2009.06.28 愛媛県松山市勝岡町 勝岡神社
この神社では「一体走り」が有名です
10月に行われるお祭りですが
御神輿に付いている鈴を鳴らさないように
静かに走るそうです
残念ながら まだ見に行ったことはありません
境内の石碑によりますと
御祭神は 小千命 別名 孝霊天皇御孫小千御子
應神天皇 別名 品陀和気命
仲哀天皇 別名 帯中日子命
神功皇后 別名 息長帯日賣命
日賣大神 別名 多岐津姫命 多岐理姫命
市杵嶋姫命の三女神
創立
今から壱千五百有余年前應神天皇の御代に
当地を襲った兇賊を小千命がここ白人城に拠って
討ち取り里人の危急を救った為この地を
勝岡と名づけると共に命を敬慕の余り
後に祭神として太山寺字小山の中野山に
社を創り白人の宮と稱し祀っていたが
五百数十年前の永享年間戦火で悉く焼失の
後も霊験あらたかな故命の縁りの城跡戦場の地
勝岡に構想を大にして遷宮と同時に
宇佐八幡を勧請し名を勝岡八幡宮と改稱した
勝岡の象徴馬場の松
遷宮の際社殿境内の整備と共に
長い馬場の両側に数十本の松を植え
これが後に天下に類なき雄大な松並木の
馬場として永く景観の美を誇ると共に
勝岡を象徴して居か大正昭和になり
樹齢尽きて勢い衰え或は幹に空洞を生じ
災害時万一の危険を慮り人命優先の見地から
涙と共に数回に渉って伐り拂い
今では僅かに残る数個の切株に
昔の俤を偲ぶとは洵に断腸の想いである
建碑の趣旨
斯様に貴い祭神を祀った由緒深い当神社の
沿革と当社に代々厚い崇敬の誠を捧げた
先人の偉業を偲びこの碑に刻み
併せて傳統の美風を継承して更に
氏の里の繁栄平和と松並木の再現を
心から期待するものである
昭和四十七年三月吉日 氏子総代一同
狛犬さんの台座には 文久二年(1862)歳在壬戌
六月吉日 と刻まれていました
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