土曜日, 4月 25, 2015

狛犬さん 1308

2013.11.16 東京都墨田区向島 秋葉神社
 境内の由緒書きに依りますと
秋葉神社御由緒
祭神 火産霊命(ホムスビノミコト)    千栄秋葉大権現
    宇迦御魂命(ウカノミタマノミコト) 千代世稲荷大明神
昔この地を五百崎の千代世の森と云い千代世橋稲
荷大明神がまつられていた。草創は正応二年(一
二八九)と伝える。江戸時代の初め善財という霊
僧この森に庵を結び精修数年の後、秋葉大神の神
影を彫みこれを社殿に納めて消え去った。元禄の
始め修験者葉栄(ショウエイ)が神感を得てこの社に詣り祈願の
利益をうけ、当時請地村の長百姓岩田與右衛門を
通じ寺社奉行に願出で上州沼田城主本多正永の奉
賽にて、元禄十五年(一七〇二)秋葉稲荷両社と
稱して社殿を造営し又千葉山満願寺を興して別当
となった。
爾耒鎮火の霊験・産業縁結びの神徳により諸大
名をはじめ士庶人の振興を受け、享保二年(一七一
七)に神祇管領より正一位の宗源宣旨を受けるに
至った。明治元年神佛分離令の施行により、秋葉
神社と稱し別当満願寺を廃した。大正十二年の震
災に社殿倒壊し、昭和五年復興したが、昭和二十
年戦災にかかり昭和四十一年氏子崇敬者の奉賽に
より現社殿を再建した。  
 

         だそうです

 阿吽両方の頭に 宝珠が付いています
 かなり欠けて傷ついていますが
 これは空襲の際に受けたもののようです
 戦争被害者の狛犬さんたちです

 台座には (昭和六年(1931))十一月吉日
   と刻んでありました
 年号は他の資料に書いてあったのをそのまま書きました

 

木曜日, 4月 23, 2015

狛犬さん 1307

2013.11.16 東京都墨田区向島 三圍神社顕名霊社
 顕名霊社の内側にいた狛犬さんです
 玉垣の内側にいるので 詳細がわかりません
 


















 
 境内に憧れ?の 鳥居がありました
 説明板に依りますと
三角石鳥居
三井邸より移す。
原形は京都太秦・木島神社にある
  
      そうです
アメノミナカノヌシノカミと、タカミムスビノカミと、カミムスビノカミの
 三柱の神様を表しているとか
 天地人を 表しているとか 色々な説があるようです
 日本全国に八か所あるそうです

火曜日, 4月 21, 2015

狛犬さん 1306

2013.11.16 東京都墨田区向島 三圍神社顕名霊社(あきな)
説明板によりますと
三井家先祖をまつる。彫刻の下絵は>
川端瑞祥。明治七年建。平成六年移築。>
 
だそうです

 小ぶりなお社ですが 中の彫刻は素敵でした
 残念なことに 金網で覆われていてよく見えませんでしたが

 この狛犬さんたちの素材は何でしょうか
 最初に一目見た時には 焼き物ではないかと思いました
 内側に向けて 体が傾いていました

















 このお宮さんの隣に
 木遣音頭碑があります
慶長十一年(一六〇六年)、第二代将軍徳川秀忠公の時、江戸城
の増築拘置を行った際、府内近在の町民はそれを祝って「松に寄せ
た祝い歌」をつくり、櫓上において唄いあげた。
お城の工事が終わった際、異例にも将軍家から褒辞と陣扇及び簓(ササラ)
を賜った。
これが木遣温度のはじめで、以来、その地域特有の詞と木遣音頭
の調をもって上棟などの祝で行うようになった。
明治八年(一八七五年)、木遣音頭同好の人々が、その聲曲を補作
し、由来を記して太平の世の根源を忘れぬよう、永遠に記録するも
のである。
中央の木遣音頭碑には「いろは四十八組と本所深川十六組」の木
遣師たちの名前が刻まれているが、隣の「木遣連名碑」には「を組・ 新門辰」などの名前もみられ、音頭碑以外の六百三十名以上の木遣
師達の名前が刻まれている。
明治七年に東京警視庁が設けられ、消防組はその所属となり、翌
明治八年一月十四日、消防組が東京警視庁練兵場に集結し、
第一回東京警視庁出初式が行われ、それがきっかけで機運が
高まり、本碑が建立されたものである。
      平成二十四年六月吉日
                 一般社団法人 江戸消防記念会
 
だそうです

日曜日, 4月 19, 2015

狛犬さん 1305

2013.11.16 東京都墨田区向島 三圍神社
 境内の説明板に依りますと
三圍神社 大國神 恵比寿神
 三圍神社の別殿には、古くか
ら大國、恵比寿二神の神像が奉
安されている。もとは三井の越
後屋(今の三越)にまつられてい
たものである。江戸時代の終り
頃、町人層の好みが世間のさま
ざまな分野で表面に現れ、多く
の人びとによって支持された時
代の流れの中で、隅田川七福神
が創始されたとき、当社の二神
もその中に組み込まれたのであ
った。
 大國神は慈悲円満と富貴の表
徴、恵比寿神は豊漁をもたらす
神、商家の繁栄を授ける神とし
て、庶民の信仰を集め、その似
かよった御神徳から一対の神と
してあがめられることが多い。大
國を同じ音の大黒とも書く。
 
だそうです

 延宝7年(1679)建立だそうです
 吽形の頭には 角か宝珠のような ふくらみがあります

水曜日, 4月 15, 2015

狛犬さん 1304

2013.11.16 東京都墨田区向島 三圍神社
 境内の説明板に依りますと
弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。 
当時は、現在地より北の田んぼの中にあった。
文和年間(1352~56)に近江の三井寺の僧である源慶が
社を改築した折り、土中から白狐にまたがる老翁の像を発見。
その像の周りをどこからともなく現れた白狐が、
三度回って消えたという縁起から「三囲」の名がつけられた。
 三井家は江戸進出時に、その名にあやかって、
守護神とし、平成21(2009)年に旧三越池袋店から
シンボルだった青銅製のライオン像が境内に移設された。
 日照りが続いていた元禄6(1693)年、
俳人室井其角が能因法師や小野小町の故事に倣い、
「ゆたか」を頭字に詠みこんだ
「ゆふだちや 田を見めぐりの 神ならば」の句を献じたところ、
翌日には雨が降り評判になったという話が伝わっている。

  だそうです
 
 台座には  延享二(1745)乙丑歳
         五月廾二日
         石工
         和泉屋太郎介
    と刻まれていました
 
















 狛犬さんたちの頭には 穴が開いています
 たまに見かけますが 何故穴が開いているのか・・・・・原因不明です
 はめ込み式の角とか宝珠が付いていた
 穴に油を入れ お燈明として使った
 とかいろいろの意見がありますが どの説も納得がいきません

 

月曜日, 4月 13, 2015

狛犬さん 1303

2013.11.16 東京都墨田区向島 牛嶋神社
 ご本殿の横に 牛さんたちと一緒にいた狛犬さんたちです
 
 台座に 享保十四(1729)酉巳歳
      九月十五日
    と刻まれていました

















 横にいた牛さんたちです
 台座には 
        安政六巳未年(1859)三月吉祥日
    と刻まれていました
 頭の上に宝珠が見えます

土曜日, 4月 11, 2015

狛犬さん 1302

2013.11.16 東京都墨田区向島 牛嶋神社
 東京でよく見かける 獅子山の狛犬
 どうして関東では獅子山が多いのでしょう
 関西方面では ほとんど見たことがありません
 岡山県備前市で 見かけたのが
 多分最初だったと思います
 
 台座には 文政十丁亥年(1827)二月吉日
     と刻まれていました
















獅子山の全景です
手前に文化生まれの狛犬さんが見えています

木曜日, 4月 09, 2015

狛犬さん 1301

2013.11.16 東京都墨田区向島 牛嶋神社
 ご祭神は 須佐之男命 天之穂日命 貞辰親王命

 すぐ傍にあるスカイツリーの安全祈願祭は
 こちらのお宮さんが 執り行ったそうです
 
 獅子山の手前にいた狛犬さんたちです
 台座には 文化八辛未(1811)年
        二月吉日
        石(?)工 和泉屋
                正(?)吉 
    と刻まれていました


火曜日, 4月 07, 2015

狛犬さん 1300

2013.11.16 東京都墨田区向島 牛嶋神社
 境内の説明板によりますと
 貞観2(860)年に慈覚大師が、ご神託によって
須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀したと伝えられる
本所の総鎮守。関東大震災で焼失する前は墨堤常夜灯の東側にあった。
昭和7(1932)年に隅田堤の拡張により、現在の場所に再建された。
 本殿の左右に、神牛が奉納されているほか、
建長3(1251)年には牛鬼が車中を走り回り、
落としていった牛玉を神宝としたという伝承も残る。
また境内には、江戸中期から後期の国学者・加藤千蔭の碑や
江戸落語を中興したといわれる立川(烏亭)焉馬(えんば)(1743~1822)の
「いそかすは 濡れまし物と 夕立の あとよりはるヽ 堪忍の虹」
の句碑などがある。
 5年に一度の例大祭は、牛が引く鳳輦を中心に
古式床しい祭列が、向島から領国に広がる氏子の町内を
2日かけて巡り、本所2丁目の若宮公園内にある御旅所で1泊する。
返礼の町神輿の宮入れは50基が連なる都内最大の連合渡御となる。

また 別の説明板によりますと
江戸・東京の農業 浮島の牛牧

 文武天皇(701~704)の時代、
現在の向島から両国辺にかけての牛島といわれた地域に
国営の牧場が設置されたと伝えられ、
この周辺もかっては牛が草を食んでいたのどかな牧場で、
当牛嶋神社は古代から牛とのかかわりの深い神社でした。
 大宝元年(701)、大宝律令で厩牧令が出され、
平安時代までに全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)が
39ヶ所と、天皇の意志により32ヶ所の牧場(勅旨牧)が設置され、
この付近(本所)にも官牧の「浮嶋牛牧」が置かれたと伝えられています。

 時代は変わり江戸時代、「鎖国令」が解けた事などから、
欧米の文化が流れ込み、牛乳の需要が増えることとなりました。
 明治19年の東京府牛乳搾取販売業組合の資料によると、
本所区の太平町、緑町、林町、北二葉町と、本所でも
たくさんの乳牛が飼われるようになりました。
とりわけ、現在の錦糸町駅前の伊藤佐千夫「牛乳改良社」や
寺島の「大倉牧場」は良く知られています。
だそうです

 鳥居をくぐってすぐにいた狛犬さんたちです
 台座に
大正十二年九月
東都大震火災ニ
際シ御社殿?炎
上ノ厄ニ遭フ氏
子町民??措ク
?ハ??ニ復?
御造営ヲ?書ス
於茲本町民率先
協力シテ資金壹
萬圓ヲ寄進シテ
御造営ノ工ヲ助
ケ尚???ノ
狛犬壹對ヲ社頭
ニ獻シ永久神威
ヲ仰キ奉???
昭和七年九月

 ということだそうです
 文字が欠けていたりして 読み間違いがあるかもしれません