金曜日, 5月 15, 2015

狛犬さん 1316

2013.11.17 東京都足立区千住 千住神社
 境内の説明板に依りますと
 
千住神社
 およそ一千年前、この地は千崎という丘陵で、原
始的森林地帯であった。やがて開拓民がここに住
みつき、延長四年(九二六)に稲荷の神を勧請し、石
造の祠を建て、千崎稲荷神社として五穀の豊作を
祈願していた。
 弘安二年(一二七九)氷川神社を勧請したので、二
つの神社が原始林の中に並び、「二ツ森」とも言わ
れて住民の信仰を集めた。
 江戸の初期、日光街道が開通すると、千住は初
宿となり、宿場の西方にある神社ゆえ、西の森と
唱えられた。明治六年、千崎稲荷神社と氷川神社
を合祀して、西森神社と号し大正四年に、千住神
社と改称した。
 祭神は、須佐之男命と宇迦之御魂命の二神を祀
り、明治七年に区内唯一の郷社に列せられた。当
社殿は昭和二十年四月十三日の空襲で焼失したが、
氏子の厚い信仰と熱誠により昭和三十三年九月、
現在の社殿(権現造り・流れ作り・神明造りの三
者混合)が完成した。
  昭和六十三年二月
             東京都足立区教育委員会
だそうです

 ご本殿の前にいた狛犬さんたちです
 台座に   時惟文政十三庚寅年(1830)五月
          と刻まれていました




















足元にいる子犬さんたちです












水曜日, 5月 13, 2015

狛犬さん 1315

2013.11.17 東京都足立区千住 氷川神社
 ご本殿に向かって左手に
 高正天満宮・稲荷神社・猿田彦大神のお社が
 並んでいます
 そのお社の前にいた狛犬さんたちです
 これも 詳細は不明ですが
 かなり 顔が欠け傷んでいます
 関東大震災か戦災の影響でしょうか

 
 

月曜日, 5月 11, 2015

狛犬さん 1314

2013.11.17 東京都足立区千住 氷川神社高正天満宮
 境内の説明板に依りますと
高正天満宮縁起碑
 氷川神社内に合祀される高正天満宮の縁起を示す碑である。
千住四丁目の名主高梨氏の系譜、高正天満宮の由来について詳
しく述べている。
 千住四丁目の名主高梨信平は地域の子供たちに読み書きなど
を教えていた。縁故を頼って屋敷内に住むことになった正木昌
房に、老齢の信平は子弟教育を託し、代々信奉していた菅原道
真の像を譲った。正木氏はそれよりこの像を家神として祀り、
子弟教育を家業とするようになった。
 昌房の孫、正木建はこの菅原道真像を個人で祀るより、氏神
社内で祀ることを思い立ち、高梨氏と正木氏とに関わるこの神
を高正天満宮と号することにしたという。
 正木氏は、昌房以来、代々寺子屋「群雀堂」の経営にあたり、
二代目塾主、大助(正木櫟蔭)の代には大いに発展し、来塾する
ものが毎日百人ほどもいたという。
 元治元年(一八六四)に建立されたこの碑は、三代目正木建の撰文
によるものであり、天満宮の由来はもとより、寺子屋開塾に至
る経緯が伺われる貴重な資料である。
   平成二年一月、足立区有形文化財に登録された。
      平成七年三月
               東京都足立区教育委員会

        だそうです

 狛犬さんの詳細は不明です

土曜日, 5月 09, 2015

狛犬さん 1313

2013.11.17 東京都足立区千住 氷川神社
 御祭神は 素盞鳴尊
 元禄四年(1692)四月に
 長円寺境内に建立されたそうです
 
 本殿のすぐ前にいる狛犬さんの台座には
   昭和三十九年十一月
           と刻まれていました

木曜日, 5月 07, 2015

狛犬さん 1312

2013.11.17 東京都足立区千住 千住本氷川神社
   御祭神 素盞鳴尊

 境内にある旧社殿の説明板に依りますと
千住本氷川神社旧社殿
 千住本氷川神社は、徳治二年(一三〇七)に千葉氏
によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神
社として創建されたという。
 千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初
期、現在地に地主の土地奉納によって分社が建
てられた。その後、明治四十三年(一九一〇)荒川放
水路建設のため、牛田氷川神社を合祀し、さら
に昭和四十五年に社殿を新築したため、旧社殿
は末社として保存されている。
 旧社殿向拝は、千鳥破風、その前面が唐破風
となり、二重の破風を形成し、頭貫や虹梁の部
分には、龍や鳥類の彫刻が目立っている。本殿
は方一間(一,八メートル)余りの木造で、切妻造りの
平入り形式をなし、屋根は箱棟こけらぶきで、
勾配が美しい曲線を呈している。軒回りは二重
棰となり、組物も巧緻で処々に彫刻が施され、
趣きのある社殿である。
    平成六年三月
              東京都足立区教育委員会

            だそうです

 狛犬さんの詳細は不明です



















 説明板に書いてあった旧社殿です

火曜日, 5月 05, 2015

狛犬さん 1311

2013.11.16 東京都墨田区立花 吾嬬神社
境内の説明板に依りますと
吾嬬神社
御祭神   弟橘姫命
 合殿   日本武命
 縁起
  抑当社御神木楠は昔時日本武命東夷征伐
 の御時、相模の國に御進向上の國に到り給はんと御船に召さ
 れたる海中にて暴風しきりに起り来て御船危ふかしりて御后
 橘姫命と海神の心を知りて御身を海底に沈め給ひしかば忽海
 上おだやかに成りぬれ共御船を着くべき方も見えざれば尊甚だ愁わせ
 給ひしに不思儀にも西の方に一つの嶋忽然と現到る御船をば浮
 洲に着けさせ嶋にあがらせ給ひてあ~吾妻戀しと宣ひしに俄に東風
 吹来りて橘姫命の御召物海上に浮び磯辺にただ寄らせ給ひしかば尊
 大きに喜ばせ給ひ橘姫命の御召物を則此浮洲に納め、築山をき
 づき瑞離を結び御廟となし此時浮洲吾嬬大権現と崇め給ふ
 海上船中の守護神たり尊神ここに食し給ひし楠の御箸を以て末
 代天下太平ならんには此箸二本ともに栄ふべしと宣ひて御手自
 ら御廟の東の方にささせ給ひしに此御箸忽ち根枝を生じし処
 葉茂り相生の男木女木となれり神代より今に至りて梢えの色
 変わらぬ萬代おさめし事宛然神業なり。其後民家の人々疫
 にあたり死する者多かりしに時の宮僧此御神木の葉を与えしに
 病苦を払ひ平癒せしより諸人挙って尊び敬ひぬ今こそ此御神木
 楠の葉を以って護符となして裁服するに如何なる難病にても奇瑞
 現れぬと云ふ事なし凡二千有余年の星霜おし移ると云へ共
 神徳の変らざる事を伝ふべし共猶諸人の助けとならんと略してしるす也

又 別の説明板に依りますと
<墨田区登録文化財>
狛犬 安永二年(1773)五月銘
  この狛犬は比較的小型の一對ですが、世話人一〇名を奉納者二二
 名もの名前が刻まれています。そのほとんどが築地小田原町(中央
 区築地六・七丁目)や本船町地引河岸(中央区日本橋本町)など日
 本橋の商人であることから、海運・漁業関係者とのつながりをよく
 表しているといってよいでしょう。このことは吾嬬神社の由来に起
 因しています。
  日本の神話に、日本武尊命が現在の東京湾を舟で渡っている時に
 海神の碇に触れ、往生していた時に妻の弟橘媛が海に身を投げて
 海神の怒りを鎮めたという話があります。この媛の品が流れ着いた
 所がこの地だったということです。以来、海や川で働く人々の守護
 神として信仰されてきたわけです。
 また、昔は地震沈下していなかったため、この社の裏の「吾嬬の
 森」と呼ばれた森が小山のように、広がり、海上からの好目標だった
 ことも崇敬を集めた理由のひとつでしょう。
  現在、鉄柵の奥にあるために近づくことはできませんが、かえっ
 て台座に刻まれた人名など、良い状態で保存されています。
                     墨田区教育委員会


              だそうです

 吽形には大きな角があり 阿形の頭には
 宝珠のようなふくらみがあります

日曜日, 5月 03, 2015

狛犬さん 1310

2013.11.16 東京都墨田区文花 香取神社
 境内の由緒書きに依りますと
香取神社
 御祭神  經津主大神(又の御名 伊波比主大神)
 御由緒 
  經津主大神は天孫降臨に先立ち、天照大神の勅を奉じ
 武甕槌神(鹿島の神)と共に出雲に降り、大国主命と御交渉の結果
 國土を皇孫に捧げ奉らしめ、次いで國内を平定して日本の建國の基礎を
 築かれた武勇に優れた神様で國運開発・民業指導・海上守護・縁結び
 安産の神様更には、武徳の祖神として廣く仰がれております。
  當神社は、永萬元年(一一六五年)の葛西御厨の文書、應永五年(一三九八年)の
 葛西御厨注文等に鎮守村名が見られ、平安時代の末期、當地開拓のために
 千葉県香取郡から六軒の人々が移住し、小村井の氏神様として鎮守しました。
 大正五年頃まで老樹鬱蒼と繁茂し圓形の森林をなし、鶏類はもとより
 狸の類も巣を作り、隣地には小村井梅園が存して明治四十三年頃までは
 四季の遊びの場所ともなりました。
 現在の御社殿は、昭和二十九年の建立で、本殿は流れ造り拝殿は
 入母屋流れ造りの総桧造りです。

                 だそうです
 狛犬さんの詳細は不明です


金曜日, 5月 01, 2015

狛犬さん 1309

2013.11.16 東京都墨田区向島 秋葉神社
 本殿の前にいた狛犬さんです     
 
 台座に  昭和五十年五月吉日        
     と刻まれていました


















お宮さんは今では 住宅に囲まれ 境内はかなり狭くなっています
しかし 境内の石灯籠の説明板に依りますと
<墨田区登録文化財>
石灯籠
 本殿に向かって一番近くにある石灯籠一対は、松平
甲斐守吉里の室、源頼子が寛保元年(一七四一)奉献し
たものです。吉里は将軍綱吉の寵臣柳沢吉保の子です。
 この石灯籠の右横にある一基は、前橋城主酒井雅樂
頭忠挙が宝永六年(一七〇九)に奉献したもので、その
手前にある一対の石灯籠は、関東郡代伊那忠宥が宝暦
八年(一七一八)に奉献しました。
 鳥居に近い石灯籠一対は、上州沼田城主で老中も勤
めた伯耆守本多正永が宝永元年(一七〇四)に奉献し
たものです。なお、この一対は<墨田区登録文化財>
に登録されています。
 当社は安藤広重の『名所江戸百景』に紅葉の名所と
して描かれ、『江戸名所図絵』には「秋葉大権現社」、
弘福時より三丁あまり東の方請地村にあり。遠州秋葉
権現を勧請し、(略)境内林泉幽邃にして四時遊観の地
なり」とも書かれています。一方鎮火の神として将軍
家や諸大名の崇敬があつかったといいます。
      平成五年三月
                墨田区
 

            だそうです
左側赤枠に囲まれているのが 柳沢吉里室の名の入った灯篭です