境内の説明板によりますと
宮長神社
一 鎮座地
鳥取市宮長一八八番地(旧・鳥取縣因幡国岩美郡
美保村大字宮長字宮ノ後一八八番地
一 祭神
天鈿女命(あめのうづめのみこと)・合祭保食神(うけもちのかみ)
一 由緒
創立年代は詳かでないが、郷庄保記に宮長の名を
載せてあるから、神社の存在も八〇〇年以前である
ことを窺うに足る。古伝に、景行天皇の朝、武内宿禰
因幡国を巡視するや、未だ村里尠く僅かに河辺に
一少村ありて白衣の老人在り。天鈿女命の裔胤と
称して宿禰に曰く「吾が為に祖宗の祠廟を建てよ」と。
宿禰社を築き奉斎せるに始まるという。
其後、神功皇后新羅より凱旋せられ、因幡国北浜
に着せらるるや、本社に報賽せられ神託により社領
を附し、宮長の号を奉られたと伝う。
寛政七年(1795)同十二月持宮相改帳に公家大明神と見え、
宮長・的場・大覚寺・西大路四ヶ村の氏神として、
社領五斗一升六合を附与せられた。
明治元年(1868)秋、境内末社稲荷大明神(祭神保食神)を
合祀し、同六年宮長神社と称する。境内に、在原行平
が植えたという巨大な老松「行平松」があり、また
名竹播植し祭日にこれで笛を作り吹奏する古式が
あったが、共に、明治初年頃倒れて根絶した。
そうです
拝殿の前にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗七年(1904)旧二月
と刻まれていました
本殿前にも 狛犬さんがいましたが
あまりの写りの悪さに アップを断念しました