2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社内粟島神社
御祭神は 少彦名命
少彦名命は 医薬の神様として有名ですが
此処では特に婦人病に 効顕ある神様とされています
又 人形供養も行われているそうです
お宮さんの前にいた狛犬さん達です
台座には 慶応四(1868)
辰九月
石工
房吉作
と刻まれていました
月曜日, 5月 21, 2012
土曜日, 5月 19, 2012
狛犬さん 1178
2012.03.21 愛媛県宇和島市藤江 多賀神社
このお宮さんは とても個性的な所でした
鳥居の傍に 千五百守社(チイホモリノヤシロ)と刻まれた石碑
左側に 凸凹神堂と書かれた看板
鳥居をくぐると 男性のシンボル等の石造物の数々
間違ったお宮さんに来たのかと 思わされました
御祭神は 伊弉諾尊
他に 境内社がいくつかあり 11柱の神々が
祀られているそうです
由緒は
二つ目の鳥居?の前にいた狛犬さん達です
台座には 文久二(1862)壬戌
九月吉日
と刻まれていました
このお宮さんは とても個性的な所でした
鳥居の傍に 千五百守社(チイホモリノヤシロ)と刻まれた石碑
左側に 凸凹神堂と書かれた看板
鳥居をくぐると 男性のシンボル等の石造物の数々
間違ったお宮さんに来たのかと 思わされました
御祭神は 伊弉諾尊
他に 境内社がいくつかあり 11柱の神々が
祀られているそうです
由緒は
由緒だそうです
神功皇后摂政18年(269年)
三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って
当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと
海辺に茂る藤の木を 本未打ち断ちて海中に投げ入れれば
坂島(宇和島)の郷那多に着いた
よって 此処に宮居を営み 藤住吉太神宮と称したという
元禄13年(1700)6月2日藤住吉宮の多賀社に横山家信仰の
多賀神璽を預け祭祀し 安永4年藤江の現在地へ移転したが
その後住吉山の藤住吉本宮は境外摂社の多賀神社に合併され
数多くの摂末社も廃滅 合併して 多賀と粟島の両神社となった
二つ目の鳥居?の前にいた狛犬さん達です
台座には 文久二(1862)壬戌
九月吉日
と刻まれていました
木曜日, 5月 17, 2012
狛犬さん 1177
2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
本殿の中にいた狛犬さん達です
この狛犬さん達が
三島神社本殿の狛犬・獅子
三島神社は、社記によると大同元年(八〇六)
に大三島より勧請され、文永十一年(一二七四)
に現在地に鎮座したと伝える。その後、永仁五年
(一二九七)および永正十五年(一五一八)に社
殿を再建し、現在の本殿は元文二年(一七三七)
に造営されたものである。
三島神社本殿に奉安されたきた狛犬一対は、
形式上、室町時代中期の造像と考えられる。正
面より見て右側に安置されているのは、無角阿
形の獅子で、左側のものが一角吽形の狛犬であ
る。獅子と狛犬を組み合わせて一対とした中世
の標準作とも言うべき木造狛犬である。
両像とも前足を直立させて姿勢よく坐してお
り、本殿内陣側の前足(阿形は右足、吽形は左
足)をやや前に踏み出し、頭部を礼拝者側に向
けている。前足を直立させることのほかに、頭
部の幅が肩幅より狭いこと、顔貌がひょうきん
なこと、たてがみが体躯に密着して躍動感が少
ないこと、やや猫背ではあるが背中が急勾配に
立ち上がっていることなど、室町時代の狛犬の
特色がよく表れている。腰部のくびれも強く、
全体の姿は美しい。
保存状況は良好であるが、別木となっていた
耳が決失するなど、わずかな破損が見られる。
また当初は祭彩色が施されていたが、現状では下
地の白土が残るだけである。この狛犬は、阿形
の獅子と吽形の狛犬を組み合わせた室町時代の
標準作であり、美術的にも優れており、保存状
況も良好である。
[制作年代]室町時代中期(十五世紀頃)
平成十二年三月八日指定 宇和島市教育委員会
と書かれている 狛犬さん達はこの狛犬さん達でしょうか
本殿の中にいた狛犬さん達です
この狛犬さん達が
市指定有形文化財(美術工芸品)
三島神社本殿の狛犬・獅子
三島神社は、社記によると大同元年(八〇六)
に大三島より勧請され、文永十一年(一二七四)
に現在地に鎮座したと伝える。その後、永仁五年
(一二九七)および永正十五年(一五一八)に社
殿を再建し、現在の本殿は元文二年(一七三七)
に造営されたものである。
三島神社本殿に奉安されたきた狛犬一対は、
形式上、室町時代中期の造像と考えられる。正
面より見て右側に安置されているのは、無角阿
形の獅子で、左側のものが一角吽形の狛犬であ
る。獅子と狛犬を組み合わせて一対とした中世
の標準作とも言うべき木造狛犬である。
両像とも前足を直立させて姿勢よく坐してお
り、本殿内陣側の前足(阿形は右足、吽形は左
足)をやや前に踏み出し、頭部を礼拝者側に向
けている。前足を直立させることのほかに、頭
部の幅が肩幅より狭いこと、顔貌がひょうきん
なこと、たてがみが体躯に密着して躍動感が少
ないこと、やや猫背ではあるが背中が急勾配に
立ち上がっていることなど、室町時代の狛犬の
特色がよく表れている。腰部のくびれも強く、
全体の姿は美しい。
保存状況は良好であるが、別木となっていた
耳が決失するなど、わずかな破損が見られる。
また当初は祭彩色が施されていたが、現状では下
地の白土が残るだけである。この狛犬は、阿形
の獅子と吽形の狛犬を組み合わせた室町時代の
標準作であり、美術的にも優れており、保存状
況も良好である。
[制作年代]室町時代中期(十五世紀頃)
平成十二年三月八日指定 宇和島市教育委員会
と書かれている 狛犬さん達はこの狛犬さん達でしょうか
火曜日, 5月 15, 2012
狛犬さん 1176
2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
本殿の後ろに回っていくと十柱の神様をお祀りした
祠が並んでいました
一宮神社 大己貴神
厳島神社 多紀理毘売命 狭依里毘売命 多岐都毘売命
地三神社 生井神 栄井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神
金刀比羅神社 大物主神 崇徳天皇
竜王神社 竜王神
稲生神社 倉稲霊神
猿田彦神社 猿田彦神
尾串森神社 天照皇大神外六柱
伊勢山神社 天照皇大神外十柱
河内神社 天照皇大神外十七柱
天一神社 天之御中主神 天照皇大神外 十二柱
沢山の神様方の 守護をしていた狛犬さんです
阿形の狛犬さんは きれいな状態ですが
かわいそうに 吽形は 欠けてしまった 憐れな姿です
台座には 文化十(1813)癸酉正月吉日
と刻まれていました
この狛犬さんは 仄かに高知県の香りがします
本殿の後ろに回っていくと十柱の神様をお祀りした
祠が並んでいました
一宮神社 大己貴神
厳島神社 多紀理毘売命 狭依里毘売命 多岐都毘売命
地三神社 生井神 栄井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神
金刀比羅神社 大物主神 崇徳天皇
竜王神社 竜王神
稲生神社 倉稲霊神
猿田彦神社 猿田彦神
尾串森神社 天照皇大神外六柱
伊勢山神社 天照皇大神外十柱
河内神社 天照皇大神外十七柱
天一神社 天之御中主神 天照皇大神外 十二柱
沢山の神様方の 守護をしていた狛犬さんです
阿形の狛犬さんは きれいな状態ですが
かわいそうに 吽形は 欠けてしまった 憐れな姿です
台座には 文化十(1813)癸酉正月吉日
と刻まれていました
この狛犬さんは 仄かに高知県の香りがします
日曜日, 5月 13, 2012
金曜日, 5月 11, 2012
狛犬さん 1174
2012.03.21 愛媛県宇和島市長堀 三島神社
御祭神は 大山祇神
だそうです
参道の入り口にいた狛犬さんです
台座には 昭和 六十三年(1988)七月
と刻まれていました
御祭神は 大山祇神
由緒
大同元年(806)大三島の大山積神社より勧請したという
始め尾串森に鎮斎したが 文永11年(1274)現在の地に奉還する
(現在地も尾串森と言う)
歴世国守の崇敬社であって 永仁5年(1297)橘忠重は社殿を修めて神鏡を奉納し
後の西園寺公廣は城南 土佐国に至るまでの五郷の総鎮守として尊崇し
永正15年(1518)には社殿を建立 書写の大乗妙典66部を献じた
伊達氏も代々崇敬し 神社の下に馬場を作って正月3日には御野始めの行事があり
延慶2年(1309)貞和元年(1345)永正15年(1518)天正6年(1578)
天和3年(1683)元年2年 弘化4年(1847)と社殿再興の記録がある
だそうです
参道の入り口にいた狛犬さんです
台座には 昭和 六十三年(1988)七月
と刻まれていました
水曜日, 5月 09, 2012
月曜日, 5月 07, 2012
狛犬さん 1172
2012.03.21 愛媛県宇和島市丸之内 和霊神社
御祭神は 山家清兵衛公
境内の説明板に依りますと
台座には 明治三十二年(1899)八月
と刻まれていました
本殿の裏にひっそりと建っていました
御祭神は 山家清兵衛公
境内の説明板に依りますと
市指定 史跡西側の鳥居の傍に居ました
山家公賴(やんべきんより) の邸宅跡
ここは、和霊神社祭神山家清兵衛公賴
の屋敷跡である 。公賴は仙台藩主伊達政
宗から藩祖秀宗に付けられ、総奉行とし
て藩の創設につとめた。しかし、入部当
時の借金の返済として、政宗に十万石のう
ち三万石を割くなどの問題から、元和六
年(一六二〇)六月三十日後、反対派に
襲われ、その子三人とともに命をおとし
た。のち屋敷は藩の倉庫となり、明治初
年には丸之内和霊神社の小祠が設けられ、
明治三十一年(1898)には伊達家が敷地を寄進し、
同四十一年(1908)に宇和島城内の日吉(ひえ)神社の本
殿を移築した。また、本殿の裏の古井戸
には、四男美濃の死にまつわる伝説があ
る。
昭和四十三年一月九日指定
宇和島市教育委員会の
台座には 明治三十二年(1899)八月
と刻まれていました
御井戸 元和六年(1620)六月晦日の夜だそうです
和霊様が御一門の方々と
遭難されたとき御子
山家美濃様がこの
御井戸へ入水されま
した
後この井戸に祠をたて
てお祀いたしました
この地は当時和霊様
の御本邸であります
本殿の裏にひっそりと建っていました
木曜日, 4月 19, 2012
狛犬さん 1171
2012.03.21 愛媛県宇和島市丸の内 南豫護国神社
本殿の前にいた狛犬さん達です
この狛犬さんの台座に こんな人の名前がありました
「渋澤榮一」
この人は幕末から大正にかけて活躍しました
第一国立銀行や東京証券取引所等の
設立、経営に関った日本資本主義の父と
呼ばれている人です
ただ この人は武蔵国(現埼玉県)出身
愛媛県宇和島市とのつながりがわかりません
ただ 長女の結婚相手が 日本初の法学博士の一人で
東京帝国大学法学部長の穂積陳重でした
そんな関係で 狛犬さんの台座に
澁澤榮一の名前が出てきたのでしょうね
狛犬さんの台座には
大正三年(1914)四月十五日
男爵 澁澤榮一
と刻まれていました
本殿の前にいた狛犬さん達です
この狛犬さんの台座に こんな人の名前がありました
「渋澤榮一」
この人は幕末から大正にかけて活躍しました
第一国立銀行や東京証券取引所等の
設立、経営に関った日本資本主義の父と
呼ばれている人です
ただ この人は武蔵国(現埼玉県)出身
愛媛県宇和島市とのつながりがわかりません
ただ 長女の結婚相手が 日本初の法学博士の一人で
東京帝国大学法学部長の穂積陳重でした
そんな関係で 狛犬さんの台座に
澁澤榮一の名前が出てきたのでしょうね
狛犬さんの台座には
大正三年(1914)四月十五日
男爵 澁澤榮一
と刻まれていました
火曜日, 4月 17, 2012
月曜日, 4月 16, 2012
狛犬さん 1169
2012.03.14 愛媛県松山市饒(にょう) 天満神社
御祭神は 菅原道真公
由緒
旧村社 饒字本郷鎮座
菅原道真 伊弉諾尊 伊弉冉尊
須佐之男命 応神天皇 市杵島姫命を祭る
創建は不詳であるが 平安末期の勧請と
伝えられる
天正13(1585)歳7月小早川氏の侵入にあい
荒廃していたのを同年の末に
柳原左馬之丞が 饒村を預かった際
再興したと伝えられる
江戸時代喜田・豊田ら有志によって
社殿の改築を行った
昭和18年(1943)1月火災の為全焼した
翌19年戦時中の物資不足にもかかわらず
喜田治、得能嘉一郎、中富重昌らをはじめ
氏子一同の協力によって 再建されたのが
現在の社殿である
そうです
狛犬さんの台座には
明治丗五年(1902)
九月吉日
と刻まれていました
御祭神は 菅原道真公
由緒
旧村社 饒字本郷鎮座
菅原道真 伊弉諾尊 伊弉冉尊
須佐之男命 応神天皇 市杵島姫命を祭る
創建は不詳であるが 平安末期の勧請と
伝えられる
天正13(1585)歳7月小早川氏の侵入にあい
荒廃していたのを同年の末に
柳原左馬之丞が 饒村を預かった際
再興したと伝えられる
江戸時代喜田・豊田ら有志によって
社殿の改築を行った
昭和18年(1943)1月火災の為全焼した
翌19年戦時中の物資不足にもかかわらず
喜田治、得能嘉一郎、中富重昌らをはじめ
氏子一同の協力によって 再建されたのが
現在の社殿である
そうです
狛犬さんの台座には
明治丗五年(1902)
九月吉日
と刻まれていました
土曜日, 4月 14, 2012
木曜日, 4月 12, 2012
狛犬さん 1167
2012.03.14 愛媛県松山市中島大浦 忽那八幡宮
主祭神 稲田姫命 他四神
稲田姫命は奇稲田姫命とか櫛稲田姫命と
書かれることのある素盞鳴命の妻で
稲田の神様だそうです
八幡宮の名前からすると
応神天皇(誉田別命)も 祭祀されているのでしょうか
鳥居をくぐった所にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗九年
八月中旬
石工 当村
高??吉 と刻まれていました
このお宮さんの社叢は 暖地植物と山地植物が
約300種繁茂し 原始の林相を示しているそうです
この樟の前に
「楠の木千年
1087(慶徳四年丁卯の春)
鎮守の守り」
と書かれた説明板がありました
樟のサイズがわかるかと思い 自転車を前に置いてみたのですが
少しは大きさがわかりますでしょうか
主祭神 稲田姫命 他四神
稲田姫命は奇稲田姫命とか櫛稲田姫命と
書かれることのある素盞鳴命の妻で
稲田の神様だそうです
八幡宮の名前からすると
応神天皇(誉田別命)も 祭祀されているのでしょうか
遠く上代の昔 吾が祖族 万里浪を踏みて海を渡り この忽那の島に至り住みて 相慕ひ その妣の神 稲田姫命を祀り 常世の郷と定め給ひき 茲に藤原の長者 奈良平安の御代に及び 八幡大神の神託を畏み この島を開拓き 氏神と斎き祀りて 明光霊徳七島に亘り 祖孫相励みて 至誠南朝に薫り 色変えぬ巨松 連なりて栄光を語る 夫れ 天に神あり 地に霊あり 神霊鎮まりて 祖霊相寄るの聖地 千古斧入らしめぬ杜茂り 子孫永く相享けて 願はしき常世の郷はときじくの橘の花の香ぐはしき美し島と栄えて 恩頼ここに神にと共にありぬだそうですが 結局由緒はよくわかりません
鳥居をくぐった所にいた狛犬さんたちです
台座には 明治丗九年
八月中旬
石工 当村
高??吉 と刻まれていました
このお宮さんの社叢は 暖地植物と山地植物が
約300種繁茂し 原始の林相を示しているそうです
この樟の前に
「楠の木千年
1087(慶徳四年丁卯の春)
鎮守の守り」
と書かれた説明板がありました
樟のサイズがわかるかと思い 自転車を前に置いてみたのですが
少しは大きさがわかりますでしょうか
火曜日, 4月 10, 2012
日曜日, 4月 08, 2012
狛犬さん 1165
2012.03.14 愛媛県松山市中島粟井 桑名神社
由緒を調べて見ますと
鳥居の前にいた狛犬さん達です
狛犬さんの台座には 嘉永三年(1850)庚戌
八月 吉日建之
と刻まれていました
由緒を調べて見ますと
桑名神社は旧村社で 粟井馬頭山鎮座 市杵島姫命 保食神を祀り 大祭は10月17日である 境内に末社鷺の社がある 社伝によると 歌崎の網浦 古くから祀られていた来名戸神(交通神)のところへ 延暦23年(804年)厳島宮から市杵島姫命を 勧請したのが始まりとされている 社殿は 南北朝時代や天正13年(1585年)の兵乱など 幾度も焼失したとみえ 寿永2年(1183年)元禄12年 (1699年)文政4年(1821年)などの再建・改築時の 棟札が残されている 本殿は 慶応元年(1865年)8月 庄屋・粟原幸右衛門が 大願主となり 氏子全員が協力して再建したものである 総ケヤキ造りの彫刻は 喜多郡新谷(現大洲市)の亀太郎という 彫刻師と 大浦村大工の長七の合作であるが 彫刻師亀太郎とは 武智亀太郎 南梅本町にある松山市指定「日吉神社本殿」の 建築にも携わっている その総籠彫りは神社彫刻としては 愛媛県下随一のものといわれているだそうです
鳥居の前にいた狛犬さん達です
狛犬さんの台座には 嘉永三年(1850)庚戌
八月 吉日建之
と刻まれていました
土曜日, 3月 31, 2012
木曜日, 3月 29, 2012
狛犬さん 1163
2012.03.14 愛媛県松山市神浦 瀧神社
御祭神は 表筒男命 中筒男命 底筒男命
だそうです
玉垣の前にいた狛犬さん達です
詳細については不明です
御祭神は 表筒男命 中筒男命 底筒男命
旧村社 神浦字コオノハラ鎮座
素盞鳴尊・和多津見神・大山津見神
表筒男命・中筒男命・底筒男命を祀る
平安初期 忽那島が牛馬放牧地となった時
牛頭天王を守護神としたのが創始と伝えられている
忽那島開発記によると 寿永2(1183)年
藤原兼平が虎が滝に社殿を造営して
牛頭大明神宮と称したとある。
海上交通の要路にあたり 昔は潮流待ちででは停泊の船が多く
瀬戸内海に雄飛した忽那義範も
この地を本拠地としていたと伝えられる
海路を守る神としての筒男命三神住吉神として
古くから合祀されていた。
元禄12(1699)年9月杉田外有志によって再建され
瀧神宮と改称した
その後 文政6(1823)と天保13(1842)年に社殿を改築
明治4年瀧神社と改号した
だそうです
玉垣の前にいた狛犬さん達です
詳細については不明です
火曜日, 3月 27, 2012
狛犬さん 1162
2012.03.14 愛媛県松山市宮野 天満神社
狛犬さんの台座には
慶応元年(1865)
九月吉日
石工
藝?
廣邑
庄左エ門
と刻まれていました
旧村社、宮野ヨシヒロタ鎮座 菅原道真・須佐之男尊を祀る 創建は不詳であるが 元は須佐之男尊を祀っていたところへ 菅原道真公が築紫へ左遷される際 途中風浪のため 宮野に停船し 西山の丘で休憩されたことなどから 太宰府から分霊 合祀して天満宮と称した 建久3(1192)年9月社殿を造営し その後数度の改築もあったが 一時荒廃した 長師村より分離独立の後 杉野外有志の手によって再興された 明治4年天満神社と改称 昭和38年幣殿の再建と神殿修築をし 同年10月盛大な落成報告祭を行ったそうです
狛犬さんの台座には
慶応元年(1865)
九月吉日
石工
藝?
廣邑
庄左エ門
と刻まれていました
日曜日, 3月 25, 2012
金曜日, 3月 23, 2012
水曜日, 3月 21, 2012
月曜日, 3月 19, 2012
土曜日, 3月 17, 2012
狛犬さん 1157
2012.01.17 高知県高知市神田 大的宮
境内の説明版に依りますと
狛犬さんの台座には 明治四十五年(1912)十月吉日
と刻まれていました
境内の説明版に依りますと
大的神社だそうです
由緒
古来より松ノ本築の産土神である。
勧請年月縁起縁革未詳なるも、
延享二乙丑年(一七四五年)八月
再興、大的大明神本社拝殿の
棟札があるので、
此れ以前の鎮座である。
元、大的大明神又、松ノ本大明神とも
称したが、明治元年、大的神社と改称する。
元、無格神社であったが昭和二十一年
宗教法人大的神社となる。
祭神 経津主大神(フツフシオオカミ)
武甕鎚大神(タケミカツチオオカミ)
大山咋大神(オオヤマクイオオカミ)
狛犬さんの台座には 明治四十五年(1912)十月吉日
と刻まれていました
木曜日, 3月 15, 2012
火曜日, 3月 13, 2012
日曜日, 3月 11, 2012
金曜日, 3月 09, 2012
水曜日, 3月 07, 2012
日曜日, 3月 04, 2012
火曜日, 2月 21, 2012
月曜日, 2月 20, 2012
狛犬さん 1148
2012.01.16 高知市東久万 松熊神社
境内の説明版に
狛犬さんの台座には 昭和亦年
十二月吉日と刻まれていました
「亦年」がわかりませんが 読み間違いでしょうか
境内の説明版に
日本一社 松熊神社略記だそうです
松熊神社は大高坂松熊大神を鎮祭する
日本唯一の神社で御祭神は鎌倉時代から
土佐中部に割拠し代々大高坂城主であった
大高坂氏累代の最後の城主であり
戦国末期苦難の御生涯に庶民の安堵を念じつつ
神界に昇られたご神霊であります
御鎮座地は御祭神の御墓所で西久万鐘突堂と
称せられております。
御祭神御昇神の後此の地に鎮めました処
霊威忽ち現れ普く諸人の病災苦難癇気を
除かむとの神慮を畏み松熊大明神と尊崇し
社殿を造営して祭祀を営み御城奥より
毎度祈願の事有と明細帳にも記されております
昭和二十一年には高知市役所構内に鎮座の
大高坂神社(御祭神の祖)を合祭致しました
古来小児のかんき夜泣を伏せ息災生育の守護神として
又諸病諸災除の神徳著しい神社であります
狛犬さんの台座には 昭和亦年
十二月吉日と刻まれていました
「亦年」がわかりませんが 読み間違いでしょうか
月曜日, 1月 30, 2012
土曜日, 1月 28, 2012
木曜日, 1月 26, 2012
狛犬さん 1145
2012.01.16 高知県高知市愛宕山 愛宕神社
入り口にある説明版に依りますと
狛犬さんの台座には 大正七年(1918)
八月吉日
と刻まれていました
足元に子犬がいるのを見逃すところでした
入り口にある説明版に依りますと
愛宕神社御祭神の由緒と御神徳だそうです
御本社に伊邪那美大神と火産霊神を御祭りし
境内に杉尾神社天熊社の二社奉斎して有ります
沿革史に依ると寛永六年(1629)山城国より
勧請し承応二年(1653)土佐国守
山内忠義尊崇厚く藩内の防火鎮護と諸災防除
祈願の為藩祭を行い毎年米二十九石八斗九升余を
献納し祭典料としていたが明治三年(1870)
之を改正し金二十貫を献じたそれ以後山内家は
神社と旧別當吉田家に対し米二十余石を下給し
神社の経営発展に盡力されたが明治6年(1873)
之を廃すとあり斯様に藩政時代に於ては山内家の
援助と藩祭と齋行された為参詣者数千名に及び
神社が隆々として栄えた事が想起されます
今尚城下街高知市は勿論安芸郡や土阿県境に
接する豊永又本山方面に多数の崇敬者があり
毎年御神札を拝受し洪大無辺の御神徳を拝戴して
います伊邪那美大神は伊邪那岐大神との神婚により
神生み国生みの大神業を遂げられた神様です
故に結婚安産子育の守護神で火産霊神は
伊邪那美大神の御子に當り日常生活に欠く事の
出来ない火の守護神で火災を防護し悪霊悪病を
除き家運隆昌家内安全子供の健全な成長をお守り
します境内社杉尾神社に大物主神(別名大国主神)を
御祀し参拝者に寿福を授け商業を初め家業の興隆
子孫繁栄の守護神で天熊社(天熊命)は諸病治癒し
健康を守り無病延命の守り神様です皆様この由緒あり
御神徳殊に灼な當神社に参詣し有難い御利益を
戴き諸々の災難から遁れ一家円満に健康に恵れ
明く希望に満ちた人生を築きましょう
狛犬さんの台座には 大正七年(1918)
八月吉日
と刻まれていました
足元に子犬がいるのを見逃すところでした
水曜日, 1月 18, 2012
月曜日, 1月 16, 2012
狛犬さん 1143
2011.10.04 広島県福山市木之庄町 八幡神社
境内の入り口にある説明版に依りますと
台座には 昭和九年(1934)
三月十五日
と刻まれていました
チンチンしている狛ちゃんと逆立ち狛ちゃん
可愛いですね
境内の入り口にある説明版に依りますと
八幡神社 御由緒本殿に上って行く階段の下にいた狛犬さん達です
御祭神 応神天皇 神功皇后
市杵嶋姫命 湍津姫命 田心姫命
沿革 当神社は、建長年間(西暦一二〇九-一二五六)
越中守武政(一説に越後守ともある)が
木之庄の海岸を干拓し、新?を造成したとき
その守護神として西村武政山に建立、
下之庄西村八幡宮と称されました。
その後毛利氏時代西村能宮に遷座、
ついで永禄年間(西暦一三五八-一五六九年)
東村荒神社を合祀の上今の地に所原肥後?が
木之庄八幡宮を造営、東西??の住民による
宮?が構成され村の鎮守として江戸時代村民の
信仰を集め明治以後は「八幡神社」となり
木之庄町の氏神として崇敬され
現在にいたってます
台座には 昭和九年(1934)
三月十五日
と刻まれていました
チンチンしている狛ちゃんと逆立ち狛ちゃん
可愛いですね
土曜日, 1月 14, 2012
木曜日, 1月 12, 2012
土曜日, 1月 07, 2012
狛犬さん 1140
2011.10.04 広島県福山市北吉津町 福山八幡宮内總敏神社
境内の石板によりますと
台座に 嘉永二年(1849)
己酉二月吉日
と刻まれていました
吽形の頭には 小さなふくらみがありました
境内の石板によりますと
總敏神社だそうです
御祭神 水野勝成
例祭日 四月二十五日
備後国初代領主、水野勝成公を
祀る神社である。
勝成公は、徳川家康の従兄弟で、
大坂夏の陣に初戦を飾り、その功
により三河国刈谷より大和郡山を
経て、西国鎮衛として元和六年(1620)
この福山十万石の領主として赴任し
た。城下町造成のため困難を克服
して、南に東に干拓造成し、芦田
川の水を城下町に飲料水として導
入した。又領国経済の流通拠点と
すべく、商人群を城の大手前に移
転せしめ、特産物の藺草、畳表の
商いを奨励する等、数多くの善政
を引く。慶安四年(1651)死去。
霊社は城内に祀られていたが、
享保五年(1720)この地に
移される。勝成公は總明、俊敏と
称えられ、当社が總敏神社と
呼ばれる所以である。(
台座に 嘉永二年(1849)
己酉二月吉日
と刻まれていました
吽形の頭には 小さなふくらみがありました
金曜日, 1月 06, 2012
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