金曜日, 2月 25, 2011

狛犬さん 1042

2011.01.30 滋賀県近江八幡市宮前町 日牟礼八幡宮
 境内社の天満宮に居た狛犬さんたちです
 説明板によりますと
  
天満宮
   祭神 菅原道真公
  元宮内町に独立して祀った。
  慶長六年(1601)勧請。
  大正五年(1916)現慰霊殿敷地から移建。
  昭和二十八年(1953)より
  現在の姿で祀る。宮内天神、庄六天神とも
  伝え、文麟の灯籠と鉄斎の一筆の牛が
  名高い。大正五年慈元天満宮を合祀す。
   
    だそうです

 願掛けなのでしょうか
  狛犬さんの上や廻りが石だらけになっています

 台座に 明治三十九年(1906)
    と刻まれていました














 狛犬さんの顔のアップです
 吽形の目の所に一円玉が乗せられていますし
 阿形の方は 可哀そうに石ころを入れられていますね

木曜日, 2月 24, 2011

狛犬さん 1041

2011.01.30 滋賀県近江八幡市宮内町 日牟礼八幡宮
 境内の説明板によりますと
  
拝殿 入母屋造
  鎌倉時代の初期文治三年(一一八八)
  源頼朝公近江の守護職佐々木六角に命じて建立
  元文・文化の改築を経て
  明治二四・昭和一三・五三年に
  屋根葺替を行い先年の葺替で
  銅版葺に改めた。平成九年
  床板等を主に改修の工事を実施
  現在に至っています
  
 又別の説明板によりますと
  
御本殿 (三間社流造
             向拝千鳥破風付)
  八幡大神をお祀りした建物で
  延暦二年勅願により宇佐の神を
  勧請して創建されました。嘉暦・
  弘治・万治・享保・文化と数回に及ぶ
  修復造替を経て、明治二十四年昭和十三年
  昭和五十三年と屋根葺替が行われ、
  先年の葺替により従来の桧皮葺を
  銅版葺(軒付桧皮)に改めた
    そうです

 桧皮葺にするのは大変なのでしょうね
  改修する前の姿を見て見たいと思いました

 楼門の中に居た狛犬さんたちです
 木製ですね
 周りの金網が邪魔で 
   とても写しにくい狛犬さんたちでした
 詳細については分かりませんでした

水曜日, 2月 23, 2011

狛犬さん 1040

2011.01.30 滋賀県近江八幡市宮内町 日牟礼八幡宮
 このお宮さんは 火祭りで有名ですね
 大きな楼門のある 立派なお宮さんでした
 
 楼門の前にいた狛犬さんたちですが
 周りに立っている幟がとても邪魔でした
 
 台座には明治四十一年(1908)
      十二月一日  と刻まれていました

月曜日, 2月 21, 2011

狛犬さん 1039

2011.01.29 滋賀県甲賀市信楽町 新宮神社
 本殿の前に居た狛犬さんたちです
 唯一 石造の狛犬さんです
 
 年号らしきものがあったのですが
 写真の写りが悪かったので 読み取れません
 しかし そんなに古い狛犬さんではなさそうです















 木像の高麗犬(鎌倉時代)があるようですが
 何処かに 保存しているのか
 社殿の中に居るのか わかりませんでした





 

日曜日, 2月 20, 2011

狛犬さん 1038

2011.01.29 滋賀県甲賀市信楽町 新宮神社
 説明板によりますと
 
新宮神社御由緒
  御祭神 素盞鳴命 稲田姫命 大山津見神
   新宮神社は奈良時代の霊亀元年(七一五年)
  九月に創建されました。それ以来、信楽町
  大字長野、神山、江田、小川の「産土神(氏神)」
  として広く人々から尊び崇められ社号を
  「新宮大明神」と呼ばれていました。これまでに
  近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等に
  篤く信仰され、代々当社に境内神領などの
  寄進がありました。
   南北朝の戦(一三三六年)の兵火にて
  焼失して再建されたが、その後大風の為、
  本殿が大破し、寛文三年(一六六三年)十一月に
  現在の本殿が再建されました。
   明治九年(一八七六年)十月「村社」に、
  大正二年(一九一三年)四月
  「神饌幣帛料供進神社」に指定、
  大正四年(一九一五年)五月、長野字西出と
  宇川東の二箇所に「山神社」として
  「大山津見神」を祀られていたのを、
  当社に合祀されました。
   大正十三年(一九二四年)には「郷社」に昇格。
  現代は「紫香楽一乃宮」として篤く崇敬されております。
      だそうです
 
 台座に 昭和五十年(1975)二月吉日
  と書かれていました
 目鼻立ちがはっきりした 狛犬さんたちですね

土曜日, 2月 19, 2011

狛犬さん 1037

2011・01・29 滋賀県甲賀市信楽町 新宮神社
 お宮さんの傍まで行くと 鳥居の前に
 こんな素敵な狛犬さんが座っていました
 
 大正亥子会還暦記念
    昭和五十八年(1983)二月吉日
  と書かれていました
 昭和五十八年は癸亥になります
 狛犬さんのお尻に 双芳作 と刻んでありました

金曜日, 2月 18, 2011

狛犬さん 1036

2011.01.29 滋賀県甲賀市信楽町 愛宕神社・陶器神社
 信楽焼と言えば 酒瓶を下げたタヌキの置物で有名です
 参道にある説明板によりますと
        
   愛宕山頂に祭祀する愛宕神社が、
  千二百年の伝統を誇る信楽焼の生産と
  不可分の関係にあり、それは、毎年七月に
  山頂の愛宕神社に松明を奉納する荘厳にして
  古式床しい神事が古くより行われており、
  また東京の有名な芝愛宕神社は、徳川家康が
  慶長八年に幕命によって、この信楽の
  愛宕神社の分霊を江戸に移し参らせたもので
  あることと多くの歴史学者の
  肯定している処であります。
   陶郷信楽の中心点ともいうべき愛宕山頂の
  陶器神社は、その御祭神を火の守護神
  「愛宕権現」と、土を司り給う「加具土師」
  及び焼物を始めとする当地方文化の祖
  「天日鉾命」祭祀し、遠く我々の祖先より
  祀り継がれてきた。正しく我が陶器産業の守護の
  神社であります。
         陶器神社奉賛会
   だそうです

 このお宮さんは鳥居も灯籠も信楽焼で出来ていますし
 本殿の横には 沢山の狸さんが勢ぞろいしています
 狸さんたちは 各製陶所の名前が入っていました
 
 社殿は小ぶりですが 狛犬さんは勿論信楽焼
 台座に明治三十七年(1897)辰第四月
    製造人 菱乕
 狛犬さんのお尻のあたりにも◇乕と書かれていました














 参道の途中にお稲荷さんが祀られていましたが
 その前に居る キツネさんも焼き物だと思います
 台座に 2009 初午
    贈 ㈱三彩
 製陶の会社からの 贈呈ですね

 この狐さんたちも個性的で素敵でした


 
 

火曜日, 2月 15, 2011

狛犬さん 1035

2010.01.29 滋賀県蒲生郡日野町 石原神社
 境内の石碑によりますと
 
石原神社記
  一、御祭神 須佐之男命
  一、御由緒 勧請年月不詳
   社伝に因れば往古、当地方に疫病流行し
   邑民甚だ苦しみし時、氏神竹田神社の
   神官安井春阿弥、須佐之男命を祭りて
   祈るや則ちにしておさまりしを以ちて、
   山城国八坂神社の御分霊を勧請し
   斎き祀りしとある。古へは牛頭天皇と
   稱せり。年々七月十四日よりの大祭は
   盛大にて、献ぜられる灯篭は邑民手工芸の
   技巧を競い、その風趣他に類を見ず夏の
   風物詩として世に知られ遠近よりの
   参拝者にて賑えり
   
 また 別の説明板によりますと
 
祇園社
  祇園社は京都にある八坂神社の分祀社ではあるが、
  元来は疫病の侵入を防ぐ神である牛頭天王を
  祀る神である。従って石原村が発生した当時から
  村の鎮守社として祀られた神社であろう。
  本殿横の石造灯籠に南北朝時代の
  貞和4年(1348)造立の刻銘があり、
  優れた石造物として町指定の文化財になっており、
  村と神社の歴史の古さを物語っている。毎年
  夏の例祭は祇園さんと呼ばれて大灯籠が奉納されて
  大変にぎわう。
    日野町観光協会・必佐公民館
    だそうです

 狛犬さんの台座には
  昭和八年(1933)二月 と刻まれていました

月曜日, 2月 14, 2011

狛犬さん 1034

2011.01.29 滋賀県東近江市鋳物師町 竹田神社
 境内に貼ってあった由緒書によりますと
 
竹田神社由緒略記
 御祭神 
  天津彦根命(あまつひこねのみこと) 
    天照大神の御子にあらせられ、
    国土を開拓し、農具を造り、農業を教え給ひし
    神にましまして、蒲生稲置の祖神と崇め奉る。
  天目一箇命(あめのまひとつのみこと) 
    天津彦根命の御子にあらせられ、
    草薙の御剣を鍛造し給ひし神にましまして、
    日本鍛冶の祖神と崇め奉る。
  石凝姥命(いしこりどめのみこと)
    神鏡、八咫鏡を鋳造し給ひし神にましまして、
    鋳物師の祖神と崇め奉る。
  大己貴命(おおなむちのみこと)
   (御子、事代主命)
    世に大黒、恵毘須と並び称えて、
    福の神と仰ぐ神にましまして、
    国土開発、産業振興、諸病を治め給ひ、
    又縁結びの神として崇めまつる。
  大屋彦命(おおやひこのみこと)
    樹種を分播し、植樹し給ひし神にましまして、
    木材を扱ひ、家宅を建つる工匠等の
    崇め奉る神にまします。
  由緒
    当社は、人皇第十代崇神天皇の七年(皇、五七〇
    西前、九一)水穂真若王が勅を奉じて
    御創建遊ばされた二千年の古社にして、
    延喜式内の菅田神社は当社である。
     成務天皇五年十月(皇、七九五 西、一三五)
    蒲生稲置管掌の地は、東北の境は愛知川及
    伊勢地方、西は三上山から湖辺に及び、
    南は伊賀に至る地域であったと云ふ。三麿は
    蒲生稲置中興の祖であり、智勇兼備、その徳
    近江に洽く、欽明天皇六年(皇、一二〇五
    西、五四五)綿向神社の祠宇を造営し、
    推古天皇十五年二月百七才にて帰幽す。生前の
    徳を仰ぎて祖神の座に配祠す。
     天智天皇七年五月(皇、一三二六 西、
    六六六)天皇当社に太刀打神事を行はしめ給ひ、
    幣帛を奉り給ふ。当社からは祖神の造り給ひし
    剣一口、並に伝来の鉾一本を献上せり。又
    藤原鎌足公の命により朝日山より日蔭蔓を採り
    朝廷に献ず。これより御即位の大甞会ある毎に
    献納するを例となす。
     桓武天皇の延暦十六年(皇、一四五七 西、
    七九七)坂上田村麿、当社に武運長久を祈り
    本殿を再建す。
     寛仁二年三月(皇、一六七七 西、一〇一七)
    後一条天皇、当社社殿を今の地に造営し、御遷宮の
    典を挙げさせられ、勅使藤原季忠を遣はし幣帛を
    奉り給ふ。
     後冷泉天皇の天喜四年(皇、一七一六 西、
    一〇五六)大神主頼俊、野部勘六に鋳物師統領職の
    綸旨を給ひ、大日本鍛冶鋳物師の統領となる。
     元歴元年(皇、一八四四 西、一一八四)
    源頼朝当社に使者を遣はし武運を祈る。
    後鳥羽上皇、当社に御参籠遊ばされ、野部、増倉と
    共に刀を打たせ給ひ、
     今もなほわざならひて剣太刀
       打つべき人の祈る神垣
    と御製を献じ給ふ。
     康永三甲申(皇、二〇〇四 西、一三四四)
    足利尊氏石灯籠を寄進す。
     文亀三年(皇、二一六三 西、一五〇三)兵燹に罹り、
    拝殿、回廊、宝庫炎上したるにより、蒲生貞秀(智閑)
    再建す。又不思議の神助ありとて神田を寄進す。爾来
    蒲生家代々の崇敬厚く、天文十年(皇、二二〇二 
    西、一五四二)蒲生下野守賢秀本殿を再建し、天正二年
    (皇、二二三四 西、一五七四)蒲生氏郷、神領
    百五十石並、狛犬一対を寄進す。
     天正年間、豊臣秀吉当社に参拝し、神能を奉献す。
    現在当社に伝ふる「菅田」の能これなり。
     慶長六年二月(皇、二二六一 西、一六〇一)
    豊前小倉の藩士伴治左衛門当社に参拝し祭資料を
    寄進し古式の祭事を復興す。
     後水尾天皇宝永二年(皇、二二八五 西、一六二五)
    二月二十八日正一位の宣旨あり。
     領主市橋家より氏神として崇敬殊の外厚く、毎年一月、
    四月に領主の参拝あり、月々には家臣をして代参せしめ
    祭資料を奉れり。
     当社の古文書の多くは文亀三年の兵燹により
    湮滅したるも、古来皇室、並武将の信仰厚きのみならず、
    広く世人の信仰をあつめ、鍛冶、鋳物師等金属製品を
    扱ふ人達の祖神として、又農耕をなす者の祖神として
    崇敬するの外、古くより開運繁栄、諸災難除け、方除け、
    火防、縁結び安産の守護神として信仰する者多く、
    御神徳いやちこにして、霊験を顕はし給ふこと、あたかも
    響の音に応ふるが如く、いとも尊き神にてましますなり。
    
   だそうです

 このお宮さんは 木喰上人が造った狛犬さんで有名です
 
 木食とは 五穀(米 麦 粟 稗 黍)あるいは十穀を絶って
 山菜や木の実しか口にしないと云う 修行の事だそうです
 木食上人は 何人かいるそうですが この仏像を彫った事で
 有名な木喰上人は 食に口片が付いた 木喰上人です

 現在お宮さんにいる木喰狛犬は レプリカだそうです
 どちらも 頭に宝珠のような物が乗っています
 

日曜日, 2月 13, 2011

狛犬さん 1033

2011.01.29 滋賀県東近江市鋳物師町 竹田神社
 本殿の前に居た狛犬さんたちです
 
 台座には 明治三十四年(1901)
      十月吉日
        寄附
 と刻まれていましたが
 狛犬さん自身には 
 昭和四十三年(1968)十二月再建
    と刻まれていました

 明治生まれの狛犬さんは もういないみたいでした















 塀の中にもう一対狛犬さんがいたのですが
 残念ながら 片方しか写せませんでした

 台座には 御大典記念
   昭和三年三月  と刻まれていました
 昭和三年の御大典は 昭和天皇の即位式だそうです
 明治に 東京奠都したため 御大礼は
   京都で行うよう決められていたそうです
 その為 昭和天皇も京都まで行ったそうですが
 その時 進むスピードが決められていて
 1分間に 86mだったそうです
 時速に直すと 5160m
  人が歩くより ほんの少し早いくらいですね


 

土曜日, 2月 12, 2011

狛犬さん 1032

2011.01.29 滋賀県東近江市鋳物師町 竹田神社
このお宮さんには 鳥居が二つあり
前回の狛犬さんは 奥の方の
鳥居の前に居た狛犬さんでした
今回の狛犬さんが 参道を入ってすぐの
鳥居の前に居る狛犬さんです

台座には 昭和五十二年(1977)
     九月吉日   と刻まれていました

水曜日, 2月 09, 2011

狛犬さん 1031

2011.01.29 滋賀県東近江市鋳物師町 竹田神社
 御祭神は 天津彦根命 天目一箇命
      配祀神 大己貴命 石凝姥命 大屋彦命
 
御由緒
 社伝によれば、崇神天皇の御代
 明神森の地に創祀し、延暦6年(787)
 坂上田村麿社殿を再造す。
 延喜式内の菅田神社は当社であるという。
 寛仁元年(1017)今の地に移し
 地名竹田により竹田神社と改める。
 天目一箇命を奉斎するのは
 古へ毎年9月19日の祭日に
 稲60穂を伊勢の多度神社に送る
 ならわしがあり、同神の分祀である事を
 語る古例である。境内に古い石灯籠
 一基あり康永3年(1344)甲申云々と
 刻すもので、足利尊氏の寄進と伝へられている。
 文亀3年の乱、兵燹に罹り社頭炎上し
 蒲生賢秀が再建する。爾来蒲生家代々の
 崇敬篤く、天正2年(1574)蒲生賢秀は神田及び
 狛犬一対を奉納する。
    だそうです
 
 鳥居の傍に居た狛犬さんです
 台座に 昭和五十二年(1977)
     九月吉日  と刻まれていました

火曜日, 2月 08, 2011

狛犬さん 1030

2011.01.29 滋賀県蒲生郡日野町 竹田神社
 ご祭神は 天麻比都津神
      伊斯許理度売神
      配祀神 市杵島姫神
 
御由緒
 社伝によると 寛永6年(1629)蒲生町鋳物師の
 竹田神社より分祀し 創祀された
 配祀神は 丹波国竹田郷より
 遷座したものである
 旧領主有馬家より度々参拝あり
 また延享5年(1748)大改修を加えた
 寛永6年延享5年の棟札を存する
 明治9年(1873)村社に列す
 石造手水鉢に享保14年(1729)
 石灯籠に安永3甲午(1774)の銘がある
 境内社南宮神社は勧請年月日不詳
 南宮御前と称したこともある
 大字小谷の中央部に鎮座していたが
 境内に移転し鎮座する
     だそうです

 また 境内の説明板には
 
竹田神社
 竹田神社と円林寺の一帯は、鎌倉時代から
 室町時代にかけての日野谷の領主
 蒲生氏の居城小谷城の城域といわれている。
 その頃にほど近い鋳物師村の竹田大明神を
 勧請したのが創建と考えられる。
 室町時代中期蒲生氏の本城が音羽城へ
 移された以降は、蒲生氏の分家であった
 小谷氏を中心とした村人達が、村の鎮守として
 崇敬護持してきた。明治の末年にこの付近一帯が
 蚊屋野公園として整備され遊客でにぎわった。
      日野観光協会・必佐公民館
 
     だったそうです

 狛犬さんの台座には
 大正六?(1917)八月
   と刻まれていました















 本殿の前の柱の上に 不思議なものがありました
 御神紋が真向兎なので 兎でしょうか
 しかし どう見ても兎に見えません
 最初見た時 イタチかと思ったのですが
 

土曜日, 2月 05, 2011

狛犬さん 1029

2011.01.21 愛媛県松山市北条辻 鹿島神社
 神功皇后が三韓征伐の時 この鹿島に立ち寄り
 武甕槌神・経津主神を祀り 戦勝祈願・航海安全を
祈願したとの伝承があるそうです
又 京都の祇園祭の船鉾に 鹿島大明神を祀るのは
この伝説によるものだそうです

 他にも「要石」の伝説があります
この地方では、昔から地底に大鯰がいて、
常には静まっているが 目覚めてあばれだすと
地震になって大地が振動すると考えられていた。
この地震を起こす大鯰の頭を、鹿島の神様が
「要石」で押さえているので、この風早地方には
地震が少ないと言い伝えられてきた。
かたわらの石に次の歌が刻まれている。
  ゆるぐとも
よもやぬけじな要石
鹿島の神のおわすかぎりは

狛犬さんの台座には
文政八年(1825)乙酉九月吉日
海辺に在る狛犬さんですが
余り磨滅していず 二百年近くたっているとは
思えないほど 奇麗な狛犬さんです

石工さんの名前も刻まれていましたが
 読み取れませんでした

金曜日, 2月 04, 2011

狛犬さん 1028

2011.01.02 愛媛県松山市古川北 三嶋神社
境内の説明板によりますと
三嶋神社 縁起
和霊神社 縁起
稲荷神社 縁起

三嶋神社は、今から約千二百年前、
河野家崇敬の大山祇神社(大山積神)を
勧請し、三嶋神社として朝生田の鎮守と定めました。
その時、大三島の本社から弓矢、刀剣、兜、
鉄砲、馬具、薙刀、具足など沢山の宝物を贈られました。
申すまでもなく、大山積神は、天孫瓊々杵尊の皇妃として
迎えられた木花開耶姫の父にあたり、天照大神の
兄神様で日本建国の功労者であり、
日本全土の総鎮守であります。
和霊神社は、宇和島の和霊神社を勧請したものですが、
その和霊神社は、仙台藩主伊達政宗の長男秀宗が
大阪冬の陣の戦功により、宇和島藩十万石の領主として
新封を受け、その家臣である総奉行の
山家清兵衛公頼を祀っております。
山家清兵衛は、宇和島藩の財政再建を図る途上、
俗に云う宇和島騒動で非業の死を遂げた訳ですが、
後年藩主伊達秀宗がその忠節を称え、
清兵衛の至誠奉公の行績は、万世の後までも
輝いているのであります。
お稲荷さんの御祭神については、古来から
色々と云われておりますが、伊勢外宮の豊受大神即ち、
五穀を作る生産の神様とか、或はスサノオノ命の御子だあるとか、
或は豊川稲荷の如く仏教に云う語法の神とか諸説がありますが、
稲荷信仰は古くから伝えられ、要するに生産の神として
崇められ、今日では広く商売繁盛、開運安全から
諸願成就まで幅広く行きわたって信仰されているので、
吾郷土の産業発展を祈願して、京都伏見稲荷を
勧請したものであります。
このようにして私たちの祖先は、日本全土の総鎮守たる
大山積神、至誠奉公の義人山家清兵衛公頼、
生産興業の実力者稲荷神の教える精神と行績をたたえ、
更に郷土の安泰を祈願して、合祀したものであります。
末永く、和光同慶の里として平和と繁栄を祈念いたします。
だそうです

狛犬さんの台座には 昭和六十二年(1987)四月吉日
伊予松山
石匠 相原誠鳳
と刻まれていました

水曜日, 2月 02, 2011

狛犬さん 1027

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦町 人丸神社
神社の全てが 新しく
古い狛犬さんは 居ないのかと思いました
しかし 境内の隅に居ました
どちらも顔が崩れ かなり磨滅しています
残念ながら 詳細は不明です

火曜日, 2月 01, 2011

狛犬さん 1026

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦町 人丸神社
 境内の石碑に依りますと
由来
当里浦の地は日本書紀にある蜑男狭磯の
感動的故事から「里の蜑」といわれ歌枕となり
古来多くの歌に詠まれた名所である。里海荘は
歌聖を祭り歌を捧げる人丸影浜の料として
清少納言の父清原元輔の所領以来世々伝領された。
当社は里蜑人丸神社ともよばれ、益田市の
柿本神社、明石市の人丸神社とともに
日本三社の一である。
柿本人麻呂がこの磯辺に船寄せたと伝える
ゆかりも古く元永元年(1118)に
修理大夫の藤原顕季が六条東洞院で催した
人丸影供は歌聖の画像を掲げ酒果を供え
儒仏の法をも併せ祭った荘重にして典雅な
画期的祭典であり、その資は実に里浦の荘の料であった
???建立及び正応(1288~1292)の頃に
和歌所で行われた人丸影供も亦里の蜑の料によって
賄われた。影供の都度その資にこの地の年貢が当てられて
使途は定着し  里浦の庄には人丸の神詞が祀られた。
鳴門市里浦出張所のあたり天神の森に年久しく祀られてあった
古祠???寛政の頃(1789~1800)?北の山根に?し
社殿を造営して奉齋した。この間豪族の山野??や土地領有の
??するとして、この地は人丸の祠を祭って兼併???
安堵を得人丸に対する尊崇が高まった。
人丸は学問歌道の神である。歌聖を慕って全国各地から
歌人文人か?り詣で和歌を奉納する儀は絶えず、歌会もまた
しばしば????きた。
このたび併せて改築された十五神社の境内に残る
蜑の古?を修復しかつ男狭磯の功を讃える碑を
寄進した。
以下略

人丸神社三社の内の一つと書かれていますが
違う資料では 人丸神社は252社あるそうです
人丸信仰は除難祈願で タタラ師・木地師等の
職人集団の移動により広まったとか
話としてはこの方が面白いと思いますが
土地の方が誇りとしている事に クレームは付けません

階段の先に在る鳥居の手前にいました
詳細は不明ですが 新しい狛犬さんですね

水曜日, 1月 19, 2011

狛犬さん 1025

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦 十二神社
本殿の前にいた狛犬さんです
台座には 昭和六十年(1985)十月吉日
と刻まれていました

火曜日, 1月 18, 2011

狛犬さん 1024

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦町 十二神社
男狭磯の伝説が伝わっています
蜑井
第十九代允恭天皇の十四年(四二五)九月、天皇
は淡路において狩猟をおこなわれたが、少しも
獲物がなかったので占わしめたところ、
赤石の海底にある真珠を採って島神に祭る
ならば獲物を得さすであろうと いうの
であった。ところが海の深さが六〇尋(一〇九メートル)
に余りだれも海底に至るものがなかった。
ただひとり阿波国長邑の蜑夫男狭磯が 海
底に至り大あわびを獲て浮かび出てきたが
浮かび出るとともに息が絶えた。
この大あわびを割ってみると桃の種子ほども
ある真珠があったので、これを島神に祭ったと
ころたくさんの獲物があった。天皇は男狭磯の死を
あわれみ墓を造って厚く葬らせたもうた と
いうことが「日本書記」にみえている。

長邑は今の里浦で、この附近が蜑屋敷であり
この古井戸が蜑井であると伝えられている。
蜑井碑は天保五年(一八三四)板野郡撫養林崎の
近藤利兵衛という篤志家がこの蜑井がわから
なくなることを憂いて建てたものである。
だそうです

男狭磯の墓を守っていた狛犬さんです
















これが男狭磯の墓と蜑井です

月曜日, 1月 17, 2011

狛犬さん 1023

2010.12.20 徳島県鳴門市里浦町 十二神社
神社の名前通り 十二の神様を祀っているとか
明治40年に十二神社となったそうです

887年に豊前宇佐八幡から勧請されたそうです
1262年 細川頼之は細川清氏の討伐を祈願し
社殿を造営 ご神像等を奉納したそうです

宇佐八幡から勧請したのでしたら
御祭神は 応神天皇(誉田別命)ですね
明治期の神社合祀令で
神様の数が増えたのかもしれません

本殿に向って右側に在る
小さいほうの鳥居の先にいた狛犬さんです

日曜日, 1月 16, 2011

狛犬さん 1022

2010.12.20 徳島県鳴門市妙見山公園 妙見宮
御祭神は 天御中主神 事代主神だそうです
創建は 室町幕府の12代将軍足利義植が
都を追われ 周防国(今の山口県)に亡命中
ここに 勧請して社殿を作ったのが 初めだとか
結局義植は この地撫養で没したそうです

妙見信仰と云うのも 面白いですね
仏教では妙見菩薩
神道では天御中主神 
この神様は 天地開闢の時出現した神様で
あ余り信仰の対象にはなって無かったようです
道教の天の中央の至高神 信仰が加わり
北極星 北斗七星信仰になって行ったようです

このお宮さんは長い階段を登り積めた先にありました
お宮さんの前に在った説明板によりますと
開運 妙見神社
当神社は、「造化の神 天御中主神」を祀る。
この神社は古く大地の末だ成立しない頃大空の真中に
生れ給い天地万物の大元をおすへになり、有形、
無形のみたまとして永久に世に幸を与えられた。
そのおゝみいつによって次々に神々がお現れに
なりその尊い御神徳は計りしれない。
故に、開運、延命、長寿、安産、海陸交通安全
の守護神として広く信仰されている。
平安末期、中国より伝わった北辰(北極星)信仰
と結びついて妙見社として祀られるようになった。
天保元年(一八三〇)旧城主、四宮加賀守の子孫と
撫養町林崎郷の近藤利兵衛氏がこの城址に妙見
神社として再建した。
史蹟 撫養城址
天正十三年(一五八五)蜂須賀家政が阿波に入国し
国内九カ所に城塞を設けた。阿波の九城という。
撫養城は淡路渡海の押さえとして異母弟の益田
内膳正忠を城番にし手勢三〇〇名をもって守らせた。
寛永十五年(一六三八)一国一城の令により阿波
九城は破却された。
社殿後方の城石は当時の面影を残している。
だそうです

狛犬さんの台座には 唐獅子 壹對
大正 八年(1919)六月と刻まれていました

一見 備前焼に見えましたが
鳴門には 大谷焼と云う焼き物が有名です
主に水瓶などの 大きな陶器類を作っています
この狛犬さんは 大谷焼ではないかと推測しました
 近くで見ると 肌合いが備前焼とは違います

木曜日, 1月 13, 2011

狛犬さん 1021

2010.12.20 徳島県鳴門市岡崎 西宮神社
 御祭神は 事代主命 倉稲魂命 
表筒男命 中筒男命 底筒男命
神功皇后
由 緒:創建年代不詳。
「阿波志」に「西宮岡崎村に在り即ち蛭子」と記し、
また「寛保改神社帳」には
「岡崎村 住吉合祀西宮大明神別当岡崎村蓮華寺」
そして慶長九年(1604)の棟札に
「岡崎大明神」とあるのを
享保年中(1716~1735)に
「西宮」と改称したと伝えている。
(徳島県神社誌)
だそうです
「住吉合祀西宮大明神」と書かれています
「表筒男命 中筒男命 底筒男命 神功皇后 」の神様は
大阪に在る 住吉大社の御祭神
ここ鳴門市には 事代主を祀った神社が多くあります
 事代主神は恵比須さんと同一視されているので
西宮神社は 兵庫県西宮市に在る西宮神社と
何か関係があるのかもしれません
兵庫県の西宮神社は 「えべっさん」の総本社です

狛犬さんの台座には
天保二(1831)卯歳
九月吉日   と刻まれていました

水曜日, 1月 12, 2011

狛犬さん 1020

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町立岩 八幡神社
境内の説明板によりますと
御造営記念碑
八幡神社は、応神天皇を御祭神として
お祀り申し上げております。
本社は、敬神の念厚き立岩の郷人に護られ
産土神として厚く崇敬せられてまいりました
八幡神社は、元禄三年に御遷座され、
御建造せられたお社であります。
建立当時の棟札が今も現存しております。
しかし社伝によれば本社は往古現在地の
西方に在る恵比須神社の附近に御鎮座せられていたものを
現在の社地に奉遷座せられたものであると
伝えられております。御創建以来三百余年の
歳月を経た社伝も腐朽が著しく破損個所も
各所に至り御神意に対し誠に申し訳なき
次第となりました
以下略

鳥居をくぐると 手前にこの狛犬さんたちがいます
台座には 昭和六十二年(1987)十一月吉日
と刻まれていました

火曜日, 1月 11, 2011

狛犬さん 1019

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町立岩 惠美須神社
狛犬さんの詳細は不明ですが
それほど古いものには見えませんでした














神依岩
この神依岩の割れめには放射線が飛びかい
病気がちの人々には大変ご利益又家内安全
無病息災があると有名なある大学の考古学者の
教授が申されております このような立派な
岩を放置する訳にいかず鳥居を建立して
神依岩と命名し参拝をしております

月曜日, 1月 10, 2011

狛犬さん 1018

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町弁財天 市杵島姫神社
 真っ赤な両部鳥居の建つ 
優美な感じのお宮さんです

狛犬さんの台座には
明治十四年(1881)
巳六月六日
(剥落しているので間違っているかもしてません)
 ??(地名だと思いますが読み取れませんでした)
石工 久大郎
吽形の方は 顔が欠け 痛々しい姿です

日曜日, 1月 09, 2011

狛犬さん 1017

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町黒崎 塩釜神社
境内の由来書によりますと
桜花
松のみどりの はざまより
こぼれて匂ふ 鹽竃の森

由来書
当塩釜神社(鹽竃=旧字体)は、古文書によりますと、
江戸時代初期の慶長四年(西暦一五九九年)、鳴門に塩
田を開基した馬居七郎兵衛の後代・馬居七郎左右衛門
が、明暦三年(西暦一六五七年)、奥州松島(現宮城県
塩竃市)の「鹽竃大明神」に鎮座されるご神霊を”塩の守
護神”としてお迎えし建立されたとあり、その主祭神は
「塩土老爺神(しおつちおじのかみ)」で、神徳は製塩
守護だけでなく航海安全、交通安全、安産守護などと
されております。
その後、塩釜神社は家内安全、五穀豊穣、商売繁盛
などの神徳を加えた“氏神さま”として崇敬され、今日
に至っておりますが、いかんせん現在の社は大正一四年
(西暦一九二五年)に建立されたもので、必然的に老朽
化に伴う改修工事が行われてきたものの、先の阪神淡路
大震災の影響が大きく、雨漏りによる拝殿屋根の腐食
などで祭祀を行うのにも極めて危険な社となってしまい、
大規模な改修工事を施すことが不可避かつ急務の課題
となっておりました。
このため、塩釜神社総代会は、宮司指導のもと平成
二一年春から検討を重ね
①改修計画推進母体を「塩釜神社大改修奉賛会(同年末
結成)」とする
②文化財級の神社彫刻などを可能な限り保存する方
向で改修する
③改修原資は氏子だけでなく鳴門市内の元塩業家や塩
関係企業からの寄付金とする
ことなどを決定して計画を推進し、改修事業は平成二
二年四月着工・同年十月竣工 ここに平成の大改修
を経た社が完成したものです。
だそうです
かなりの御苦労があったことと思いますが
お宮さんを大事に守っていらっしゃる方々
頭が下がります

狛犬さんの台座には
         安永九年(1780)
        子 九月
   石工  高嵩
(高はあってるかと思いますが後の字は違うと思います)
   い???や
石工さんの名前の崩し字は 私には判読できませんでした

吽形の頭には 角と云うか小さな突起が付いています

土曜日, 1月 08, 2011

狛犬さん 1016

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町黒崎 宇佐八幡神社
この狛犬さんたちは 本殿の前にいました
この狛犬さんたちのデザイン
どこかで見かけたのですが 何処だったでしょう

この写真では分かりにくいのですが
阿形には 男性のシンボルが付いています

金曜日, 1月 07, 2011

狛犬さん 1015

2010.12.20 徳島県鳴門市撫養町黒崎 宇佐八幡神社
境内の石碑によりますと
平成六年(1994)で 
宇佐八幡神社は 三百五十年を迎えるそうです
と云うことは 寛文四年(1664)の創建ですね 


しかし 拝殿の中に在った年表によりますと
一六〇〇年頃 慶長年間
五郎右衛門(大谷家の祖)が
播州尾崎から八幡宮を勧請し
現斎田大池の自宅内に祀って
斎田村の氏神としたと伝えられる
一六四四年  正保元年
孫太夫(鳥居)五郎兵衛(大谷)ら
氏子中が現在地に社殿を遷した
と書かれていたので 
少し 年代があいませんね

又 別の石碑によりますと
改築記念碑
当神社は古昔より仲哀天皇應神天皇神功皇后を
ご祭神として奉祀し宇佐八幡神社と奉稱して
親しまれ我々は撫養郷の守護神として祖先代々
崇敬し今日に至ったのであります
昭和二十年終戦と共に神社は国家の庇護をはなれ
且世情人心共に一変して恵まれざる時代を迎えるに
至りましたが戦後三十年挙国一致の努力が
実を結び我国の成長発展と共に人心安定して
敬神崇祖の念おのづから甦り
我が宇佐八幡神社にも社殿改築の議起り
昭和五十年七月改築奉賛会が設立され
幾度か会議を重ね寄附名に銘記のとおり
篤志多くの方々から浄財を仰ぎ斯くも
荘厳華麗なるご社殿を改築できましたことは
誠にご同慶の極みでございます
本日茲にめでたく竣工奉告祭を執行するにあたり
氏子一同待望久しかりし御社殿改築の
偉業完成を慶ぶと共に深く神恩に感謝し
神人共に益々弥栄ならんこと祈念し
この碑を建立し次の世代に遺す次第であります
昭和五十四年(1979)二月十一日
宇佐八幡神社改築奉賛会
と云うことだそうです

 本殿より手前にいた狛犬さんです
台座に 平成七年(1995)六月吉日建之
と刻まれていました

水曜日, 1月 05, 2011

狛犬さん 1014

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社内境内社
 神社の名前がわかりません
がしかし 桑島八幡神社の境内社です

狛犬さんの詳細は分かりませんが
吽形の方は叢に隠れるように座っていました

火曜日, 1月 04, 2011

狛犬さん 1013

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社内天照皇大神宮
写真の撮り方が悪くて ちょっと自信がありませんが 
多分このお宮さんの狛犬さんたちだと思います

台座に 昭和十四年(1939)十月吉日
と刻んでありました

月曜日, 1月 03, 2011

狛犬さん 1012

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社内秋葉神社
境内を歩くと 本殿の裏の方に秋葉神社
そのお宮さんを守護している狛犬さんたちです
 秋葉神社ならば 御祭神は火之迦具土神でしょうか
火伏せの神様ですね

狛犬さんの詳細についてはわかりません

日曜日, 1月 02, 2011

狛犬さん 1011

2010.12.19 徳島県鳴門市大桑島 桑島八幡神社
お宮さんの鳥居をくぐり
階段を上がった先の本殿の前にいました
台座には 昭和六年(1931)正月
石工 富永寛五郎
仝   高太郎
日清日露戦役
凱旋紀念
と云った文字が刻まれていました

日清戦争は 明治27年(1894)7月から
明治28年(1895)3月まで 行われた
大清国(中国)との戦争の事です

日露戦争は 明治37年(1904)2月から
明治38年(1905)9月まで 行われた
露西亜帝国との戦争の事です

土曜日, 1月 01, 2011

狛犬さん 1010

2010.12.19 徳島県鳴門市撫養町大桑島 桑島八幡神社
〆柱をくぐるとすぐの所にいました

桑島八幡神社社殿改築記念碑
当社は、慶長の初め淡州志知川の土民当地に渡り、
土地を開いて移住し、同八年(1603)には十六戸となり、
八幡神・山王神・金刀比羅神・を勧請し
鎮守神としたのが始めである。
以後六十年を経て寛文三年(1663)、方四尺の神殿に改め、
益々増戸、方一間の本殿が造営された。時に安永四年(1775)
十一月六日。ついて、明治年間当村九山山頂に
祭られていた山神社社殿倒壊のため本殿に合祀し
四神となった。
以下略
と云うことで 
御祭神は 誉田別神 大物主神 大山咋神 大山祇神
の四柱が 祭られています

文中の淡州は淡路
志知川は 現在の南あわじ市阿那賀志知川の事だと思います

狛犬さんの詳細は不明ですが
吽形の頭には小さな角が見えています

月曜日, 12月 27, 2010

狛犬さん 1009

2010.12.19 徳島県鳴門市撫養町斎田 岩崎神社
このお宮さんの 主な祭神は 事代主命
創立年代は不詳のようですが
寛保年間(1741~1744)に作られた
寛保改神社帳に
斎田村恵美須(岩崎明神と云う)
別当黒崎村西田寺
とあるそうです

狛犬さんの台座には 明治四十年の文字が見えますが
この狛犬さんは 新しいものですね


















本殿の中にも狛犬さんがいましたが
私のカメラでは 写すことが出来ませんでした
この狛犬さんが 明治生まれなのかもしれませんね

日曜日, 12月 26, 2010

狛犬さん 1008

2010.12.19 徳島県鳴門市蛭子前西 八坂神社
阿形吽形共に 頭の上に角が付いています
しかし 角と云うよりふくらみと言いたいような
小さな角で うっかりすると見のがしそうです
台座に 八坂神社 再建記念
石工 大西正二
昭和四十一年(1966)
三月吉日 と刻まれていました

土曜日, 12月 25, 2010

狛犬さん 1007

2010.12.19 徳島県鳴門市蛭子前西 事代主神社
狛犬さんの台座に 阿吽それぞれに 説明板が付いていました
その説明板にそれぞれ
福俵記念
昭和八年五月建立

再建記念
初代福俵組が青銅唐獅子を奉献
せしが大東亜戦争に金属應召を受けし為
二代福俵組が石造として唐獅子を奉献す
昭和二十八年四月  

福俵組については わかりませんが
縁起物として 福俵がありますので
それに因んだ 氏子中(町内会?)の
名前ではないかと思います

阿形の方は 髪が巻き毛なので
間違いなく獅子ですが
吽形の方は どちらかと言えば直毛
これで角が付いていれば
間違い無く 狛犬さんなのですが
角が無いので やはり獅子なのでしょうね

金曜日, 12月 24, 2010

狛犬さん 1006

2010.12.19 徳島県鳴門市蛭子前西 事代主神社
事代主命は 大国主命の子供にあたるそうですが
出雲系の神様では無くて 大和系の神様だったとか

「ことしろ」は「言知る」のことで
  託宣を司る神様だそうで
古代では 言(言葉)と事(出来事)の
区別がなかったんだそうです

しかし魚釣りが好きな神様で
恵比須さんと同一視されているそうです

鳴門市内には 恵比須神社もありますが
事代主神社の名前のついた お宮さんが目につきます

ここの狛犬さんは 新旧が並んでいて
新しい方の狛犬さんです

木曜日, 12月 23, 2010

狛犬さん 1005

2010.12.19 徳島県鳴門市蛭子前西 市杵島姫神社
そんなに大きくないお社です
お社の後ろは池になっていて
本殿は池の上に建っていたのが
水の神様らしくて良いなと思いました

狛犬さんの詳細は不明です

月曜日, 12月 13, 2010

狛犬さん 1004

2010.12.04 愛媛県大洲市田口 住吉神社
御祭神は 表筒男命 中筒男命 底筒男命
肘川を見下ろす 少し高い所にありました
江戸中期頃 京都住吉神社から勧請したとか
肘川の氾濫の守り神としたのでしょう

狛犬さんの詳細については不明です

日曜日, 12月 12, 2010

狛犬さん 1003

2010.12.04 愛媛県大洲市常磐町 惣社大明神
 御祭神は 大国主命 天照大御神
寛文の頃まで 現在の大洲市中村宮前区あたりに
奉祀してあったが 寛文6年(1666年)の
洪水で大破し 御神体が現在の地に流れ着いたことから
元禄15年(1702年)に現在の地に遷宮しました
現在のお社殿は平成2年から8年にかけて
氏子・崇敬者多数のご尽力により再建されたものです
だそうです

狛犬さんの詳細は不明です
吽形の頭には 角と云うか 小さなでっぱりがあります














正面からの写真では分かりませんが
上から撮ると 頭の上に大きな窪みがあります
たまに見かけますが これはなぜなのでしょう
以前どこかで ここにお灯明を乗せるとか
読んだような気がしますが 本当はなぜなのでしょうね

土曜日, 12月 11, 2010

狛犬さん 1002

2010.12.04 愛媛県大洲市若宮 素賀神社
御祭神は 須佐之男命 稲田媛命
朱雀天皇の天慶2年(939年)伊予掾藤原純友が
反乱を起こした時 暴徒追捕のため
吉良喜命を喜多郡の大領に任じ 八多喜に着任した後
祇園の神を奉じ 宇津村に遷るとき
この地に休憩したことから社殿を建立し
牛頭天皇とも祇園さまとも称したと伝えられる
現在の社殿は 天保3年に再建された旧社殿が
昭和62年3月19日放火により焼失したことから
平成2年2月18日に新たに建設されたものです
だそうです
ちょっと小ぶりな可愛い狛犬さんたちですが
かなり磨滅しています
詳細は不明です