水曜日, 6月 30, 2010

狛犬さん 853

2010.04.05 滋賀県大津市京町 天孫神社
 本殿の中にいた狛犬さんたちです
 このお宮さんにいる狛犬さんたちは
 新しいものを除いて 砂岩で出来ているようで
 表面の剥離がかなりあります
 
 この狛犬さんたちは 建物の中に入れてもらっているので
 今後も傷みが少なく 長命を保ってくれるといいのですが

火曜日, 6月 29, 2010

狛犬さん 852

2010.04.05 滋賀県大津市京町 天孫神社
 境内の片隅に この狛犬さんがいました
 阿形の身で吽形は居ませんでした
 散り敷いた桜の花びらに囲まれ
  一人頑張っています

月曜日, 6月 28, 2010

狛犬さん 851

2010.04.05 滋賀県大津市京町 天孫神社
 拝殿と云うのでしょうか
 舞殿と云うのでしょうか
 その前にいた狛犬さんたちです
 台座に 明治二(1896) 己巳?
     京都
       福
       安?
 吽形の方は 満開の桜の枝が邪魔をして
  顔が写せませんでした 


 何故か吽形は右前脚を上げていますが
 下には何かが有った痕跡は見つかりません
 足の裏も 最初から このスタイルになるように
 作ったようです

土曜日, 6月 26, 2010

狛犬さん 850

2010.04.05 滋賀県大津市京町 天孫神社
 境内の説明板によりますと
 
天孫神社
  御祭神 彦火々出見尊
      国常立尊
      大己貴尊
      帯中津日子尊
  御由緒 社伝に據れば人皇第五十代桓武天皇の
   勅命により其地鎮護の神として四座の
   神を齋ぎ奉らせ給う今の四宮の社であります
   当社は歴代国司の崇敬を受け
   文禄四年(1595)十月近江守源朝臣高次
   より当郷の内参拾石之地を寄附せられ
   又元亀年中(1570~1573)の
   御遷宮に付き佐々木家より造営寄進あり
   豊臣秀吉公の大津城築城以来全城下の
   鎮護神として当時の摂家たる近衛家の
   尊崇殊の他篤く文政十三年(1830)
   庚寅年六月拝殿拝所の造営に預ったのであります
   例祭を十月十日にして曳山十三本祭禮の
   行粧として綾羅錦繍の帷帳を垂れ
   笛鉦鼓を以て囃し種々の木偶人を
   載せて機械の功を為し所望と云ふて
   機者に乞うことあれば諾して傀儡をなし
   氏子の町々を巡行するその美観壮麗は
   大津祭と称し湖国一の大祭であることは
   人の良く知るところであります
   当社は元四宮神社又は天孫第四宮大明神とも
   奉称せしを明治維新の際単に
   天孫神社と改称したのであります
       昭和四十七年九月  記

 本殿の前にいた狛犬さんたちですが
  かなり新しいものですね

土曜日, 6月 19, 2010

狛犬さん 849

2010.04.05 滋賀県大津市園城寺 長等神社
 本殿の前にいた狛犬さんです

 境内には 大津馬神社があり
 タイアポロン号とかタフネスヤマト号と云った
 馬の名前の札が 掛けられていました
 競馬関係者が 参拝に来るとか

木曜日, 6月 17, 2010

狛犬さん 848

2010.04.05 滋賀県大津市園城寺 長等神社
 境内の説明板によりますと
 
長等神社社歴
  御祭神 建速須佐之男大神
      大山咋大神
      宇佐若宮下照姫大神
      八幡大神
      地主大神
  由緒  天智天皇が近江大津宮へ
   遷都(西暦六六七年)の際に
   都の鎮護として、須佐之男命を志賀の
   長等山岩座谷の地に祀られたのが
   始まりである。
   天智天皇(西暦六六九年)五月五日、
   天皇が宇治山科から帰途のおり
   当神社へ弓矢を奉納され、
   これにより大友與多王(天智天皇の孫)が
   その日を祭日と定められて以来、
   今も五月五日を例祭としている。
   貞観二年(西暦八六〇年)二月、
   三井寺一山を開祖された智証大師(円珍)が
   日吉山王神を勧請し、一山の守護神として
   祀られ、新日吉社又は新宮社と
   称するようになった。
   天喜二年(西暦一〇五四年)四月、
   現在の地に遷宮され、その地を神出と
   称することとなった。
   永保元年(西暦一〇八一年)四月、
   白河天皇は勅使を参向せられ、平安を祈願された。
   延元元年(西暦一三三六年)正月、
   南北朝の戦乱によって社殿や楼門
   その他の建物を消失した。
   興国元年(西暦一三四〇年)足利尊氏によって
   再建され、社殿壮麗にして十二の回廊や
   楼門その他おおくの建造物があり、
   湖南の大社といわれ、皇室を始め
   武将や多くの民衆から深く崇敬され
   隆盛をきわめた
   明治十六年(西暦一八八三年)現在の社号
   (長等神社)となった。
   明治三十七年(西暦一九〇四年)
   鎌倉様式を基本として、平安、室町時代の
   和様建築の粋を取り入れて現在の
   楼門を復興した。
   明治四十三年(西暦一九一〇年)一月、
   県社に列せられる。
   昭和四十七年(西暦一九七二年)七月一日、
   楼門が中世の優れた社寺建築様式の再現を
   評価され、大津市指定文化財の指定を受けた。
   この様に当社の歴史は古く、
   千三百五十有余年の幾多の変遷を経て
   今日に至っている。
           平成十七年五月

 だそうです

 狛犬さんの台座に 石工 北条??と刻まれていました

水曜日, 6月 16, 2010

狛犬さん 847

2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 若宮八幡神社
 確か この狛犬さんたちは 本殿の中にいました
 前に網がかかっているので 見えにくくなっていますが
 小さな陶製の狛犬さんたちです

月曜日, 6月 14, 2010

狛犬さん 846

2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 若宮八幡神社
 境内の説明板によりますと
 
若宮八幡神社記
   祭神 応神天皇
      (誉田別命)
  当社は村上天皇の天徳三年(九五七)
  豊前國宇佐八幡宮より勧請、
  古は若宮八幡神宮と称しました。
  応永十三年(一四〇六)九月
  大暴風雨洪水があり
  後小松天皇は当社に御祈願なされました所、
  風水害もおさまりましたので、
  天皇は奉賛のためしん筆の勅額を
  下賜されました。勅額は社宝として
  現存しています。
  貞享三年(一六八六)社殿炎上し
  元禄年間に再建しました。
  今までに数回の修理を経ていますが、
  原形をとどめています。
      平成元年三月


 狛犬さんの台座には
     明治廿六年(1893)八月建之
   と刻まれていました

土曜日, 6月 12, 2010

狛犬さん 845

2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 関蝉丸神社
 このお宮さんには 相殿として貴船神社が
  祀られていました
 説明板にあった 関の清水もありましたが
 涸れていて 単に跡があると云うだけ
 入る前には 期待していたのですが残念でした

 本殿の前にも説明板がありました
 
謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社
   幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を
  帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山に
  お捨てになった。この世で前世の罪業の
  償いをする事が未来への扶けになると
  あきらめた宮も、孤独の身の上を
  琵琶で慰めていた。
   一方延喜帝第三皇女逆髪の宮も、
  前世の業因強く、遠くの果まで歩きまわる
  狂人となって逢坂山まで来てしまった。
  美しい琵琶の音に引かれて偶然にも
  弟の宮蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき
  運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は
  心を残しながら別れて行く。という
  今昔物語を出典とした名曲が
  謡曲「蝉丸」である。
   蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは
  定かではないが、冷泉天皇の頃、
  日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、
  当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。
       謡曲史跡保存会


 狛犬さんの台座には
   昭和二十一年(1946)十二月建之
   京都市東山三条下ル
    石工
      石川石材店
  と刻まれていました

木曜日, 6月 10, 2010

狛犬さん 844

2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 関蝉丸神社
 本殿の前にある これは舞殿と云うのでしょうか
 その隅に この狛犬さんたちがいました
 台座に 文政六(1823)癸未四月吉日
     細工人瓦師 井上七左?門
           藤原義信
               之作
     関清水大明神
     ?宝前狛犬
          一対
 吽形の方は 両目とも空ろになっていますが
 阿形は 片目だけですが ガラスの目が残っています
 又 吽形の方は 頭に角が有り 髪はストレート
 阿形の方は 角が無く 髪はカールしています
 昔からの 正しい? 獅子狛犬です

 瓦で つなぎ目も無く これだけの作品を作った
 瓦師の方の 技術に圧倒されます

火曜日, 6月 08, 2010

狛犬さん 843

2010.04.05 滋賀県大津市逢坂 関蝉丸神社下社
 入口に「音曲藝衜祖神」の石柱が立っていました
 説明板によりますと
 
関蝉丸神社
    琵琶の名手蝉丸をまつる神社は、
   旧東海道沿いに三社があり、
   当社は下社にあたる。
    平家物語、謡曲「蝉丸」などにも、
   その名が見え古くから
   歌舞音曲の神として知られる
    また、境内には紀貫之の歌で有名な
   「関の清水」や「小町塚」、
   重要文化財の「石灯籠」がある。
       大津市
 
 このお宮さんに関しては 
    滋賀県神社庁のHPに詳しく載っています
 境内に京阪電車の線路が走り
 すぐ前は県道?国道?161号線が走っている
 非常に賑やかな所ですが 境内に入ると
 静寂に包まれます
 線路を越え鳥居をくぐったところに
 この狛犬さんたちがいました
 詳細は不明ですが 江戸末期くらいでしょうか

日曜日, 6月 06, 2010

狛犬さん 842

2009.06.28 愛媛県松山市和気町 丹生神社(たんせいじんじゃ)
 調べてみると御祭神は水波能賣命
 この神様は 湧き水 流水 農業用水 
    灌漑等の水を司る神様だそうです
 しかし 神社の名前の「丹生」とは
 朱色の原料 赤鉄鉱から採れる鉄朱(べんがら)と
 辰砂を砕いて得る水銀朱があります
 辰砂が取れる水銀床が分布している場所には
 丹生 丹生川 丹生神社があるそうです
 水銀鍛錬等の技術を持った丹生氏も居たそうです
 このお宮さんの近くには大川と云う川が流れていますが
 昔 この川で辰砂が取れたのでしょうか
 あまりにも河口に近いような気もするのですが
 
 この狛犬さんも新しいですね

金曜日, 6月 04, 2010

狛犬さん 841

2009.06.28 愛媛県松山市和気町 恵比須神社
 お宮さんの縁起等は分かりませんが
 境内には 松の木が一本だけしか無い
 ちょっと寂しい所でした
 狛犬さんに関しての詳細は不明ですが
 見た所 新しいものですね

水曜日, 6月 02, 2010

狛犬さん 840

2009.06.28 愛媛県松山市馬木町 佐古岡神社
 境内に「菅公 一千年祭記念碑」がありました
 御祭神は 菅原道真で ここは天満宮ですね
 狛犬さんの詳細は分かりませんが
 大玉を抱えた松山市でよく見かけるデザインです

月曜日, 5月 31, 2010

狛犬さん 839

2009.06.28 愛媛県松山市勝岡 勝岡八幡宮内たごりのかみさま
 「たごりかみさま」の前にいた狛犬さんです
 「たごり」は多分 咳・風邪の事のようです
 松山市内には「たごりの神様」を祀った祠を
 見かける事があります
 狛犬さんの台座には 平成元年(1989)吉祥日と
   刻まれていました

土曜日, 5月 29, 2010

狛犬さん 838

2009.06.28 愛媛県松山市勝岡町 勝岡神社
 この神社では「一体走り」が有名です
 10月に行われるお祭りですが
 御神輿に付いている鈴を鳴らさないように
 静かに走るそうです
 残念ながら まだ見に行ったことはありません
 
 境内の石碑によりますと
 御祭神は 小千命  別名 孝霊天皇御孫小千御子
      應神天皇 別名 品陀和気命
      仲哀天皇 別名 帯中日子命
      神功皇后 別名 息長帯日賣命
      日賣大神 別名 多岐津姫命 多岐理姫命
              市杵嶋姫命の三女神 
 創立 
  今から壱千五百有余年前應神天皇の御代に
  当地を襲った兇賊を小千命がここ白人城に拠って
  討ち取り里人の危急を救った為この地を
  勝岡と名づけると共に命を敬慕の余り
  後に祭神として太山寺字小山の中野山に
  社を創り白人の宮と稱し祀っていたが
  五百数十年前の永享年間戦火で悉く焼失の
  後も霊験あらたかな故命の縁りの城跡戦場の地
  勝岡に構想を大にして遷宮と同時に
  宇佐八幡を勧請し名を勝岡八幡宮と改稱した
 勝岡の象徴馬場の松
  遷宮の際社殿境内の整備と共に
  長い馬場の両側に数十本の松を植え
  これが後に天下に類なき雄大な松並木の
  馬場として永く景観の美を誇ると共に
  勝岡を象徴して居か大正昭和になり
  樹齢尽きて勢い衰え或は幹に空洞を生じ
  災害時万一の危険を慮り人命優先の見地から
  涙と共に数回に渉って伐り拂い
  今では僅かに残る数個の切株に
  昔の俤を偲ぶとは洵に断腸の想いである
 建碑の趣旨
  斯様に貴い祭神を祀った由緒深い当神社の
  沿革と当社に代々厚い崇敬の誠を捧げた
  先人の偉業を偲びこの碑に刻み
  併せて傳統の美風を継承して更に
  氏の里の繁栄平和と松並木の再現を
  心から期待するものである
    昭和四十七年三月吉日  氏子総代一同

 狛犬さんの台座には 文久二年(1862)歳在壬戌
      六月吉日   と刻まれていました

日曜日, 4月 04, 2010

狛犬さん 837

2009.11.12 愛媛県松山市船ヶ谷町 諸山積神社内青麻三光神社
 境内の石碑によりますと
 
青麻三光神社略縁起
  祭神 天御中主大神 天照皇大神 月夜見大神
   当社は右三柱の大神の御神徳を日月星の
   三光になぞらえて御社号を青麻三光神社と
   申し上げます。
   当社は昔から脳の守護神として一般の信仰が厚く
   殊に中風除の神として遠近に多数の崇敬者を
   持っております。
   当社は古くは此処から南約一キロの
   船ヶ谷茶臼山の麓に鎮座されておりましたが
   安政の頃此社地へお遷し申し上げ明治の中頃に
   なりまして今の社殿を新築して今日に
   及んでおります。

 残念ながら 狛犬さんに関する情報はありません
 阿形の口が欠けていて 痛々しい姿です

土曜日, 4月 03, 2010

狛犬さん 836

2009.11.12 愛媛県松山市船ヶ谷町 諸山積神社
 参道の入口付近に 石碑が立っていますが
 片方の石碑には「諸山積神社」もう片方には「青麻三光神社」 
 お宮さんにたどり着くには 電車の線路を越えて行くのですが
 いつも電車の中から見えていて 気になっていたお宮さんです

 諸山積神社略縁起
  祭神 大山積神 外二神
 昔伊予皇子勅命により西南の兇徒を退治の為
 当国へ下降浦戸の丘に神籬を建て国家鎮護のため
 大山積神を始め諸神を斎き祀り
 諸山積宮一名浦戸明神と号し奉りしが当社の
 創祀と伝えられる。
 後和銅五年(712)大三島より高龗神、雷神を勧請して
 諸山積神社へ合わせ祀りて浦戸新宮と号し
 越智玉澄神殿を造営し郷内一宮と崇められる。
 光孝天皇仁和三年(887)神供料を奉納あり。
文治年中(1185~1190)河野通信社殿を修治して以来
或は水田を献じ或は神領を奉り 社殿を修築せし等
河野氏厚く崇敬せり


 鳥居を潜ってすぐの所で この狛犬さん達が出迎えてくれます
 台座に 慶応三(1867)丁卯歳 四月吉祥日
     三津石工 和氣屋久左門 と刻まれていました
 この狛犬さんたちも 後ろから見ると 男女の性別のシンボルや
 お尻の穴まで リアルに彫刻されています
 こういうデザインは 松山スタイルと言って良いのでしょうか

水曜日, 11月 18, 2009

狛犬さん 835

2009.11.12 愛媛県松山市谷町 惠美須神社
 畑に囲まれた小さなお宮さんです
 説明板によりますと
 
惠美須神社の由来(仮説)
   その昔、この辺りには天満神社や蓮華寺、
  そして蓮長寺(架空の寺)などがあって、
  当時は信仰心の厚い世相の時代でもあり、
  里人はもとより、地方からの崇敬者のお参りも、
  さぞや多かったであろうと思われます。
   そうしたお参りの日には、門前で
  それぞれが持ち寄ってきた米、麦、栗、
  大豆などの穀類や、野菜、果物、
  或は織物や工芸品などの生活必需品の交換が
  行われていたようで、そのような交換の
  取り??のこと?市といって里人は
  市神をお祀りするようになったものと
  考えられます。
   市神には、ところによって、市杵嶋姫命、
  大国主命、恵比須、大黒、事代主命などが
  祀られていて、毎月の一日(おついたち)か
  十五日(おじゅうごにち)とかが
  市日に当てられていたようです。
  市神は「土地を管理する」?の
  性格を持っていたとも言われています。

 由緒書に(仮説)とあるのも 珍しいです
 私は始めてみました
 狛犬さんは 阿吽どちらも大玉を抱えているようですが
 どちらの狛犬さんも 満身創痍
 崩れないように 針金で補強されています
 でも ちょっと小顔の素敵な狛犬さんです
 台座に 石工 八五良 と刻まれていました
 傍に立っている石碑が 
 明治三十三(1900)庚子年旧七月吉日と
 刻まれているので 同じころの作かもしれません

金曜日, 11月 13, 2009

狛犬さん 834

2009.10.18 愛媛県松山市北斉院町 高家八幡神社
 台座には 嘉永三(1850)戌 季(?)三月吉日
      石工 定六 作
 よく氏子中と書かれていますが 
 ここでは 産子中と書かれていました
 産土神の 子供の意味でしょうか
 吽形の頭には 小さなふくらみが
 阿形の頭には 角があります

 吽形の足元で 落っこちそうになっている子犬です

木曜日, 11月 12, 2009

狛犬さん 833

2009.10.18 愛媛県松山市南斉院町 日吉神社
 日吉神社は 滋賀県大津市にある
 日吉大社から 勧請したものだと思います
 御祭神は 大山咋神・大己貴神
 狛犬さんの台座には 安政二年(1855)卯 正月吉日
   菊間郡菊間 石工八五郎 と刻まれていました

 これは正式には何と云うのか わかりませんが
 拝殿や本殿の入口の柱の先に 
 狛犬や竜とか漠?が 飾りにつけられているのを
 よく見かけますが ここでは 少し違っていました
 最初は 竜だと思ってみていたのですが 足が違います
 これは どうも麒麟のようです
 麒麟は 顔が竜に似ていて 足は馬だそうです

 こちらは狛犬さんですが 阿形の方が
 舌を出していて まるでアカンベェをしているようです
 足の裏の肉球も 可愛いですね

水曜日, 11月 11, 2009

狛犬さん 832

2009.10.18 愛媛県松山市高岡町 生石八幡神社
 本殿に由緒書が掲げられていましたが
 ピントが合ってないので 読めませんが
 御祭神は 足仲彦尊(仲哀天皇) 息長足姫尊(神功皇后)
      誉田別尊(応神天皇) 市杵嶋姫尊 田心姫尊
      田心姫尊
 この狛犬さんも後ろから見ると雌雄のシンボルが
 非常にリアルに刻まれています
 台座には 慶應二(1866)丙寅歳 
      卯月(4月)吉祥日 
      三津 石工 和氣屋?左エ門 と刻まれていました 

 吽形の足元にいる子犬です
 

日曜日, 11月 01, 2009

狛犬さん 831

2009.10.15 愛媛県西条市禎瑞 荒神社
 荒神社の御祭神は 素戔鳴尊だと思います
 昔は 田んぼの真ん中に ポツンとあったのでは無いかと
 思わせられる お宮さんです
 境内には お宮さんに付き物の 鎮守の森
 又は 年を経た大木などが無い 
 私には少しさみしいところでした
 由緒などは分かりませんが 
 鳥居に安政四(1857)丁己九月吉日と 刻まれているので 
 それ以前の創建である事は間違いないでしょう
 狛犬さんについても何も分かりませんでした
 

金曜日, 10月 30, 2009

狛犬さん 830

2009.10.15 愛媛県西条市禎瑞 嘉母神社
 御祭神は 倉稲魂命・保食神・和産霊神・竹内立左衛門
 祭神の一人 竹内立左衛門は
 安永7年から足掛け5年 述べ50数万人の人々
 2万両の費用を用い 藩命に依り 禎瑞地域を
 開拓されたそうです 
 このお宮さんは 天明2年(1782)西条藩の
 田園地帯として 開拓された禎瑞地区の産土神として
 祀られたようです
 昭和21年の 南海地震の時には 地盤沈下の為
 冠水し 不作続きとなったそうです
 地図で見ると この辺りは なんとか新田と云う
 地名の付いています
 歩いてみると 広く区切られた農地の広がる
 他の地区の 小さく区切られた農地とは違った
 風景に出合いました
 狛犬さんの台座には 天保十三(1842)寅
              四月吉日  と刻まれていました
 この狛犬さんも 石鎚神社・日尾神社と同じデザインの狛犬さんです
  
 

木曜日, 10月 29, 2009

狛犬さん 829

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 本殿の前に居ます
 台座には 昭和四十四年(1969)九月
    と刻まれていました

 安永八年(1779)につけられた鎖で作られた手摺り
 実際に触ってみると かなり太い鎖です

水曜日, 10月 28, 2009

狛犬さん 828

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内祖霊社
 祖霊社本殿の前に居ます
 台座には 平成元年(1989)五月吉日
   と刻まれていました


 

火曜日, 10月 27, 2009

狛犬さん 827

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内祖霊社
 禊場横の階段を 上がったところにあります
 祭神は石鎚山開山の祖役行者
 別当寺時代の前神寺・横峰寺の主管者 
 明治の神仏分離以降の祀宮・社司・社掌・
 宮司をはじめ神社職員、先達の殉教者の神霊 
   だそうです
 この狛犬さん 以前に出てきています
 662の松山市鷹子町 日尾八幡神社の狛犬さん
 日尾の吽形の頭には 宝珠が乗っていましたが
 こちらの狛犬さんにはありません
 台座には 文化三(1809)丙寅五月吉日
 日尾神社は文化八年ですから 五年違いですね

日曜日, 10月 25, 2009

狛犬さん 826

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社内三倍神社
 お宮さんの前にある石板によりますと
 
三倍神社
  祭神 素戔鳴尊 相殿 事代主神 
      伊藤八郎平霊
  三倍神社は慶長年間土佐の国より
  石鎚山山麓西条市中奥大字今宮に勧請す
  産土神として氏子の崇敬を受けしが
  過疎により氏子離散の為に
  氏子等総意を以て合併を決議
  石鎚神社の承認を得て
  昭和五十八年十月九日
  この地に奉遷す
   昭和五十八年十月吉日之建

 過疎に依り離散なんて 悲しいですね
 狛犬さんの台座には 大正五年(1916)九月吉日
   と刻まれていました

土曜日, 10月 24, 2009

狛犬さん 825

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 途中の駐車場にこんな説明板が
 
霊峰石鎚山総本宮石鎚神社ご案内
  石鎚神社は、関西第一の高峰石鎚山(1982m)を
  神体山として仰ぐ、奥宮頂上社・中宮成就社と
  土小屋遙拝殿・そしてこちらの口之宮本社の総称です
   御祭神は、石鎚毘古命・石鎚大神とも
  申上げ、伊邪那岐命・伊邪那美命の第二番目の
  御子にあたり、諸願成就の神様として
  知られていますが、殊に家内安全・厄除開運・
  病気平癒の神として篤い信仰を受けています。
   石鎚山は、日本七霊山・日本百名山の
  一つに数えられ、今から約1300年の昔
  役小角によって開山され、弘法大師も
  修業したと伝えられる修験道の霊山です。山頂よりは
  天候が良ければ土佐湾・太平洋また、瀬戸内海を
  越えて中国・九州の山々まで遠望でき、
  変化に富んだ風景が四季を通じて楽しめます。
  時には、雲海が眼下に広がり、依るには満天の星空、
  そして朝には素晴らしいご来光と野鳥の囀り、
  正に「神」鎮まる御山です。
   本日ご参拝頂きました本社本殿前の階段には、
  石鎚山に安永8年に掛けられた鉄の鎖を
  手摺りとして取り付け、皆様に御山の霊気に
  触れて戴いて居ります。
   石鎚信仰1300有余年、悠久の時を想いつつ
  どうぞごゆっくりご参拝下さい。

 これも備前焼の狛犬さんですね
 台座には 安政二(1855) 乙卯歳
      五月吉日建之
 吽形の狛犬さんの胴に 木村杢介焼
              貞直
 阿形の狛犬さんの胴に 木村儀三郎
              貞幹(?)焼
  と刻まれていました

水曜日, 10月 21, 2009

狛犬さん 824

2009.10.15 愛媛県西条市西田乙 石鎚神社
 ここは 石鎚神社・本社
 そのほかに 成就社 土小屋遙拝殿が
 離れて建っています
 石鎚山の頂上にある頂上社を含め四社で
 石鎚神社と総称するそうです
 備前焼の狛犬さん かなり大きいです
 備前地方にも 信者さんが沢山いらして
 その方たち(組と呼ぶようですが)が
 奉納されたものです
 台座には 皇紀二千五百九十四年(1994)六月
      備前焼窯元木村兵次謹陶
  と刻まれていました

 狛犬さんは楼門の前に居ますが
 その楼門の中には こんな方たちが居ます
 お寺で仁王様が 立っているのはよく見かけますが
 このお宮さんでは 天狗さんになっています

火曜日, 10月 20, 2009

狛犬さん 823

2009.10.13 愛媛県伊予郡松前町北黒田 貴布禰神社
 境内の説明板によりますと
 
貴布称神社
  主祭神 大山祇神 別雷神 高龗神 罔象神
  境内社 塞之神社  八衢天神
      惠美須神社 大国主神
      和霊神社  和霊大神(山家清兵衛公頼霊)
      真名井神社 多紀理毘売命 他七座
      一ノ宮神社 上筒男之神 他二座
      金刀比羅神社 大物主神 他一座
   当社は、第三二代崇竣天皇の元年(五八七)
  八月二三日、伊予国司散位小千(越智)宿祢益躬が
  勅を奉じ、越智の三島浦戸宮より
  大山積神をこの地方の一の宮として
  勧請したといわれ、また、和銅五年(七一二)
  八月二三日越智玉純が、浦戸宮より
  諸山積大明神(大山積神の別称)を
  勧請、創立したともいわれている。
  神亀五年(七二八)九月二三日には、
  雷神、高龗神を合祀。更に山城国愛宕より
  貴船神社、罔象女神を勧請 
  ついで宝亀一八年(延暦六年)(七八七)八月二三日には
  三島宮より十六皇子神を勧請。
  弘仁九年(八一八)には国司小千(越智)真勝が
  水田を寄進し、社殿の結構を整え、別当寺を置き
  郡司大領に命じて国司に代り奉幣させ
  社運は隆盛を極めた。
  承平、天慶の乱(九三五~九四一)により
  荒廃したが、元暦元年(一一八四)
  神官高市武者所清儀、本殿を修復。
  文治三年(一一八七)高市太郎光儀、社領を確定し
  社殿を荘厳して社運を回復。元弘元年(一三三一)
  颶風出火、社殿悉く焼失したが、
  貞和五年(一三四九)河野対馬守通治、社領百石寄進
  更に河野通尭、社領百貫を加え、
  神馬飼育料、大豆五〇貫、白銀二千疋を
  毎年奉納。社運再び大いに開いた。
   天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の
  四国平定の戦禍により社殿焼失。
  慶長五年(一六〇〇)正木城主加藤嘉明
  社殿を造営 社領百石寄進。以来領主の崇敬と
  神官の誠意奉仕、住民の尊崇により
  地域の文教、徳育の中心となって
  現代にいたる

    そうです
 狛犬さんの台座には 慶應三年(1867)丁卯九月
  と刻まれていました
 吽形の狛犬さん 後ろ足を上げていますでしょう
 そこで 足の下をよく見てみました

 これが 足の下のアップです
 多分子犬さんが居て 前足かどうかは分かりませんが
 小さな玉に足を掛けていますよね
 それ以外にも 足だと思われる破片が見えますよね
 吽形の狛犬さんは 足元に玉と戯れている子犬が居るので
 足を上げて 避けているのです

月曜日, 10月 19, 2009

狛犬さん 822

2009.10.11 愛媛県今治市菊間町佐方 亀山八幡神社
 駅に降りると 「トントント~ン」 軽やかな
 太鼓の音が 響いてきます
 ちょうど この日は お祭りの日でした
 お陰で ちょっとのんびりした
 でも 楽しいお祭りを見物してまいりました

 狛犬さんの台座には 大正九年(1920)
              八月吉日  と刻まれていました
 本殿の前に 相棒を失くした狛犬さんがいました
 陶製のように見えました
 お祭り風景です
 今治でよく見られる 継獅子です
 三人の場合は 三継獅子(みつぎじし)と呼ばれます
 一番上の男の子は 幼稚園の年長さんか
 小学校一年生くらいの 小さな子どもです
 真中で支えているのは 高校生くらいの男の子
 一番下は 二十歳代とみられる若者です

土曜日, 10月 17, 2009

狛犬さん 821

2009.10.11 愛媛県今治市菊間町種 貴布禰神社
 境内の石碑によりますと
  
菊万庄鎮守社 寛治四年(1090)
   加茂別雷社 貴布禰社 神山(高山)鎮座
  高山(神山)初篭峰 古戦場跡
   正平二十三年(1368) 九月六日十日十九日
   応安元年(1368) 木梨入道軍布陣
  加茂別雷社 貴布禰社 古社之跡
   応安元年九月六日十日十九日合戦ノ時
   木梨入道軍兵士神山ヨリ移ス
  古社ヨリ天授六年(康暦二年)庚申四月留山ニ移ス
    三永九郎通能
  元中四年(1387) 嘉慶元丁卯年 當所ニ移ス三永九郎通能
加茂別雷社応永六巳卯年四月菊万庄
  遍照院境内ニ宮造鎮坐
  遷宮眞恵上人宮僧一之坊
  神主三永十郎左衛門
  社人仲原図書城之上刑部

 この石碑の内容は よく分からないのですが
 正平二十三年は南朝方 応安元年は北朝方の
 年号になります
 いわゆる南北朝の時代の話です
 
 狛犬さんの台座には 萬延二酉(1861)
           正月吉日  と刻まれていました

火曜日, 10月 06, 2009

狛犬さん 820

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
薫的神社の祭神を御紹介していませんでした
祭神  薫的大和尚
禅宗曹洞宗祥鳳山瑞應寺の僧侶
祥鳳は長曾我部元親の母の号
瑞應は元親の父の号
  天正十八年(1590)に元親が両親の菩提を
弔うために建立された寺だそうです
細かな話は略しますが 
藩主が長曾我部家から山内家に代り
二代目藩主山内忠義の戒名がもとで入牢
痛憤した和尚は自ら食を絶ち 舌を噛み切り
亡くなったそうです
その後怪異が生じ 怨霊鎮魂の為
祀られているそうです


























階段の下に隠れるかのように居た狛犬さんたちです

月曜日, 10月 05, 2009

狛犬さん 819

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
この狛犬さんも お百度石の前にいましたが
やはり相棒さんは 居ませんでした























一番右端の狛犬さんです

日曜日, 10月 04, 2009

狛犬さん 818

2009.06.06 高知県高知市洞ヶ島町 薫的神社
境内を奥のほうに進むと 何かの大きな石碑の前に
お百度石があり その前にいた狛犬さんたちです
どちらも吽形のように見えます
右側の狛犬さんの口には 大きな牙が見えています
















境内にある お百度石達です
いったい何本あるのでしょうね
中には壱万度なんて刻まれたのもありました