境内の説明板によりますと
艮神社御由緒だそうです
御祭神 須佐之男命 伊邪那岐命
沿革 当神社は平安時代、福山が藤原家の
荘園として栄えていた当時(天永年間
西暦一一〇〇年頃)須佐之男命を祀る
「牛頭天王社」として今の木之庄に
建立されており、(牛頭とは須佐之男命の呼称)
建武元年(西暦一三三四年)今の地に
伊邪那岐命を併祠の上、遷座し当時の集落の
中心地吉津、木之庄、本庄、奈良津、千田
各郷一帯の産土神(秋津洲神社)と改称された
旧福山最古の神社であります。
降って、水野勝成公福山築城(元和五年
西暦一六一九年)に際しては城郭の鬼門・
艮の方位(東と北の間)を鎮める守護神
「秋津艮大明神」と称えられ天和三年
(西暦一六八三年)水野勝種公の諸社殿の
寄進を始め、度々造営修復がなされ、
御社頭益々殷盛を極め、明治以後は
現在の御社芽衣「艮神社」となり、北吉津
町を始め三十八カ町約五〇〇〇戸の氏神、
又広く福山地方一円の鬼門守護神、
厄除神として崇敬されております。
鳥居(正徳六年製)のすぐ後ろに居ました
阿吽共に頭に小さな角様のものが付いていました
台座には 嘉永己酉 黄鐘上旬 片山義恭
最後の「片山義恭」は奉納者のお名前でしょうね
「嘉永己酉」は嘉永二年(1849)です
「黄鐘上旬」黄鐘は11月の異称だそうです
即ち 11月上旬の事ですね
しかし「黄鐘」は雅楽に使われる楽器の事で
「こうしょう」とか「おうしき」とか呼び方が
あるようです
0 件のコメント:
コメントを投稿