2011.05・14 高知県吾川郡いの町 光宜神社
ご祭神他 詳細は不明です
境内は 雑草が茂り あまり人が訪れていないように見える
お宮さんでした
鳥居は全て 台輪鳥居
亀腹の無い鳥居もありました
台座には 昭和六年(1931)
八月吉日
と刻まれていました
高知西部スタイルの狛犬さんたちですが
顔も 高知西部顔ですね
少し離れて見ると 鼻が無いように見えるんです
月曜日, 7月 11, 2011
日曜日, 7月 10, 2011
狛犬さん 1093
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
このお宮さんの名前ですが
鳥居の額は「杉本神社」ですが
それ以外では「椙本神社」の文字が使われています
境内の説明版によりますと
また別の説明版によると
一度是非お祭りに来たいですね
本殿の前にいた狛犬さんたちです
台座に明治十一年寅(1878)
九月令日
と刻まれていました
「令日」とは 佳き日という意味でしょうね
阿形の狛犬さんの足元には太鼓の撥
吽形の狛犬さんの足元には太鼓が
彫り込まれています
このお宮さんの名前ですが
鳥居の額は「杉本神社」ですが
それ以外では「椙本神社」の文字が使われています
境内の説明版によりますと
伊野町保護文化財
第四三号 平成元年二月九日指定
(民俗 無形)
椙本神社ご神幸 及び 古式神事
椙本神社のお祭りは土佐の三大祭りの一つ
として、あまねく県内外に知られています。
特に十一月二三日の秋大祭のご神幸は一
般に「大国さまのオナバレで親しまれ、
厳粛にして華麗、まさに仁淀河畔を染める
古色豊かな一大絵巻でもあります。
また「お葉毛立」から始まる一連の古式神事
は、「お葉毛下ろし」に終る八日間、古来から
の作法、仕来りを再現していとも荘厳幽玄、
他に比を見ぬ大祭行事であります。
これらはいずれも古い時代から長い伝統を
よく守り、現在に受け継いできたもので、
住民の生活、文化、信仰の歴史を理解する
うえで貴重なものがあると言えましょう。
伊野町教育委員会
また別の説明版によると
重要文化財 国指定 昭和三一年六月二八日だそうです
(工芸品) 八角形漆塗神輿 所有者 椙本神社
この神輿が建立されたのは古く鎌倉時代で、
弘長三年(一二六三)藤原助影奉献の銘文が神
輿の屋根の棟木にある。その後、元禄年間と享
保二〇年(一七三五)の二回にわたって修補さ
れている。享保の修理は八方吹きの部分にはめ
板及び扉を入れ、屋根に改造を加え、絵具彩
色から漆塗りに改造した記録が、神輿内部の
底板に墨書されている。したがって弘長制作当
初のものは隅木と軒の一部、柱、桁、欄間の横
連子と隅木鼻の青銅製の小鳥、棟の鳳凰である。
これらはいずれも鎌倉時代の特色をあらわし、
特に棟を飾る鳳凰は(尾及び羽根は後補)美術
工芸の発達した鎌倉時代でも稀な秀作で、全国
でも類例の少ないものである。
なお全国で重文神輿の指定を現在受けているの
は二八基で、うち二七基が四角形であり、八角
形は実に当神社のものだけである。
平成二年三月 伊野町教育委員会
一度是非お祭りに来たいですね
本殿の前にいた狛犬さんたちです
台座に明治十一年寅(1878)
九月令日
と刻まれていました
「令日」とは 佳き日という意味でしょうね
阿形の狛犬さんの足元には太鼓の撥
吽形の狛犬さんの足元には太鼓が
彫り込まれています
土曜日, 7月 09, 2011
狛犬さん 1092
2011・05.14 高知県吾川郡いの町 椙本神社
境内にある説明版によりますと
又 別の説明版には
吾川郡で見かける鳥居は ほとんどが台輪鳥居
狛犬さんは 耳の下に渦巻き髪で横流れ尾
以前に高知市内を回った時には
ここまでの特徴はありませんでした
鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十一年(1878)寅
九月吉日
と台座に刻まれていました
境内にある説明版によりますと
椙本神社由緒だそうです
ご祭神は、大国主命 素盞鳴命
奇稲田姫命の三柱です。
ご祭神の事蹟は、寛文六年(一六六六)
の仁淀川洪水で古記録が流出した
ため明瞭を欠いでいますが、大和の国
三輪から神像を奉じて、阿波を経て
吉野川を遡り伊予国東川の山中に
至り、その後、仁淀川洪水の時に河畔に
流着したのを加治屋谷斎き祀ったといわ
れます。また三輪の国から直接に神像
を奉遷したという別伝もあります。
その後、元慶年間(八八〇年代)に現在
地へ、まつられるようになりました。
いのの大黒さまと称されて、古くから信
仰を受けていますが、慶長九年山内
一豊自筆の文書が現存し、それ以来
社殿の造営は、手元普請となり、江戸
時代六回の修築が行われました。明治十五
年に一千年祭・昭和五十七年に一千百年祭が、
行われました。
又 別の説明版には
国民休暇県・高知 紙の町伊野だそうです
椙本神社
「いのの大国さま」で名高い椙本神社の御祭神は、大国
主命、素盞鳴命、奇稲田姫命の三柱で、御神徳は、福徳
開運、家内安全、商業繁栄、病気平癒等、多岐にわたって
いる。
八角形漆塗神輿の建造は古く、鎌倉時代・弘長三年
(1263)藤原助影奉献の銘文が残っている。特に棟の鳳凰は
秀作で、国の重要文化財に指定されている。
土佐勤王党首領の武市瑞山、絵金で知られる広瀬洞意、
長谷川信秋、紙業の先覚者吉井源太翁等の貴重な絵馬も
数多く残っている。
境内には、高浜虚子の「紙を漉く女もかざす珊瑚かな」
の句碑や、釈超空(折口信夫)の歌碑等があり、おがたま
の木には、みかどあげはも生息する。
吾川郡で見かける鳥居は ほとんどが台輪鳥居
狛犬さんは 耳の下に渦巻き髪で横流れ尾
以前に高知市内を回った時には
ここまでの特徴はありませんでした
鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
台座には 明治十一年(1878)寅
九月吉日
と台座に刻まれていました
金曜日, 7月 08, 2011
狛犬さん 1091
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 月田上神社
このお宮さんにたどり着いた道を さらに進むと
それが参道でした
参道に入る鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
阿形吽形の前足は 岩?の上に乗せています
台座には 明治十五年(1882)
壬午九月
吉日献之
と刻まれていました
以前高知市内を回った時にも
何か所かこのタイプに狛犬さんがいましたが
左程 気にするほど目立ってはいませんでした
今回 回った高知県西部で このタイプの狛犬さんによく逢いました
耳の下の毛が渦巻き状になっていて
狛尾の先が 体の側面に流れている
これが高知県の狛犬さんの特徴でしょうか
このお宮さんにたどり着いた道を さらに進むと
それが参道でした
参道に入る鳥居の傍にいた狛犬さんたちです
阿形吽形の前足は 岩?の上に乗せています
台座には 明治十五年(1882)
壬午九月
吉日献之
と刻まれていました
以前高知市内を回った時にも
何か所かこのタイプに狛犬さんがいましたが
左程 気にするほど目立ってはいませんでした
今回 回った高知県西部で このタイプの狛犬さんによく逢いました
耳の下の毛が渦巻き状になっていて
狛尾の先が 体の側面に流れている
これが高知県の狛犬さんの特徴でしょうか
木曜日, 7月 07, 2011
水曜日, 7月 06, 2011
狛犬さん 1089
2011.05.14 高知県吾川郡いの町 蘇我神社・八幡神社
蘇我神社の御祭神は 石川宿祢命
石川宿祢は蘇我一族の祖先にあたるようです
蘇我の子孫の一人 蘇我国光が
鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に
幕府から土佐に派遣です
その後 波川氏を名乗るようになり
天正八年(1580)まで 代々波川氏の統治が続いたそうです
波川玄蕃城主・清宗は長宗我部元親軍と戦かって
一族は滅ぼされたそうです
八幡神社の御祭神は 仲哀天皇・応神天皇
狛犬さんの台座には 明治十九年戌(1886)
九月吉日
と刻まれていました
蘇我神社の御祭神は 石川宿祢命
石川宿祢は蘇我一族の祖先にあたるようです
蘇我の子孫の一人 蘇我国光が
鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に
幕府から土佐に派遣です
その後 波川氏を名乗るようになり
天正八年(1580)まで 代々波川氏の統治が続いたそうです
波川玄蕃城主・清宗は長宗我部元親軍と戦かって
一族は滅ぼされたそうです
八幡神社の御祭神は 仲哀天皇・応神天皇
狛犬さんの台座には 明治十九年戌(1886)
九月吉日
と刻まれていました
月曜日, 7月 04, 2011
火曜日, 6月 28, 2011
月曜日, 6月 27, 2011
日曜日, 6月 26, 2011
狛犬さん 1085
2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社内豊玉比賣神社
境内の説明版によりますと
「靈」という字は 原文ではこの下に「女」が
ついているのですが 探しても見つけられませんでした
「孁」という字もあります
靈と孁を足して2で割ったような字です
日靈命は オオヒルメ(天照大神)の事でしょうか
豊日靈命は 不明です
調べているときに 蘇我系には「豊」が付くとか
書いてありました
「豊日」は大伴系につくとか
結局わかりませんでした
狛犬さんの詳細については不明です
境内の説明版によりますと
豊玉比賣神社の御祭神はだそうです
天石門別豊玉比賣(アマノイワトワケトヨタマヒメ)であります
此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの
頁を費やし、種々の寓話を述べられている
大女王です。それにまた神武天皇の出生に
連る山彦、海彦をも記しています。わが国
天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を
無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・脇町)の
住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと
称され、発言を封じられていた阿波国ですが
事実の前にはさからえなかったのでしょう。
醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、
日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。
日靈命(オオヒルメノミコト)と同様、天石門別豊玉比賣が
豊日靈命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比賣神社が
「古事記」海幸彦・山幸彦の物語中に出てくる
籠王宮の宮殿跡を社地として祀られています。
わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王
の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。
はるか太古、神々の物語時代(高天ヶ原時代)から
天石門の外界に現れたの意味で、この神より後人皇の
歴史となっていきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが
日靈命、豊日靈命であることが歴然としています。
「靈」という字は 原文ではこの下に「女」が
ついているのですが 探しても見つけられませんでした
「孁」という字もあります
靈と孁を足して2で割ったような字です
日靈命は オオヒルメ(天照大神)の事でしょうか
豊日靈命は 不明です
調べているときに 蘇我系には「豊」が付くとか
書いてありました
「豊日」は大伴系につくとか
結局わかりませんでした
狛犬さんの詳細については不明です
土曜日, 6月 25, 2011
金曜日, 6月 24, 2011
木曜日, 6月 23, 2011
狛犬さん 1082
2011.04.26 徳島県徳島市眉山町大滝山 春日神社
境内の由緒書きによりますと
狛犬さんの台座には 明和六己丑(1769)
正月吉日
石工 大阪炭屋町
五兵?
と刻まれていました
境内の由緒書きによりますと
春日神社御由緒
御祭神 武甕槌命
斎主命
天児屋根命
比賣命
御由緒
眉山の麓、大滝山に鎮り坐す春日神社は
奈良に坐す春日大社の御分社であり、
御祭神も同じ四柱の神々である。
慶長年間藩祖蜂須賀家政公が渭の津に
築城の際名西郡入田の里より神霊を奉遷・
鎮祭し奉ってより徳島城下の総氏神として
歴代藩主を始め上下の崇敬篤く明治初年
(1868)県社に列せられた。
当時の社殿を始め主要建築物は、昭和二十年
(1945)の戦災の為殆ど灰燼に帰したが、
其後本殿は二十六年(1951)十月に、
拝殿は三十四年(1959)十月に
手水舎は六十三年(1988)十月にそれぞれ
再建され今日に至ったものである。
狛犬さんの台座には 明和六己丑(1769)
正月吉日
石工 大阪炭屋町
五兵?
と刻まれていました
土曜日, 6月 11, 2011
火曜日, 6月 07, 2011
月曜日, 6月 06, 2011
日曜日, 6月 05, 2011
土曜日, 6月 04, 2011
狛犬さん 1077
2011.04.26 徳島県徳島市西大工町 三島神社
御祭神は 愛媛県今治市の大三島神社から
勧請された 大山祇神だそうです
鎌倉時代から室町時代にかけて 当神社周辺は
奈良県春日大社の荘園(富田庄)で
この荘園の地頭に任命された伊予国の武士
河野通久が、自ら信仰していた大山祇神社(三島大明神)を
徳島でも祭ったのが始まりとされるそうです
鳥居をくぐり 階段を十数段上がった所にいた
狛犬さんたちです
狛犬さんのすぐ後ろにこんな説明板がありました
承久三年生まれだとすると
もうすぐ800歳になるのですね
御祭神は 愛媛県今治市の大三島神社から
勧請された 大山祇神だそうです
鎌倉時代から室町時代にかけて 当神社周辺は
奈良県春日大社の荘園(富田庄)で
この荘園の地頭に任命された伊予国の武士
河野通久が、自ら信仰していた大山祇神社(三島大明神)を
徳島でも祭ったのが始まりとされるそうです
鳥居をくぐり 階段を十数段上がった所にいた
狛犬さんたちです
狛犬さんのすぐ後ろにこんな説明板がありました
徳島市指定有形文化財
三島神社の狛犬
鎌倉時代承久三年(一、二二一)
伊予の河野通久が富田庄の地頭に任じられたとき、
伊予の大三島神社の神霊を建立した。そのとき
狛犬を造立せられたものと伝えられている。
材質は砂岩で出来ており全長一メートル、
製作当時は優美な彫刻であった事が
うかがわれる。
徳島市教育委員会
新町の文化財だそうです
長さ 100.6cm
高さ 85.5cm
頭髪 15の線あり
河野通久が富田庄の地頭に任じられたとき
伊予の大三島神社の神霊を迎え建立した。
狛犬はその当時のものと伝えられる。
前足を折り頭を下げ後足を立ててまさに
搏撃せんとする勇猛な形想である。
明治二十八年(1885)四月二十七日
重要歴史文化財に指定された。
昭和四十六年(1971)十月一日
新 町 公 民 館
新町文化財保勝会
承久三年生まれだとすると
もうすぐ800歳になるのですね
日曜日, 5月 29, 2011
狛犬さん 1076
2011.04.26 徳島県徳島市二軒屋町 忌部神社
もう一度階段に戻り そのまま上がって行くと
狛犬さんの台座には 安政四年(1857)
午三月吉日
また 年号があいません
安政四年は丁巳 午は翌年の安政五年です
もう一度階段に戻り そのまま上がって行くと
忌部神社御由緒だそうです
御祭神 天日鷲命(アメノヒワシノミコト)
太古天日鷲命は穀麻を植え製紙製麻紡績の
諸業を創始され、特に天照大神が天の岩戸に
お隠れになった時白幣をつくり、神々と共に
祈祷られ、天の岩戸開きに大きな功績を
挙げられた。
その子孫は忌部と称して国家祭祀の礼典を
掌どり神武天皇の御代阿波国へ下り
代々朝廷に麁服御衣(アラタエノミソ)を
貢上した。斯く天日鷲命を奉斎する。
徳島県民の祖神を祭り阿波国總鎮守の神社として
古来朝野の尊崇篤く、後、官幣大社に列せられ
四国一の宮とも称せられた。
明治四年(1871)国幣中社に列せられ、
明治七年(1874)所在地を麻植郡山崎村と
決定されたが同十四年(1881)美馬郡
西端山村奉遷祀、更に明治二十年(1887)
徳島市の現在地に新社殿を奉遷鎮祭し奉る。
昭和二十年(1945)大東亜戦争の為、
焼失したが崇敬者の尊い浄財により、本殿は
昭和二十八年(1953)に、
拝殿は昭和四十二年(1967)に復興された。
狛犬さんの台座には 安政四年(1857)
午三月吉日
また 年号があいません
安政四年は丁巳 午は翌年の安政五年です
土曜日, 5月 28, 2011
金曜日, 5月 27, 2011
狛犬さん 1074
2011.04.26 徳島県徳島市勢見町 金刀比羅神社
階段の途中を左に曲がって行くと
金刀比羅神社に出て行きます
神社の正面から 上がる階段もあり
その階段の下にも狛犬さんが見えています
この狛犬さんは 正面階段を上がった所に居ました
台座には 昭和三十七年(1962)五月吉日
と刻まれていました
ここの境内にも タヌキさんがいました
どれがお四つ大明神・お六つ大明神か
わかりませんでした
看板の左手は 皇太神宮のお社です
階段の途中を左に曲がって行くと
金刀比羅神社に出て行きます
神社の正面から 上がる階段もあり
その階段の下にも狛犬さんが見えています
この狛犬さんは 正面階段を上がった所に居ました
台座には 昭和三十七年(1962)五月吉日
と刻まれていました
ここの境内にも タヌキさんがいました
お四つ大明神看板の後ろには沢山小さな祠が並んでいて
お六つ大明神
勢見の金比羅さんの境内、石段を上りつめた
左手に鎮座している
むかしから秋田町の女性によくもてて、
その方面の信者が今でも多い。おしろいや
赤提灯、油揚げなどが奉納されているのは
それを物語っている。
諸願成就、とくに水商売やうせものに
祈願すれば霊験あらたかといわれる。
阿波の狸奉賛会
どれがお四つ大明神・お六つ大明神か
わかりませんでした
看板の左手は 皇太神宮のお社です
木曜日, 5月 26, 2011
水曜日, 5月 25, 2011
狛犬さん 1072
2011.04.26 徳島県徳島市勢見町 金刀比羅神社
ご祭神 大物主命
由緒としては
台座の「九年」と言う文字は読み取れましたが
後の文字は 石の表面がはく離していて
読み取ることは出来ませんでした
ご祭神 大物主命
由緒としては
元和2年(1616年)に蜂須賀家政が阿波国に入国後だそうです
徳島城府の鎮府として勝占町から移された
近隣にある勢見山は 源義経が屋島へ向かうために
勝浦に上陸し 軍勢を見たことに由来しており
本来は勝占神社の鎮座する鉢伏山のことだが
遷座と供に山名も移ってきた。
大鳥居は寛政3年(1791年)に築かれ
大鳥居のしめ縄は徳島県下一である
台座の「九年」と言う文字は読み取れましたが
後の文字は 石の表面がはく離していて
読み取ることは出来ませんでした
日曜日, 5月 08, 2011
土曜日, 5月 07, 2011
金曜日, 5月 06, 2011
木曜日, 5月 05, 2011
水曜日, 5月 04, 2011
狛犬さん 1067
2011.03.04 愛媛県松山市善応寺 荒魂神社
主祭神は 天照大神
この狛犬さんたちは 鳥居をくぐった所にいました
狛犬さんの台座には
天保九戊戌(1838)
八月吉祥日
今治
石工
大村忠右ヱ門
と刻まれていました
このお宮さんには 愛媛県では珍しい
地神塔がありました
主祭神は 天照大神
由緒 創立年代は未詳そうです
往古より鎮座し 部落の産土神として崇敬が篤い
明治9年3月村社に列格した
明治43年5月4日県社高縄神社に合祀
その後 氏子の熱望により昭和21年9月29日
高縄神社より分祀創立
昭和24年本殿・拝殿を改築された。
この狛犬さんたちは 鳥居をくぐった所にいました
狛犬さんの台座には
天保九戊戌(1838)
八月吉祥日
今治
石工
大村忠右ヱ門
と刻まれていました
このお宮さんには 愛媛県では珍しい
地神塔がありました
日曜日, 5月 01, 2011
狛犬さん 1066
2011.03.04 愛媛県松山市宮内 高縄神社
境内の説明板によりますと
又別の説明板によりますと
参道に居た狛犬さんです
狛犬さんの台座には
天保九(1838)戊戌
八月吉祥日
今治 石工
大村忠右ヱ門
と刻まれていました
境内の稲荷社に居た狐さんたちです
台座に 弘化三午年(1846)
十二月吉日
と刻まれていました
境内の説明板によりますと
高縄神社だそうです
昔、越智高縄が高縄山の頂上に城をつくり
大山積神をとても大切にしていました
越智益躬が高縄天神森に 神仏の分霊を
移して祭り、社殿造営しました
1136年(保延二年)河野親清が現在地に移して
高縄三島神社と名前を付けました
1870年(明治三年)に高縄神社としました
神は、大山積神と高龗神と鳴雷神がいます
平成18年3月
河野小学校卒業生有志一同建之
又別の説明板によりますと
国史現在社 高縄神社 御由緒だそうです
ご祭神
大山積神 大山積神を三島大明神と申し上げ、
社伝に太古天地開闢の時に成りませる
天神国之常立命、神徳二義に化して
面足神惶根神と生じ給ひ、高縄山に天降り
大三島に垂跡して三島大明神と現じ給へりと
あります。神代史によれば、天孫爾爾藝命
(皇室の祖)の外戚の父神とあり又、
須佐能男命(出雲の神々の祖)にとっても
外戚の祖父神であるとされ最も古い系譜に
属する高貴の神様です。
高龗神
鳴雷神
高縄山は古来神霊天降る峯として山麓はもと
より広く齋灘一帯の海上から仰がれた神山であ
り、かって三島大明神を奉じ瀬戸内水軍を率ゐ
て天下に雄飛した小千(越智)河野一族は、当
地風早郡河野郷に発祥しました。
社伝によれば、河野氏の遠祖小千命九世の孫
小千躬尺は別名を小千高縄とも称し三島大明神
の神託により高縄山に居城したといはれ、後六
世を経て第十五代小千益躬は推古天皇七年(西
紀五九九年)山頂天神ヶ森に祭壇を新設、三島
大明神を主座に天神地祇を奉斎して高縄の神と
尊称しました。すなわち当神社の創建であり
ます。
「類聚国史」には当神社を推古天皇勅願社の一に
数えており「三代実録貞観五年の項には神階授
与のことが見え、当時より御神威赫然たりしこ
とが偲ばれます。
越智氏第二十七代の家督を継いで高縄城主とな
った河野親清は天神ヶ森の高縄神を奉遷すべく
御神意を伺ひ、当地を卜定して
保延二年(西紀一一三六年)三月二十三日鎮祀。
河野新宮とも河野三島宮とも尊称し、
社殿に大三島の大山祇神社に擬して壮大な
結構を営み、祭務を北条小太夫正岡経孝に
命じ、神官祝部社僧衛待等数十人を擁した
といわれます。
爾来、当神社は河野氏の産土神として格別に
崇敬され親清の子通清から末孫通直まで神
領安堵神田寄進累代に亘り御社領は荘厳を
きはめたものであります。
戦国時代河野氏は滅亡して当神社の神領
神田ことごとく没収され、さらに慶長五年
(西紀一六〇〇年)九月二十日夜兵火に罹っ
て社殿神宝古文書等すべて焼失しました。
徳川時代半ばになって当神社はようやく
復興の緒につき文化三年御社号を復古して高縄
神社と改め、同四年河野一郷の鎮守として
郷社に列格同二十八年には県社に昇格しま
した。現在は神社本庁傘下の宗教法人と
して深縁深き河野地区の氏子によって護持
されています。
平成十七年十一月吉日
参道に居た狛犬さんです
狛犬さんの台座には
天保九(1838)戊戌
八月吉祥日
今治 石工
大村忠右ヱ門
と刻まれていました
境内の稲荷社に居た狐さんたちです
台座に 弘化三午年(1846)
十二月吉日
と刻まれていました
土曜日, 4月 30, 2011
日曜日, 4月 24, 2011
土曜日, 4月 23, 2011
狛犬さん 1063
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市本町 市神神社
境内の説明板によりますと
鳥居をくぐった先に居た狛犬さんです
阿形の台座には 昭和六十一年(1986)四月吉辰
卆寿 何某
吽形の台座には 昭和六十一年四月吉辰
米寿 何某
と刻まれていました
境内の説明板によりますと
近江七福神霊場
市神神社
主祭神 事代主命
配祀神 大国主命・猿田彦大神・額田王
境内社 金刀比羅神社・鎮宅神社
由緒
「市神ノ本紀」によれば、
推古天皇元年、聖徳太子四天王寺を
造営し給ふ時、同郡白鹿山の東の麓に
おいて幾千万の瓦を造らせ難波津に
運ばせはまふ。然るに太子かの山に
渡らせられ新に瓦屋寺を営し、且つ
捊川の北に民家数百個を置き、
事代主命の神像を刻し一祀壇に納め、
同九年始めて市店を開き、士農工商の
別なく交易する事を教へ給ふ「其の後
正暦の頃、阿倍清明白鹿山に詣で
この神像を拝し、太子の遺志を継ぎ
市店鎮護の祈りを奉り」云々とあり
境内にりっぱな聖徳太子像がある。
また万葉集最高の女流歌人、額田王
立像を、おまつりするのでその
銘碑がある。
さらに、昭和六十年四月二十九日には、
万葉と風土の研究の第一人者、
大阪大学名誉教授、犬養孝博士の
筆になる額田王の歌碑が建った。
君待つと わが恋ひをれば わが屋外(やど)の
すだれ動かし 秋の風吹く
(巻四-四八八)
鳥居をくぐった先に居た狛犬さんです
阿形の台座には 昭和六十一年(1986)四月吉辰
卆寿 何某
吽形の台座には 昭和六十一年四月吉辰
米寿 何某
と刻まれていました
金曜日, 4月 22, 2011
木曜日, 4月 21, 2011
狛犬さん 1061
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市 皇美麻神社(すめみまじんじゃ)
境内の石碑によりますと
鳥居の手前に居た狛犬さんです
台座に 征露記念
明治参拾九年(1906)七月
と刻まれていました
征露戦争は 明治37年(1904)2月8日から
明治38年(1905)9月5日まで
大日本帝国とロシア帝国との間で
朝鮮半島と満州南部を主戦場とした戦争だそうです
1905年9月5日にポーツマス条約を締結し
講和した 戦争だそうです
境内の石碑によりますと
皇美麻神社そうです
主祭神 瓊々杵尊
境内社 善女龍王神社 津島神社
由緒
聖徳太子がこの地に市場を開かれた
ときに既に鎮座されていたといわれる。
古来北野々宮と称し、この地方の大社
であった。江戸時代には十八大明神と
称したようで、宝暦の堂社帳の八日市
村の条に「御代領入組地の内、氏神十
八大明神、社一軒、拝殿一軒」とあり。
神埼郡神名帳にも「十八大明神、祭一
皇孫命二」とある。皇孫命とは天彦瓊々
杵尊を申したので、創祠以来千余年の
歳月と幾多の兵乱を経て古文書、宝物
等を焼失し或は紛失している。
堂社帳にあるようにこの地は彦根領と
旗本三渕氏、奥山氏の所領と三分され
ていたが、同二氏より例祭に米一斗ず
つ奉納があり、明治維新まで続けられ
た。
鳥居の手前に居た狛犬さんです
台座に 征露記念
明治参拾九年(1906)七月
と刻まれていました
征露戦争は 明治37年(1904)2月8日から
明治38年(1905)9月5日まで
大日本帝国とロシア帝国との間で
朝鮮半島と満州南部を主戦場とした戦争だそうです
1905年9月5日にポーツマス条約を締結し
講和した 戦争だそうです
月曜日, 4月 11, 2011
日曜日, 4月 10, 2011
狛犬さん 1059
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市松尾町 松尾神社
本殿の前に居た狛犬さんです
台座に 明治十一年(1878)寅(?)
四月乃(?)吉祥日
と刻まれていました
このお宮さんには武家風の枯山水と言うのでしょうか
庭園の一部が残っています
境内の説明板によりますと
とても素敵なお庭ですが この写真では
その片鱗もお伝えしていないと思います
本殿の前に居た狛犬さんです
台座に 明治十一年(1878)寅(?)
四月乃(?)吉祥日
と刻まれていました
このお宮さんには武家風の枯山水と言うのでしょうか
庭園の一部が残っています
境内の説明板によりますと
松尾神社庭園そうです
桃山時代初期の作庭で寺院又は武家屋敷の
書院に面した庭園遺構である。
山際に多数の石組を建てた豪放なものは
蓬莱石組、中央部一群の石組は須弥山や
鶴亀島の形態を整え、武家好みの力強さが
感じられる。
松尾神社蔵の嘉吉四(一四四四)年の
古文書によると、この地に瓦屋寺別院
延命山尊勝寺という東大寺所属の寺があり、
松尾神社はその鎮守であったと考えられる。
永禄九(一五六六)年奈良興福寺一剰院に
隠れていた足利義昭が近江の佐々木義賢を
頼ったことがあり、将軍を迎えるために
この庭を造ったのではないかとも言われている。
これは越前の朝倉義景が自分の居城である
一乗谷に足利義昭を迎えた際に造った庭園と
時期、様式的に似ていることからの類推と
思われる。
昭和四六年五月二〇日に八日市市の
文化財に指定された。
とても素敵なお庭ですが この写真では
その片鱗もお伝えしていないと思います
土曜日, 4月 09, 2011
狛犬さん 1058
2011.01.30 滋賀県東近江市八日市松尾町 松尾神社
境内の由緒書によりますと
鳥居の手前に居た狛犬さんです
詳細は不明ですが 良い狛犬さんたちですよね
境内の由緒書によりますと
松尾神社由緒そうです
主祭神は大山咋神で他に市杵嶋姫命と
猿田彦命を併祠している。
松尾大明神由緒記によると、
仁寿二年(八五二年)建御雷神一柱を
祀るとあるが、宝暦五年(一七七五年)
山城の国・松尾大社より大山咋神の
御分霊を奉迎して、現在の松尾神社が
出来上がったと伝えられている。その昔は
延命山にあった尊勝寺守護の社として
日吉神社に属していたといわれる。
本殿は二,五間の流れ造りで
文政八年(一八二五年)再建、また
拝殿は文政十三年(一八三〇年)に
上棟されたものである。摂社として金刀比羅宮、
併祠社として玉水稲荷神社・末永稲荷神社・
豊永稲荷(小稲荷)を祀っている。
古くから松尾さんと呼ばれ、浜野の氏神さま
として親しまれている。特に春の例大祭での
大神輿・小神輿・子供神輿を伴った渡御は
他町に類をみない立派なもので、毎年四月
第二日曜日に奉斎されている。
鳥居の手前に居た狛犬さんです
詳細は不明ですが 良い狛犬さんたちですよね
土曜日, 4月 02, 2011
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