2013.03.14 鳥取県鳥取市南町 品治神社
本殿の玉垣の中に居ました
台座に 岡崎市
石工
今井新太郎
と刻まれていました
金曜日, 7月 05, 2013
木曜日, 6月 27, 2013
火曜日, 6月 25, 2013
日曜日, 6月 23, 2013
金曜日, 6月 21, 2013
木曜日, 5月 09, 2013
狛犬さん 1262
2013.鳥取県鳥取宮長 宮長神社
境内の説明板によりますと
そうです
拝殿の前にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗七年(1904)旧二月
と刻まれていました
本殿前にも 狛犬さんがいましたが
あまりの写りの悪さに アップを断念しました
境内の説明板によりますと
宮長神社
一 鎮座地
鳥取市宮長一八八番地(旧・鳥取縣因幡国岩美郡
美保村大字宮長字宮ノ後一八八番地
一 祭神
天鈿女命(あめのうづめのみこと)・合祭保食神(うけもちのかみ)
一 由緒
創立年代は詳かでないが、郷庄保記に宮長の名を
載せてあるから、神社の存在も八〇〇年以前である
ことを窺うに足る。古伝に、景行天皇の朝、武内宿禰
因幡国を巡視するや、未だ村里尠く僅かに河辺に
一少村ありて白衣の老人在り。天鈿女命の裔胤と
称して宿禰に曰く「吾が為に祖宗の祠廟を建てよ」と。
宿禰社を築き奉斎せるに始まるという。
其後、神功皇后新羅より凱旋せられ、因幡国北浜
に着せらるるや、本社に報賽せられ神託により社領
を附し、宮長の号を奉られたと伝う。
寛政七年(1795)同十二月持宮相改帳に公家大明神と見え、
宮長・的場・大覚寺・西大路四ヶ村の氏神として、
社領五斗一升六合を附与せられた。
明治元年(1868)秋、境内末社稲荷大明神(祭神保食神)を
合祀し、同六年宮長神社と称する。境内に、在原行平
が植えたという巨大な老松「行平松」があり、また
名竹播植し祭日にこれで笛を作り吹奏する古式が
あったが、共に、明治初年頃倒れて根絶した。
そうです
拝殿の前にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗七年(1904)旧二月
と刻まれていました
本殿前にも 狛犬さんがいましたが
あまりの写りの悪さに アップを断念しました
火曜日, 5月 07, 2013
狛犬さん 1261
2013.03.14 鳥取県鳥取市吉成 古市神社
球をおさえた阿形を撮り忘れてきました
ご祭神は 経津主命、武甕槌命
境内の石碑に依りますと
だそうです
神社の片隅に 狛犬さんの台座だけが残っていました
台座には明治三拾八(1905)
年 拾貮月
石工 稲村義治
と刻まれています
平成21年(2009)に訪問された方のブログには
古い狛犬さんたちの写真が残っています
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/tottori/tottorisi/furuichi/furuichi.html
球をおさえた阿形を撮り忘れてきました
ご祭神は 経津主命、武甕槌命
境内の石碑に依りますと
遷宮記念碑
昭和五拾四年(1979)十月十八日十九日の台風
二十号による大路川の浸水被害は甚大
なるものがあり、加えて津ノ井地区の
都市開発による上流に雨水流水量の急
増に伴い大路川の改修工事が施行され、
旧神社が全面移転となり、この地古市
六百五拾番地に遷座される。
平成八年(1996)三月吉日
だそうです
神社の片隅に 狛犬さんの台座だけが残っていました
台座には明治三拾八(1905)
年 拾貮月
石工 稲村義治
と刻まれています
平成21年(2009)に訪問された方のブログには
古い狛犬さんたちの写真が残っています
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/tottori/tottorisi/furuichi/furuichi.html
日曜日, 5月 05, 2013
金曜日, 5月 03, 2013
水曜日, 5月 01, 2013
月曜日, 4月 29, 2013
土曜日, 4月 27, 2013
木曜日, 4月 25, 2013
狛犬さん 1255
2013.01.22 愛媛県伊予市上吾川 伊豫岡八幡宮
このお宮さんは 史跡 伊予岡古墳に囲まれたところに
鎮座しています
古墳は1400~1500年前と推定されているそうです
お宮さんの境内にも 古墳と思えるところがありました
御祭神は 誉田別命 足仲彦命 息長足姫命
ご由緒は
鳥居をくぐると すぐに立派な楼門があります
その楼門にいた狛犬さんたちです
木製の狛犬さんですが詳細は不明です
吽形には 大きな角があります
このお宮さんは 史跡 伊予岡古墳に囲まれたところに
鎮座しています
古墳は1400~1500年前と推定されているそうです
お宮さんの境内にも 古墳と思えるところがありました
御祭神は 誉田別命 足仲彦命 息長足姫命
ご由緒は
清和天皇貞観元年(859)8月だそうです
豊前宇佐八幡宮を山城国男山八幡宮へ勧請の節
当地に泊船して不思議な霊験があり
畏みて宮殿を建立して奉斎したという
旧大洲藩主の祈祷所でもあった
鳥居をくぐると すぐに立派な楼門があります
その楼門にいた狛犬さんたちです
木製の狛犬さんですが詳細は不明です
吽形には 大きな角があります
火曜日, 4月 23, 2013
日曜日, 4月 21, 2013
金曜日, 3月 29, 2013
狛犬さん 1252
2012.12.21 相生市相生 蛭子神社
境内の石碑に依りますと
だそうです
狛犬さんの台座には
昭和 六十二年三月吉日奉献
と刻まれていました
狛犬さんの目には 何か金属が嵌っています
錆具合から 鉄でしょうか
拝殿の中に 瓦製の素敵な狛犬さんがいました
境内の石碑に依りますと
蛭子神社由緒
蛭子神社 祭神 蛭子命
境内社
住吉神社 祭神 三筒男之命
海神社 祭神 表津少童命
中津少童命
底津少童命
人皇百十二代ノ帝 霊元天皇ノ御宇寛文
五乙巳年六月当浦浜辺ニ蛭子社ヲ建立シ畢
(二十一代海老名家次譜)
安永丙申春二月 西宮ヨリ蛭子ヲ蒙コトヲ
免許サレ勧請シ畢
(本家海老名芳次譜)
だそうです
狛犬さんの台座には
昭和 六十二年三月吉日奉献
と刻まれていました
狛犬さんの目には 何か金属が嵌っています
錆具合から 鉄でしょうか
拝殿の中に 瓦製の素敵な狛犬さんがいました
水曜日, 3月 27, 2013
月曜日, 3月 25, 2013
土曜日, 3月 23, 2013
狛犬さん 1249
2012.12.21 相生市川原町 大将軍神社
境内で男の方たちが なにか してらっしゃいました
大石神社の御祭りの準備のようでした
大石神社は大石内蔵助を お祀りしているのでしょうか
訪問した21日は 討ち入り直前ですよね
境内の石碑に依りますと
狛犬さんの台座には
昭和拾二(1937)年四月建立
石工 六??保一
と刻まれていました
境内で男の方たちが なにか してらっしゃいました
大石神社の御祭りの準備のようでした
大石神社は大石内蔵助を お祀りしているのでしょうか
訪問した21日は 討ち入り直前ですよね
境内の石碑に依りますと
神社御由緒だそうです
父盛重依有遺言今人皇八十九代亀山院御宇
文永五(1268)戌辰年五月五日相生邨于北山麓建立一社
而源頼義源義家源頼朝崇此三将依号
三大将軍宮畢
播磨國大野庄別名下司職浦分地頭職
相模國下海老名郷地頭職
四代海老名備中介頼保
海老名系譜に依る
相模を生国とする
海老名盛重は
この浦を相生と名付け
頼保はこの地に源家の
三大将軍を祀る
創建後七百年
この社をきずなとして
両市の友好を願う
昭和六十一年十月吉日
狛犬さんの台座には
昭和拾二(1937)年四月建立
石工 六??保一
と刻まれていました
木曜日, 3月 21, 2013
金曜日, 3月 08, 2013
狛犬さん 1247
2012.07.10 愛媛県西条市大町 楢本神社
境内の説明板に依りますと
狛犬さんの台座には
元治元年(1864)
十二月吉日
と刻まれていました
境内の説明板に依りますと
楢本神社のしるべ 御祭神 大国魂神外三柱だそうです
由緒と沿革
西条の名の発祥地、西條荘守護神として
奈良朝以前創祀されたが詳細は天正の
陣の兵火にかかり社殿と共に焼失し
つまびらかならず
社宝
神宝貝正則作 短刀一振
神宝蝮封じ石 二個
境内坪数
五百余坪
境内主要建造物
関行男慰霊塔
大東亜戦争末期 世界最初の公式の人間
爆弾となりし神風特別攻撃隊敷島隊々長
関行男中佐の慰霊碑を建立し 昭和五十
年(1975)三月二十一日 元航空幕僚長・・・
参議院議員により除幕
真鍋嘉一郎誕生の家
東大医学部に物理療法学の講座を開設
し 初代教授となった奇代の大英才
真鍋嘉一郎の生家を昭和五十三年(1978)八月に
復元して記念館とす
大東亜戦争特効記念館
全国各地の同志の奉賛を得て 昭和五十四
年(1979)十月二十五日に建設を終り 開館す
神風特効第一號敷島隊
五軍神祀碑建立
第一番機 海軍中佐 関行男
愛媛県西条市出身 行年二十三才
第二番機 海軍少佐 中野磐雄
福島県原町市出身 行年十九才
第三番機 海軍少尉 谷暢夫
京都府舞鶴市出身 行年二十才
第四番機 海軍飛行兵曹長 長峰肇
宮崎県宮崎市出身 行年十九才
第五番機 海軍飛行兵曹長 大黒繁男
愛媛県新居浜市出身 行年二十才
昭和五十六年(1981)十月二十五日 全国の有志
諸賢奉賛により五軍神達が各々搭乗の
零戦に抱いて敵艦に突入の二五〇キロ
爆弾と同型の祀碑を戦闘隊型に建立し
十九才、二十才と云ふ若者達が国家の悠
久繁栄を信じ大和民族の純血を守らんと
せし心情を偲ぶ因(よすが)とせり
日本が世界に誇る神風の
祀碑竝び建つ 四国西条
狛犬さんの台座には
元治元年(1864)
十二月吉日
と刻まれていました
水曜日, 3月 06, 2013
狛犬さん 1246
2012.07.10 愛媛県西条市大町 忠霊塔
忠霊塔に関しては ここに詳しく載っています
台座には
忠霊塔に関しては ここに詳しく載っています
台座には
狛犬像だそうです
昭和43年12月忠霊塔建立に際し
設置された狛犬像はコンクリート造りのため、
永年の経過により風化が進み
原型が失われていたため、・・・・
平成19年10月 西条地区遺族会
木曜日, 2月 28, 2013
火曜日, 2月 26, 2013
狛犬さん 1244
2012.11.04 香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅大神宮内三穂津姫社
説明板に依りますと
だそうです
狛犬さんの台座には 昭和四十八年(1973)十月吉日
制作 竹中製作所
と刻まれていました
絵馬堂と云うのか休憩所と云えばいいのでしょうか
船の写真や絵馬が掲げてあるのですが
何故か 宇宙服姿の人 の人の絵もありました
その建物の木鼻です
動物なのでしょうが 何なのでしょうね
説明板に依りますと
三穂津姫社
本宮御祭神大物主神
の后の神三穂津姫神
をまつる高皇産霊神
の御女。社殿は明治九年(1876)
の建築である
本殿 王子造
拝殿 大社関棟造
だそうです
狛犬さんの台座には 昭和四十八年(1973)十月吉日
制作 竹中製作所
と刻まれていました
絵馬堂と云うのか休憩所と云えばいいのでしょうか
船の写真や絵馬が掲げてあるのですが
何故か 宇宙服姿の人 の人の絵もありました
その建物の木鼻です
動物なのでしょうが 何なのでしょうね
日曜日, 2月 24, 2013
金曜日, 2月 22, 2013
狛犬さん 1242
2012.11.04 香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅大神宮内睦魂神社
本宮の拝殿の中をチェックするのを忘れていました
又 785段の階段を上がって行かなければ
いけないんですね
本殿横の睦魂神社の狛犬さん達です
狛犬さんの詳細については不明です
本宮の拝殿の中をチェックするのを忘れていました
又 785段の階段を上がって行かなければ
いけないんですね
本殿横の睦魂神社の狛犬さん達です
睦魂神社だそうです
祭神 大国魂神
大国主神 少彦名神
大国魂神は大年神の御子
大国主神は大物主神の静
御魂で共に国土経営に盡
された神さまである少彦名神
は神皇産神の御子精悍に
して経営の才に富まれ国土
に降臨の後大国主神を助
けて国土経営に盡され又
医薬の大神さまとして
尊崇されている
社殿 王子造 銅葺
狛犬さんの詳細については不明です
水曜日, 2月 20, 2013
月曜日, 2月 18, 2013
土曜日, 2月 16, 2013
木曜日, 2月 14, 2013
火曜日, 2月 12, 2013
日曜日, 2月 10, 2013
金曜日, 2月 08, 2013
狛犬さん 1235
2012.11.04 香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅大神宮
こんぴら犬の像の傍にある青銅の鳥居の前にいた
狛犬さん達です
台座には 昭和五十八年(1983)二月六日
と刻まれていました
足元に踏みしめているのは 珠ではなくて
蹴鞠の様に思えます
鳥居の先の階段を上がらず
左の方に進むと神馬がいます
黒い馬 (毛色 黒鹿毛)は
香川県仲多度郡琴平町八九二-一(金刀比羅宮)
サラブレット
(父 G 1優勝馬 ホリスキー 母 トウカイ・ジュノー)
トウカイ・スタント号 二十歳(推定 人間年齢八十歳)
白い馬 (毛色 月毛)は
北海道帯広産 和種(道産子)
月琴号 七歳
こんぴら犬の像の傍にある青銅の鳥居の前にいた
狛犬さん達です
台座には 昭和五十八年(1983)二月六日
と刻まれていました
足元に踏みしめているのは 珠ではなくて
蹴鞠の様に思えます
鳥居の先の階段を上がらず
左の方に進むと神馬がいます
黒い馬 (毛色 黒鹿毛)は
香川県仲多度郡琴平町八九二-一(金刀比羅宮)
サラブレット
(父 G 1優勝馬 ホリスキー 母 トウカイ・ジュノー)
トウカイ・スタント号 二十歳(推定 人間年齢八十歳)
白い馬 (毛色 月毛)は
北海道帯広産 和種(道産子)
月琴号 七歳
水曜日, 2月 06, 2013
狛犬さん 1234
2012.11.04 香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅大神宮
大門をくぐると そこからは神域となるようです
神域で商売する事を許された五人百姓の
店が並んでいます
五人百姓は 古くから金毘羅大権現の神事に
協力して経済的な援助を惜しまなかったので
大門から内側での営業を許されたそうです
五人百姓の後ろの石垣の上にいた狛犬さん達です
台座に 〒時 明和三(1766) 丙戌
鋳物師
鈴木播磨
写しにくいところだったので
下の方が写ってなくて 鋳物師の名前が
途中で切れています
吽形の頭には 宝珠
阿形の頭には二股に分れた角が ついています
横道にそれたところに立っていた
青銅製灯篭に付いていた狛犬さん達です
大坂 道頓堀二ツ井戸
鋳物師
和田庄兵衛作
大門をくぐると そこからは神域となるようです
神域で商売する事を許された五人百姓の
店が並んでいます
五人百姓は 古くから金毘羅大権現の神事に
協力して経済的な援助を惜しまなかったので
大門から内側での営業を許されたそうです
五人百姓の後ろの石垣の上にいた狛犬さん達です
台座に 〒時 明和三(1766) 丙戌
鋳物師
鈴木播磨
写しにくいところだったので
下の方が写ってなくて 鋳物師の名前が
途中で切れています
吽形の頭には 宝珠
阿形の頭には二股に分れた角が ついています
横道にそれたところに立っていた
青銅製灯篭に付いていた狛犬さん達です
大坂 道頓堀二ツ井戸
鋳物師
和田庄兵衛作
月曜日, 2月 04, 2013
狛犬さん 1233
2012.11.04 香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅大神宮
大門の前にいた狛犬さん達です
享和元年(1801)生まれだそうです
大門の手前の青銅の燈籠です
境内には あちらこちらに大量の青銅灯篭がありました
どれも素晴らしい細工でした
出来ればすべての燈籠を写したかったのですが
あまりの数に諦めてしまいました
改めて 灯篭だけを写しに行きたいものです
説明板に依りますと
灯篭の台座付近に
明治廿八年(1895)三月吉辰
と刻されていました
大門の前にいた狛犬さん達です
享和元年(1801)生まれだそうです
大門の手前の青銅の燈籠です
境内には あちらこちらに大量の青銅灯篭がありました
どれも素晴らしい細工でした
出来ればすべての燈籠を写したかったのですが
あまりの数に諦めてしまいました
改めて 灯篭だけを写しに行きたいものです
説明板に依りますと
重要有形民俗文化財だそうです
青銅大燈籠
当宮へ奉納の青銅燈籠中
最も豪華で山形酒田を始め
刻名の多くの奉献になる
発願主
山形南村郡堀田村 斯波兼松
鋳造
山形 小野田才助
同型のものが山形県山寺に一基
宮城県金華山の黄金山神社に一対
奉献
昭和五十四年国指定
灯篭の台座付近に
明治廿八年(1895)三月吉辰
と刻されていました
土曜日, 2月 02, 2013
狛犬さん 1232
2012.11.04 香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅大神宮
主たる御祭神は 大物主神
相殿に 崇徳天皇が 祀られているそうです
玉藻集(延宝5年<1677年>や讃州府志(延享2年<1745年>などに
それぞれ「この山の鎮座すでに三千年に近づく
とあるそうです
往古は 大物主神を祀り 琴平神社と称していたが
中古本地垂迹説の影響を受け 金毘羅大権現と改称
永万元年(1165)に相殿に 崇徳天皇を合祀する
その後 明治元年(1868 )に神仏混淆が廃止
元の神社に戻り 同年七月に宮号を受け
金刀比羅宮と改称し 現在に至る
だそうです
崇徳天皇は 鳥羽天皇の皇子だが
祖父の白河上皇の子供だとの噂があり
父に疎まれたという話が 有名ですが
保元の乱の後 讃岐に流された
亡くなった後 怨霊になったとされる
小倉百人一首の
瀬を早み 岩にせかるる瀧川の
われても末に あはむとぞ思ふ
で 有名ですね
長い参道の最初に居た狛犬さんです
説明版に依りますと
狛犬さんの後ろ足に
天保十五年(1844)
辰三月吉旦
備前圀伊部村
?細工人
木村桊 (?)蔵長房
同 文?貞康
同 傳吉實近
同 眞平友貞(?)
細工人の名前は 私の勘で読んでみました
間違ってる可能性大です
観光客の皆さんは 階段を上るの一生懸命で
周りをなかなかご覧になれないようですが
この建物は灯明堂です
説明板に依りますと
主たる御祭神は 大物主神
相殿に 崇徳天皇が 祀られているそうです
玉藻集(延宝5年<1677年>や讃州府志(延享2年<1745年>などに
それぞれ「この山の鎮座すでに三千年に近づく
とあるそうです
往古は 大物主神を祀り 琴平神社と称していたが
中古本地垂迹説の影響を受け 金毘羅大権現と改称
永万元年(1165)に相殿に 崇徳天皇を合祀する
その後 明治元年(1868 )に神仏混淆が廃止
元の神社に戻り 同年七月に宮号を受け
金刀比羅宮と改称し 現在に至る
だそうです
崇徳天皇は 鳥羽天皇の皇子だが
祖父の白河上皇の子供だとの噂があり
父に疎まれたという話が 有名ですが
保元の乱の後 讃岐に流された
亡くなった後 怨霊になったとされる
小倉百人一首の
瀬を早み 岩にせかるる瀧川の
われても末に あはむとぞ思ふ
で 有名ですね
長い参道の最初に居た狛犬さんです
説明版に依りますと
重要有形民俗文化財だそうです
備前焼 狛犬 昭和三十四年指定
この付近から大門までの急な坂を
「一の坂」と呼ぶ
備前岡山の「長榮講」により
天保十五年(一八四四)に奉納された
この備前焼の狛犬は
高さ約五尺の大きなもので
備前焼でつくられた狛犬のなかでも
一、二を争う大きさの良作である
この狛犬は備前伊部村の木村長十郎他
六名の細工人によってつくられた
いずれも木村一族の人々で
長十郎は当宮の他 岡山市の高松稲荷の
狛犬にも細工人として名前が残る
狛犬さんの後ろ足に
天保十五年(1844)
辰三月吉旦
備前圀伊部村
?細工人
木村桊 (?)蔵長房
同 文?貞康
同 傳吉實近
同 眞平友貞(?)
細工人の名前は 私の勘で読んでみました
間違ってる可能性大です
観光客の皆さんは 階段を上るの一生懸命で
周りをなかなかご覧になれないようですが
この建物は灯明堂です
説明板に依りますと
昭和四十五年指定だそうです
重要有形民俗文化財
灯明堂と釣灯籠
こんぴら信仰は、庶民の、そして
漁民や船乗りの間にこと篤く、
この灯明堂は安政五年(一八五八年)
に建てられたもので、備後国因之
島浦々講中の寄進になり、芸予
諸島の人びと名とともに、堂内の
扁額に棟梁、大工、鍛冶、木臼、石工、
左官、瓦師などの名が記されて
いる。切妻造、瓦葺、四間一面の
この堂には船の竜骨状の下梁を
用い、いかにも島の大工がたてた
らしい珍しい構造である。
木曜日, 1月 31, 2013
狛犬さん 1231
2012.11.03 香川県仲多度郡琴平町 高灯籠
説明版に依りますと
灯篭の傍にいた狛犬さん達です
台座には 寛政七年(1795)
卯三月日
と刻まれていました
高灯篭です
江戸時代の落書きはわかりませんでした
説明版に依りますと
高灯籠だそうです
金刀比羅宮の名所の一つ
東讃岐の人たちが安政元年(一八五四)
の発願以来 千秋講 萬歳講を
結成 広く寄進を仰ぎ 六年の
歳月をかけ 万延元年(一八六〇)に
完成した 高さ約二〇メートル
でそこから発する光は 丸亀沖の
船に届くよう設計されたといわれる
高い石の基壇の上に木製の灯台が
築かれ 内部は三階建て 壁には
江戸時代の人々の落書きが 今も
尚残っている 木造灯篭としては
日本一高く 庶民は信仰の結晶で
ある
昭和五十四年(一九七九Z)
国指定重要有形民俗文化財
灯篭の傍にいた狛犬さん達です
台座には 寛政七年(1795)
卯三月日
と刻まれていました
高灯篭です
江戸時代の落書きはわかりませんでした
登録:
投稿 (Atom)