木曜日, 1月 31, 2013

狛犬さん 1231

2012.11.03 香川県仲多度郡琴平町 高灯籠
 説明版に依りますと
   高灯籠
    金刀比羅宮の名所の一つ
   東讃岐の人たちが安政元年(一八五四)
   の発願以来 千秋講 萬歳講を
   結成 広く寄進を仰ぎ 六年の
   歳月をかけ 万延元年(一八六〇)に
   完成した 高さ約二〇メートル
   でそこから発する光は 丸亀沖の
   船に届くよう設計されたといわれる
    高い石の基壇の上に木製の灯台が
   築かれ 内部は三階建て 壁には
   江戸時代の人々の落書きが 今も
   尚残っている 木造灯篭としては
   日本一高く 庶民は信仰の結晶で
   ある
    昭和五十四年(一九七九Z)
    国指定重要有形民俗文化財
  
だそうです
  
灯篭の傍にいた狛犬さん達です  
台座には 寛政七年(1795)       
        卯三月日   
      と刻まれていました















 高灯篭です
 江戸時代の落書きはわかりませんでした

火曜日, 1月 29, 2013

狛犬さん 1230

2012.11.03 香川県仲多度郡琴平町 JR琴平駅前
 琴平駅を出るとすぐ 灯篭が立ち並び
 金刀比羅大神宮の参道の様に見えます
 そこで 金刀比羅大神宮の狛犬さんの仲間に
 入れることにしました

 吽形の狛犬さんの台座には 
    石工 九??? と刻まれていましたが
  私には読み取れませんでした















 JR琴平駅です
 説明版に依りますと
JR琴平駅
   大正時代に建てられた擬洋風 木造の駅舎
   JR琴平駅は その北欧風の洒落た外観で
   老若男女の人気を集めており
   駅前の広場にずらりとならべられた
   古めかしい石燈籠と 駅舎の洗練された
   欧風の建物が不思議なコントラストを
   作り出しています
  
だそうです

日曜日, 1月 27, 2013

狛犬さん 1229

2012.11.03 香川県善通寺市文京町 讃岐宮 護国神社
 御祭神は明治維新以来 
 国の為に貴い命をささげた香川県出身の
 英霊が祭られているそうです

 狛犬さんの詳細は不明です

金曜日, 1月 25, 2013

狛犬さん 1228

2012.07.10 愛媛県西条市福武甲 加茂神社
  御祭神は 鴨別雷神 健角見命 玉依毘賣命
御由緒
     創立年代未詳 
    古くより福武村の氏神として尊崇され
    明治9年(1876)村社に列格
     創立年代不詳なれど「愛媛県新居郡誌」によれば
    当社は46代孝謙天皇の御代に勧請され
    安政3年(1856)に1100年祭を斎行した旨の
    記録がある
     大化の改新の条里制により 当地域は
    神野郡加茂郷と制定されたころから
    郡司賀茂氏の本拠地であった(加茂郷の中心は
    現福武地区)ため 京都かも神社から勧請し
    賀茂郷氏神として尊崇が厚かった
     また 鎮座地については当初 現在地より
    東の常福寺山中の大杉の辺にあり
    後に現在地に遷し 旧地には当社神主の館が
    あったと伝えられている
   
だそうです
  孝謙天皇の在位は749年 8月から758年9月です

 狛犬さんの台座には 明治 十五年(1882)
                午十二月
                     吉日
        と刻まれていました

  

水曜日, 1月 23, 2013

狛犬さん 1227

2012.11.03 香川県善通寺市善通寺町 赤門前の荒魂神社
 善通寺市は弘法大師の生誕地だそうです
 弘法大師の父佐伯直田公の邸宅跡地に
 このお寺が建立されたそうですが
   寺名の善通は父の諱だそうです

 ちょうど訪れた日は 空海まつりの日
  お宮さんの名前がわからないので
 拝殿で休憩中の方にお尋ねしました
 すると「赤門前の荒魂神社」との答えをいただきました

 善通寺の東門(赤門)のすぐ前にあるお宮さんです
 
 全体のバランスから行くと少し
  頭が大きな感じがする狛犬さんたちです
 
 台座には 大正十四年
        三月吉祥日
     と刻まれていました

月曜日, 1月 21, 2013

狛犬さん 1226

2012.11.03 香川県善通寺市上吉田町 神櫛神社
  御祭神は  神櫛王命
  ご由緒は
  僧空海(弘法大師)が 勧請したそうです
 元上吉田村の産土神
 御祭神は 神櫛王命或は 神櫛王の御子神
  或は武國凝別皇子を祀っているそうです
 慶応4年に発布された神社分離令以前は
 皇子権現社と呼ばれていたそうです
 鳥居の扁額も皇子大権現でした

 狛犬さんの詳細は不明です

















 吽形の足元には子犬さんが寄り添っていました





 

土曜日, 1月 19, 2013

狛犬さん 1225

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 明日八幡神社
  階段の途中にいた狛犬さんたちです
  
 台座には  天保
         八年(1837)
          丁酉
                   八月
                   吉日
   と刻まれていました

木曜日, 1月 17, 2013

狛犬さん 1224

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 明日(アケビ)八幡神社
 御祭神は   品陀和氣命  姫大神  気長足姫命
 ご由緒は
     伊予守頼義公が当国を領地の頃
   宮之浦岩崎に勧請
   岩崎八幡宮と称したが 神託により
   天文10年(1541)正月15日明日邑氏神として
   奉還したと伝えられている
    戦国時代には城主明日兵庫頭の崇敬篤く
   現在最後の棟札には
   正親町天皇元亀3年(1572)壬申11月15日
   御神殿再興とあり
   延宝9年(1681)辛酉中春松山城主松平隠岐守が
   代官厚木弥七郎をして
   神殿を奉造させたことをはじめ
   藩主代々の崇敬を受けた
    明治3年(1870)明日八幡大神社と改称し
   同6年(1873)村社となり
   昭和21年(1946)明日八幡神社と改めた
    境内神社の由来は未詳だが
   荒神社は八幡宮奉還以前の
   明日邑の氏神社であった如く
   地神社と共に明治41年(1908)還座した
   両社は社叢がある
   
だそうです
   
 鳥居をくぐり階段を少し上がったところにいた狛犬さんたちです
 狛犬さんの台座には 大正三年
                八月祥日
    と刻まれていました
             

火曜日, 1月 15, 2013

狛犬さん 1223

2012.08.16 愛媛県今治市片山 片山天満神社
  御祭神は 菅原道真公
  ご由緒は
     仁和4年(888)3月
    菅原道真公が伊予巡視の際に
    当地の天津神に奉幣したことから
    里人が道真を慕って
    一条天皇正暦4年(993)2月に
    国司河野氏の聴許を得て
    京都北野から天満宮の分霊を
    感情奉ったものである
   
だそうです

 鳥居の前にいた狛犬さんたちです
 台座には   天保六年(1835)乙未歳
         九月吉祥日
    
         石工  木村忠右衛門
    と刻まれていました

















 拝殿の彫刻たちです
 この素朴というか シンプルなデザインが気に入りました

日曜日, 1月 13, 2013

狛犬さん 1222

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
 脇門と言うのでしょうか
 境内の北側の鳥居のそばにいた狛犬さんたちです
  青銅製で 吽形の頭に付いているのは
  多分宝珠を表しているのでしょうね
 狛犬さんの詳細はわかりませんが
 かなり新しいもののようです

















 お宮さんの境内を出て ちょうど本殿の裏の方に回ると
 「生樹(いきき)の御門」 があります
 これも樹齢3,000年と言われる大楠の真中が洞になっていて
 奥ノ院への参拝通路となっています
 説明版によりますと
天然記念物
         昭和二十六年十一月二十七日
         愛 媛 県 指 定

       生樹の御門
    大山祇神社奥の院(元神宮寺)の
    南方三十メートルにある。
    樹齢三千年の老楠、根廻り三十一
    メートルに及ぶ、真中が自然の洞
    をなし、奥の院参拝の通路となるので
    生樹の御門と言われている。
だそうです
 大山祇神社へお越しの際は是非潜ってください
 楽しいですよ

金曜日, 1月 11, 2013

狛犬さん 1221

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
 神門前にいた狛犬さんたちです
 
 台座には  丙文化十三年(1816)
        子 四月吉日
                    石工 尾道 塚(?)?和助 作
    と刻まれていました

















 神門の手前に長屋の様な建物があります
 説明版によりますと
県文
   十七神社
       室町時代
    長棟造りで平安様式が残され
    ており、当大山祇神社は伊予
    国一の宮でありますのでここ
    に国中の神々を祀った建物で
    す。特に内陣には木彫の御神
    像(いずれも重要文化財指定)
    が安置されております 

          だそうです

水曜日, 1月 09, 2013

狛犬さん 1220

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社宇迦神社
 楼門をくぐって 少し先の左手に 
  大きな楠が見えてきます
 その奥に鎮座するのは宇迦神社
 御祭神は 宇賀神
  この神様も一言では説明が難しい神様です
  宇迦之御魂神(お稲荷さん)に由来するらしいです
  この神様の姿は 人頭蛇身で
  頭部は老翁だとか女性だとか 一様ではないそうです
  後に仏教との習合が行われ ますます複雑になっています
  仏教では 弁才天と合体しているとか 
 
 御本殿は神池の中に立っています
 
 拝殿の前にいた狛犬さんたちです
  台座には 明治丗七年(1904)
         三月吉日
       と刻まれていました
   
   日本帝国陸海軍為軍人 の文字は
 軍神の性格がよく出ているように見えました

  















 宇迦神社の前の大楠です
 説明版によりますと
能因法師 雨乞の楠    日本最古の楠(樹齢三,〇〇〇年)
   で後冷泉天皇の御代(九〇〇年前)
   伊予国守藤原範国は能因法師を
   使者として祈雨の為参拝させた
   其の時
   「天の川苗代水にせきくだせ
     天降ります神ならば神」と
   詠じ幣帛に書付け祈請したところ
   伊予国中に三日三晩雨が降った
   (金葉和歌集)と伝えられている
 
だそうです

  能因法師は平安中期の僧侶で
  小倉百人一首の
   「嵐吹く 三室の山の もみじ葉は 
      龍田の川の錦なりけり」
  で有名ですよね

月曜日, 1月 07, 2013

狛犬さん 1219

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
  新しく再建された楼門の前にいた狛犬さんたちです
 楼門再建は何時なのか調べたのですが
 多分平成22年のようです
 愛媛県神社庁によりますと 688年振りの再建だそうです
 688年前は元亨二年(1322)
 後醍醐天皇が即位し 鎌倉幕府打倒を計画していたころです

 狛犬さんの台座には 昭和十五年(1940)十一月奉献
                尾道 宮永延年 刻
     と刻まれています

 
















 境内には 樟の巨木がたくさんあります
 神門前の「小千命御手植えの楠」
  幹周り 11m 樹高 15,6m
 樹齢はなんと 2600年 だそうです

 小千命は 御祭神大山積神の子孫だそうです
 そして 伊予国を支配した河野氏(越智氏)一族の
  遠い祖先にあたるそうです

 

土曜日, 1月 05, 2013

狛犬さん 1218

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 大山祇神社
 御祭神は 大山積神
  オオヤマツミの名前からわかる様に 山の神様です
  しかし 海の神様でもあるようです
  瀬戸内海に浮かぶ大三島(三島は御島とも言うそうです)に
  祀られたせいかもしれませんね
  そこで活躍した水軍に 信仰されたこともあり
  軍の神でもあるようです
  今でも自衛隊の参拝があるようです
 
 ご由緒については
 
 瀬戸内海のほぼ中央 芸予諸島の中心をなす大三島は
平成11年5月全通した愛媛県今治市と広島県尾道市の間を
10本の橋で結ぶ「せとうち・しまなみ海道」拠点の島であり
瀬戸内海国立公園のなかでも景勝の地として知られる
 大山祇神社は島の西側宮浦に位置し
国指定天然記念物楠群に覆われた境内に鎮座している
「三島宮御鎮座本縁」によれば、
はじめ島の東側にあたる瀬戸にまつられたが
のち現在の大三島町宮浦字榊山一番耕地に
大宝元年(701)から霊亀二年(725)まで首尾十六年をかけて大造営をなし
養老三年(719)四月二十日正遷座が行われたと記されている
天孫瓊々杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父にあたる大山積神は
皇室第一の外戚として日本の建国に大功をあらわし
全国津々浦々にその分社が祀られている 
大正4年(1915)11月10日、四国唯一の国幣大社に昇格するのも
右の由緒によるものである。
古来日本総鎮守として尊称せられ三蹟の一人藤原佐理が
日本総鎮守大山積大明神と揮毫奉納した神額は、
国の重要文化財に指定され大切に保存されている
 伊予風土記に「御島(みしま)に坐す
神の名は大山積・・・」と見える当社は
延喜式神名帳にも大山積神社と記されるが
土地の人々は三島明神、または大三島さんと呼んで崇め
記録にも残されている。古事記に「山ノ神、名は大山津見神」とあり
日本書紀には「山の神等を山祗と号す」と
そして伊予風土記に「大山積の神 一名を和多志の大神」とあって
山神である一方海神・渡航神としての神徳を兼備
鉱山・林業は無論のこと農業神として
さらに瀬戸内海を航海する人々の悠久の歴史にあって
篤い信仰を集めてきた悠久の歴史にあって
75代崇徳院に雷神と高龗神が増祀されたことがあるが
やがて康治元年(1142)8月下津社が 
久安3年(1147)6月上津社が創建されると
上津社に雷神が下津社に高龗神が遷されて本社は大山積神一座の元姿になる
尚、これ以降本社・上津社・下津社の三社をもって
汎く大山積神社と崇めまつる信仰となり今日に及んでいる
 現今 官国幣社の制は廃せられたが
全国10,326社の大山積神をまつる総本社として
日本一の甲冑・刀剣を所蔵する神社として 
四季を通じ多数の崇敬者、拝観者が訪れる
 なお当社ではご祭神名「大山積神」
神社名「大山祇神社」として積と祇を書き分けている
だそうです
 
 大山積の神は百済から渡来し 摂津国三島江に鎮座
 後に 伊予国に勧請されたらしいです
 他に 伊豆国の三嶋大社から分霊を招いたとも 言われるそうです

 平安時代の延喜式神名帳に記載された 古いお宮さんです

 鳥居のそばにいた狛犬さんです
  台座には 文政六年(1823)
        癸未歳
        六月吉日
    と刻まれていました 


 

 

木曜日, 1月 03, 2013

狛犬さん 1217

2012.09.20 愛媛県今治市大三島 家神様
 食べ物屋さんだったと思いますが
 とあるお店の 片隅に鎮座していた 小さな祠です

 狛犬さんの詳細は不明ですが
  最近のものですね

火曜日, 1月 01, 2013

狛犬さん 1216

2012.08.16 愛媛県今治市矢田 三島神社
   
神亀5年(728)8月23日 国司伊予守越智玉純奉行となり
  大三島大山祇神社から勧請し 英多郷一宮として鎮祭せられた

 そうですが 神亀5年は今から 
      今年の8月で 1285 年前になります

 台座に 明治廿九年(1896) 申九月吉日
      今治石工 在間芳?
           と刻まれていました

 

木曜日, 9月 20, 2012

狛犬さん 1215

2012.08.16 愛媛県今治市馬越町 三島神社
 お宮さんが鎮座しているのは 少し小高くなった処
  ここは「史跡 鯨山古墳」だそうです
 
 説明版によりますと
史跡 鯨山古墳    
平地部に位置する丘上にあり、通称鯨
  ヶ岡といわれる樹木に被われた古墳で
  ある。
   現状は、西南部が若干変形されてい
  るが、北部は、ほぼ旧態をとどめ、堀
  の遺構も少し残っており、かつて円筒
  埴輪があったという。
   この古墳は、応神天皇の御代、小千
  国造として、最初に伊予の国に下向さ
  れた乎至命の墳墓と伝えられ、天正七
  年(1579)三月 三島大祝安任(オオホウリヤストウ)の手記に、
    「小千御子御墓在馬越邑」
  と記されている。
     昭和二十五年十月十日指定
     愛媛県教育委員会
だそうです
 
   ご由緒
当社は日吉郷の一の宮で
和銅5年(712)8月23日大三島から勧請し神護寺を置き
鐘楼二重輪塔を造立して鯨眠山安艱寺と称した
 往古は串山と称したが、海中の小島の形容から
聖武天皇神亀5年に鯨眠山と改称した
又、浅瀬を馬で往来したことから馬越の村名ともなった
              
だそうです

 鳥居をくぐり階段を上がったところにいました
 台座には  嘉永二年(1849)
         酉八月吉日
      と刻まれていました

火曜日, 9月 18, 2012

狛犬さん 1214

2012.08.16 愛媛県今治市阿方 清水天満宮
 鳥居から続く階段の途中にいた狛犬さんたちです
 
 台座に 弘化四未(1847)
      正月吉日   と刻まれていました

火曜日, 9月 11, 2012

狛犬さん 1213

2012.08.16 愛媛県今治市阿方 清水天満宮
 
 このお宮さん 訪問した記憶はありますが
 経路を覚えてないと言うか 思い出せません

 この狛犬さんたちは覚えております
 鳥居の手前にいた狛犬さんたちです
 台座に 安政二乙卯年(1855)
      十一月吉日 
   と刻まれていました

 阿形の顔はどうしたのか
  かなり欠けた痛々しい姿です

 

火曜日, 8月 28, 2012

狛犬さん 1212

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
  境内社の山王神社 厳島神社 妙見神社の
   前にいた狛犬さん達です
 台座には 文久二戌年(1862)
        九月吉日
 吽形の頭には 小さなふくらみがありました

















 境内の説明版に依りますと
  西条市名水・名木50選
   伊曾乃神社の社叢
    伊曾乃神社は天照大神・武國凝別命を
   祀っていて、古い歴史を持っています。
    社殿は昭和十五年に新しく建て替えられたもので
   総ひのきの神明造りです。
    神社の回りには、うっそうと茂った木々が
   あります。
    特に境内正面にある神木と呼ばれるくすは
   目通り周り約五、五メートル、高さ約三十メ
   -トル推定樹齢七百年の大木です
          平成三年三月選定 西条市
だそうです
 写真ではわかりにくいかもしれませんが
 本当に壮大な雰囲気を持っています


   

日曜日, 8月 26, 2012

狛犬さん 1211

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
 10月に行われる例大祭は有名です
 始まりは江戸時代だそうで 約300年ほど続いているそうです
  奉納される だんじり・神輿は合わせて 81台あるそうです

 御本殿に入る門の前に居る狛犬さん達です
 台座には 昭和35年(1960)7月 五百蔵作
    と刻まれていました

金曜日, 8月 24, 2012

狛犬さん 1210

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
 御祭神は 伊曾乃神
  天照大神の荒魂・武國凝別命 だそうです

 御由緒は
  第十二代景行天皇の皇子の
武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は
国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ
皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました
命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏として
この地方にひろがり栄え 天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました
これが当社の創祀であります 奈良時代には伊予国第一の大社として
皇室の御崇敬もあつく 淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ
その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました
称徳天皇の御代には神戸十烟を 更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました
これはわが国における神位奉授の始めであります
延喜式内の名神大社であり その後正一位に極位致しました
崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り その後も国司領主等による
社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
だそうです  

   伊勢鳥居をくぐると 長い参道が続きます
  御本殿近くの 〆柱の傍にいた狛犬さん達です
  台座には 嘉永二(1849)
           己酉
         四月吉日
  と刻まれていますが 狛犬さんはもっと新しく見えます
  台座にもう一つ刻まれているのが
     平成二年(1990)十一月
      十二日再建
     石工 東予市周布一色石材工業所
          でした


  

水曜日, 8月 22, 2012

狛犬さん 1210

2012.07.10 愛媛県西条市中野甲 伊曾乃神社
 奈良時代には 伊予国第一の社だったそうです
 御祭神は 天照大御神 武国凝別命(タケクニコリワケノミコト)
 武国凝別命の子孫は 東予一帯に広く栄え
 神社の氏人として氏神を支えて来たそうです

 十月十五・十六日に行われる 例大祭は有名です
 
由緒 第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命は
    国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ
    皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘めた
     命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏として
    この地方にひろがり栄え 天照皇大神に
   始祖武國凝別命をあわせ祀りました
   これが当社の創祀であります
    奈良時代には伊予国第一の大社として
   皇室の御崇敬もあつく 淳仁天皇の御代には
   新羅遠征に対する祈願がなされ 
   その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの
   奉幣祈願がなされた
   称徳天皇の御代には神戸十烟を 更に翌年五烟を奉り
   従四位下に叙せられた これはわが国における神位奉授の始めである
    延喜式内の名神大社であり その後正一位に極位致しました
   崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り
   その後も国司領主等による社地神田の寄進
   及び社殿の建立等が続きました
だそうです

 参道の途中に居た狛犬さんです
 台座に  嘉永二(1849)
       己酉
       四月吉日
       石工 東予市周布一色石材工業所
 と刻まれていましたが それにしては狛犬さんが新しい
 よく見ると  平成二年(1990)十一月十二日再建
      と刻まれていました



月曜日, 8月 20, 2012

狛犬さん 1209

2012.07.09 愛媛県西条市明屋敷 埋塚神社
 神社の詳細は不明です
 
 狛犬さんの台座には
     昭和三十四年(1959)五月吉日
   と刻まれていました

土曜日, 8月 18, 2012

狛犬さん 1208

2012.07.09 愛媛県西条市明屋敷 蛭子神社
 河口近くに在るお宮さんです
 お宮さん自体 川に向って建っています
 廻りは 漁師町の雰囲気が色濃く残ってます

 蛭子神は 伊邪那岐・伊邪那美との間に
 生まれた最初の神様ですが
 女神から声をかけたため 不具の子だったので
 葦の船に乗せ 海に流されたそうです
 恵美須神と同一視されていますね

  狛犬さんの台座には 明治丗四年
                八月吉日
                石工 北(?)町
                藤高(?)弥太郎
      と刻まれていました

 

 

木曜日, 8月 16, 2012

狛犬さん 1207

2012.07.09 愛媛県西条市明屋敷 大塚神社
 神社に就ての詳細は不明です
 境内の石柱に「大津賀神社」の文字が見えました
 しかし 大津賀神社でも わかりませんでした

 その柱の一つに
  西條置屋藝妓組合事務所 
       大正十四年五月
  西條倹場内藝妓連中の文字がありました

 このお宮さんは 海の近くにあります
 昔は 漁師さんとか船乗り相手の色町でもあったのでしょうか

 狛犬さんの台座には 昭和十一年(1936)九月
      と刻まれていました

     

土曜日, 8月 11, 2012

狛犬さん 1206

2012.07.09 愛媛県西条市東町 妙昌寺
 お寺の境内に お稲荷さんが祀られています
  最上位 経王大菩薩
 以前にも出てきた記憶がありますが
 岡山に在る日蓮宗のお寺です
 神仏習合がいまだに残っている珍しい形態ですね

 このお寺は 寛永13年(1636)に領主が母親の菩提を
 弔うために建立したものだそうです
 以降西条藩松平家の菩提寺となったそうです

 狛犬さんの台座には 安政四年 (1857)
               丁巳六月
     と刻まれていました

















 吽形の足元に居る子犬さんです
























 楼門の彫刻がとても素敵でした

火曜日, 8月 07, 2012

狛犬さん 1205

2012.07.09 愛媛県西条市大町 石鎚教本部聖天社
 お宮さんの名前はわからなかったのですが
 傍に聖天社と書かれた額が置かれていたので
 聖天社としました

 瓦製の狛犬さんです

日曜日, 8月 05, 2012

狛犬さん 1204

2012.07.09 愛媛県西条市大町 石鎚教本部
  入り口の石碑に 石土彦之命と刻まれています
 この神様は 伊邪那岐と伊邪那美との二番目の子供
 石土彦命(イシヅチヒコノミコト)のようです

 狛犬さんの詳細は不明ですが 
 どうして赤く塗られているのかも 不明です
 吽形は台座から落ちたのか 下に置かれています

金曜日, 8月 03, 2012

狛犬さん 1203

2012.07.09 愛媛県西条市朔日市 風伯神社
 御祭神は 級津彦神 級津姫神
 この二柱の神様は 風を司る神様で
 神社名の 風伯は 風の神様の事だそうです

 狛犬さんの台座には
      安政二?(1855)
      正月吉日
      石工 尾道
           敏?屋作(?)
  と刻まれていました

木曜日, 7月 19, 2012

狛犬さん 1202

2012.07.09 愛媛県西条市喜多川 荒神社
御祭神は 素盞男神 
創立等は 不明です

台座に 明治廾四年(1891)
卯 九月吉日
と刻まれていました

















境内の大銀杏です
横の石柱に依りますと
樹高約二十m 幹回り約五m 樹齢不詳
市内まれにみる銀杏の老大木である 幹から
下がっている乳柱を削り 蒸して飲むと





火曜日, 7月 17, 2012

狛犬さん 1201

2012.06.01 愛媛県松山市北条 鎮守神社
 御祭神は 大山積神
  境内社 新田神社 新田義貞公
        祇園神社

由緒
文永年中(1264~1274)に河野一遍上人の創祀によると
伝えられる
正長年間(1428)に御荘石見守が社殿を再築
永禄年中(1558~1570)河野氏より神田を寄進し
以後 河野一族の深く崇敬する社である

          だそうです

 狛犬さんの台座には 昭和十八年(1943)十月
     と刻まれていました

 

日曜日, 7月 15, 2012

狛犬さん 1200

2012.06.01 愛媛県松山市北条 金毘羅大権現
  このお宮さんは 十輪寺と云うお寺の境内と一緒になっています
  神仏混合時代の 名残でしょうね

  お寺の本堂の右手には春日神社
  本堂と春日神社の間に鳥居と階段があり
  それを上ると 金毘羅大権現のお社にたどり着きます

  お宮さんには 沢山素敵な彫刻がされていました
  その写真だけでも 20~30枚位撮りましたが
  まだまだ撮っていない部分が沢山あります

  境内の説明版に依りますと

金毘羅宮本殿・拝殿 二棟
金毘羅宮御神像   一躯
松山市指定有形文化財(建造物)
昭和五〇年十二月十一日指定
文治三(一一八七)年十月、讃岐
金光院(現讃岐金刀比羅宮)から仏法
護持神として金毘羅大権現を勧請し、
河野通信、通俊父子によって創建され
たと伝えられている。
本殿は扇垂木を用い、彫刻は竹田番
道、飛田円道の作品で、拝殿の蟇股に
は十二支の彫刻があり、好道の刻名が
ある。
御神像は、三宝剣を佩した修験者の
相をしており、両部神道を色濃く示し
ている。本地仏は不動明王で、秘仏と
されている。

            だそうです

  鳥居をくぐった所にいた狛犬さん達です
  台座に 千(?)時(?)天保十(1839)巳亥
             十月吉辰
        今治城下
           石工
           中谷元右ヱ門
  今治の石工 中谷 元右ヱ門 の作品は
  あちらこちらで 見かけています
  かなり大きな(有名な?)石工さんだったのでしょうか

  
















  説明板に在った 好道作の十二支の彫刻がこれです

水曜日, 7月 11, 2012

狛犬さん 1199

2012.06.01 愛媛県松山市北条 国津比古命神社
  前回の櫛玉比賣命神社の階段を降りる時
  正面に立派な楼門が見えてきます
  国津比古命神社の楼門です
  境内の説明板によりますと
国津比古命神社楼門  一棟
愛媛県指定有形文化財(建造物)
昭和二六年(1951)十一月二十七日史跡指定
昭和三二年(1957)十二月十四日史跡替
この八脚門は、慶安二(1649)年に市内
阿沼美神社に建立されたものを元禄年間
(一六八八~一七〇三)に、この地に移した
と伝えられるが、建立年については、慶長一〇
(一六〇五)年に初代松山城主加藤嘉明が
建立したものという説もある。
建築様式は、 単層、入母屋造、本瓦葺、柱は
円柱で、一部唐様をを取り入れた和様建築である。
入口の虹梁やその他の部分に後代の補修や
改築の跡があるが、虹梁の構造や蟇股などの
彫刻に創建当初の技法を残し、全体に雄大
で豪華な桃山建築の面影を伝えている。
松   山   市
松山教育委員会
だそうです

  国津比古命神社
主神  天照国照彦火明櫛玉饒速日尊
        (アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシダマニギハヤヒノミコト)
   相殿  宇麻志麻治命  物部阿佐利命  誉田別尊(応神天皇)
    国津比古命神社は古墳の上にお祭りされています。
   昔、むかし風早の郷に魂を感じた人たちがいました。
   その人たちはこの魂を国魂として素朴にお祭りしていました。
   やがて、日本の国をひとつにまとめるときがきました。
   大和朝廷は氏姓制度のなかに国造などを定めました。
   風早の郷には物部阿佐利という方があてられ、
   この方は、もともと風早にまつられていた国魂を敬い、
   なおかつ、自分の祖先である神様をも合わせておまつりし、
   櫛玉饒速日命神社と呼ばれるようになりました。
   後に、物部阿佐利命をいっしょにおまつりし、
   国津比古命神社と元の社名になりました。
    頭日(カグヒ)八幡宮と呼ばれた時期もありましたが、
   享保年間(一七一六~一七三六)に、元の社名にもどりました。
   物部氏・風早氏の氏神として発展し、河野家の崇敬厚く、
   戦火により焼失した社殿が再建されました。
   享保元年(一七四一)松山藩主の松平定喬は毎年代官を
   参拝させました。渇水のため、雨乞いの神事が行われ、
   その折、奉納された扁額が現存しています。明治四二年( 1909)、
   社格が県社になり、現在の拝殿内部は昭和六年( 1931)に
   境内拡張・斎館の整備などが行われました。
   
        そうです

  狛犬さんの台座には
  天保九戌年(1838) 
  八月吉日
 年号は 戌は読み取れたのですが  
 後は読めなかったのです
 しかし 天保年間で戌年は 九年だけのようなので
 天保九年としました
     今治石工   中谷元右ヱ門

















  楼門はお宮さんでは隋神門と言い
  門を守る神様がいらっしゃいます
  矢大臣・左大臣とも呼ばれる事があるようですが
  片方の神様は弓を持ち腰に刀を佩いた姿を
  よく見かけますが このお宮さんでは
  どちらも笏を持っております














正面からでは分かりませんが 
横から見ると 厚みが無くペタンコなのです




月曜日, 7月 09, 2012

狛犬さん 1198

2012.06.01 愛媛県松山市北条 櫛玉比賣命神社
境内の説明板に依りますと
櫛玉比賣命神社のいわれ
主神 天道日御名命
     相殿 御炊屋姫命
  国津比古命神社の主神である
  クシダマニギハヤヒノミコトの后神(奥様)を
  おまつりしているのが櫛玉比賣命神社です。
  櫛玉は、ニギハヤヒノミコトを形容する言葉です。
  その方の比売神ですから、「櫛玉の比売の命の神社」です。
  風早の先人が国津比古命神社にこの郷の国魂をまつり、
  のちに、物部阿佐利命がこの国魂も敬い、
  合わせて祖神であるニギハヤヒノミコトをおまつりしたおり、
  現在地より南方の小山に后神をおまつりしたと考えられます。
  社伝によると、寛永年間(一六一一~一六二九)に
  前方後円墳のそばに遷されました。このことから考えると、
  動座祭からの一連の神事は最大限ここまでさかのぼることが
  できます。櫛玉比売命神社は「祓座大明神」ともいわれました。
  これは当社が国津比古命神社の祓いをつかさどったなごりだと
  考えられます。動座祭に限り、櫛玉比売命神社から始まるのも
  このためです。
  享保年間、元の社名にもどりました。特殊神事として動座祭のあと
  「宵の明星」があります。
  明治四二年、社格が郷社になり、現在の社殿は
  昭和六二年(1987)に新築されました。

  両社とも風早の大氏神として多くの老若男女に
  厚く崇敬されています。特に、秋祭りに行われる「風早の火事祭」での
  動座祭から神輿落としにいたる一連の神事・行事には
  両社の特性がよくあらわれています。
  
      だそうです
  境内の石碑には 延喜式内社と書かれています

  狛犬さんは新しいもので 台座には
    一九九〇年 
    平成二年十月建立
   と刻まれていました