金曜日, 10月 30, 2009

狛犬さん 830

2009.10.15 愛媛県西条市禎瑞 嘉母神社
 御祭神は 倉稲魂命・保食神・和産霊神・竹内立左衛門
 祭神の一人 竹内立左衛門は
 安永7年から足掛け5年 述べ50数万人の人々
 2万両の費用を用い 藩命に依り 禎瑞地域を
 開拓されたそうです 
 このお宮さんは 天明2年(1782)西条藩の
 田園地帯として 開拓された禎瑞地区の産土神として
 祀られたようです
 昭和21年の 南海地震の時には 地盤沈下の為
 冠水し 不作続きとなったそうです
 地図で見ると この辺りは なんとか新田と云う
 地名の付いています
 歩いてみると 広く区切られた農地の広がる
 他の地区の 小さく区切られた農地とは違った
 風景に出合いました
 狛犬さんの台座には 天保十三(1842)寅
              四月吉日  と刻まれていました
 この狛犬さんも 石鎚神社・日尾神社と同じデザインの狛犬さんです
  
 

木曜日, 10月 29, 2009

狛犬さん 829

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 本殿の前に居ます
 台座には 昭和四十四年(1969)九月
    と刻まれていました

 安永八年(1779)につけられた鎖で作られた手摺り
 実際に触ってみると かなり太い鎖です

水曜日, 10月 28, 2009

狛犬さん 828

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内祖霊社
 祖霊社本殿の前に居ます
 台座には 平成元年(1989)五月吉日
   と刻まれていました


 

火曜日, 10月 27, 2009

狛犬さん 827

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内祖霊社
 禊場横の階段を 上がったところにあります
 祭神は石鎚山開山の祖役行者
 別当寺時代の前神寺・横峰寺の主管者 
 明治の神仏分離以降の祀宮・社司・社掌・
 宮司をはじめ神社職員、先達の殉教者の神霊 
   だそうです
 この狛犬さん 以前に出てきています
 662の松山市鷹子町 日尾八幡神社の狛犬さん
 日尾の吽形の頭には 宝珠が乗っていましたが
 こちらの狛犬さんにはありません
 台座には 文化三(1809)丙寅五月吉日
 日尾神社は文化八年ですから 五年違いですね

日曜日, 10月 25, 2009

狛犬さん 826

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内三倍神社
 お宮さんの前にある石板によりますと
 
三倍神社
  祭神 素戔鳴尊 相殿 事代主神 
      伊藤八郎平霊
  三倍神社は慶長年間土佐の国より
  石鎚山山麓西条市中奥大字今宮に勧請す
  産土神として氏子の崇敬を受けしが
  過疎により氏子離散の為に
  氏子等総意を以て合併を決議
  石鎚神社の承認を得て
  昭和五十八年十月九日
  この地に奉遷す
   昭和五十八年十月吉日之建

 過疎に依り離散なんて 悲しいですね
 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)九月吉日
   と刻まれていました

土曜日, 10月 24, 2009

狛犬さん 825

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 途中の駐車場にこんな説明板が
 
霊峰石鎚山総本宮石鎚神社ご案内
  石鎚神社は、関西第一の高峰石鎚山(1982m)を
  神体山として仰ぐ、奥宮頂上社・中宮成就社と
  土小屋遙拝殿・そしてこちらの口之宮本社の総称です
   御祭神は、石鎚毘古命・石鎚大神とも
  申上げ、伊邪那岐命・伊邪那美命の第二番目の
  御子にあたり、諸願成就の神様として
  知られていますが、殊に家内安全・厄除開運・
  病気平癒の神として篤い信仰を受けています。
   石鎚山は、日本七霊山・日本百名山の
  一つに数えられ、今から約1300年の昔
  役小角によって開山され、弘法大師も
  修業したと伝えられる修験道の霊山です。山頂よりは
  天候が良ければ土佐湾・太平洋また、瀬戸内海を
  越えて中国・九州の山々まで遠望でき、
  変化に富んだ風景が四季を通じて楽しめます。
  時には、雲海が眼下に広がり、依るには満天の星空、
  そして朝には素晴らしいご来光と野鳥の囀り、
  正に「神」鎮まる御山です。
   本日ご参拝頂きました本社本殿前の階段には、
  石鎚山に安永8年に掛けられた鉄の鎖を
  手摺りとして取り付け、皆様に御山の霊気に
  触れて戴いて居ります。
   石鎚信仰1300有余年、悠久の時を想いつつ
  どうぞごゆっくりご参拝下さい。

 これも備前焼の狛犬さんですね
 台座には 安政二(1855) 乙卯歳
      五月吉日建之
 吽形の狛犬さんの胴に 木村杢介焼
              貞直
 阿形の狛犬さんの胴に 木村儀三郎
              貞幹(?)焼
  と刻まれていました

水曜日, 10月 21, 2009

狛犬さん 824

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 ここは 石鎚神社・本社
 そのほかに 成就社 土小屋遙拝殿が
 離れて建っています
 石鎚山の頂上にある頂上社を含め四社で
 石鎚神社と総称するそうです
 備前焼の狛犬さん かなり大きいです
 備前地方にも 信者さんが沢山いらして
 その方たち(組と呼ぶようですが)が
 奉納されたものです
 台座には 皇紀二千五百九十四年(1994)六月
      備前焼窯元木村兵次謹陶
  と刻まれていました

 狛犬さんは楼門の前に居ますが
 その楼門の中には こんな方たちが居ます
 お寺で仁王様が 立っているのはよく見かけますが
 このお宮さんでは 天狗さんになっています

火曜日, 10月 20, 2009

狛犬さん 823

2009.10.13 愛媛県伊予郡松前町北黒田 貴布禰神社
 境内の説明板によりますと
 
貴布称神社
  主祭神 大山祇神 別雷神 高龗神 罔象神
  境内社 塞之神社  八衢天神
      惠美須神社 大国主神
      和霊神社  和霊大神(山家清兵衛公頼霊)
      真名井神社 多紀理毘売命 他七座
      一ノ宮神社 上筒男之神 他二座
      金刀比羅神社 大物主神 他一座
   当社は、第三二代崇竣天皇の元年(五八七)
  八月二三日、伊予国司散位小千(越智)宿祢益躬が
  勅を奉じ、越智の三島浦戸宮より
  大山積神をこの地方の一の宮として
  勧請したといわれ、また、和銅五年(七一二)
  八月二三日越智玉純が、浦戸宮より
  諸山積大明神(大山積神の別称)を
  勧請、創立したともいわれている。
  神亀五年(七二八)九月二三日には、
  雷神、高龗神を合祀。更に山城国愛宕より
  貴船神社、罔象女神を勧請 
  ついで宝亀一八年(延暦六年)(七八七)八月二三日には
  三島宮より十六皇子神を勧請。
  弘仁九年(八一八)には国司小千(越智)真勝が
  水田を寄進し、社殿の結構を整え、別当寺を置き
  郡司大領に命じて国司に代り奉幣させ
  社運は隆盛を極めた。
  承平、天慶の乱(九三五~九四一)により
  荒廃したが、元暦元年(一一八四)
  神官高市武者所清儀、本殿を修復。
  文治三年(一一八七)高市太郎光儀、社領を確定し
  社殿を荘厳して社運を回復。元弘元年(一三三一)
  颶風出火、社殿悉く焼失したが、
  貞和五年(一三四九)河野対馬守通治、社領百石寄進
  更に河野通尭、社領百貫を加え、
  神馬飼育料、大豆五〇貫、白銀二千疋を
  毎年奉納。社運再び大いに開いた。
   天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の
  四国平定の戦禍により社殿焼失。
  慶長五年(一六〇〇)正木城主加藤嘉明
  社殿を造営 社領百石寄進。以来領主の崇敬と
  神官の誠意奉仕、住民の尊崇により
  地域の文教、徳育の中心となって
  現代にいたる

    そうです
 狛犬さんの台座には 慶應三年(1867)丁卯九月
  と刻まれていました
 吽形の狛犬さん 後ろ足を上げていますでしょう
 そこで 足の下をよく見てみました

 これが 足の下のアップです
 多分子犬さんが居て 前足かどうかは分かりませんが
 小さな玉に足を掛けていますよね
 それ以外にも 足だと思われる破片が見えますよね
 吽形の狛犬さんは 足元に玉と戯れている子犬が居るので
 足を上げて 避けているのです

月曜日, 10月 19, 2009

狛犬さん 822

2009.10.11 愛媛県今治市菊間町佐方 亀山八幡神社
 駅に降りると 「トントント~ン」 軽やかな
 太鼓の音が 響いてきます
 ちょうど この日は お祭りの日でした
 お陰で ちょっとのんびりした
 でも 楽しいお祭りを見物してまいりました

 狛犬さんの台座には 大正九年(1920)
              八月吉日  と刻まれていました
 本殿の前に 相棒を失くした狛犬さんがいました
 陶製のように見えました
 お祭り風景です
 今治でよく見られる 継獅子です
 三人の場合は 三継獅子(みつぎじし)と呼ばれます
 一番上の男の子は 幼稚園の年長さんか
 小学校一年生くらいの 小さな子どもです
 真中で支えているのは 高校生くらいの男の子
 一番下は 二十歳代とみられる若者です

土曜日, 10月 17, 2009

狛犬さん 821

2009.10.11 愛媛県今治市菊間町種 貴布禰神社
 境内の石碑によりますと
  
菊万庄鎮守社 寛治四年(1090)
   加茂別雷社 貴布禰社 神山(高山)鎮座
  高山(神山)初篭峰 古戦場跡
   正平二十三年(1368) 九月六日十日十九日
   応安元年(1368) 木梨入道軍布陣
  加茂別雷社 貴布禰社 古社之跡
   応安元年九月六日十日十九日合戦ノ時
   木梨入道軍兵士神山ヨリ移ス
  古社ヨリ天授六年(康暦二年)庚申四月留山ニ移ス
    三永九郎通能
  元中四年(1387) 嘉慶元丁卯年 當所ニ移ス三永九郎通能
加茂別雷社応永六巳卯年四月菊万庄
  遍照院境内ニ宮造鎮坐
  遷宮眞恵上人宮僧一之坊
  神主三永十郎左衛門
  社人仲原図書城之上刑部

 この石碑の内容は よく分からないのですが
 正平二十三年は南朝方 応安元年は北朝方の
 年号になります
 いわゆる南北朝の時代の話です
 
 狛犬さんの台座には 萬延二酉(1861)
           正月吉日  と刻まれていました

火曜日, 10月 06, 2009

狛犬さん 820

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
薫的神社の祭神を御紹介していませんでした
祭神  薫的大和尚
禅宗曹洞宗祥鳳山瑞應寺の僧侶
祥鳳は長曾我部元親の母の号
瑞應は元親の父の号
  天正十八年(1590)に元親が両親の菩提を
弔うために建立された寺だそうです
細かな話は略しますが 
藩主が長曾我部家から山内家に代り
二代目藩主山内忠義の戒名がもとで入牢
痛憤した和尚は自ら食を絶ち 舌を噛み切り
亡くなったそうです
その後怪異が生じ 怨霊鎮魂の為
祀られているそうです


























階段の下に隠れるかのように居た狛犬さんたちです

月曜日, 10月 05, 2009

狛犬さん 819

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
この狛犬さんも お百度石の前にいましたが
やはり相棒さんは 居ませんでした























一番右端の狛犬さんです

日曜日, 10月 04, 2009

狛犬さん 818

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
境内を奥のほうに進むと 何かの大きな石碑の前に
お百度石があり その前にいた狛犬さんたちです
どちらも吽形のように見えます
右側の狛犬さんの口には 大きな牙が見えています
















境内にある お百度石達です
いったい何本あるのでしょうね
中には壱万度なんて刻まれたのもありました

土曜日, 10月 03, 2009

狛犬さん 817

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
最初のころの 25~27で 
すでに薫的神社を御紹介しているのですが
再訪した所 境内の様子が一変し
前回見かけなかった狛犬さんたちがいました
以前 御紹介した狛犬さんと
重複していないと思いますが もしそうであっても
気にしないでください
鳥居をくぐると 小さな橋があり
その橋のたもとに 相棒を失くした狛犬さんが二体
詳細は不明です























少し口が開いていて 阿形のようにも見えますが
吽形のような気もします
磨滅や傷みが激しく まるでパグの様な狛犬さんです























こんな風に 並んでいます