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水曜日, 10月 22, 2008

狛犬さん 617

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町揖保上 夜比良神社
 拝殿の内側 本殿の前にいた狛犬さんです
 遠くて判りにくかったのですが 台座には
   宝永七?寅年(1710)??九日(?)
     石工   までは読めましたが 後は不明です

 舞殿のように見えたのですが 絵馬堂だそうです
 中を見た時 絵馬の掛かった舞殿とは 変わっているなと思いましたが
 地元の方が 本当は 拝殿だったけれど 大正十二年だったと思うけれど
 拝殿を立替え 以前の拝殿を今は絵馬堂に使ってます
 舞殿として 使っていたこともあるようです と教えてくださいました

 拝殿に続く瑞垣の中に 鳥居と狛犬さんが 取り残されています

火曜日, 10月 21, 2008

狛犬さん 616

2008・10.06 兵庫県たつの市揖保町揖保上 夜比良神社(やひらじんじゃ)
 境内にある由緒書きによりますと
 
延喜式内 夜比良神社御由緒
  御祭神 大己貴命(大国主命)
  御神徳 縁結び・病気平癒・農業・福の神
  御神紋 子持ち亀甲に米
  御由緒 夜比良神社の創建は 千二百年以前と
   伝えられています
   ご祭神の大己貴命は 他に大国主命・大汝命(おおなもちのみこと)など
   多くの別名で呼ばれ 出雲大社のご祭神と同神です
   はじめ伊豆もの国を開拓 平定され 因幡国を経て
   播磨国に入り 揖保川に沿って南下され 粒丘に足を
   留められました そして この地域を開き 人々をいつくしみ
   災禍を祓い除かれました これにより揖保川流域の北を
   御護りする播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」と
   呼ぶのに対し 夜比良神社を「南方殿」と言います
   また 中世には 下揖保社の総鎮守として 播磨国の豪族
   赤松氏の尊崇をあつめ 「神式は赤松政村これを定む」と
   今に伝えられています
     やひら手を 取りにし神も あらましを
        きねか 鼓の 音は絶せぬ
            赤松広秀
           (鶏籠山上にあった古龍野城の城主)
   明治維新以前は 揖保川町域を含む 十六か村が氏子域
   でしたが 現在は 五か村(揖保上・揖保中・今市・
   正條・新在家)となっています
   記録の上では 八枚(八尋)社刀踊りの故事が 
   あったと言われていますが 今では途絶えてしまいました

 お祭では 子供神輿が出るのですが 担ぐ子供が少なくなり
  外孫まで 参加させるんですよ 
   とお宮さんでお会いした方がなげいていらっしゃいました
 狛犬さんの台座には 昭和二年(1927)三月納建
   山陽??駅前 石匠 菅野??   と刻まれていました

月曜日, 10月 20, 2008

狛犬さん 615

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 中臣印達神社
 境内にある立て札に拠りますと
 
中臣印達神社(なかとみいだてじんじゃ)
  御祭神 五十猛神(素戔鳴尊の御子)
  創建  宝亀元年(西紀七七〇年)
  例祭  四月十日  十月十日
  社格  『延喜式』に名神大神とあり 古社であり 大神でもある
      (『延喜式』第十巻五十七枚所蔵)
  五十猛神は父神であられる素戔鳴尊とともに
  天照大神が驚きになられるぐらいの 又 国内が
  混乱するぐらいの新しい文化・文明を大陸より移入
  それ以降 国内の農耕・文化・文明は 大変な発展をとげたとされる
  これらより ご霊験灼な神と信仰が篤い そして大陸・朝鮮半島より
  樹木の種を持ち帰ったことにより 植林の神とも伝えられている
  近年では困った時の神頼みの神社として 
  一言心願成就が密かに人気である

 又別の石碑には
 

   当社は播磨の国にあって「延喜式」名神大社という
  由緒正しき古社で 創設七七〇年(宝亀元年)で
  以来一二二五年の年月を重ねて 平成七年にその祭儀を執り行った
   しかし 幣殿・拝殿の老朽化により 屋根の雨漏りがすることとなり
  修理を余儀なくされるに至った
   今回の修造は氏子・企業・関係各位のご寄付により
  完成を見たもので 改修に際して 古代建築物の様式を保ち
  重厚と美観を図ると共に 風雨に耐え 長期に亘る保存に
  配慮したものである

 いずれのお宮さんも 維持管理に関しては 氏子の皆さんは
   それぞれ ご苦労なさっているようです
 参拝させていただく 私たちにはとてもありがたいことですが

 狛犬さんの台座には 文政八酉(1825)
           九月吉日      と刻まれていました

 自然石の上に セメント製に見える狛犬さんが奉納されていました
 しかし 後ろに回ると 鏝絵と思われる 山水画がついていました
 昭和五十五年(一九八〇年) 納左官常村平大 と書かれていました
 この左官屋さんの作品は 他にもいくつか奉納されていました
 石の下に隠れるように 蛙の親子が置かれています

日曜日, 10月 19, 2008

狛犬さん 614

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町中臣 厄神明王
 厄神明王・稲荷神社・荒神社が 祀られています
 しかし本殿に上がっていく階段には 雑草が蔓延り 訪れる人々がいない
 そんな感じのする 荒れかけたお宮さんです

 しかし 狛犬さんは とても可愛いんです
 稚拙で まるで村の中の器用な人が 彫ってみましたという感じの
  狛犬さんたちです
 阿形の狛犬さんは 少し体を後ろに引いていますね

土曜日, 10月 18, 2008

狛犬さん 613

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町神戸北山 神戸神社内八幡神社
 ご祭神は 誉田別尊(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・比売大神
  社殿は文化八年(一八一二)改築
  屋根はもと桧皮葺 昭和五十一年 銅板葺に改修したそうです

 過去には この八幡神社が 神戸神社と呼ばれていたようです
 境内に大岩が置かれていますが その立て札に
 
旧本殿跡地
  旧本殿(現八幡宮)は 元この直上十数メートルの
  宮山の中腹にあった
  その大地(おおとこ)ゆかりの跡を 玉垣で囲み 聖地として保存する

 八幡神社のお社の横にも大岩が在り
  
石神
   播磨風土記に「神山 此ノ山ニ石神在リ」とあるが
   元 宮山の山頂には 大きな岩があって 古くから神の宿る霊地として
   畏敬されてきた
   昭和五十年 境内地造成中 山頂直下からこの大岩が現れ
   人々は 「石神」の心岩であるとして畏れ これを祀る


 狛犬さんは 小柄ですが 怖い顔です

 此のあたりのお宮さんの額は 石造りの豪華なものが掛かっています

金曜日, 10月 17, 2008

狛犬さん 612

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町北山神戸 神戸神社
 神戸神社 読み方は かんべじんじゃ
     神戸市の神戸と 意味は同じです 
 神封戸(じんふこ) 神社に対して 租税や課役を納める民のことで
  神戸・神部(じんこ・かんべ・かむべ)と同じことです
 神戸市は 元々生田神社の神封戸の集落があったことに 由来しているそうです

 由緒書きによれば
 
御祭神  大己貴命・少彦名命
 御神徳  大己貴命は又の御名を大国主命とも申し
     少彦名命と共に 我が国を開かれた大神であり
     播磨の国に黎明をもたらされ 庶民の生業を援け
     病を治し 夫婦和合の道を教え給うなど
     その広大な御神徳は 今に農業の振興 商売繁盛
     病気平癒 縁結び 交通安全など 万民の諸運開顕 
     知徳成就を司宰し給う大神として 広く崇敬されている
 由緒   ご祭神の鎮座されるこの地は 播磨風土記に
     「此ノ山ニ石神在リ故神山ト號ク」とあり
     山頂に巨岩があって 神の宿る霊地として往古より
     畏敬されてきたが 応仁二年三月の午の日に 宍粟郡の
     伊和神社より御分霊を勧請し 十月第二の午の日を午祭と定めて
     五百有余年 継承してきた
     この祭が菜くわずの祭とも言われる由縁は 弘法大師が
     全国行脚の途次に 菜を所望されたのを固辞した為 以後
     秋祭の日に 菜を食べた者は腹痛をおこすという伝承との
     習合によるもので 当神社を「なくわずの宮」ともいう
      昭和五十二年旧本殿を移し 三間社流れ造の新社殿を造営し
     鎮まりまして現在に至る


 狛犬さんは 天保六年(1835)乙未秋九月午日
       石工 生石村 藤兵衛  と刻まれていました

 御本殿の中にいた狛犬さんですが 写ってません

木曜日, 10月 16, 2008

狛犬さん 611

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 天満宮(賽神社)
 境内の石碑に 天満宮玉垣更新工事
        金比羅宮・皇大神宮 造営
 と刻まれていたので このお宮さんのご祭神は 菅原道真と思われますが
 地図上では 賽神社と書かれています
 賽神社は賽の神を祀っているのかと思いますが
 賽の神は 道祖神とか庚申様のように 
   集落に入り込む邪霊などを遮る神様のことです
 本来この神社には そういう神様が祭られていたのかもしれません

 狛犬さんは 小振りでずんぐりとしたデザインです 

水曜日, 10月 15, 2008

狛犬さん 610

2008.10.06 兵庫県たつの市揖保町栄 崇道天皇神社
 境内にあった 石碑によりますと
 
御祭神
   崇道天皇
   惠美酒大神
   厄除大神
  崇道天皇は 光仁天皇の第二皇子桓武天皇の皇大弟で 
  早良親王と申し上げる
  延暦十九年(800)七月廿三日 天皇の稱号を追贈

        と刻まれていました
 桓武天皇の命を受けた藤原種継が 長岡京の造営使に任命されるが
 延暦四年(785) 矢を射られ 暗殺される
 早良皇子は 種継暗殺事件に関係したとして 淡路国に流刑されるが
 無実を訴えるため絶食し 河内国で死亡した
    がしかし そのまま屍骸を 淡路国に運ばせたそうです
 死後 桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病・妃藤原乙牟漏の病死等が
 相次ぎ 早良皇子の祟りとされ 延暦十九年 大和国に移葬され
 崇道天皇の名を 追贈されたのですね
 
 狛犬さんの台座には 慶??丑年五月と刻まれていました
 慶応年代で 丑年は 慶応元年(1865)になります  

土曜日, 12月 29, 2007

狛犬さん 371

2007.11.22 兵庫県たつの市龍野町日山 粒坐天照神社内揄伽神社
 お社の階に居た狛犬さんです
 これも制作年代が判りませんが ちょっと古そうな気がします
 それにしても この狛犬さん達も満身創痍です

 広い境内の片隅に 牛さんがいました
 お腹に梅鉢の紋がついていますが どうしてこんな林の中にいるのでしょう

金曜日, 12月 28, 2007

狛犬さん 370

2007.11.22 兵庫県たつの市龍野町日山 粒坐天照神社内揄伽神社
 ご祭神の名前がわかりません
 写真を撮ったのですが ボケていて文字が読み取れないんです
 しかし「揄伽」を調べると 
  “宇賀御魂神と同じで風神(天神=太神)である稲荷神(=荼枳尼天)のこと”とありました
 このお宮さんには 若年神社も合祀されています

 狛犬さんの足を見ると はっきりと指や爪が彫られていませんね
 決して稚拙ではないけれど 素朴な感じのする狛犬さん達です
 どちらも 頭は平で 角はありません

木曜日, 12月 27, 2007

狛犬さん 369

2007.11.22 兵庫県たつの市龍野町日山 粒坐天照神社(いいぼにあまてらすじんじゃ)
 入り口にある 由緒書きによりますと
  
延喜式に揖保郡七座の一つと記載され、宍粟郡一宮町の伊和神社
  垂水の海神社とともに播磨三大社の一つです。
   神社縁起によると、推古天皇二年(五九四)、当地の有力者が神託を受け、
  的場山(通称・台山)の頂に祠を建て農業の守護神 
  天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)を祀ったのが始まりです。
  その時一粒の稲の種と水田を授かり、これを耕作したところ大豊作となり
  一粒万倍したという。以後この土地はイイボ(粒・揖保・飯穂)の都と
  呼ばれる穀倉地帯となりました。
  室町時代の嘉吉の乱(一四四一)の兵火で社殿が焼失、揖西町小神に遷座しました。
  天正九年(一五八一)龍野城主となった蜂須賀小六正勝が日山(当時は樋山村と呼んだ)
  の現在地へ遷座、続いて城主となった福島正則が社殿を造営しました。
  寛文十二年(一六七二)に信州から城主として着任した脇坂家の藩主も尊崇厚く、
  神域が拡大され、数多くの境内末社を勧請合祀しました。
  平成六年には神社創立千四百年祭を執行しています。
   神社は再三の火災に遭い、現在の神殿、弊殿、祝詞殿は昭和三十七年(1962)に、
  拝殿、社務所は同五十六年に建立されました。
  


 阿吽ともに 角がありません
  台座に 戌
      寶○
      三月
      寅
 と刻まれた文字だけ見えました
 寶の字が付く 戌寅の年は 寶暦八年(1758)だけのようです
 阿形のおでこについているのは 落ち葉です


 本殿の階にいた狛犬さん達です
 多分木製だと思いますが 遠くて確認できていません

水曜日, 12月 26, 2007

狛犬さん 368

2007.11.22 兵庫県たつの市 小宅神社内三神社
 本殿の横に小さな祠が三基
 左側から
  保食神社 ご祭神は 保食神 
            食物・衣服・住居・商業の神様
  三神社  ご祭神は 天照皇大神 天児屋根尊 猿田彦尊
  霊神社  ご祭神は 四位少将水尾民部橘朝臣以豊守神霊
            病気平癒・学問の神様
 
 台座には 平成十二年十月吉日と 刻まれていました
   まだ出来てから 7年 小学生ですね

火曜日, 12月 25, 2007

狛犬さん 367

2007.11.22 兵庫県たつの市 小宅神社
 このお宮さん 参道の先には鳥居がありますが 本殿前には隋神門が建っています
 その門の前には 本来仏教のものである石造十三重塔が建っています

 ご祭神は  品陀和氣尊 御諡名 應神天皇
       息長帯姫尊 御諡名 神功皇后
 創立 持統天皇庚寅四年九月上旬(皇紀 一千三百五拾年 西暦六百九拾年
 由緒 千八百年程前には 漢部之里と呼ばれ 里長小宅泰之公と言う人でした
    この人は 神功皇后が三韓征伐から帰る時 
    息子の應神天皇の庶兄に当たる香坂・忍熊の二王の謀反を皇后に告げました
    それを手柄とした皇后は 小宅公に 漢人を複数名預け 
    更に 一個の奇石を送ったそうです
    神功皇后が亡くなった時 神霊として祀ったそうです 
    持統天皇の頃 新しく里長に任ぜられた川原之若狭の子孫智麻呂が
    漢部之里を小宅之里と 改名したそうです
    しかし 里には神社が無かったので 智麻呂が建立したそうですが
    それが 持統天皇庚寅四年九月上旬のことだそうです

    神社の重要書類は 赤松一族による 嘉吉の乱(皇紀二一〇一年 西暦一四四一)で
    悉く焼失したそうです    
   
    狛犬さんの台座には
     天保十二(1841)三月と刻まれていました
    吽形の頭には 小さな角のようなふくらみが ありました