2011.05.15 高知県高知市一宮西町 白山神社
本殿の前にいた狛犬さんたちです
台座に 平成二年(1990)十月吉日建之
と刻まれていました
最近の狛犬さんには珍しく
阿形の口に珠があり コロコロと動きます
水曜日, 8月 10, 2011
火曜日, 8月 09, 2011
狛犬さん 1113
2011.05.15 高知県高知市一宮西町 白山神社
境内の説明板によりますと
お宮さんに上がる階段の下にいましたが
狛犬さんでなくて 唐獅子ですね
境内の説明板によりますと
白山神社だそうです
昔から北野地区の産土神で、
明治元(一八六八)年三月改称の
達しにより清野神社と称し、明
治五(一八七二)年村社となりま
した。その後、昭和五(一九三〇)
年十月に白山神社にあらためら
れました。
現在は富士山、立山と共に日
本三名山といわれている白山の
白山比咩を主神に、大物主神
大山祇神、伊氣の神、天の神を
合祀しているとされ、地域の信
仰をあつめています。
一宮コミュニティ計画推進市民会議
高 知 市 教 育 委 員 会
お宮さんに上がる階段の下にいましたが
狛犬さんでなくて 唐獅子ですね
日曜日, 8月 07, 2011
狛犬さん 1112
2011.05.15 高知県高知市一宮しなね 土佐神社
神社の前にある説明板によりますと
土佐神社は土佐の国の一の宮
地名も「一宮」と書きますが 読み方は「いっく」
「しなね様」の語源に関しては 土佐神社のHPに
拝殿にいた狛犬さんたちです
備前焼の狛犬さんたちですね
吽形の狛犬さんには 播磨姫路住
安川清泉造
阿形の狛犬さんには
備前伊部住
木村新七良
貞清造
と刻まれていました
製作年代は 新しいもののように見えました
土佐神社のHPの御由緒には
石の前にあった説明板によりますと
神社の前にある説明板によりますと
土佐神社だそうです
御祭神 味鋤高彦根神(一言主神)
雄略天皇(五世紀後半)時代の創建で
土佐の総鎮守である。
現在の社殿は元亀元年(一五七〇)に
長宗我部元親が再建したものであり、
鼓楼、楼門は山内忠義(二代藩主)が
建立、再建したものである。
本殿・幣殿・拝殿は明治三十七年
(一九〇四)に、鼓楼は昭和九年(一九三四)
に、楼門は昭和五十七年(一九八二)に
国の重要文化財に指定されている。
大祭である「しなね祭」は、毎年八月
二十四・二十五日に行なわれ、多くの
参詣人で賑わっている。
土佐神社は土佐の国の一の宮
地名も「一宮」と書きますが 読み方は「いっく」
「しなね様」の語源に関しては 土佐神社のHPに
旧暦七月三日の祭ですだそうです
しなねの語源は諸説あり、七月は台風吹き荒ぶことから
風の神志那都比古から発したという説、
新稲がつづまったという説、さらに当社祭神と関係する
鍛冶と風の関連からとする説等があります。
拝殿にいた狛犬さんたちです
備前焼の狛犬さんたちですね
吽形の狛犬さんには 播磨姫路住
安川清泉造
阿形の狛犬さんには
備前伊部住
木村新七良
貞清造
と刻まれていました
製作年代は 新しいもののように見えました
土佐神社のHPの御由緒には
土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、文中にある磐座(礫石)は これです
境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、
古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、
醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、
特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、
朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。
鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。
当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。
室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、
長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代
後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に
以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を
増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、
永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、
社格を国弊中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が
廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。
石の前にあった説明板によりますと
礫石の謂れだそうです
古伝に土佐大神の土佐に移り給し時、
御船を先づ高岡郡浦の内に寄せ給ひ
宮を建て加茂の大神として崇拝る。
或時神体顕はさせ給ひ、此所は神慮に叶はすとて
石を取りて投げさせ給ひ此の石のと
落止る所に宮を建てよと有りしが
十四里を距てたる此の地に落止れり
と是即ちその石で所謂この社地を
決定せしめた大切な石で古来之を
つぶて石と称す。浦の内と当神社
との関係斯の如くで往時御神幸の
行はれた所以である。この地は
蛇紋岩の地層なるにこのつぶて石は
珪石で全然その性質を異にしており
学界では此の石を転石と称し学問上
特殊の資料とされている
昭和四十九年八月
宮司
火曜日, 8月 02, 2011
月曜日, 8月 01, 2011
日曜日, 7月 31, 2011
土曜日, 7月 30, 2011
金曜日, 7月 29, 2011
狛犬さん 1107
2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社内荒倉神社
山形県鶴岡市に荒倉神社があるそうです
御祭神は 保食大神(うけもちのおおかみ)
大冝津比売神(おおげつひめのかみ)
古伝によれば大国主大神、事代主神とともあるそうです
それ以外に 京都府綾部市にも荒倉神社があり
こちらの御祭神は 素盞鳴命
もっと調べれば荒倉神社がありそうですね
こちらのお宮さんの御祭神は 保食大神でしょうか
それとも 素盞鳴命でしょうか
保食大神は宇迦之御魂神と同一視され
お稲荷さんとして祀られていることが多いですよね
台座に 嘉永元年(1848)
歳次戊申
五月令艮←(この字に厂が付いています)
この狛犬さんたちも江戸風ですね
この狛犬さんたちも子連れです
吽形はしっぽの上に 阿形は前足の下に子犬がいます
吽形の前足を岩?の上に置いているのも
よく見かけるデザインです
山形県鶴岡市に荒倉神社があるそうです
御祭神は 保食大神(うけもちのおおかみ)
大冝津比売神(おおげつひめのかみ)
古伝によれば大国主大神、事代主神とともあるそうです
それ以外に 京都府綾部市にも荒倉神社があり
こちらの御祭神は 素盞鳴命
もっと調べれば荒倉神社がありそうですね
こちらのお宮さんの御祭神は 保食大神でしょうか
それとも 素盞鳴命でしょうか
保食大神は宇迦之御魂神と同一視され
お稲荷さんとして祀られていることが多いですよね
台座に 嘉永元年(1848)
歳次戊申
五月令艮←(この字に厂が付いています)
この狛犬さんたちも江戸風ですね
この狛犬さんたちも子連れです
吽形はしっぽの上に 阿形は前足の下に子犬がいます
吽形の前足を岩?の上に置いているのも
よく見かけるデザインです
木曜日, 7月 28, 2011
水曜日, 7月 27, 2011
狛犬さん 1105
2011.05.14 高知県高知市朝倉 朝倉神社
境内の説明板によりますと
長い参道がありましたが 鳥居(台輪両部鳥居)を
くぐってすぐの 手水所の横に居た狛犬さんたちです
台座に 大正十五年(1926)十月吉祥日
石工 前田嘉之・・・
嘉以下の字は上を覆っているコケで読み取れませんが
之は 間違いないと思います
馬に目かくしをしなければいけなかった
まばゆさは 今に俤を残しています
境内の説明板によりますと
縁起式内社 重要文化財だそうです
朝倉神社のあらまし
朝倉神社は天津羽羽神と天豊財重日足姫天皇を祭り
福寿延命の神、文化の神治政の神であります。
上古社の御山は開発の神である天津羽羽神の
ヒモロギ(神体山)として御山全体を崇敬の
対象として畏敬せられ、やがて文化に伴い朝日さす
南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を
建てられたので此の赤鬼山こそが古代宗教の
名残で県指定の史跡地で西南隅麓の古墳と共に
ゆるがせに出来ない土地柄であります。天津羽羽神は
古来より此処に鎮座まします国中稀な古社で、
後の世の遷座とか御分神とかではなく極めて深い
由緒をもち土佐の国風土記や、日本書紀等の古典にも
載せられ、又延喜年間の神名帳にも国幣として
登載せられた所諭式社であります。
斉明天皇七年朝倉宮に行幸せられ仮の御殿を丸木で
造られたので木の丸殿と申されました。
御子天智天皇は「朝倉や木の丸殿に我居れば
名乗りをしつつ行くはたが子ぞ」と御詠みになられて
おります。そしてのち天智天皇の勅語により
斉明天皇を朝倉の宮に合せ祀られたとの事であります。
又土佐物語には朝倉神社の事と題し一巻を面白く
物語っております。 当神社はもと勅願所で
当時使用せられた勅使石は今に残って居りますし、
又国の祈願所で正一位高加茂大明神橘の広庭の宮とも
申しました。又武家の崇敬もあつく現在の社殿は
二代忠義公が明暦四年(1658)に傾いたのを
興されたものであります。建築は室町時代の手法を
含む江戸初期の建物で、日本古来の様式に天竺の
様式を加味して絶頂の技をつくし極彩色の
ところなどは日光東照宮の例でその優美さは
「馬に目かくしをしなければ・まばゆさに驚き通れなかった」
と伝えられ地方には珍しい模範的建物であります。
昭和二十四年(1949)二月十八日国宝に指定され
同二十五年八月二十九日重要文化財に指定されました。
先賢谷泰山先生は式社考で深く考証せられ、
又藤原雅澄先生は「天津羽羽神のちはひと千世はへむのむみ
民等の心足らひに」と其の神徳を高く尊く詠まれております。
夏祭りは七月廿四日で当日参道に設けられる明治初期
画匠巨作の台提灯と祭神女神にちなむ活花奉納演芸当は
夏の夜の美しい饗応であります。例祭は十一月十日で
行事があります。
長い参道がありましたが 鳥居(台輪両部鳥居)を
くぐってすぐの 手水所の横に居た狛犬さんたちです
台座に 大正十五年(1926)十月吉祥日
石工 前田嘉之・・・
嘉以下の字は上を覆っているコケで読み取れませんが
之は 間違いないと思います
馬に目かくしをしなければいけなかった
まばゆさは 今に俤を残しています
金曜日, 7月 22, 2011
狛犬さん 1104
2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
末社として
瀬のぼりの太刀とは
手洗所の横にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十二年(1879)
九月令辰為
「令」は 1、(神などの)お告げ。
2、上位者による指示。 命令
3、よい事
「辰」 方位や月・時刻等をあらわしています
令辰は 良い時って言うような意味なのでしょうね
宮司さんが教えてくださったのですが
本殿の後ろに見えている樹木が
「牡丹杉」
境内の説明版によりますと
又 宮司さんのお話では この杉の根元から
銅鉾(約1800年前頃の物)が
平成七年六月五日に 発見されました
そしてそれを発見したのは お話してくださった宮司さんだそうです
杉の木の太い根に押し出されるように 地面の上に一部を
覗かせていたそうです
十一月十五日が秋季大祭で国宝を拝観できるそうです
末社として
仁井田神社
御祭神 山秖神・他五柱
御利益 出世の神・商売繁盛・五穀豊穣
福徳円満交通安全・山林農産
大漁の守護神
秋葉神社
御祭神 大己貴神他
御利益 病気平癒・他
尚、主な祭神の他、伝承によると
秋葉神社より御分霊を戴きて合祀。
防火の神として氏子は崇敬している。
剱神社
御祭神 曽我五郎・十郎
由緒・御利益
曽我五郎縁の霊験あらたかなる太刀を
里人によってまつりあげ神体となす
現在は御鏡を奉齎す ・所願成就の神
別に瀬のぼりの太刀の伝承あり
(日高物語・土佐物語 出典)
瀬のぼりの太刀とは
今からおよそ八百年ぐらい前、源頼朝が鎌倉に幕府をだそうです
開いた頃の話じゃ。伊豆国箱根権現の別当に行実という者がおったそうな。
この行実は土佐の国高岡郡日下の庄、大和田の生まれの人で、どういう関係か
曽我五郎の師匠じゃったと。曽我五郎というと、兄の十郎と共に、富士の
裾野で父の仇、工藤祐経を討った仇討で有名じゃが、その兄弟が仇討の前に
箱根権現へ別れの挨拶にやって来たそうな。その時に行実別当は宝物殿から
太刀を二振り取り出してきて、その一つの「微塵」を兄十郎に、弟五郎には
「髭切丸」をやったと。ところで兄弟は、富士の裾野で見事に父の仇討ったが、
将軍の陣まで斬りこんで行って討たれてしもうた。そこで髭切丸が見つかり、
箱根権現に納めたものが何でここにある、早々に調べよーーと頼朝の厳命が
下った。これを聞いた行実別当は、自分のした事が知れると他の者に迷惑が
かけると思い、曽我五郎が形見にと置いていった太刀をもって山を降り、
生まれ故郷の土佐国日下の庄、大和田へと向こうたそうな。ところが、
日下の江尻まで辿りつき、そこの民家で休んでおる内に中風になって病みついて
しまい、いまわのきわに宿の主人に、「この太刀は曽我五郎が使うた名刀で、
下々の者が扱える物ではない。なるべく早く宮を作って納めておくがよい」
こう言い残して死んでいったと。ところが宿主は強欲な男だったので、
「へへへ、これは金もうけになるぞ。どこぞお大家の所へ売っちゃろ」と
思うて、太刀をさげて仁淀川の河原へ行ったそうな。すると刀がひとりでに
サヤを抜けて川へ飛んで入り、たちまち大蛇になると、川上さして上って
いったと。以来、仁淀川に大蛇が現れ、川をゆききする人々を恐れさしたそうな。
そこで江尻の人たちが集まり相談をして、行実別当の言い残したとおり、
大急ぎで宮を作って太刀のサヤを納めてお祭りしたと。すると不思議なことに、
いつの間にか太刀はサヤに納まって、それと共に大蛇は姿を消してしもうたそうな。
この太刀はそれから〈瀬のぼり〉と呼ぶようになったが、いまひとつこの太刀を
有名にした話がある。今から四百年ぐらい前の戦国時代のことじゃ。伊野波川の
城主、波川玄蕃がこの太刀を申しうけ、身から離さず信仰しておったが、
ある時の事じゃった。仁淀川で舟遊びしていて、急に敵に襲われあわやという時に、
この太刀がたちまちサヤから抜け出し、大蛇になって川瀬を登り敵を追い払って
危難を救ったそうな。そこで〈瀬のぼりの太刀〉の名は再び高くなったという事じゃ。」
日高物語より転載
手洗所の横にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十二年(1879)
九月令辰為
「令」は 1、(神などの)お告げ。
2、上位者による指示。 命令
3、よい事
「辰」 方位や月・時刻等をあらわしています
令辰は 良い時って言うような意味なのでしょうね
宮司さんが教えてくださったのですが
本殿の後ろに見えている樹木が
「牡丹杉」
境内の説明版によりますと
小村神社と牡丹杉(村文化財指定昭和三十六年)だそうです
人皇三十一代用明帝の二年、高岡の首(郡長のこと)
と日下氏(当時この付近を支配していた人)が、
先祖の国常立命を祭って創建し御霊に環頭の太刀を奉納したと
伝えられる国史現在社で、元国の安上官幣の御社であった。
往古は土佐二の宮で、二の宮天神と称し日下の総鎮守である。
祭神は国常立命で御神体は太刀である。御神体の
環頭太刀は国宝に、木造の菩薩面二点は重要文化財に
いずれも一九五七年指定された。その他の社宝に南北朝時代の
銅鏡二面、三十六歌仙額、小野道風の書等がある。
社殿の背後に樹齢千年の「燈明杉」又は「牡丹杉」と称する
老杉がウッ蒼と天を摩し荘厳さを感じさせている。
この杉の大木は下枝は杉葉であるが中ほどより上は
檜かハクの葉様で稀に見る珍種である。伝説によると
宝永二年(1705)七月仁淀川大氾濫の夜、
また安政元年(1854)の大地震の前晩、日露役の時など
何か異変がある時には杉の梢に大きな霊火が爛々と懸ったとの
ことで、里人は神木として崇拝して来たものである。
又 宮司さんのお話では この杉の根元から
銅鉾(約1800年前頃の物)が
平成七年六月五日に 発見されました
そしてそれを発見したのは お話してくださった宮司さんだそうです
杉の木の太い根に押し出されるように 地面の上に一部を
覗かせていたそうです
十一月十五日が秋季大祭で国宝を拝観できるそうです
木曜日, 7月 21, 2011
狛犬さん 1103
2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
戴いたリーフレットによりますと
二の鳥居をくぐろうとすると 何やら左手の方から
気になる気配を感じます
古い石材が置いてある 端っこに何やら見慣れたものが
そばに寄ってみると 古い狛犬さんたちです
後で宮司さんに伺ったことですが
古い狛犬さんたちは 長年飼ったペットと同じで
いらなくなったからと言って 捨てられない
と言う氏子さんたちからの意見で 保存してあるそうです
良いお話ですよねぇ
狛犬さんの詳細は不明です
戴いたリーフレットによりますと
小村神社の歴史と文化財だそうです
国宝 金銅荘環頭太刀拵・太刀身(古墳時代・7世紀前半)
今より千四百年程昔から小村神社の御霊代として奉祀された
ものであり今日迄完全な姿で伝わっている日本で唯一の
伝世品であり最古の宝剣である。鞘は金銅と板金で
作られており昭和三十三年国宝に指定された。
重要文化財 木造菩薩面・二面(平安時代後期)
平安時代(今から約千年前)のもので材質は樟で出来ている。
かっての神仏習合時代の歴史を伝える貴重なものである。
小村神社の社宝として伝わっているもので昭和三十年
重要文化財に指定されました。その他、数点の文化財を所蔵。
二の鳥居をくぐろうとすると 何やら左手の方から
気になる気配を感じます
古い石材が置いてある 端っこに何やら見慣れたものが
そばに寄ってみると 古い狛犬さんたちです
後で宮司さんに伺ったことですが
古い狛犬さんたちは 長年飼ったペットと同じで
いらなくなったからと言って 捨てられない
と言う氏子さんたちからの意見で 保存してあるそうです
良いお話ですよねぇ
狛犬さんの詳細は不明です
水曜日, 7月 20, 2011
狛犬さん 1102
2011.05.14 高知県高岡郡日高村 小村神社
戴いたリーフレットによりますと
二の鳥居の手前にいた狛犬さんたちです
台座には 平成十四年(2002)十一月吉日
と刻まれていました
戴いたリーフレットによりますと
小村神社の歴史と文化財だそうです
ご祭神 国常立尊
ご由緒・御神徳 用明天皇二年587年鎮座
小村神社は『日本産第実録』貞観二年(870年)三月五日
条の授位記事に『小村神従五位上』とみえる国史現在社で
御祭神は国常立尊である。7世紀前半頃の環頭太刀(国宝)を
御神体とする。境内からは県下では最古の部類となる銅鉾を
御神木(牡丹杉)の根元より神職が発見出土しており
神社成立以前から土地の祭祀が行われる特別な場所であったと
考えられている。社に伝わる仁治元(1240)年、
貞和三(1347)年の棟札からは国衙が宮の造営に
あたっていた記録がみえ、二の宮として尊重されていた事が
知られる。尚参道に沿って千本杉遺跡の調査が実施されており
古代~近世の掘建柱様式の建物跡が検出されている。社宝には
弥生時代から中世にわたる多くの文化財があり篤い信仰に
支えられた歴史を感じ取ることができる。また神社の社殿の
造りについては本殿が流造、幣殿、拝殿は中央部に高屋根を
持つトンボ様式となっており訳10年経っている。高知市
一宮に鎮座する一の宮土佐神社に竝び土佐人の崇敬深い神社で
国家安康・家内安全・五穀豊穣・諸祈願にご利益のある
所願成就のかみさまである。
国史現在社…六国史即ち「日本書紀」「続日本紀」「日本後紀」
「文徳実録」「三代実録」にその名の見える神社。
国常立尊…日本書紀本文の中で最初に現れる神。(国の永遠の
安定を祝福する意がこめられた神名とする説がある)
二の鳥居の手前にいた狛犬さんたちです
台座には 平成十四年(2002)十一月吉日
と刻まれていました
火曜日, 7月 19, 2011
月曜日, 7月 18, 2011
日曜日, 7月 17, 2011
土曜日, 7月 16, 2011
金曜日, 7月 15, 2011
木曜日, 7月 14, 2011
狛犬さん 1096
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 天王神社・天神社
拝殿にあった額によりますと
ご祭神には 菅原道真公が 入っていてもいいのでは ないかと思います
鳥居の前 道路沿いにいた狛犬さんたちです
台座には 明治十二年(1879)四月令日
と刻まれていました
耳の下に渦巻きがあり 尾の先も横に流れている
高知西部スタイルの狛犬さんたちです
拝殿にあった額によりますと
天王神社そうですが 天神社の名前もあるので
天神社
村社として寛文十一年十月二十一日
紀元二二三一年
西暦一六七一年
第一一二代霊元天皇
(徳川将軍四代目家綱時代)
祭神は (一)素戔嗚神
(二)少彦名神
其の后 昭和二十一年(1926)五月二十四日に宗教法人
となり現在に至る
ご祭神には 菅原道真公が 入っていてもいいのでは ないかと思います
鳥居の前 道路沿いにいた狛犬さんたちです
台座には 明治十二年(1879)四月令日
と刻まれていました
耳の下に渦巻きがあり 尾の先も横に流れている
高知西部スタイルの狛犬さんたちです
水曜日, 7月 13, 2011
月曜日, 7月 11, 2011
日曜日, 7月 10, 2011
狛犬さん 1093
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
このお宮さんの名前ですが
鳥居の額は「杉本神社」ですが
それ以外では「椙本神社」の文字が使われています
境内の説明版によりますと
また別の説明版によると
一度是非お祭りに来たいですね
本殿の前にいた狛犬さんたちです
台座に明治十一年寅(1878)
九月令日
と刻まれていました
「令日」とは 佳き日という意味でしょうね
阿形の狛犬さんの足元には太鼓の撥
吽形の狛犬さんの足元には太鼓が
彫り込まれています
このお宮さんの名前ですが
鳥居の額は「杉本神社」ですが
それ以外では「椙本神社」の文字が使われています
境内の説明版によりますと
伊野町保護文化財
第四三号 平成元年二月九日指定
(民俗 無形)
椙本神社ご神幸 及び 古式神事
椙本神社のお祭りは土佐の三大祭りの一つ
として、あまねく県内外に知られています。
特に十一月二三日の秋大祭のご神幸は一
般に「大国さまのオナバレで親しまれ、
厳粛にして華麗、まさに仁淀河畔を染める
古色豊かな一大絵巻でもあります。
また「お葉毛立」から始まる一連の古式神事
は、「お葉毛下ろし」に終る八日間、古来から
の作法、仕来りを再現していとも荘厳幽玄、
他に比を見ぬ大祭行事であります。
これらはいずれも古い時代から長い伝統を
よく守り、現在に受け継いできたもので、
住民の生活、文化、信仰の歴史を理解する
うえで貴重なものがあると言えましょう。
伊野町教育委員会
また別の説明版によると
重要文化財 国指定 昭和三一年六月二八日だそうです
(工芸品) 八角形漆塗神輿 所有者 椙本神社
この神輿が建立されたのは古く鎌倉時代で、
弘長三年(一二六三)藤原助影奉献の銘文が神
輿の屋根の棟木にある。その後、元禄年間と享
保二〇年(一七三五)の二回にわたって修補さ
れている。享保の修理は八方吹きの部分にはめ
板及び扉を入れ、屋根に改造を加え、絵具彩
色から漆塗りに改造した記録が、神輿内部の
底板に墨書されている。したがって弘長制作当
初のものは隅木と軒の一部、柱、桁、欄間の横
連子と隅木鼻の青銅製の小鳥、棟の鳳凰である。
これらはいずれも鎌倉時代の特色をあらわし、
特に棟を飾る鳳凰は(尾及び羽根は後補)美術
工芸の発達した鎌倉時代でも稀な秀作で、全国
でも類例の少ないものである。
なお全国で重文神輿の指定を現在受けているの
は二八基で、うち二七基が四角形であり、八角
形は実に当神社のものだけである。
平成二年三月 伊野町教育委員会
一度是非お祭りに来たいですね
本殿の前にいた狛犬さんたちです
台座に明治十一年寅(1878)
九月令日
と刻まれていました
「令日」とは 佳き日という意味でしょうね
阿形の狛犬さんの足元には太鼓の撥
吽形の狛犬さんの足元には太鼓が
彫り込まれています
土曜日, 7月 09, 2011
狛犬さん 1092
2011・05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
境内にある説明版によりますと
又 別の説明版には
吾川郡で見かける鳥居は ほとんどが台輪鳥居
狛犬さんは 耳の下に渦巻き髪で横流れ尾
以前に高知市内を回った時には
ここまでの特徴はありませんでした
鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十一年(1878)寅
九月吉日
と台座に刻まれていました
境内にある説明版によりますと
椙本神社由緒だそうです
ご祭神は、大国主命 素盞鳴命
奇稲田姫命の三柱です。
ご祭神の事蹟は、寛文六年(一六六六)
の仁淀川洪水で古記録が流出した
ため明瞭を欠いでいますが、大和の国
三輪から神像を奉じて、阿波を経て
吉野川を遡り伊予国東川の山中に
至り、その後、仁淀川洪水の時に河畔に
流着したのを加治屋谷斎き祀ったといわ
れます。また三輪の国から直接に神像
を奉遷したという別伝もあります。
その後、元慶年間(八八〇年代)に現在
地へ、まつられるようになりました。
いのの大黒さまと称されて、古くから信
仰を受けていますが、慶長九年山内
一豊自筆の文書が現存し、それ以来
社殿の造営は、手元普請となり、江戸
時代六回の修築が行われました。明治十五
年に一千年祭・昭和五十七年に一千百年祭が、
行われました。
又 別の説明版には
国民休暇県・高知 紙の町伊野だそうです
椙本神社
「いのの大国さま」で名高い椙本神社の御祭神は、大国
主命、素盞鳴命、奇稲田姫命の三柱で、御神徳は、福徳
開運、家内安全、商業繁栄、病気平癒等、多岐にわたって
いる。
八角形漆塗神輿の建造は古く、鎌倉時代・弘長三年
(1263)藤原助影奉献の銘文が残っている。特に棟の鳳凰は
秀作で、国の重要文化財に指定されている。
土佐勤王党首領の武市瑞山、絵金で知られる広瀬洞意、
長谷川信秋、紙業の先覚者吉井源太翁等の貴重な絵馬も
数多く残っている。
境内には、高浜虚子の「紙を漉く女もかざす珊瑚かな」
の句碑や、釈超空(折口信夫)の歌碑等があり、おがたま
の木には、みかどあげはも生息する。
吾川郡で見かける鳥居は ほとんどが台輪鳥居
狛犬さんは 耳の下に渦巻き髪で横流れ尾
以前に高知市内を回った時には
ここまでの特徴はありませんでした
鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十一年(1878)寅
九月吉日
と台座に刻まれていました
金曜日, 7月 08, 2011
狛犬さん 1091
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 月田上神社
このお宮さんにたどり着いた道を さらに進むと
それが参道でした
参道に入る鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
阿形吽形の前足は 岩?の上に乗せています
台座には 明治十五年(1882)
壬午九月
吉日献之
と刻まれていました
以前高知市内を回った時にも
何か所かこのタイプに狛犬さんがいましたが
左程 気にするほど目立ってはいませんでした
今回 回った高知県西部で このタイプの狛犬さんによく逢いました
耳の下の毛が渦巻き状になっていて
狛尾の先が 体の側面に流れている
これが高知県の狛犬さんの特徴でしょうか
このお宮さんにたどり着いた道を さらに進むと
それが参道でした
参道に入る鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
阿形吽形の前足は 岩?の上に乗せています
台座には 明治十五年(1882)
壬午九月
吉日献之
と刻まれていました
以前高知市内を回った時にも
何か所かこのタイプに狛犬さんがいましたが
左程 気にするほど目立ってはいませんでした
今回 回った高知県西部で このタイプの狛犬さんによく逢いました
耳の下の毛が渦巻き状になっていて
狛尾の先が 体の側面に流れている
これが高知県の狛犬さんの特徴でしょうか
木曜日, 7月 07, 2011
水曜日, 7月 06, 2011
狛犬さん 1089
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 蘇我神社・八幡神社
蘇我神社の御祭神は 石川宿祢命
石川宿祢は蘇我一族の祖先にあたるようです
蘇我の子孫の一人 蘇我国光が
鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に
幕府から土佐に派遣です
その後 波川氏を名乗るようになり
天正八年(1580)まで 代々波川氏の統治が続いたそうです
波川玄蕃城主・清宗は長宗我部元親軍と戦かって
一族は滅ぼされたそうです
八幡神社の御祭神は 仲哀天皇・応神天皇
狛犬さんの台座には 明治十九年戌(1886)
九月吉日
と刻まれていました
蘇我神社の御祭神は 石川宿祢命
石川宿祢は蘇我一族の祖先にあたるようです
蘇我の子孫の一人 蘇我国光が
鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に
幕府から土佐に派遣です
その後 波川氏を名乗るようになり
天正八年(1580)まで 代々波川氏の統治が続いたそうです
波川玄蕃城主・清宗は長宗我部元親軍と戦かって
一族は滅ぼされたそうです
八幡神社の御祭神は 仲哀天皇・応神天皇
狛犬さんの台座には 明治十九年戌(1886)
九月吉日
と刻まれていました
月曜日, 7月 04, 2011
火曜日, 6月 28, 2011
月曜日, 6月 27, 2011
日曜日, 6月 26, 2011
狛犬さん 1085
2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社内豊玉比賣神社
境内の説明版によりますと
「靈」という字は 原文ではこの下に「女」が
ついているのですが 探しても見つけられませんでした
「孁」という字もあります
靈と孁を足して2で割ったような字です
日靈命は オオヒルメ(天照大神)の事でしょうか
豊日靈命は 不明です
調べているときに 蘇我系には「豊」が付くとか
書いてありました
「豊日」は大伴系につくとか
結局わかりませんでした
狛犬さんの詳細については不明です
境内の説明版によりますと
豊玉比賣神社の御祭神はだそうです
天石門別豊玉比賣(アマノイワトワケトヨタマヒメ)であります
此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの
頁を費やし、種々の寓話を述べられている
大女王です。それにまた神武天皇の出生に
連る山彦、海彦をも記しています。わが国
天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を
無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・脇町)の
住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと
称され、発言を封じられていた阿波国ですが
事実の前にはさからえなかったのでしょう。
醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、
日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。
日靈命(オオヒルメノミコト)と同様、天石門別豊玉比賣が
豊日靈命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比賣神社が
「古事記」海幸彦・山幸彦の物語中に出てくる
籠王宮の宮殿跡を社地として祀られています。
わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王
の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。
はるか太古、神々の物語時代(高天ヶ原時代)から
天石門の外界に現れたの意味で、この神より後人皇の
歴史となっていきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが
日靈命、豊日靈命であることが歴然としています。
「靈」という字は 原文ではこの下に「女」が
ついているのですが 探しても見つけられませんでした
「孁」という字もあります
靈と孁を足して2で割ったような字です
日靈命は オオヒルメ(天照大神)の事でしょうか
豊日靈命は 不明です
調べているときに 蘇我系には「豊」が付くとか
書いてありました
「豊日」は大伴系につくとか
結局わかりませんでした
狛犬さんの詳細については不明です
土曜日, 6月 25, 2011
金曜日, 6月 24, 2011
木曜日, 6月 23, 2011
狛犬さん 1082
2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社
境内の由緒書きによりますと
狛犬さんの台座には 明和六己丑(1769)
正月吉日
石工 大阪炭屋町
五兵?
と刻まれていました
境内の由緒書きによりますと
春日神社御由緒
御祭神 武甕槌命
斎主命
天児屋根命
比賣命
御由緒
眉山の麓、大滝山に鎮り坐す春日神社は
奈良に坐す春日大社の御分社であり、
御祭神も同じ四柱の神々である。
慶長年間藩祖蜂須賀家政公が渭の津に
築城の際名西郡入田の里より神霊を奉遷・
鎮祭し奉ってより徳島城下の総氏神として
歴代藩主を始め上下の崇敬篤く明治初年
(1868)県社に列せられた。
当時の社殿を始め主要建築物は、昭和二十年
(1945)の戦災の為殆ど灰燼に帰したが、
其後本殿は二十六年(1951)十月に、
拝殿は三十四年(1959)十月に
手水舎は六十三年(1988)十月にそれぞれ
再建され今日に至ったものである。
狛犬さんの台座には 明和六己丑(1769)
正月吉日
石工 大阪炭屋町
五兵?
と刻まれていました
土曜日, 6月 11, 2011
火曜日, 6月 07, 2011
月曜日, 6月 06, 2011
日曜日, 6月 05, 2011
土曜日, 6月 04, 2011
狛犬さん 1077
2011.04.26 徳島県徳島市西大工町 三島神社
御祭神は 愛媛県今治市の大三島神社から
勧請された 大山祇神だそうです
鎌倉時代から室町時代にかけて 当神社周辺は
奈良県春日大社の荘園(富田庄)で
この荘園の地頭に任命された伊予国の武士
河野通久が、自ら信仰していた大山祇神社(三島大明神)を
徳島でも祭ったのが始まりとされるそうです
鳥居をくぐり 階段を十数段上がった所にいた
狛犬さんたちです
狛犬さんのすぐ後ろにこんな説明板がありました
承久三年生まれだとすると
もうすぐ800歳になるのですね
御祭神は 愛媛県今治市の大三島神社から
勧請された 大山祇神だそうです
鎌倉時代から室町時代にかけて 当神社周辺は
奈良県春日大社の荘園(富田庄)で
この荘園の地頭に任命された伊予国の武士
河野通久が、自ら信仰していた大山祇神社(三島大明神)を
徳島でも祭ったのが始まりとされるそうです
鳥居をくぐり 階段を十数段上がった所にいた
狛犬さんたちです
狛犬さんのすぐ後ろにこんな説明板がありました
徳島市指定有形文化財
三島神社の狛犬
鎌倉時代承久三年(一、二二一)
伊予の河野通久が富田庄の地頭に任じられたとき、
伊予の大三島神社の神霊を建立した。そのとき
狛犬を造立せられたものと伝えられている。
材質は砂岩で出来ており全長一メートル、
製作当時は優美な彫刻であった事が
うかがわれる。
徳島市教育委員会
新町の文化財だそうです
長さ 100.6cm
高さ 85.5cm
頭髪 15の線あり
河野通久が富田庄の地頭に任じられたとき
伊予の大三島神社の神霊を迎え建立した。
狛犬はその当時のものと伝えられる。
前足を折り頭を下げ後足を立ててまさに
搏撃せんとする勇猛な形想である。
明治二十八年(1885)四月二十七日
重要歴史文化財に指定された。
昭和四十六年(1971)十月一日
新 町 公 民 館
新町文化財保勝会
承久三年生まれだとすると
もうすぐ800歳になるのですね
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